茫漠
サブタイトルの変更しました。
夢が醒める。
ゆっくりと目を開けば、先ほどまでいた白い場所とは違い、此処は玲音のよく知る場所だった。
「すごい夢だった!」
少し興奮していたので、思ったよりも大きな声が出てしまい、パッと口を両手で塞いだ。
此処は玲音の病室。
五年間殆どこの部屋にいるので、玲音の部屋と言っても過言ではない。
子供向けに淡いクリーム色の壁紙が貼られ、可愛くデフォルメされた動物の壁掛けがあり、クローゼットやチェストは柔らかなベージュの木目調の物が置かれていて、同じ色合いの机と、病室とは思えない大きな本棚も置かれていた。
本棚は、子供向けの絵本から、玲音が読めるのか不明な医学書までジャンル不同で収まっている。
口を塞ぐために動かした腕は怠く、どちらの手にも管やコードが繋がっている。
玲音は指や腕、胸に繋がった管を見ながら立ちあがり、点滴以外は外してしまった。
ベッドサイドモニターはアラームが鳴らないようオフにして、ゆっくりとベッドから降りる。
たったそれだけで、夢の中とは違い息が上がる。 そのことにちょっとガッカリしながら足元の履き物を探すが、処置の時に片付けられたのか見当たらないので裸足のまま本棚へ向かった。
「え~っと、夢見てる時にどこかへ行けるって言ってたよね? リュウお兄ちゃんはボストンでお勉強でしょ? じゃ、レオはヨーロッパのフランスがいいなぁ~。 おみあげで貰ったチョコレート、美味しかったし!」
ウキウキと世界地図を引っ張りだし、アメリカとヨーロッパの地図を見比べながら旅行プランでも練るようにカラーペンを片手に丸を付けたりチェックを入れたりしている。
「予習は必要ってお兄ちゃんも言ってたもんね~」
うふうふと声を出して笑いながら、ガイドブックも引っ張り出す。
「お城もあるんだ~! レオもぶどうかいで王子さまと踊れる? あっ、王さまがいない国は王子さまもいないか~」
舞踏会と武道会の違いが発音上区別出来ていないが、絵本に出て来るパーティーにとても憧れる子供らしさを持ち合わせていた。
「イギリスの方が良いかなぁ? 北欧ってどうなのかな~? ウイーンも良いよね?
あれ? ぶどうかいって年齢制限とかあるのかな??」
そして案外現実主義でもあった。
「玲音。 起きたらナースコールしなさいってパパ言ったよね?」
真剣に考えていると、背後から声が聞こえて玲音は振り返る。
声の主は玲音の父で主治医の龍臣。 腕を組んで、怒ってるぞ! とばかりに眉をしかめている。
「あっ! パパ! レオね、レオね、ぶどうかいに行こうと思うの!」
「武道会? 格闘技に興味持ったのか?」
しかめていた眉を戻し、優しい表情で玲音の元へ行く。
龍臣は見を屈めて玲音に変調は無いかと観察し、顔色が悪くない事に密かに息を吐いた。
「かくとーぎ?」
首を傾げ、取り敢えず自分の言いたい事とは関係無いか。とばかりにスルーして再び話し出した。
「あのね、リュウお兄ちゃんはボストンでしょ? レオはね、知り合いがいると行けないから、ヨーロッパに行くの!」
お城でぶどうかい♪ と、楽しげに地図をめくる様子を龍臣は見ていたたまれなくなる。
玲音の病は心臓に穴が開く事。 子供の心臓疾患はそれ程珍しい訳では無い。
程度によるが手術に依って健常者と変わらず生活できるようになる。
正に玲音の症例は一度、若しくは成長過程においてもう一度手術すれば治ると思われた。
しかし、玲音は何度手術しても同じ場所に穴が開くのだ。
原因は分からず、前回はこの年齢では難しい移植もしてみたが、また、再発してしまった。
アメリカで母が出産したため龍臣は十代の頃はアメリカ国籍も持っていた。
親戚も居たので居候しアメリカで飛び級制度を利用し、早いうちから医療チームの研究員として研究に没頭した。
