ポケットの中には希望があったり無かったり
レグラスは先程までの薄汚い半地下とは比べようもない豪奢な部屋の清潔なベッドに寝かされていた。
「これは、城下や王都内で猛威を振るっている熱死病ですね。
兎にも角にも熱が下がらねば子供は助かりません。」
偉そうな態度でレグラスを診ていたおじいさんは、これまた偉そうに溜息を吐きながら部屋の入り口近くにいるお兄さんに言った。
「なんとかしろ」
お兄さんは玲音に向けていた優しい顔とは違う険しい顔でおじいさんに指示した。
「そうは申されましても……私は神ではございませんので」
慇懃に言い、礼をして退室の許可を待つ。
お兄さんは苛立ちつつも、他に言いようもなく「下がって良い」と、おざなりに手を振った。
「ねぇねぇ、お兄さん。ここ、かしつきは無いの?」
玲音はお兄さんを見上げながら問いかけた。
「か、し、つ、き?とは、何だ?」
お兄さんは少しだけ背を屈め玲音に聞き返した。
「室内をかしつさせる機械よ」
「きかい?奇怪?機会?はて??」
「ここはキレイで豪華だけど、何も無いのね!
テレビもエアコンもコンセントも無いし、電気は火!」
「て、てれ??えあ、こんせん??でんき、とは何だ?」
玲音は唇を尖らせながら「むぅぅ~」っと唸り少し考える。
「あそこにあるの、らんろ?」
指差しながらお兄さんに尋ねると、指の先を追って
「あぁ、暖炉。 そうだよ、火が入っているから暖かいだろ?」
と、頷いた。
「あそこでお湯沸かせる?」
「お湯? まぁ、出来るが……湯が必要ならば用意させるが?」
「お湯もいぃんだけど、あそこで沸かせば湯気が出るから!」
お兄さんはもう一度暖炉に目を向け、ひとつ頷き控えていた侍女に暖炉で湯を沸かすように指示した。
「他にすべき事はあるかな?」
柔らかに微笑んで玲音に問う。
玲音はお兄さんを見上げてからワンピース型のパジャマに付いたポケットに触れた。 ポケットは小さく膨らんでいて、少し悩んでから手をポケットに入れた。
玲音はポケットの中身を取り出してじっと見詰る。
眠る前、寛太くんから預かったインフルエンザの薬だ。
玲音のミッションはこの薬を飲むように説得することだったが、いつもいつもウンザリする程沢山の薬を飲まされる玲音は、どうしたって寛太くんの味方になってしまう。
窓から捨てれば直ぐにバレちゃうよ! と、それを預かり、然るべき場所で捨ててあげようと考えたのだ。
玲音にとっての然るべき場所は、デイルームやエレベーターホールのごみ箱なので、もし捨てていたら十中八九関係者に見られていたと思われるが、彼女はまるで気付いていない。
兎に角、そんな訳で玲音はインフルエンザの薬を持っていた。
彼女はまだ成り立ての五歳。
当然病気の診断など出来る筈もないが、インフルエンザの流行時期だった事もあり、死にそうに震えるレグラスはその人達と同じように玲音の目に映った。
「お薬、人のは飲んじゃダメなんだよね……
でも、レグは寛太くんと同じくらいの背だから……
大丈夫!な、ハズ!」
玲音はお兄さんに向かって小さな手を差し出した。
偶然ポケットに入ったままだったインフルエンザの新薬。
「いきなり高熱が出て体がダルくなって、ご飯が食べれなくなっちゃった?」
お兄さんに向かって尋ねる。
「ん~、レグラスが熱死病だと知ったのがつい今しがただからな……
ただ、熱死病の症状は概ねその様なものだと聞いている」
と、玲音に視線を向けて答えた。
玲音もその答えに頷き
「なら、この薬が効くよ!」
と、手の平の薬をグイと更に差し出した。
「これは……見たことがないが、どうなってる?
