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親指ナイト  作者: 真中39
◇1章:語り部は1人
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1.地図の上の小さな騎士

 

 ◇


 曇天の下、峠を越えると険しい崖だった。エイリの乗る馬車はがたごとと忙しなく揺れ、風の強い中降ろされたときにはすでに、胃が震えて気分が悪かった。


「乗り心地はいかがでしたか」


 長い黒髪をバサバサと揺らした女騎士が、無表情で待っていた。一応エイリを慮ってかけたような言葉だが、全く気持ちがこもっていない声音である。


「まあまあでしたわ」

「それは重畳でした。お初にお目にかかります。エダ・ノートンと申します。この度、貴方のネド国までの行程の護衛を仰せつかりました」


 頭を下げてきた女騎士に、エイリも膝丈のドレスを持ち上げて礼をする。


「エイリ・シェリエ・レニアと申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたしますわ」


 さっそくですが、と女騎士のエダが崖下を指差した。幅広の川があり、流れは荒い。比較的緩やかに見える箇所に、屋根のついた大きな船が停泊している。


「この川は流れが荒いので、耐えうる船はあれくらい大きくなるんですよ。あちらでまずはマカドニアまで渡ります」

「そうなのですね」

「エダ!」


 男の声がわりと近くで聞こえ、エイリはびくっと身体を揺らした。

 振り返っても誰もいない。

 エダは首を傾げて、太い眉をひそめて嫌そうな顔をした。


「なんだ」

「俺の自己紹介が済んでいない」


 エイリは戸惑った。声がエダの首元から聞こえてきたからだ。

 エダはため息をついてから、自分の首から何かを掴み、エイリの前に持ってきた。


「え」


 手のひらの上に、親指ほどの大きさの人間がいる。


「お初にお目にかかります。エダと共に護衛を仰せつかりました、フチ・シーザウェルトと申します。以後、どうぞよろしくお願いいたします」


 その小さな青年は礼儀正しく、目を丸くするエイリに向かって礼をした。


「訳あって小さいのです。お気になさらず」






 エイリ・シェリエ・レニアはもともとネド国の貴族の娘であり、隣国のシナンの王の寵姫であった。

 ネド国とシナンは領地を巡って長きにわたって戦争をしていたが、エイリが5歳の頃、ネド国はシナンに敗戦した。エイリはその際に女好きと名高いシナンの王に養子とされ引き取られ、途中で寵姫と名前を変え、およそ15年間、シナンで過ごしてきた。


 そして今回、ネド国とシナンを挟んで反対にあるこのイースに、エイリはいる。何故かというとシナンとイースが戦争を行い、シナン王は戦死し、シナンはイースの属国となったからだ。

 イースに招かれ、エイリは生まれ故郷のネド国に戻る決定が下された。

 その旅路のお供に、女騎士エダと小さな騎士フチが任命されたのである。


「あー、エイリ様? 道が険しくて申し訳ない。大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありませんわ。よく城の中庭にある川べりで遊んでましたのよ」


 フチの声が後ろからしたので、エイリは適当に答えて淀みなく崖沿いにある道を降りていく。

 しばらくいくと船が停泊する箇所に到着した。

 定期船なのか、何人か船のそばで旅人らしき人間が列を作って待っている。


「エイリ様、お願いがあるのですが」


 エダと共に列に並んでいると、フチが声をかけてきた。


「肩に乗らせて頂けませんか。貴方の肩の上の方が有事に対応できると思うのです」

「肩? ……ええ、まあ、よろしいですわ」


 エイリがちょっと悩みながら返事をすると、エダが険しい目つきになった。


「フチ! 勝手な真似をするな」

「勝手じゃない。この方が動きやすいんだ。あとお前の肩は固くて乗りにくい」

「!」


 なんだかエイリも馬鹿にされた気分になって、エイリとエダは揃って眉間に皺を寄せた。が、エイリはすぐに笑顔を浮かべ、手袋をはめた腕をフチに向かって差し出した。


「私の肩が柔らかい保証はないですが、……どうぞ、乗ってみてくださいまし」

「ありがとうございます」

「……全く……」


 ぴょん、と跳ねてきた黒い小さな人間を慌てて受け止め、エイリは改めて、自分の手の上でフチを観察した。

 本当に小さい。イース人らしい艶のある短い黒髪だが、前髪が長くて厚いのか顔の造形が分からない。鋭角的な顎から察するに、まだ若いように見える。落ち着いた声はエイリより歳上のような気もするが、定かではない。イースの騎士の証である黒い制服の上から、目立つためか真っ赤なマントを羽織っていた。


