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親指ナイト  作者: 真中39
◆2章:眠れる屋敷の美女の夢
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8.キッシングプロキシィ

 

 ◇



 エイリは目を覚まして、見慣れない顔立ちの男が顔を覗き込んでいるのに気づいた。思わず、勢いよく顔を上げる。


「ぎゃっ!」

「……!」


 図らずもヘッドバットを決め、エイリは痛みに悶えて、床で寝返りを打った。

 至近距離でエイリを心配していたらしいカイは、膝をついて涙をぽろぽろこぼしながら、黒板を見せてくる。


『いたい』

「そんなの見れば分かりますわ……」


 エイリはどうも、カイには優しくなれなかった。カイに、というより、フチ以外の男性全般に。


 まだここはポッツの屋敷のようだった。ただし見慣れない廊下である。相変わらず磨き込まれた壁や床は、まだここが現実の世界ではないことを示していた。


 フチは?


 キョロキョロと辺りを見回すエイリに、カイが肩を叩いてくる。

 あっち、と指さされた場所に、フチはいた。

 廊下に備えられた机の上。載った金色のラッパのような装置の手前で、歩きながら考え込んでいる。


「フチ!」

「あ、エイリ。起きたか」


 フチは顔を上げて、ほっとしたように破顔した。

 エイリはその仕草にどきっとする。さっきのことは、エイリの頭の中だけで起こったことなのだろうか。


「フチ、あの……」

「さっきはありがとう。お前のおかげで目が覚めたみたいだ」

「……」

「お、覚えがないか?迎えにきてくれただろう」


 ちょっと焦って見上げてくるフチに、エイリは急いで首を振った。やっぱり、2人で夢を見ていたようだ。

 改めて考えるとなんだか壮絶な体験だった。


『急に2人とも寝たから、びっくりした』


 カイは、それは驚いたことだろう。急に2人とも意識を失って、いくら声をかけても目を覚まさなかったのだという。


「お前が現れるまで、夢だとも気づかなかった。……エイリはよく分かったな」


 エイリは必死でフチを探し回って、勘だけを頼りにフチに辿り着いた。彼はそれまで、石造りの小さな教会の中で、ずっと頭を抱えて座り込んでいたように見えた。

 自分でも、よく見つけられたと思う。

 エイリは言い淀んだ。フチの意志を叶えるために目を覚ましたとは、到底本人の前では言い出せなかった。


「だ、伊達に悲劇のヒロインぶってはおりませんのよ。余裕でしたわ余裕」


 ツンと顎を上げてから下を盗み見る。

 フチはいたずらっぽく微笑んでいて、目が合った。まるでぜんぶ知ってるぞ、と言いたげな蠱惑的なその表情に、エイリは急に恥ずかしくなった。


『フチ、何か分かったの?』


 カイが首を傾げている。

 フチはああ、と答えたものの眉間に皺を寄せた。


「エイリ、ちょっと相談なんだが……」

「?」


 顔を近づけるように言われ、エイリは金色のラッパのような装置に、耳をぐっと寄せた。


「なんだかここを回すと音が聞こえてくるんだ。誰かの声みたいな。中に人はいないから、声だけを溜め込んでいるんだと思う」


 フチは装置の下部についていたレバーを身体で押したり引いたりぶら下がったりしながら、くるくると回し始めた。

 カイがビシッと黒板を出している。


『非効率』

「おい、うるさいぞ。ナメるな」


 エイリは眉をひそめた。ラッパの中から、男の声がする。


「……頼む……どうしても目を覚ましてほしいんだ……私はもう……長くない」


 ところどころに雑音が混じって聞きにくいが、ナーシルの声のようだ。


「……治らんだと! まじめに診たのか? このヤブ医者が! とっとと消えろ!」

「家に返すだと? 笑わせる。彼女の家族はとっくにこの世を去っている。身寄りもいない」

「……ほんとに美しい子ね、あなたは。でも、今を大切にしなさい。老いとは、恐ろしいものなのだから……」

「跡継ぎなどいらん。女を連れてくるのはやめろ! 迷惑だ!」


 様々な声がとめどなく流れてきて、その不可思議さに、エイリは混乱した。


「ナーシルの声と、誰か知らない人間の声で間違いないと思うんだが、合っているか?」

「そうだと思いますわ。一体、何の話をしているのかしら」

「断片的な会話なんだと思う。ダリアの中に強く残っている……」


 そこで急にカイがバシバシと背中を叩いてきて、エイリは咳き込んだ。


「何ですの!?」


 カイはぷるぷる震えながら、廊下の隅を指差した。


「!」


 あの女の子が、隅にうずくまって身体を震わせていた。

 ……いや、あれを女の子と呼んでいいものか。


「フ、フチ。あのおばあさんというか、女の子というか、い、いるよ」

「おばあさん? ……」


 フチは首を傾げて考え込んでいる。

 彼のわりとどこでも構わずに考え込む癖に、エイリはちょっと嫌気がさしそうになった。


「……!」


 女の子はゆっくりと、ふらつきながら立ち上がった。

 カイは顔を真っ青にして、エイリを後方に引っ張って逃げ出そうとしている。エイリもフチを手に乗るように促したが、彼は首を振った。


「エイリ、お願いなんだが」


 瞳に力がある。

 エイリは目を丸くして、女の子とフチを交互に見た。


「おおお」


 不気味な声が、再び女の子から聞こえてきた。カイは涙目でエイリの腰を掴んで逃げ出そうと暴れている。


 ちょっとこれ、まずいんじゃ……!


