10.
フチはずっと考えていた。
何故自分たち3人だけが、ダリアの頭の中に入ったのか、茫然と。
ダリアは自分の頭の中に他人を呼ぶ力はない。もしそんな力を持っていれば、フチ達と同じく枕元に呼ばれた人間をとっとと招き入れ、目を覚ましていたはずだ。
ということは、3人の中に、それが出来る人間がいる。
「……」
カイの瞳はフチを映したまま、ぴたりとも動かなくなった。
急に焦りも動揺も見せなくなるその振る舞いに、フチは素早く察した。
図星か。
『ずっと一緒にいましょうここで』
ダリアの頭の中で、顔のないダリアが言ったこの台詞に、フチは違和感を拭えなかった。
ダリアは最初から、フチ達に目覚めさせてほしいというお願いをしていたのだ。夢の中でずっと一緒にいてほしい旨とは、明らかに矛盾する。
『フチ、見つけた!』
そして、フチは幸せな記憶の中でずっと彷徨うことになっていたに違いない。エイリに見つけてもらえなかったら、永遠にあのまま過ごしていたと自分で確信を持てる。
エイリが迎えに来てくれたことは、おそらくカイにとっても大きな衝撃だったはずだ。
フチはこう考えた。
カイは、何が目的か、フチとエイリをダリアの頭の中に閉じ込めるつもりで、2人を夢の中へと誘った。が、エイリは夢から自力で覚醒し、その目的は潰えたのではないだろうか。
……エイリがネドに帰るのを邪魔する者は、消さなければならない。
フチは現実世界に戻った瞬間に行動を開始した。カイの身体に薬を打ち、2人になれる機会を見計らって、殺すことが出来るように。
「……返答ナシだな」
目だけではカイが何を考えているか、フチには分からない。だが彼がフチとエイリを害そうとした事実は変わらない。
パチン。
フチは思い切りハサミを閉じた。
「……!」
カイのマスクからどっと水が溢れてくる。
フチはベッド側の窓縁にカーテンをつたって飛び移った。
「……か……!」
ベッド上から苦しげな声が聞こえる。カイは四肢が麻痺して動かせないから、呼吸が出来なくて死ぬしかない。
フチは短く息を吐いた。
殺す前に情報でも得られれば良かったが、仕方ない。カイの力は予測不可能だ。いつまた知らぬ間に意識を奪われるか分からない。殺せる時に殺すべきだとフチは考えた。
あとはいかにカイの死を偽装すべきか考えなければ。
しかし。
経験からくる勘が、急に逃げろと警鐘を鳴らした。フチは総毛立つ。
「ーー!」
凄まじい音がした。
ガラスが砕け散る音と、水流の音。
フチは衝撃に吹き飛ばされないようカーテンに掴まった。
……一体、何だ!?
「……!」
部屋の真ん中に、大きな水の球体が出来ていた。その中心にカイがゆらりと浮かんでいる。
信じがたい光景にフチは驚愕したが、冷静にカイから距離を取るべく、窓際に再度移動した。窓のガラスが粉々に砕け散り、ベッドも窓際も水たまりだらけである。
カイを包む水の出所は、信じがたいが屋敷の外のようだ。
『イカれてるね、フチ』
「……!」
カイは水球の中でにっこりと微笑みながら、小さな泡で文字を描いた。たっぷりとしたローブと揃いの藍色の髪が、海藻のように揺れている。それはさながら、幻想的な光景に見えた。
『普通、ある程度情報を吐かせてとかさ、あるでしょ? いきなり殺しにくるのはひどいじゃない』
「……」
『まあ、らしいや』
フチは腰を低く構えた。背中に嫌な汗をかいている。
「……お前、一体なんなんだ? 人間か?」
カイは薄く微笑んだ。マスクがないから表情がよく見える。こんなに冷たい笑い方をする男だとは知らなかった。
『もちろん、君と同じ』
「……。何故、俺とエイリを狙う。俺の記憶では、俺とお前は初対面のはずだが」
『さすが落ち着いてるね。まともに話しかけてくるとは』
カイの余裕は本物だ。おそらく彼は、フチの命などいつでも、その不可思議な力で握りつぶすことが出来るはずだ。
フチは腰元に手を当て、カイを睨みつけた。
肝の据わった態度にカイは笑みを深めたが、対してフチの頭の中は混乱の極みで、目まぐるしく回転していた。
カイは水を操れるのか? あの水はどこから飛んできたんだ? 俺は、こいつから逃げられるのか?
