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海は見ていた

 目を覚ますと、辺りは暗かった。海から吹く風が少し肌寒い。

「おい、辻! 辻!」

 加藤は隣の辻を起こした。目を開いた辻が辺りを見回す。

「ここは…」

 二人がいるのはクジラ岩の脇だった。明久に助けられ引き上げられた場所と同じだ。だが、それがあの時と同じ場所でないことは判っていた。

 二人は立ち上がってクジラ岩の尾に向かった。そこで岩肌をじっと見つめる。暗さに慣れない目には何も見えなかった。不意に、雲の合間から薄く月明かりが射し、二人の視界を明るくするのを手伝った。

 すると、岩肌に白っぽい線が浮かび上がった。

 そこに描かれたマークに二人は安堵した。キモダメシの時に描いた印が残っている。ということは、戻ってきたのだ。

「よかったぁ…」

 安堵に体の緊張がほぐれ、二人はその場にしゃがみこんだ。

「…よかったんだけど、何かさぁ…」

「うん…」

 辻の言葉に加藤が頷く。

 二人は明久のことを思った。きっと、あのまま彼は命を投げ出してしまうのだろう。


 国のため? 名誉のため? 大切な人のため?


 理由はどうあれ納得できないものがあった。

「勝手だよな」

 辻が呟く。

「自分は『誰かのために』って死んで、それで満足かもしれないけど、死なれた方は迷惑だよな」

 辻の吐き捨てた言葉を加藤は黙って拾った。

「残された人間は、満足なんか出来ないのに」

 逝く人間は、自分の想いを残して満足かもしれない。けれど、残された人間はうしなった人を想って、喪った人の想いを背負って生きなければならない。

 『誰かのために』なんていうのは、所詮 自己満足なのだ。

「…だけど、きっと明久のせいじゃない」

「解ってる…」

 加藤の言葉に辻は頷いた。


 明久があんな風に考えるのは、きっと明久のせいじゃない。


 時代が? 戦争が? 戦争という時代が?

 明久の心を縛って、生きている人間の過去を縛る。


 二人の間に沈黙が流れた。

 そこへ、誰かの気配がした。不規則な足音が近付いてくる。片方の足を引きずるようにして歩いている。片脚が不自由なようだ。

 足音の主は岩の陰になっている二人に気付かず通り過ぎ、クジラ岩の頭の脇に座った。

 二人は顔を見合わせた。

 幽霊か? いや、違う。どう見ても、ただの老人だ。

「…痴呆とか?」

 夜中に徘徊する老人の例を辻は挙げた。

 加藤は心配になったので岩陰から出て行って声をかけた。

「おじーさん、何してんの、こんなとこで?」

 突然現れた少年を驚いたように老人は見上げた。

「…坊主こそ、何してるんだ?」

「俺は友達とキモダメシ」

 加藤の後ろに辻が現れた。

「クジラ岩に幽霊が出るってウワサがあって、真相を確かめに来たんだ」

「幽霊じゃない。俺はまだ生きてるぞ」

 老人は可笑しそうに笑った。

「おじーさん、ここで何してるの? よくここに来るの?」

 加藤の質問に老人はニヤリと笑った。

「言っておくが、俺はまだボケとらんぞ」

「じゃあ、何しに来てるんだよ? こんな時間に」

 辻の問いに老人は海を見やった。

「…友人を思い出していた」

 暗い夜の海に波が岩に当たる音が響いた。

「昔、よくここで遊んだんだ。兄弟みたいに仲が良かった。なのに、あいつは特攻に行くと言って、喧嘩別れしてしまった」

 老人は暗い海を見つめて独り言のように言った。

「そして、あいつは夜が明ける寸前の海に突っ込んで死んだんだ…」

 老人は二人を見やった。

「坊主達、戦争の話は聞いたことがあるか?」

 二人は頷いた。

「授業やテレビでなら」

 老人は頷き、話を続けた。

「俺の友達にな、特攻に行った奴がいて、俺は行って欲しくなくて、行くなと言いたくて、命を無駄にするなんてバカだと言ったんだ。そして喧嘩したまま別れて、あいつは俺に何も言わずに死んでしまった」

 老人は再び海に目を向けた。

「俺があんなこと言わなければ、あいつは死なずにいてくれたかなぁ…」

 老人の視線の先の水平線に、わずかに光が差し込んだ。朝陽だ。

「俺のことを酷い友達だと思っただろうな…」

「そんなことない! 明久は、そんなこと思ってない!」

 こんな台詞が思わず加藤の口をついて出た。

 老人は驚いたように加藤を見つめた。

「…どうして、名前…」

「おじーさん、正志さんでしょ?」

 加藤の問いに老人は頷いた。そして疑問の残る目で加藤を見つめた。

「こっち来て」

 加藤は老人を連れてクジラ岩の尾に向かった。

「ここ見て」

 クジラ岩の尾の下の窪みを指差す。

 辺りはまだ暗かったが、少しずつ昇る朝陽に照らされて、壁に書かれた文字が見えた。




 正志へ


   ありがとう

   大好きだったよ

 

            明久




 たったそれだけの文面。けれど、それで充分だった。

「…明久…」

 正志の頬を涙が伝った。

「ごめん、ごめんな…」

 石に書かれた文字にすがって涙を流す正志を見つめながら二人は思った。



 これは、運命を変えたことになるのだろうか?


 知ることのなかったはずの想いを正志は知り、伝えられなかったはずの言葉を明久は伝えた。


 これは、過去を変えてはいけないという鉄則に反するだろうか?


 もしそうだとしても、これくらい許されてもいいと思った。



 少しずつ空が白み始め、海に光が広がっていく。海を見やってから二人は顔を見合わせ、正志に声をかけた。

「正志さん、俺達、もう行くから」

「家族が心配するからは早く帰った方がいいよ」

 加藤と辻の言葉に正志は頷いた。

「…ありがとうな、坊主達」

 二人は笑ってその場を去った。手を振って別れを告げる二人を正志は見送った。



 二人がスタート地点に戻ると、心配した様子の仲間達が駆け寄ってきた。

「三十分も戻ってこないから、何かあったのかと思った」

「ワリィワリィ。でも真相判ったからさ」

 辻の返事に仲間達は目を輝かせた。

「判ったのか、幽霊の正体!?」

「その話は宿泊所に戻ってからな」

 加藤は仲間達に待ったをかけた。

「完全に明るくなる前に戻らないとヤバイだろ」

 辻の言葉に納得した仲間達は、宿泊所に無事戻ったら真相を話すよう約束して、宿泊所に向けて歩き出した。

 二人も最後尾になって歩き出した。


 水平線から昇る朝陽に波間がキラキラと輝く海を、ちらりと二人は振り返った。






 海は見てきた。


 平和の時。戦争の悲しみ。

 命の尊さ。命の儚さ。


 そして願う。

 どうか この海が永遠に平和だけを知る時がいつか来るように。


 平和を知る永遠の海になるように…。




                    -了-

戦争のことを真面目に考える日も作らなければ、と思って書いた作品です。10年ほど前の作品のため、伝言も不可能ではありませんでしたが、これが現在になると、ちょっと難しい可能性がありますね。

特攻等の表現については、一応、当時調べてから書いたのですが、不十分な点や誤った表記があったら申し訳ありません。

戦争なんて当然好きではないし、この時期放送される戦争関連のテレビ番組は見るのがつらいのですが、せめて1年1度くらいは、戦争について真面目に考える時期があってもよいと思います。

もう二度と、戦争をしなくて済むように。

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