私のヒーロー
かつて、このミドル・シティには、シャドウと呼ばれる暗殺者がいた。
シャドウは地下組織に生きる者をターゲットにし、大量殺戮犯はもちろん、小児愛者連続誘拐犯や、銀行強盗団など、無実の市民に危害を加えた犯罪者を制裁するという、特殊な暗殺者だった。
誰もその姿を目にしたことはなく、闇夜に紛れ、気づいた時には殺される。
それ故に、ついた通り名は、ある種、闇の支配者の名でもあった。
犯罪者はその暗殺者『シャドウ』を恐れ、それによってこの都市の犯罪が抑止されていた。
そのシャドウが突如消えて3年が経つ。
だがシャドウと入れ替わるように、警察官のヒーローが現れた。
そのヒーローの名は、宮下シン。
数々の犯罪者を確保し、日々、シティの市民を守り続けている。
今日も彼は連続強盗事件を解決したようだ───
私はカウンターに置いたタブレットで、会見の様子を見つめていた。
上機嫌の署長が彼の肩を抱き、『この街のヒーローは、シン、お前だ!』そう叫んでいる。
彼はスーツの襟をただして首を横に振り、『みなさんを守るのが、私の務めです』そう締めた。
「はぁ……カッコいい……」
黒いスーツに、色白の肌、そして黒色の短髪。緩むことのないネクタイに、ぴたりとはまったベスト。その上には拳銃が備えられ、いつでも戦闘に入れる身のこなし。彼の眼光はイーグルアイとも呼ばれ、どんな微塵な動きも逃さない。
この会見の時間から見るに、もうすぐ仕事上がりの時間だ。
私は腕時計を眺めて、そわそわしてしまう。
3年前からカフェを始めたのだが、その頃から通ってくれている常連さんでもあるのだ。
思惑どおり、カフェのドアが開かれ、そこには画面越しの姿が現れた。
「いらっしゃい。今日もおふたりともお疲れ様でした」
私が声をかけると、手をあげ、カウンターの椅子にしがみついたのは、シンの相棒であるカイルだ。
「マジで疲れたぁ。……俺、ビール!」
彼の隣に腰を下ろしたシンはいつも通り。
「私はブレンドを」
2人のオーダーを聞き、私は動く。
ビールは冷えたものを瓶で渡し、コーヒーはハンドドリップで淹れていく。
薄口のカップに注いだコーヒーをすべりだすと、すぐに彼は口をつけ、小さく微笑んだ。
───この顔を見られるのは、私だけ!!!!
1ミリも笑わないと言われている彼だが、ひと口目のコーヒーだけは頬が緩む。
今日も眼福ですっ!
ひとり幸せに浸っていると、相棒が口を尖らせている。
「相変わらずお前の人気、半端ないなぁ」
「なんのことだ」
「出待ちの子達いたじゃん? 気づいてないの?」
「知らん」
「お前、帰りはここのコーヒー飲むことしか考えてないもんなぁ」
「……静かにしろ」
「でも店長は綺麗だもんなぁ。彼氏とかいないの?」
「カイルさんこそ、どうなんですか?」
「また、はぐらかすし!」
───そんな昨夜の楽しい時間を思い出しながらモーニングの準備をしていると、相棒のカイルが店に飛び込んで来た。
「ちょ、店長、アイツ来てる?」
「……アイツって、シン…さん?」
「そうだよ! 朝からどこにもいないんだ……」
事件に巻き込まれたかもと顔を青くしている。
昨夜、最後に会った参考人として同行をお願いされた私は、ふたつ返事で了承した。
すぐに店を閉じ、カイルの車に向かった。車には運転手がすでにおり、2人で後部座席に乗り込むと、カイルはいつもより低い声で、「出せ」と言う。
思わず彼を見た私に、にやりと歪んだ顔で鼻と口が布で塞がれた。
「ちょっと寝ててね、店長……」
粘っこい声が耳に張り付き、私の意識は淀んで、暗く閉じた。
唐突に硬い地面に体が転がる。
投げ出されたため、痛みがじんわり沁みてくる。
だが足は自由。腕は後ろで手錠がかけられてるようだ。さらに、床はコンクリート。足音がよく響く。天井が高い。だけど響き方が歪。……とすると、ここは倉庫。靴音の数は……5。
ひと通り確認したあと、私はゆっくり瞼を開いた。
「……店長、大丈夫かっ!」
この聞き慣れた声は……
私は固まってしまった。
そこにいたのは、手足を椅子に縛り上げられ、スーツもぼろい布となっている、あの彼だ。
超眼福です!!!!
