Nessun dormo
「あなた、死ぬの?」
薄暗く湿っぽい半地下の、狭く清潔感のない物置のような部屋。
かび臭くて長くいたくないような部屋の隅っこに、わたしより小さな男の子がいる。
生まれてすぐからほとんどの時間を過ごしていた病院で、いつの日からか感じるようになった死ぬ前の人のにおいがする。
汗にまみれ、寒さに震える幼気な男の子は、それでも絵本に出てくる妖精の王子様のように綺麗だ。
手当をされずに、それ故亡くなるんだろう事を感じ、なんだか可哀想だと思った。
「死にたく、ない」
虚ろな目をわたしに向け、弱々しく、けれど意思を持て答えた。
「そうだよね! レオが助けてあげる!!」
わたしはにっこりと笑いかけ、ポケットの中身を小さな手に掴んだ。
Nessun dormo!
「ぇえ~っと、そう。 不満があるのね。
うん、分かるわ。 だって、貴女此処のところ天寿を全うしてないものね。
だからって、こんな処に来てはいけないのよ。」
玲音は今日、五歳の誕生日を迎えていた。
三か月ほど外出許可も出ない入院生活を送っている。
ただ、その病院は代々玲音の家が運営しているのでドクターや看護師、スタッフは通常以上に優しくしてくれ、快適な日々ではある。
父も母もドクターであり、暇を見つけては病室に来てくれるので下手に家で過ごすよりは両親と共に過ごせてはいた。
両親にすぐ会えるからと言って、遊びたい盛りの五歳児 (なったばかり) に長期の入院は苦痛以外の何物でもない。
しかも、今回の入院が初めてではなく、生まれてひと月で心臓に穴が開いているのが判り、以来入院と手術とを繰り返している。
入院していない時もすぐ近所にある家と病院の往復くらいしかしたことがなかった。
そんな玲音が今回の入院で漸く回復の見込みが出来、五歳の誕生日プレゼントに来年入学予定の小学校を見学に行く約束をしていたのだ。
が、誕生日三日前に体調が悪化し緊急手術をした。
死の淵を彷徨った玲音だが、何とか一命を取り留めたものの、誕生日当日まで目覚めることもなく、当然誕生日の外出など出来る筈もなかった。
「リュウお兄ちゃんは明日から外国にお勉強に行くし、リョウお兄ちゃんは部活で大会があるからお家にいないんだよ!
わたしだけは幼稚園も行けないし、学校も見に行けないなんて!!
ぜったいズルいんだから!!!」
玲音は分かりやすくふくれっ面をして、対面する目の前のお姉さんを睨んだ。
何故だか分からないが、この手の文句を言っていい人だと、幼いながらに判断したのだ。
「ズルいかと言われれば、ズルくは無いのだけど……確かにレオンが外に出れないのは私達の手違いだわ。
ごめんなさいね。 だからと言って貴女の病気を治してあげることは出来ないのよ。」
お姉さんは、無表情に近い顔をしているのに、玲音に対して申し訳ないと思っているのが伝わってくる。
「そう、よね。 だって、パパが治せないのにお姉さんが治せるわけないもんね」
お姉さんの言葉と表情に脹れたほっぺを元に戻し、諦めたように笑った。
「レオン……
あのね、さっきも言ったようにこちらの手違いで何度も不自由をさせてるのは判明したのよ。
だから、病気を治すことは出来ないけれど、一時的に病気のない身体で自由を満喫出来るようにするって言うのはどうかしら?」
伏せがちだった目をお姉さんに戻し、小首を傾げる。
お姉さんは「ふっ」っと優しく微笑んで玲音の手を握った。
「申し訳ないけど、レオン、貴女は遠からず死ぬわ。
人は誰でも死ぬのだけれど、手違いのせいで貴女はずっと本来の巡り合いを果たせずにいる。
だからお詫びに、今世で出会う人と会せる事は出来ないけど、今世貴女と関わりのない何れかの場所へ行かせてあげるわ」
「え~~っと? どゆこと??」
玲音はお姉さんの言ってることが理解できず、ますます首を傾げた。
「簡単に言えば、夢の中で色々な場所に行けるって事。 よ!」
お姉さんの無表情は慈愛に満ちて見え、玲音はあまり考えずコックリと頷いた。
そうして玲音の眠らない日々が始まった。