この銀色の……」
「このシート? こうやって、出っぱってる薬を押すと出てくるよ」
玲音が渡したのは錠剤が二錠入った薬錠シートで薬の出したかをレクチャーした。
「ほぅ。なるほど……女神の使いとは、強ち間違い無さそうだな」
お兄さんは部屋の隅にいた女の人に水を持ってくるよう指示しレグラスの枕元へ行った。
玲音も一緒に付き添うと
「女神の使い殿、病が移るといけないから、少し離れておいで」
と、優しく言うが
「うぅん、予防接種してるから大丈夫よ!」
と一蹴してレグラスの枕元へ共に向かった。
「殿下、私がいたしますので……」
水を持ってきた女の人は控え目に申し出るも、お兄さんはやんわり断り手ずから薬を飲ませていた。玲音はレグラスが薬を飲み込むのを見て
「これで大丈夫!」
と、何故か自信満々に笑って
「お兄さんはちゃんとお手々洗って、感染しないよう注意してね。あと、目からも移るから洗ってない手で目を擦ったり口や鼻を触らないように気を付けて」
等と偉そうに注意した。
「うむ、目からも移るのか!その様な注意点があるとは。
他にはあるか?王都や王都近辺の領地ではこの病で大分多くの死者が出ているのだが、有効な対策がなく困っているのだ」
「ぅぅん……まず、今元気な人は移らないよう気を付ける!
人と会ったら手を洗ったり、顔を洗ったりして菌を退治するの!
あと、栄養とって、水分も多目にとって……
あ、あとは換気!寒いのは嫌だけど、空気の入れ換えは大事!
換気を充分にして、湿度を高めに保てば菌は弱くなるからね!」
「キン?キンとは何だ?」
「菌はね、目に見えない病気の元みたいなのよ。
スゴく小さいから目では見えないからうんと注意しないと」
「何と!目に見えない病気の元!」
玲音は腕を組ながら「他は~他は~」と首を捻っている。
その様が何とも小生意気で可愛らしく、お兄さんはクスリと笑って
「女神の使い殿、お言葉ありがとう存じます。
直ぐにも手洗いや湿度?の調整を致しましょう」
「うん!よろしくね」
玲音は偉そうに胸を張ってお兄さんに返事をかえした。
「君達、聞こえていたかな?
女神の使い殿の言う通り宮殿内は勿論、王都に留まらす、国中へ予防を呼び掛けよ」
お兄さんはドアの近くに控えていた男の人に言い付けると玲音と目線を合わせるように膝をつきその頭を優しく撫でた。
黒く艶やかな髪は柔らかでしなやか。 質の良いシルクの様で華やかな香がする。
「そういえば名前を聞いていなかったね。 私の名前はアルージャ。 王の一番末の弟だよ
レグラスから見れば叔父、だね」
「お兄さん、おじさんなの?」
「そうだよ。 で、女神の使い殿の名前は?」
「レオン。 ユーキ レオン! レオはライオンのレオンじゃないんだよ!
綺麗な音って意味なんだよ!」
「レオン。 獅子と同じ響きを持つがそれとは違う。綺麗な音、か……」
お兄さん改めアルージャは玲音の頭を撫でながら
「ユーキ、名前はユーキで良いのか?」
と尋ねる。
「ユーキは苗字だよ。 名前はレオン
パパはタツオミで、ママはレイナ」
「そうか、ユーキがファミリーネームか」
玲音の返事を聞きひとつ頷き、立ち上がった。
アルージャは国内の主要な貴族の家名は把握しているが、ユーキと言う名は知らなかった。
貴族以外では家名を持つ家は多くない。 貴族に準じる豪族や、国を跨ぐほどの大商人。
貴族出身の医師や学者等だ。
横に視線をやると、先程ギオと呼ばれていた男が側に寄り
「直ぐにお調べします」
と、部屋を出て行った。
アルージャはそれを横目に、玲音に視線を戻した。
「!!」
玲音から目を離したのは数十秒。
出入りできる扉は今、ギオが出て行った扉だけ。
だと言うのに、ほんの僅かの間に女神の使いは消えていた。
「レオン? レオン、何処だ? 女神の使い殿?」
アルージャは玲音の名を呼びながら部屋の隅々に目をやるが、ついぞ見付ける事はできなかった。
病気や薬に関してはなんちゃってです。