「珍しいですか」

「あら、すみません。……はい、初めて貴方のような方にお会いしたもので」

「お気になさらず」


 相当気にして欲しくないと見える。

 エイリはゆっくりと肩に手を持って行ったが、フチは慣れているようでぴょんぴょん跳ねながら、気づいたら手の上から消えていた。


「出発準備!」


 男の声が船から聞こえ、旅人たちがぞろぞろと動く。そんな中、唐突にエイリの前に小さな人影が飛び出してきた。

 エダの鋭い声が飛んだ。


「何者だ」

「あっ、ごめんなさい! ごめんなさい! 並びます!」

 

 ぼろぼろの外套を被った子供だった。明るい茶色の髪に、紅玉のような真っ赤な瞳。色素の薄い整った顔立ちだ。

 エイリはこの子は、と目を丸くした。


「シナン人ですね。亡命者でしょう。エイリ様、あまり近づかないように」


 耳元でフチに忠告され、エイリはけっこううろたえた。囁くような低い声は心臓に悪い気がしたからだ。





「出発!」


 大きな、軋むような音を立てて船は動き出した。屋根下の机をあてがわれたエイリは、エダと共に風に煽られる髪を抑えている。

 気づけば、エイリの腕を滑り台のようにして、フチが机の上に着地していた。その身軽さに、エイリは感心した。


「行程の確認をします。エダ、地図を」


 フチのピシッとした声に、うだつの上がらない様子で、エダはテーブルの上で地図を広げる。

 このイースの近隣の諸国が記された、詳細な地図だ。

 小さな黒い騎士は、その地図のイースと書かれた箇所の上に立ち、手を腰に当てながらエイリを見上げた。


「よろしいでしょうか」

「ええ。お願いいたしますわ」

「はい。では現在の場所はここです」


 フチはイースの端の川の表記の箇所まで移動した。


「ここは、イースとマカドニアの国境であるライヌ川です。非常に幅が広く長い川で、マカドニアとイース・シナン・ネドの三国を隔てています」

「ええ。本来なら、ネド国に向かうには、シナンを通過するのが一番なのでしたわね」


 エイリが地図上で指を滑らせると、フチは横目に頷いた。


「はい。そうなのです。ですが現在、シナンは敗戦間際で混乱しています。シナン王による法統制は撤廃され、悪党達がはびこり、無法地帯になっているのです。……早くイースが統制に手を入れなければなりませんが、なかなかこちらも終戦間際で手が回らない状況です」

「そうなのですね」


 フチは咳払いし、話が逸れたことに詫びを入れてきた。なかなかどうして、ちょっと堅苦しいほど真面目な人柄のようである。


「そんな中をネドの貴族であった貴方が通るのは危険です。我々としても安全第一の行程を選びたく、遠回りになりますが、マカドニアを経由してネドに入国する選択をいたしました」


 フチは言いながら、大きな国であるマカドニアの上をきびきびと歩き、ネド国の上まで到達して礼をした。


 ……分かりやすくていい。


 エイリは思わず口元を押さえて、笑ったのがバレないようにする。


「?」

「いえ、もちろん、分かっておりますわ。私の方は、何も不満はございません」

「……マカドニアは大国で、イース・シナン・ネドの東の三国とはどれも距離を置いて外交を行なっています。とりあえず危険性は今のところないでしょう」


 エイリは頷き、見上げてきたフチも頷いた。前髪のせいで表情が見えないが、よく相手の反応を見てくる男だとエイリは思った。


「……イースはどうでしたか」


 そこで、脈絡もなく唐突にエダが尋ねてきた。

 この女騎士も表情が変わりづらく、エイリには心情を察しにくい。だが、にっこりと笑みを浮かべておいた。


「良い国だと思いましたわ。王宮の皆さまは、非常に自国に誇りをお持ちになられていると感じられました」

「そうですか」

「……実を言うと、もっと滞在したかったですわ。私が失礼をしたせいなのは分かっているのですが……」


 エダの眉がぴくりと動いた。

 エイリは口元を抑えて、少し身体を傾ける。


「……どうかいたしましたか?」

「すみません、ちょっと船酔いしたみたいですわ……お手水に行ってまいります」

「お供いたします」


 お願いしますと答えて、エイリはフチをテーブルに残したままエダと共に立ち上がった。

 周りを見回すと、数人いた旅人たちがぴくりと反応した気がする。

 エイリはエダに見えないよう、すっと顔を引き締めた。


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