時への手紙
10年ほど前の作品なので、戦後60年程度となっています。戦後74年に直してしまうと不都合があるので、そのままにしています。
タイムスリップ──今でもまだ物語の中だけに存在する現象。
それが自分達の身に降りかかり、しかも終戦間際へ来たことに辻と加藤は言葉を失った。
けれど、意外と頭は冷静だった。
どうすればもとの時間へ戻れるのか、それを二人は考えた。
「多分、海に流されたことでタイムスリップしたんだと思う」
加藤の言葉に辻が頷く。
「漫画なんかじゃ、同じ状況になれば戻れたりするけど」
「同じはマズイんじゃ…」
「…溺れるな」
そして二人は男をちらりと見やる。
「あの人に訊けば判るかな?」
加藤の囁きに辻が答える。
「海から引き上げられた時のことは俺もよく憶えてないし、あの人に訊くのが一番確実だと思うけど」
でも、そのためには自分達の置かれた状況を話さねばならない。物語でもタイムスリップなんて浸透していないであろう時代の人間に、こんなことを言って信じてもらえるかどうかは難しいところだった。
「どうした?」
二人の不審な内緒話に男は怪訝な表情で訊いた。
意を決して二人は言った。
「あの、俺達、頭おかしいわけじゃないし、頭ぶつけて狂ったわけじゃないから、真面目に聞いて欲しいんだけど」
と前置きしてから加藤が言った。怪訝な顔のまま男が頷く。
「俺達は、この時代の人間じゃない」
やや間があって男は眉をしかめた。
「…え?」
「未来から来たんだ」
加藤に辻が補足する。
「つまり、時間を遡って過去に来ちゃったってこと」
タイムスリップという言葉は使わなかった。おそらく通じないだろう。
「はぁ…」
男は間抜けな声を出して二人を見つめていた。
やっぱり信じてもらえないか、と二人は諦めたが、男は意外なことを口にした。
「…君達の時代には、時間旅行が可能なのか?」
二人は男を見やった。自分達の言葉をあっさり信じているのだろうか。
「…や、時間旅行っていうか、何でここに来ちゃったのかはよく解んないんだけど」
「俺達の時代でも時間を旅するのは普通、物語の中だけの話で」
加藤と辻は自分達が自分の意志で来たのではないことを伝えた。
それから、辻は男に訊いた。
「ねえ、俺達の言うこと信じてるの?」
「嘘なのか?」
「嘘じゃないけど、こんな非現実的な話、信じてもらえると思わなかったから」
男は微笑した。
「信じるよ。だって、君達が俺を騙す理由がないだろ?」
「まあ、あんたを騙しても俺達に何の得もないからね」
と辻は返した。
「君達の時代って、一体どれくらい未来なんだ?」
男は未来に興味を抱いたようだ。
「今から六十年近く先だよ」
加藤の答えに男は一瞬俯き、それから顔を上げた。
「じゃあ、正志に…俺の友達に、伝言してくれないか」
男は、皆川 明久と自己紹介した。つられて加藤と辻も自己紹介する。
「正志とは、小さい頃から親友だった。だけど、さっき喧嘩してしまって。仲直りする時間がもう俺にはないから、伝言してもらいたいんだ」
そう言って、明久は二人に話し出した。
明久と正志は幼馴染で、幼い頃から兄弟のように仲が良かった。
一緒に海で遊んで、明久が溺れそうになった時、正志が命懸けで助けてくれたこともある。その時に正志は脚に怪我をし、左脚が少し不自由になったが、二人の関係は壊れることなく続いた。
やがて戦争が始まり、戦争が激化した頃、明久は徴兵された。正志は不自由な脚のおかげで徴兵されずに済んだ。
昨日、久し振りに帰ってきた明久を正志は喜んで迎え入れた。そして今日、突然帰ってきた理由を訊いた。
「特攻に行く」
明久はそう答えた。
「特攻って知ってる?」
話の途中で明久は二人に訊いた。二人は頷いた。
「片道分の燃料だけ積んで、敵艦に突っ込んでくってやつ…」
加藤が答えると明久は頷いた。
