11.リゲイニングクローズドリィ
◇
こんなに寝たのはいつぶりだろう。悪い夢も見なかった。部屋に入ったっきり、着替えもせずにエイリは寝てしまっていた。どうやら相当に疲労が溜まっていたようだ。
早朝の緩やかな朝陽が差し込む部屋の中で、エイリはゆっくりと目を覚ました。寝すぎて身体が痛いような気さえする。
「……?」
白い背景の中で、異質な黒い小さな塊が、枕に横たわっていた。
エイリはしばらく考え込んでから、カッと目を見開いた。
「フチ!?」
「……エイリ。起きたか?」
フチはうとうとしながら、エイリの枕元に沈み込んでいる。なんだか目元が真っ暗で、それはおそらく一睡もしていないことの証明だった。
「起きてたの!?」
「うん……」
頭が揺れている。
エイリは嬉しいやら心配やら申し訳ないやらで焦ってしまった。
「ごめんなさい! 私、すごい寝てて!」
「うん」
「ふ、フチも寝たら良かったのに……」
この屋敷で誰かが襲ってくることなど、まずないはずなのに。フチは用心が過ぎるのではないかと思う。
「心配だったから……」
「……」
「……エイリが起きたから、俺は寝る。朝ごはん……起こして」
「う、うん」
フチの頭がどんどんシーツに沈んでいった。細めた目だけを動かして、エイリを見ている。
「エイリは……良い匂い」
「え?」
「良い匂いで、寝るかと思った……」
「え!?」
それきり目を閉じて、フチは眠りについた。
エイリは朝から、茹で上がったかと思うほど真っ赤になった。ダリアにキスをしながらこちらを見ていたフチの視線を、再び思い出してしまう。
フチの目は、なんだか引力があるような気がする。あと夢から覚めたあと、なんだか優しいような気もする。
……もしかして私、まだ夢の中にいる?
エイリは古典的に、頬を力いっぱい引っ張った。
「皆さん、本当にありがとうございました」
ダリアは老いても美しいと、エイリは改めて素直に思った。
朝食後、花が飾られた部屋でダリアはベッドから身体を起こし、エイリ達に再三の礼を述べた。
横ではナーシルがつまらなさそうな顔で外を眺めている。
「体調はどうですか?」
ルルが医師らしく、ダリアの四肢を押しながら様子を確認した。
ダリアは首を振る。どうやら、長らく横になっていたせいと急激に老いたせいで、身体の動かし方が分かりづらく大変な様子である。しばらくしてから動けるように訓練を始める、とのことであった。
『まあでも、目が覚めて本当に良かった〜』
「ええ、本当に、感謝してもしたりません……ありがとう」
昨日の深夜に目が覚めたというカイが、相変わらずの様子で黒板をダリアに見せた。
エイリも頷く。
本当に、ナーシルとダリアが、また会えて良かった。エイリは心からそう思う。
和んだ場の中で、ルルが控えめに手を挙げた。
「き、気になることがあるんですけど……」
ああ、とエイリは先読みして納得した。
ルルはきっと、ダリアに聞きたいことがいろいろとあるのだ。不可思議な現象が起こった人というのがルルの研究対象であり、まさにダリアはそれに該当していた。
「だ、ダリアさんは、目覚めなくなったきっかけは何か、覚えていますか?」
「……きっかけ……」
ナーシルが不満げに鼻を鳴らした。自分のせいだという自覚があって、今さらまた思い知らされたくないという心理故の不満が見えた。
が、ルルは踏ん張った。
「ほかにダリアさんのような人がいた場合、原因と対策が分かれば同じように対処し、解決できます! わ、私は、それを研究したく思っています!」
「……そうですね。ナーシルさん」
「……勝手にしろ」
そっぽを向くナーシルにダリアは微笑み、部屋の片隅にある棚から一冊の古い本を持ち出した。
「何ですの?」
「日記です、私の」
エイリが首を傾げると、ダリアがそれをめくりながら答えた。どうやら筆まめな性格らしく、細かな小さな字がびっしりと書き込まれている。
「……眠る前までつけていたと思うのです。最後に書かれているページに、何か書いてあるかもしれません」
ナーシルがそれを横から盗み見ている。
ダリアはそれに気づき、頬を染めた。
「あの、ナーシルさんは見ないでください。……貴方のことばかり書いてあるので」