なにこのシチュ!!
ちょう好み! あの汗、血、頬の傷!! まだ殴られたばかりだからそれほど腫れてないし、こう美形が少し崩れて痛がる顔ってなかなか見られないから、もうなんていうのっ!
今日、呼吸しててよかった、私!!!!!
弾けそうになる表情を堪えたとき、髪をいきなり引っ掴まれた。
髪の毛を握り持ち上げられるのは好みじゃない。痛みとともにぷちぶちと毛が抜ける音がする。
「店長知ってた? アイツ、店長のこと、好きなんだって」
「なに言ってるんです……? 離してください!」
「憧れ人に声が似てるんだって。やっぱイケメンだといい? そういう口説き文句」
「カイル、店長に触るなっ!」
「もうお前の引き立て役、疲れちゃったんだよねー……何でもシンシンシンシンって、マジウザイい……
いい子でいるのも、もう、面倒だし……
まぁ、お前の焦る顔が見れて、俺は今、すんげぇ幸せだけどなっ!!!
……あ、そうだ……ここで、シちゃおうかな、店長と」
さらに頭を引き上げると、首筋をべろりと舐めあげる。思わず体をよじり、仰け反った。
「ねぇ、感じちゃうの?」
カイルは言いながら、私を後ろから肩を抱き、シャツの中に手を伸ばしてくる。さらに彼は顎で指示をだした。
「や、やめてっ!」
「おい、足広げろ」
「……い、いやっ!」
仲間の1人が私の腰に手を回す。ベルトに手をかけ、乱暴に外そうとしてくる。私は必死にもがき、声を上げた。それに呼応するように、必死にシンも叫ぶが、その度に殴られてしまう。
「やめてっ! お願いだからっ!」
「この懇願がたまらないんだよ……無理やり女を犯すの……マジたまんねぇ……」
身をよじっても逃れられない現実に、それでも暴れる足は止められない。
「店長はどんな声で泣くのかなぁ……?」
男たちの下卑た笑いに、私は動きを止めた。
「……もう、抵抗しない……」
誘導するように私は腰を浮かせると、さらに伸びてくる手に私はにっこりと微笑んだ。
「なわけないでしょっ」
背中にいるカイルを壁にして、私は足を振り上げた。腕を伸ばした男の鳩尾に足を入れると、すぐに背が折られ、顎が突き出る。つま先に鉛を仕込んだ靴で蹴り上げると、男は顎骨を砕きながら綺麗な弧を描いてコンクリに頭から落ちていった。着地した首が正常じゃない方向に曲がっているので、無事即死できたようだ。
一瞬怯んだカイルの手を掴み、彼の背中に捻りあげ、目一杯床へと叩き伏せる。
「……手錠…は…!?」
「関節外せば簡単……さ、殺すね…」
私がカイルの顎に手をかけたとき、彼は叫んだ。
「……撃てっ!」
打ち合わせができていたようだ。
私に構えられた銃はすぐにシンに向く。
素早く右足首に隠していたナイフを私は投げた。シンの真後ろの男の首筋を擦り、見事な血飛沫が上がる。動揺の間に、私は距離を詰め、左足に隠していたナイフで残り2人の首を搔き斬った。
3人の男の体は力なく血に濡れながら、床へとゆっくり崩れていった。
シンを縛るロープを切ると、彼は手首をさすりながら、裏切りの相棒を見下ろしている。
その元相棒は呼吸がしづらいようで、床にへばりつきながら虫のように蠢いている。移動する前に背中に叩き込んだ一発が効いているようだ。
私は2人の様子を見ることなく、ただ、考えていた。
……犯罪で混沌としながらも、どこか平和に憧れるこのシティが大好きで、気まぐれに始めたカフェも面白かった……
けれど、ここではもう、生きてはいけない───
反応が遅れた……!