特に循環器、心臓外科に特化した最先端のチームにも所属して、帰国し日本で医師になってからは直ぐに神の手と言われ、外科医としての名を挙げた。
玲音の症状は、そんなドクターとしても有り得ない症例だと、頭を抱えた。
治療をしながら何処かで同じような症例が無いかと研究チームに症例を持ち込んだり、学会で発表報告だってしたが何の手がかりも得られないまま、五歳の年を迎えてしまった。
手術するたび、玲音の身体は衰えて行く。
五歳とは言え、ここまで生き長らえたのが奇跡的とも言える。
世間から神の手と持て囃されても、娘ひとり救えない。
なんとも歯痒くてならない。
「舞踏会に行くなら、素敵なドレスを作らなくてはね。
シンデレラみたいなドレス? それともラプンツェル?」
龍臣は気持ちを微塵も見せず、愛し気に玲音の頭に手を乗せ、そっと撫でながら尋ねた。
「レオは眠り姫のドレスが好き!」
玲音の持っている眠り姫の絵本に描かれたドレスは淡い黄色のドレスだった。
「そうか。 じゃぁ、ママの友達に頼んでみよう。 この前のワンピースも素敵だったからね」
春先に大学に合格した長兄のお祝いと銘打って、病院の食堂でちょっとしたパーティーを開いた。
玲音はよっぽど楽しかったのかその日に着ていた花柄のワンピースを五日連続で着て、パジャマを着てほしい母を困らせていた。
そのワンピースを作ったのは母の友人でファッション界ではちょっとした有名人だが、子供達の服を気さくに作ってくれるので、特に玲音が喜んでいる。
「ナナさん? ドレス、作ってくれるかな?」
「玲音のドレスならすぐに作ってくれると思うぞ?」
嬉しそうに龍臣を見上げ玲音が尋ねるので頷いて言ってから
「そろそろベッドに戻った方がいいんじゃない?」
と、付け足すと途端に不満気な視線に変わった。
「やーだー! レオ、ずっと寝てたから、今度はこっちで下調べするんだもん!」
龍臣から顔を背けプックっと頬を膨らませ本棚の前に戻り本を選び始めた。
仕方ないな。 と、もう一度玲音の頭を撫でてから部屋を出ようとしてふと思い出し再び玲音に声を掛けた。
「玲音、寛太くんが玲音に会いたいって言ってたぞ。 インフルエンザだからマスクしてだけど、歩けるなら行っても良いよ」
「寛太くんインフルエンザなの? お熱高いの?」
本選びから顔を上げ、心配そうに訊ねた。
本来ならインフルエンザの子に会せたりはしないのだが、寛太くんも玲音も会える時に会っておかねば突然会えなくなるかもしれないので今回はそれを許した。
「お熱は薬を飲めばすぐに下がるよ。 寛太くんが飲むの嫌って言ったら玲音が飲むように説得するんだよ」
ちょっとした使命を与え、今度こそ龍臣は部屋を出た。
玲音も使命感を以て意気揚々と、ふたつ隣の病室にいる寛太くんの元へ向かった。
この病院の小児科は基本個室である。
保護者が泊まり込むことがあるのでそのためだ。
玲音の病室は特別広くて本棚や棚、ある程度の装飾品もあるが、他の部屋は至って普通。
小児科はある程度壁紙など可愛らしくしてはあるが一般的なものだ。
「かーんたくーーーん」
玲音が小さいがよく通る声で部屋を覗きながら呼びかけると、玲音より少し小さな男の子が窓に向かって何かしているところだった。
「レオンちゃん!!」
男の子は振り返り玲音を見止めると嬉しそうににっこり笑った。
「何してるの? 寝てなくて平気?」
玲音もにっこり笑い返してその子、寛太の近くに寄って行った。
「あっ……」
近くまで行くと寛太の小さな手に薬が握られていた。
「ん~~~? 寛太くん、そのお薬どぅするの?」
見るからに薬を窓から捨てようとしているが、寛太はごまかす事もせず
「捨てるの!」
と、言い切った。