6.エイリとバターケーキ
◇
エイリはぼんやりとしながら、光が燦々と降り注ぐ中庭で、お茶の用意をしていた。
あれ、私、なんでこんなところにいるんだろう。
違和感に、身体を見下ろす。ひらひらした、身体の線を強調するドレス。エイリはこのドレスがあまり好きではなかったので、眉をひそめた。
「エイリ?」
そこで声をかけられ、エイリははっとして顔を上げた。机から少し離れたところに、シナンの近衛騎士の制服を着た女性が立っている。
「メルン! 早かったね」
エイリは思わず彼女に駆け寄った。
エイリがメルンと名前を呼んだこの女性は、ハシバミ色の長い髪を高い位置でくくり、常に気難しそうに眉根に皺を寄せている。だが、時折にっこりと微笑む彼女はとても美人さんであることを、エイリはよく知っていた。
「今日は何も不穏な動きをする人間はいなかったからな。私の笛は出番はなかったよ」
「ふーん。あ、メルン、こっちだよ」
「ありがとう」
シナンの王宮の中庭は常に綺麗に設えられていて、他の寵姫に邪魔さえされなければ、唯一、エイリの心が休まる場所だ。鳥の鳴き声と木々のざわめきに、穏やかな心地になる。
「今日はなんだと思う?」
メルンを椅子に座らせ、ナプキンのかかった机を指して、エイリはニコニコと微笑んだ。
メルンは勘がいいから、こういうのは百発百中で正解してくる。
「カボチャだな。カボチャのプディング。どうだ?」
「ブー」
「ん?」
「カボチャのババロアでーす。不正解!」
メルンは首を捻って顎に手をあてる。納得がいかないときに、一本気な彼女がよくする癖だった。
「ババロアだのプディングだの知らんな。甘いふわふわで正解だろ」
「いやいや」
……ああ、夢だなあ。
エイリは笑いながら独りごちる。こんな過去はエイリにはない。メルンは中庭に来られなかったし、カボチャのプディングだって食べられなかった。
何回も見た夢だけど、いやにはっきりとしていて、離れがたい。
……ずっとこうしていられたら良いなあ。
そう思ったところで、目の前から耳なじみの良い、低い男の声がした。
「エイリも甘いものが好きか?」
黒髪の小さな騎士が、バターケーキのバターを頭につけて、エイリを見上げていた。
エイリは思わず、ふにゃふにゃと口角を引き上げた。
「好き」
「俺もだ。半分食べるか?」
「……身体の比例で考えたら、半分はおかしいでしょ」
フチは唇を尖らせた。記憶よりずっと、あざとい仕草だった。
「おかしくないだろう。半分、半分でイーブンだ。権利に身体の大きさは関係ない」
「分かったよ……」
「苺も半分だ」
「ええ……」
菓子屋の中は良い匂いで充満していた。
周囲には大きな窓といくつものテーブルが並び、エイリと同じ年頃の女性たちが、微笑みながら歓談に興じていた。身につけているアクセサリーが夕暮れの光を反射して、穏やかに輝いている。
クリームもスポンジも甘くて美味しい。エイリは幸せだと思った。
フチがケーキをぱくぱくと頬張りながら、次は、と棚のお菓子を眺めている。
「あれだな」
「まだ食べるの?」
何言ってるんだ、とフチが不満げに言う。
「全制覇するって言っただろう、一緒に」
「……そんなにゆっくりしてる時間ないでしょ」
フチは首を傾げた。
「何故だ? 時間なんていくらでもあるだろう。これが終わったら、一緒にぼったくりの雑貨屋に文句を言いに行くとも言っただろう」
「……」
「まけてもらうんだろう。何が欲しいんだ?」
エイリは不意に泣きたくなった。やっぱり夢だと気づいてはいたけれど。
「エイリ?」
ぱたぱたと近寄ってくるフチに、エイリは微笑んだ。
「私、目を覚まさなきゃ」
「?」
「フチ、貴方の手伝いをしに」
フチはエイリの護衛を命じられた騎士で、彼は騎士の誇りと矜持をかけて、エイリをネドに送り届ける。
そうしなければ、彼はおそらく、自分の意義を見出せないだろう。
エイリはフチの精神の自衛からそれが発露されたものだと、よく理解していた。それ故にこの意味のない旅路にフチを同行させているのである。
「フチ、貴方が好き」
好きだと告げても態度を変えないように努めてくれるところも、実利を一番に考えるところも、好きだと思っている。1人で考え込む癖もあるようだけど、それも彼の責任感からくるもので、エイリは好ましく感じていた。信用されていないのだけはちょっと悲しいので、自分の振る舞いを改善しなければいけないと思っているけれど。
フチの支えになれるか分からないけれど、なれればいいと、思っている。例えネドに着くまででも。
「だから、目を覚まして、……そうだね、ダリアの頭の中から抜け出して、……ポッツ橋を渡って、ネドに行かなくちゃ」
言葉にしながら自分の目的を確認していく。
いつのまにかフチと周囲の女性は消えていき、目の前にはメルンが頬杖をついて、エイリを見つめていた。
「大変だと思うぞ。外は。訳の分からんことばかりだ」
エイリは頷く。
「うん」
「ネドに帰ったってお前の居場所はどこにもない。おまけに、お前の好いてる男は、お前を何とも思ってないぞ」
「うん」
エイリは頷きながら席を立つ。
「早く目を覚まさないと。……」
「エイリ、」
呼びかけてくる声を振り切って、エイリは歩き出した。こんなに脚が重いと思ったことはなかった。泣きそうだった。
それでも。
歩き続けなければ先はないことを、エイリは知っている。