「あの子から逃げないでくれ」

「え!?」

「頼む、信じてくれ」


 そうフチが言ったところで、女の子が勢いよく振り返った。振り乱したバサバサの髪の中で、歪んだ皺だらけの顔が苦悶に歪んでいる。


「ねえええ」


 エイリは失神しそうになった。

 が、踏ん張って耐えた。フチがエイリの手の平に、握りしめた手を置いていたから。


「があああ」

「……!」


 思わず目を瞑った。


「……い、お、ね、がい」


 あれ?


 何も起こらない。エイリは目を開けた。

 目の前には、小さな老婆が肩をすぼめ、さめざめと涙をこぼしていた。

 フチが老婆に向かって手を伸ばした。


「やっぱり、貴女がダリアだったんだな。初めまして」

「……!」


 その瞬間、ぽんっと景色が弾けた。老婆も廊下も消え去り、エイリ達の前には、可愛らしい天蓋付きのベッドだけが現れていた。


「……」


 どういう、ことだろう。


 エイリは訳がわからない。でも、訳がわからない事がありすぎて、いい加減慣れてしまった部分もある。ゆっくりと、フチを伴ってそのベッドに近づいた。


「多分、あの中にダリアがいる」


 フチの言葉通り、ベッドの中には現実と同じように静かに眠るダリアがいた。彫刻のように美しい横顔は、相変わらずピクリとも動く気配はない。


「……どういうことですの?」

「多分……」


 フチがゆっくりと言う。話すことで、自分の中の考えを確かにしていくように。


「ダリアは……『歳をとらない』ことが望みだったのではないかと思う。……『眠ったまま起きない』ではなく」

「……」

「ダリアの中には、ナーシルの言葉が溢れている。彼はダリアの美しさについて、よく言及しているように見えた」


 ナーシルとの生活をダリアがどう思っていたかはともかく、彼女の中にいるナーシルは、ダリアの美しさを彼女の唯一の価値だとでも言いたげだった。


「幼少期の環境などもあるかと思うが……彼女は祖父母と暮らしていた。より、老いることの不憫さを痛感していたと思う。老いが自分の価値である美しさを奪うということも、きっとよく分かっていた」