……死んでたまるか!
『うん、初対面。僕は君とエイリと初対面だ。でも君は、僕の大切なものを僕から奪った』
「……?」
カイは指先を動かしながら泡を出した。薬の影響が切れてきたらしい。
フチはますます窮地に陥ったことを感じて焦った。そしてカイの言わんとすることが理解出来ず、それがフチの焦りに拍車をかける。
『僕はね、君たちを閉じ込めようとしたの。可哀想なご婦人の頭の中に。永遠に目覚めないからちょうど良いと思ったんだよね』
「……」
『夢の中で夢を見るとね、人は普通、自分だけでは夢から抜け出せなくなるんだよ』
「……!」
『ご婦人の身体の時間は止まっているから、これまでと同じようにあのままでいられるけど、君たちはご飯を食べられなくなったら衰弱して死ぬからね』
背中がぞわぞわする。やっぱりフチたちは、自分でも知らないうちに危機に晒されていたのだ。
目を細めたカイは、四肢が動くのを試しながら、世間話のようにぽんぽんと文字を打ち上げていく。
『そしたらね、失敗しちゃった。エイリ……あの子もイカれてる。何にも出来ないお姫様みたいな子なのにね』
「……!」
『そう、大失敗だよ』
完全に薬が抜け切ったようで、カイは手で目の前に一線を引いた。部屋が脈打つように揺れる。
「!」
『安心してよ。今君を殺したら僕が疑われるだけ。それは避けたい』
「……!」
『ほんとに厄介だ。勝手に死んでくれればいいのに、それもありえないとは』
男の言葉は謎めいていて、フチにはこの場では理解しがたい。
「なんなんだ、お前は! 何故……俺が、お前から何を奪ったっていうんだ!?」
『……僕の命より大切なものさ。さあ、話は終わりだ』
ごぽり、と音がした。
急速にカイを包む水球が小さくなっていく。床に滴り落ちた水は、まるで意思を持つかのように脈打ちながら、床を伝って壁を這い上がった。
思わずフチは、窓際の端に飛び退いた。水の塊が、勢いを増しながら割れた窓を突き抜けて外に飛び出していく。
『ルルには内緒にしといてよ。彼女は有用だ。危害を加えるつもりはない』
「な……!?」
『彼女は持たざる者だからね』
がたがたと部屋の扉が外側からノックされた。どうやら先ほどの音を聞きつけて、屋敷の人間が駆けつけてきたらしい。
カイは頭だけ水球を被っている形になった。自身の足でしっかり床を歩き、ベッドに落ちているマスクを拾う。
ふと、言葉が出ないフチに向かって微笑した。
『では、良い夢を』
「おい……!」
そこで勢いよく扉が開き、数人が雪崩れ込んできた。フチは思わずカーテンの扉に隠れる。
カイはマスクをはめ直し、いつものとぼけた様子で、割れた窓について彼らに頭を下げた。
どうやら先ほどのことは、何もなかったことにするらしい。
「突風? 急な雨?」
『僕も何が起こったかよく分からなくて……』
「まあ、良い。兄ちゃんが目覚ましてよかった。とりあえず服を乾かして、別の部屋を用意するから」
『ありがとうありがとう』
カイはフチだけに分かるようにウィンクした。フチは悪寒に顔をしかめる。訳が分からない。このカイという男は危険すぎる。
だが、フチが今やるべきことは、カイを問い詰めることではない。
……エイリを守らなければ。
部屋から出ようとする屋敷の人間の1人に張り付き、フチは考え込んだ。