カイルの銃口がこちらに向いていたのだ。
まずい。
口元が動く。
『 こ ろ し て や る 』
殺意が私に切り替わってる……!
反射的に体をよじるが、カイルの銃口もそれを追う。
指が動く。
私には武器がない。
まずい────
銃声が鳴る。
───1発。
思わず倒れ込んだ私に、シンが駆け寄った。
肩を抱かれ起こされた私は、恐る恐る腹に手を当て、その手を見る。
が、なんにもない。
血もないし、思えば痛みも、衝撃もない。
「……へ?」
「間に合ってよかった」
シンはそう言って、優しく微笑んでいる。
彼の手には血にまみれた銃がある。落ちていた銃で相棒を躊躇わず撃ったのだ。
彼の冷静さと心の強さを感じながら、彼の胸板を堪能していると、
「巻き込んでしまい申し訳ない、シャドウ」
私は緩んだ表情を整えた。
「シャドウ……?」
「確信した。あのとき見たナイフさばきそのものだ」
──それは4年ほど前になる。駆け出し警官だった頃、殺人犯と対峙した。
犯人のナイフさばきは的確で、あと一手で殺される直前、犯人よりも華麗なナイフさばきで私は助けられた。
あの、闇のヒーロー・シャドウに──
「また出会えたことに感謝する」
彼の指が私の顎をとらえ、そのまま顔が近づいてきた。
私の思考が追いつかないうちに、彼の唇は、私の唇へと到達していた……
彼は顔を赤く染めたまま、表情を引き締めて言う。
「約束を忘れたとは言わせない」
あ……この顔……思い出した………
彼を助けた時のこと!!!!
あまりに綺麗に殺せたことで、アドレナリンどばどばテンションだだ上がりだった私は、尻餅ついて動けない新米イケメン警官に、キス、したんだ……
『あたしがシャドウだっていうのは、秘密よ、坊や。
そうね、次、私にキスができたら、あなたの相棒になるのも楽しそうね……』
出た、私の黒歴史っ!!!
急遽、熟女設定であんなこと言った私、死ね!!
ほんと、死ね!!!
顔面を真っ赤に染めながら身悶える私を横抱きにし、立ち上がった。
……っていうか、捕まる!! というか、捕まってる!!!!
「あたし、歩いて帰れます」
「遠慮しなくていい、店長」
「このまま、独房行きですね、4人殺したし」
「逃げるなら、私を殺せばいいのでは」
「あたしの殺しのルールは曲げません」
私は観念して、彼の胸に体をあずけることにした。
もう二度とイケメンの胸板に擦り寄ることはできないだろうから……
なんで涙が滲むんだろう……
やっぱ、独房、嫌だな……
「約束、だろ……?」
再び顔を覗き込まれ、私は硬直する。
…約束………約束…………
「あ、あたしが相棒になるのっ?!」
───凶悪犯罪に巻き込まれやすい彼は、警察バッチの中に追尾探知機が備えられているそうで、別に私が出しゃばらなくても特殊部隊が彼を救出してくれる手はずになっていたそうだ。
だがそれを待っていれば、私の貞操は守られなかったわけで、さらにシャドウともわからなかったわけで、彼としては万々歳のよう……
そんな彼は、私の店に事件を運ぶ。
「事件だ」
「はいはい」
「行くぞ、私のヒーロー」
そう言った彼の口元は少しだけ緩む。
コーヒーのひと口目を飲んだときの、あの顔だ。
やっぱり、この彼に、私は勝てない。
エプロンを外すと、私は店じまいの準備に取り掛かった。