「今は極秘作戦なんだけど、未来の人は皆知ってるのか?」
再び二人は頷いた。「そうか」と言って明久は話を続けた。
正志は特攻の意味を知らなかった。意味を問われて答えると、正志は激怒した。
「お前、本気か!?」
「本気だ。俺の命で守れるものがあるなら、命を投げ出すことも厭わない」
「何バカなこと言ってんだ! 命を投げ出すなんてバカだ!」
正志は明久の胸倉を掴んだ。
「命を無駄にする気か!?」
「無駄になんてしない」
正志は明久の決意が揺るがないことを悟ると、乱暴に手を離し、「勝手にしろ!」と叫んで家を出て行ってしまった。
「俺は、正志に助けられた命を無駄にする気なんかない。ただ、俺は、正志や家族や大切なものを守りたいだけなんだ」
明久は二人にそう語った。
「俺の命で守れるものがあるなら、それを守りたいだけなんだ」
───言えなかった。
もうすぐ戦争が終わること。そして日本が負けること。
後に、玉砕覚悟の特攻は、苦し紛れの命を無駄にする愚かな戦術だと酷評されること。
“歴史を変えてはいけない”
タイムスリップの物語の中で言われる鉄則を、二人は思った。
ここで未来を教えてしまえば、明久の人生は変わってしまうかもしれない。人ひとりの人生を変えることは、存在するはずのものを消し、存在しないはずのものを生み出してしまう。
そして、大切なものを守りたいと言う明久の真っ直ぐな瞳が、二人の口を閉ざさせた。
「正志は、いつかは解ってくれると思う」
自分に言い聞かせるように明久は言った。
「だから伝えて。今までありがとう、って俺が言ってたって」
明久の頼みに加藤は躊躇した。
「…そんな大事なこと、自分で伝えなきゃ…」
加藤の言葉に明久は首を横に振った。
「もう時間がない」
明久はもう戻らなければならず、正志は用事があって隣町へ行ってしまっていた。現代と違って連絡手段はそう多くはない。明久にとって、二人に伝言を託すことが残された手段だった。
けれど加藤は、明久が正志に自分で想いを伝えられる方法を考えていた。
「…そうだ、手紙! 手紙書こうよ!」
直筆なら想いを伝えやすい。
「でも、紙なら燃えるかもしれないし、俺達が持ってたって」
辻が保管方法を心配した。手紙をこのままこの時代に置いておいたら混乱のなか紛失したり、燃えてしまうかもしれない。かといって自分達が持っていても現代に帰る際に海に入らねばならないなら濡れてしまう。
「燃えなくて長持ちするもの…」
加藤はクジラ岩を見やった。
「石に書けば? 石に書いたのって結構持つかも」
古代の壁画や、戦時中に兵士が書いたという文字が残っている所もあるくらいだ。
明久は立ち上がった。
そしてクジラ岩の尾に回る。二人も明久に続いた。クジラ岩の尾の下に窪みがあって、子ども二人くらいなら入れるスペースがあった。
「小さい頃、よくここで遊んだんだ。秘密基地みたいで、二人の秘密の場所だった」
「ここに書こう」
加藤の提案に明久は頷いた。
辻が先のとがった石を拾ってきて明久に渡した。明久はそれを受け取って、窪みの壁の前に座った。
丁寧に明久は石に文字を刻み付けていく。自分の想いを刻むように。
それを辻と加藤は黙って見守っていた。
「正志、気付いてくれるかな…?」
少し心配そうに明久は自分の書いた字に触れた。
「大丈夫」
「俺達、責任持って正志さんに伝えるから」
辻と加藤は明久の両側に立ち、片手ずつ明久の肩に手を置いた。そして空いている方の手で石に書いた明久の字に触れた。
その瞬間、二人の視界が揺れた。
明久やその背景が歪んで見える。
「…明久、俺達、絶対正志さんに伝えるから」
「約束する」
加藤の言葉に辻が続け、明久は微笑して頷いた。
───空間が、揺らぐ。
「明久っ…」
…できれば、───死なないで。
声にならない声を残して、空間の谷間に引き込まれるような感覚を加藤は肌に感じた。