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親指ナイト  作者: 真中39
◆2章:眠れる屋敷の美女の夢
12/67

7.フチと願いの戒め歌

 

 ◆



 聖堂で子供達が歌っている。


「願うは悪ぞ、努力を断つな。願うは悪ぞ、他に委ねるな。願わば、失うものと心得よ……」


 フチはこの歌が嫌いだった。大人の恣意的な歌詞もそうだし、上手く歌えないからもある。そもそも力を合わせて歌うことに一体何の意味があるのだろう。連帯感は、別に歌でなくともいいじゃないか。


「フチ!」


 フチが隠れていた聖堂の椅子の横から、怒った顔の女の子が顔を出した。濃いにんじん色の髪の毛を編み、そばかすを隠すように顔に被せている。フチより4つか5つ、年上だったはずだ。


「サボってんじゃないわよ! 音痴だからってズルはだめ」


 フチは膝に乗せた本から顔を上げた。

 彼女の目敏さには毎度敵わない。それでも、あの歌を歌うのはどうしても嫌だった。


「おれ、歌うの嫌だよ。ニコル、お願いだから、院長には黙っててよ」

「だめよ。あたしだって歌いたくないんだから」

「2人でサボればいいよ……だめ?」


 ニコルと呼んだ少女に、フチは熱心に今読んでいる本の面白いところを勧める。彼女は本を読むときに静かな声でクスクス笑って、フチはその声が好きだった。とても。


「うーん、だめ!」

「ええ……」


 手を掴まれ、ずるずると引きずられる。

 フチは少女の手の温かさに、その違和感に顔をしかめた。誰かに手を引かれるなんていつぶりだろう。いつぶりって、どういうことだろう。


 孤児院の子供たちは年齢も出身もバラバラだったが、そんなことは関係がなく、全員が仲が良かった。


「おい!」


 みんなのリーダーでフチと同い年の活発な少年、マズが歌をそっちのけで駆けてきて、フチの頭をぶん殴った。


「いった!」

「お前、ふざけんな! 結局サボってたんじゃねーか! ニコルと2人で!」

「ちょっと! あたしは違うわよ」


 お兄ちゃーん、と、ちびっ子たちが跳ねながら寄ってくる。


「くらえ! 冥土の波紋!」

「いたたたた! いてーよ! ただのパンチじゃん!」

「フチ兄ちゃん、遊んで〜」

「高い高いして!」

「あんたたち、いい加減にしなさいよ!」


 聖堂の中はてんやわんやの騒ぎになった。フチはあちこちを殴られたり引っ張られたりくすぐられたりで、笑いが止まらなくなる。

 ニコルが呆れたように手を貸して起こしてくれるのも、笑いながら頼った。純粋に、楽しかった。





「おう、フチ、なににやけてんだ?」


 急に目の前が暗くなり、気づけば山のような男が腰を折って、フチを覗き込んでいる。


「珍しく寝坊したなあ」

「ごめん……支度する」


 雷鳴のような声で、男は笑った。イースの騎士隊の黒い制服が、ちぎれそうなくらいにぱつぱつに膨らんではしぼんでいる。

 フチは慌てて身体を起こして、あれ、と首を傾げた。卵の殻に細かい干し草を詰めたベッドで、この寝心地をフチはわりと気に入っていた。


「修練、休みの日だっけ」

「そうだ。今日はマチスの丘に行ってお前の剣をあつらえてもらう予定だったろ」


 寝ぼけてんなあ、と男……サンクが笑った。サンクの家は貴族らしくなくて、いつでも薬品とハーブの匂いが漂う、質素な家だった。


「腕がめちゃくちゃ良いが変わりモンだからな。気に入られるように頑張れよ」

「うん……」

「おはよう、フチ。お茶を入れたわよ」


 部屋の扉を開けて、白衣を着た女性が入ってきた。サンクの妻、ミシェルだ。彼女は研究者で、植物や虫から取れる成分で薬を作るのが仕事だった。


「おはよう、ミシェル。……寝坊した……」

「もう少しで騎士隊の入隊試験だからって、根を詰めすぎなんじゃない? サンク、貴方も無理させすぎなのよ」

「馬鹿野郎、フチは普通の努力をしてたんじゃダメなんだよ! 身体の小ささを跳ね返すぐらい修練を積まなきゃダメなんだって」


 カップのお茶から良い匂いが漂った。サンクはミシェルからそれを受け取り、でもな、と声を張り上げた。