「自分が歳を取ったら、ナーシルに見放されると思ったのですね」

「ああ。そしてなんの結果かその願いは叶ったが……」


 同時に、目覚めなくなったと。

 フチはエイリを見上げた。


「あの老婆とも少女ともつかないダリアは、ダリアの思うダリア自身なんじゃないかと、思っている」

「……そうだったのでしょうね。でも、お願いって、一体なんなのでしょうか」


 お願い、と言い残して消えた恐ろしい姿のダリアは、エイリ達に一体何を叶えて欲しかったのだろう。


「……」


 そこでどこからか、頭に響く声がした。


「ダリア……いい加減目を覚ませ。この……哀れな女め」


 ナーシルの声だ。涙声で語られるそれは、出所が全く分からなかった。

 フチも聞こえているらしい。


「不器用な男だ。目覚めないダリアに何回も話しかけている。金のラッパのような置物にも入っていただろう?」

「ああ……あれは、この声が」


 フチは急にエイリに背を向けた。


「思うに、男なら誰でも分かるんだが」

「?」

「女性の容姿を褒めるのは、最上級の口説き文句と思いがちな節があるんだ。男は」


 エイリはよく分からない。

 フチは咳払いした。


「ナーシルはずっとダリアを愛している。というかそもそも、いつ起きるか分からない妻を50年間も、後妻も持たずによく待っていたものだ。跡継ぎが必要なはずなのに」

「……」

「……それをダリアは眠りについてから思い知ったんじゃないか? だから、ダリアのお願いとは……」


 ーー目を、覚まさせて。


 ダリアの声が聞こえたような気がして、エイリははっとした。

 ダリアの目尻から、幾筋もの涙が流れている。


『僕も聞こえた。目覚めさせてあげなくちゃ』


 カイがひょこっと出てきた。

 だが、方法が分からない。医者が手を尽くしてきた以上のことが、エイリ達に出来るのだろうか。


「あー、……心当たりはあるんだが」

「?」


 フチの声のトーンが急に変わった。

 なぜかカイもしきりに頷いている。


『女の子は、王子様からのキスで目が覚めるよ』

「はっ?」


 エイリは口をパクパクした。脈絡がなさすぎてびっくりだ。


『というわけで、よろしくフチ』

「やっぱりか」

「え!?」


 溜め息をついたフチは、眉間を揉んでいる。エイリはえ!?ともう一回言いながら挙動不審になった。


「き、キスするの!? フチが!? ダリアに!?」

「仕方ないだろう」

『僕マスク外せない』


 あわあわとするエイリを、フチが見つめてくる。


「ここから出るにはダリアの願いを叶えるしかないと思う。この状況で、口付けが出来るのは俺だけだ……仕方ないだろう」

「……」


 そんなひどい、とエイリは思ったが、何も言い返せない。

 フチはエイリの手の平からひょいと天蓋の向こうに飛び降りた。


「フチ……」


 気づけば、天蓋の向こうには、すらりとした背の高い青年が立っていた。

 エイリはまさか、と目を見開く。

 イースの騎士隊の制服に、艶のある黒髪。普通の大きさになったフチが、カーテンの向こうで立っている。


「なんで……?」

『夢だよ。夢だから何でもアリ』


 嘘でしょ、と口に出せないエイリの前で、フチはベッドの向こうに回り込んで跪いた。びっくりするくらい明るい緑の瞳。間違いようもなく、フチだ。

 フチは特にもったいつけることもなく、すっとダリアに顔を寄せた。唇同士が触れ合う。


「!」


 なぜか、目が合った。瞬きもしないで数秒。


 ……私を見てる?


 そう自覚した瞬間、頭の中でドカーンと爆発が起きて、エイリはこの上なく真っ赤になった。


 ……何で人にキスしながらこっちを見てんの!?


「……おはようございます、ダリア・ポッツ」


 目を回し掛けたエイリを尻目に、事態は急展開していた。

 ダリアがゆっくりと目を覚まして、微笑んでいた。


「……おはようございます。素敵なナイトさま」

「フチです。目が覚めてよかった」


 フチは簡単に挨拶をして立ち上がった。

 ダリアは首だけをこちらに傾けて、エイリとカイに微笑みかける。


「あなた方が、ここへ来てくれて良かった」


 カイに『←エイリ カイ→』と板で一緒に自己紹介され、エイリははっとして気を取り直した。

 いつのまにか天蓋は取り払われ、この空間には、ダリアのベッドしか存在していない。


「ダリア、さん。……貴女は……」


 ダリアは頷いた。


「お願いです。……私の願いを叶えてください。貴方達が一緒に願ってくれれば、きっと叶う気がするの……」


 ナーシルの声がする。目覚めてほしいと、何度も何度も懇願する声が響いてくる。

 ダリアは再び涙をこぼした。


「最初は……このままでもいいかなと、思っていました。ナーシルは私の容姿にしか価値を見出していないと、思っていたから。でも……」

「……」

「毎日、毎日私の枕元で話しかけてくるんです、あの人。ごめん、ごめんって。私のせいで君の時間を奪ってしまった、と……」


 ナーシルは、本当に不器用な男だったらしい。

 愛していると一言、告げればよかっただけなのに。何故それが出来ないのか、女性であり、男性を理解できないエイリには分からない。


「それからずーっと、ずーっと願ってきました。歳をとって、例えナーシルに見放されてもいいから、泣くあの人だけは見たくないと。でも、ダメでした。地獄のような年月でした」

「……ここへ来たのは、俺たちが初めてということですか?」


 いつのまにかフチの声が耳元で聞こえて、エイリはけっこううろたえた。

 相変わらず心臓に悪い。肩に乗っているということは、元の大きさに戻ったということだろう。

 ダリアは頷いた。


「ええ。こうやって目を覚ましたのは初めてです」


 ダリアはゆっくりと起き上がり、ベッドから降りようと縁に腰をかけたが、上手くいかずにその場で転げた。


「ちょっと!」

「……お願い……」


 堪らず駆けつけたエイリの腕を、ダリアは掴む。信じられないくらい強い力だった。


「私はどれだけ老いてもいいです。お願いだから、最後に、ナーシルに会わせてください。彼はもう、病で、長くない……」

「……」

「謝って、私を妻にしてくれてありがとうと、伝えたいの……!」


 ダリアの目から流れ落ちる涙に、エイリは憧憬を感じた。


 ……私も、きっと、そう思う。好きな人に会いたいと思う。


 自分が例え、今の自分でなくなってしまったとしても。


「……?」


 空気がぼやけた。光るひらひらとした塊が、ダリアの目尻からこぼれ落ちた途端。目の前のダリアの輪郭も溶ける。


 エイリは訪れた変化をきっといいものだと信じて、目を閉じた。



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