「……そうなのか?」
「……」
2人で照れ照れしている老夫婦に、声をかけた勇者はフチである。彼は寝不足で、しかもなんだか皆と合流してから雰囲気が尖っていた。
「何と書いてあるんですか?」
「あ、ごめんなさい。……ええと、」
ダリアは首を傾げる。
「特にいつもと変わったことはないみたいです。この日は礼拝と掃除と買い物……あ、」
「?」
「礼拝堂の司祭さまが、この日だけ違ったみたいです。書いてありますし、何か思い出して来ました……そう、そうでした。お願いはあるのって、聞いて回っていたから、珍しくて」
「???」
首を傾げる一同。
ルルが羊皮紙にメモを書き殴りながら、「お願い?」と首を傾げた。
ダリアが頬を擦る。
「普段は歌を歌って祈って、それで終わりなんですけど……、その人は最後に、一人一人のお願いを聞いて回って。私は……」
「……」
「老いたくない、何があっても年を取りたくないとお願いしたんです」
ナーシルが複雑な顔をしている。
エイリは眉をひそめた。願いを聞いてくる司祭とは。
「今思うと、その人がきっかけだったのかもしれません」
「そ、その人の詳しいことは分かりませんか?」
ダリアは首を振って謝り、ルルは残念そうにした。
とりあえずこれ以上のことは分からなさそうだ。その司祭が関係しているのかどうかも確信が持てない状態で、シフォア人について解明することは到底無理であり、ルルもそれを理解している。
ダリアが胸に手を当てた。
「今思うと、私は愚かでした。礼拝堂でお願いをする以前に、ナーシルさんとちゃんと話をするべきだったのです」
ナーシルも俯いた。
「……いや、そこまでお前を思いつめさせてしまったのは、私だ。愚かだったのは私だよ」
失った2人の50年は、もう戻らない。
でも、彼らがこれから限られた時間で、少しでもその時間を取り戻していけるといいと、エイリは思った。
屋敷を去ろうとしたエイリとフチだが、ルルとカイはまだしばらく滞在することになった。
「ダリアさんの体調が心配ですし、まだちょっとダリアさんにお話を聞きたいので。……先ほど、ナーシルさんにもお願いされました」
「……じゃあ、ここでお別れになりますのね」
エイリとフチはポッツ橋を渡り、さらに北上してネドへ向かう。
フチも特に異論はなさそうだった。ただ、荷物を持って屋敷を出る間際に、カイにぼそっと行き先を尋ねた。
『僕もしばらくルルと一緒にいるよ。安心して』
「……」
「?」
エイリは不思議に思ってカイを見上げた。
最後まで掴みにくい男だったが、エイリにぱちんとウィンクをしてくる。
『良い旅を! 小さな騎士と可愛いレディ。また会えると良いね』
エイリは息を吐いて微笑んだ。
「ええ。貴方も良い旅を」
「……あ、あのあのあの」
ルルが急に詰め寄って来て、封蝋された手紙を押し付けて来た。
「あのこれ! も、もし北西のセイリーンの領地に来られることがあったら、寄ってください。この中の手紙を見せれば、だいたい何とかなりますので!」
エイリは驚いた。昨晩の夕食の場でルルが有名な領地の娘だということは聞いていたが、急にこのようなものを渡されるとは思わなかったからだ。
「な、何故これを?」
ルルは急にもじもじと手を組んだ。
「今回のことに巻き込んでしまったお詫びと……あと、友達になって欲しくて」
「?」
エイリは目を瞬いた。ルルはちょっと頬を染める。
「あの、私、両親に言われたお付き合い以外で、同い年くらいの女の人の友達って、いないんです。だから……」
「……友達」
「こ、ここで会えたのも何かのご縁と思います! 今度また会えたら、ぜひ、美味しいケーキでも食べに行きませんか?」
「……」
言葉が出ないエイリに、フチが耳元で言う。
「……エイリも初めてか? 同じ世代の友達は」
「あ、……はい」
エイリは、可愛い菓子屋でルルと一緒にケーキをつつく自分を想像して、なんだか胸のあたりが熱くなって、俯いた。
「はい、あの、ルルさん」
「はい」
「さ、最初、失礼なことばかり言って申し訳ありませんでしたわ……あの、ぜひ、また会えたらおすすめのお店に連れて行ってくださいませ」
ルルはぱっと笑顔になった。
「もちろん!」