「お前さんなら大丈夫だ! 努力家だし、勘もいい。センスもある。何より、俺の息子だ! 胸を張れ!」


 がっはっは、と笑うサンクにフチは胸が熱くなって、ぎこちなく微笑み返した。


 燃えた孤児院の前で、殺してくれと彼に頼んだ過去がとてつもなく昔のように感じられる。サンクはその場で子供のいない自分のために生きてくれとフチに頼み、フチはそう決意した。

 何も出来なかった自分は生きている価値がないと思った。その時からすでに、フチは自分のために生きることが出来なくなっていた。


 でも、今は。


 サンクの為に生きようと思っている。血の繋がらないこんな身体の自分に、信じられないくらい愛情を注いでくれる、この養父のために。

 人のために生きられる、それに値する人がいる。

 それはフチにとって、この上ない幸せだった。





「やる気がないの〜やりたくないの〜」


 はっと気づけば、イースの王宮の一室にフチはいた。目の前の豪奢な椅子の上でジタバタしている、40過ぎの男性に、呆れて目を細めながら。


「わかるかい、君たち? ボクはね、汚いものが嫌いなの」

「存じております」

「よく知ってます」

「知ってまーす」


 フチの左右から男女の声がする。

 フチを手の平に載せて、不真面目に足を揺らしているのがアンリという男性。直立不動で動かないのがジィリアという女性だ。彼らは、フチと合わせて3人で『王のお墨付き』と呼ばれる特別な地位にいた。

 そしてそんな3人の前にいるのが、イースの前王、カミルだった。男性にしては長くて綺麗な髪を後ろでまとめ、羽ペンをくるくると回している。


「みてよこの法律。ぐっちゃぐちゃ。キレーに整えるの、時間がかかるのよ?」


 カミルは騎士としての仕事を依頼する以外にも、ちょっとしたことで3人を呼び出すのが癖だった。そして内容はわりと些細なことだったり、重要な会議の方針だったりと、様々なものだった。これはまだ軽い方。


 ジィリアは溜め息をついて、そうは言いましても、とカミルを見やった。


「今、この機会に直しませんと混乱を招きます。よろしければ、私からいくつか案を上げますが」


 彼女は有能であるが、融通が利かないところがあった。

 カミルは頬を膨らませてジィリアに首を振る。


「ダメ。君のは美しくない。なんか片づけましたーって言ってぐっちゃぐちゃに詰め込んだみたいなカンジ」

「……」

「うふふ」


 対して、笑うアンリも有能だが研究以外はやる気がなく、人を苛立たせることで有名だった。


「アンリ、貴方いま笑った?」

「いや、まるでジィリアの部屋じゃないかと思ってさあ。性格が出るよねえ」

「アンリ!」


 揉め始めたアンリとジィリアの間で、フチはカミルに進言した。


「何から何まで王が行う必要はないと考えます。ジィリアの案も改善点を洗い出すのには有用と思いますし、その後は王に上げる前に俺とアンリが手を入れます」

「フチ、貴方、なかなか酷いわね」

「うふふ。……って、僕もやるの?」


 カミルはしばし考え込んでから、パチンと指を鳴らした。


「そうだね! というより、今からボクの部屋においで。4人で一緒にやろう。ちょうど良いお酒も取り寄せたところだし」

「さ、酒を飲みながら法律を直すのはどうかと思いますが……」


 ジィリアは狼狽え、カミルは面倒くさそうに手を振った。


「固い固い! 固いよ、ジィリア。良い案は酔っ払ってるときに出るときもあるんだよ?」

「ジィリアは酔わせると楽しいですよ。この前なんか急ににゃんにゃん……」

「アンリ! 黙って言わせておけば!」


 2人の揉めるのを見て、カミルは束の間微笑んでから、法律の記載された羊皮紙に目を落とした。その目はすでに、公務を行う際の真剣な光が宿っている。


 ……すごい人だ。


 フチは人としてカミルを尊敬している。

 本当は彼はこんなまとまりのない法など、とっくにどうすれば良いか目星がついている。3人に自然に意見を出して欲しいだけなのだ。


 カミルは何事も美しく整えるのが得意だった。シンプルに制度を整備し、情報が氾濫する外交においても姿勢は綺麗に一貫したまま揺らがない。彼には王として以前に、人として抜きん出た資質があった。


「フチ、おいで」


 呼ばれたので、フチはぴょんとカミルの伸ばされた手のひらに飛び移った。本来なら王の手の平に乗るなど不敬きわまりないのだけど、4人だけの場なら、カミルはこういったことを気にしなかった。


「どうされましたか」

「うん? いやあ、大きくなったね」

「……そんなことはないと思いますが」


 自分の小さな小さな身体を見下ろして、フチは不満げに言う。

 カミルはますます、その笑みを深くした。


「親はね、子の成長が身体だけではないことをよく知っているんだよ」

「……」

「フチも、ジィリアも、アンリも。ボクの優秀な子供だと思っている。……イースをよろしく頼むよ」


 戦火の燻りがシナンとの関係に起き始めてから、カミルはよく、こういうことを言うようになった。カミルの実子、マシューとは、あまり親子として上手くいっていないことを、フチは察していた。おそらくそれも関係している。


「君たちは、ボクの誇りだ。若い騎士たちを、国民を、守ってやってくれ」

「もちろんです。……貴方に生涯をかけ、仕えます」


 カミルの為に生きようとフチは思っているし、カミルはそれに値する人間だと、信じている。

 フチがそう礼をしたところで、ボカッという間抜けな音がした。慌てて振り返ると、アンリが鼻を抑えてジィリアがオロオロしている。


「いだい。なにも、殴らなくったっていいじゃないか……」

「ご、ごめんなさい。殴るつもりはなかったの! ちょっと、あまりにも減らず口が多いので、口を塞ごうと」

「嘘だね! 君最近、僕を怪我させて楽しんでるだろ。この前だって嬉しそうに僕のほっぺを……」

「あああやめて!」


 慌ててアンリに襲いかかるジィリアを見て、カミルがけらけらと笑った。フチもつられて笑ってしまった。


 信じる人が、自分の力を必要としてくれている。頼りになる仲間がいる。それはフチにとって、間違いようもなく、幸せだった。





「願うは悪ぞ、努力を断つな。願うは悪ぞ、他に委ねるな。願わば、失うものと心得よ……」


 聖堂で、子供達が歌っている。

 フチはこの歌が嫌いだったので、読みかけの本に頭を突っ込むようにしながら、聖堂の椅子の合間に隠れていた。


 なんだか、ニコルに見つかっちゃう気がするなあ。


 それでも彼女の温かい手の温度を思い出して、フチは笑うのが止められない。

 だが、椅子の合間から顔を出したのは、ニコルではなく、世にも愛らしい美貌の女性だった。


「フチ、見つけた!」


 溌剌とした雰囲気で、エイリが顔を輝かせている。

 フチは目を丸くした。


「エイリ?」

「そうだよ!」


 エイリはフチを手の平に乗せて、肩の上に導いた。彼女の髪の甘い匂いと、柔らかい肩。


「……俺は、夢でも見ていたのか?」

「そうみたい。でも終わり。一緒に行こう」


 エイリは聖堂の大きな扉に手をかけた。向こうから、信じられないくらいの光が降り注いできて、フチは目を細める。


「……フチはここから出たくないかもしれないけど、私が連れてくよ」

「……」

「護衛してくれるって、言ったもんね。ネドに行くまで、フチは私の騎士でしょう?」


 ああそうだ、と思ってフチは座り込んだ。急に霞みがかった頭の中が冴え冴えとした。


「そうだ。エイリ、お前についていくんだったな」


 細い首筋に寄りかかる。どうしようもなく泣きたいような、笑い出したいような、妙な気分だった。




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