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憲法クン  作者: とみた伊那
9/9

自民党憲法改正案が通過した2025年の近未来   9.ミスターX

総理官邸の中。

総理控室では、内側からドンドンと扉を叩く音がする。

「ドアを開けろ。私は総理だぞ。こんなことをして、どうなるか分かっているのか」

ツガ新総理は不快そうに

「薬がまだ効かないのか。いつまでも生きていられると困るのだが」

「時間がかかりますね。こんな時は軍人が役に立つものです。ツガ総理、ちょっとだけ席をはずしてください。私が静かな環境を作りましょう」


言われてツガ新総理は、部屋を出て別の部屋でタバコを吸って待った。戻ると全てが消えていた。音も。人も。

「お見事。さすがだ」

「軍人にとっては何でもないことです。南スーダンでは何人もの死体を見てきましたから。この代金は、その虎目屋の菓子でどうですか。安いものでしょう。総理の椅子を手に入れたのだから」

「抜け目のないヤツだ。仕方ない。持っていけ」

ツガ総理は虎目屋の紙袋を渡した。

「それから・・・」

ミスターXの声が変わり、急に威圧的になった。

「その原稿ではなく、私が用意したこの声明文を読み上げてもらおう」

ツガ官房長官、いや、ツガ新総理は突然の要求に驚いた。ミスターXが差し出したその声明文に目を通すやいなや

「なんだ、これは。いったい誰が総理だと思っている。こんなことを考えるヤツを国防大臣にしておく訳にはいかない。大臣は更迭する」

「ツガ総理。さっき言ったばかりじゃないですか。人一人を殺すことなんか、軍人には何でもないこと。まして戦場帰りの人間にとっては、もう人を殺すことと息をすることは同じようなものなんだ。それはカベ総理に対してだけ言っているのではありませんよ。そしてこの官邸の中は、私の息のかかった人間ばかりです」

「バカな。こんな声明を聞いて、誰が従う。今の新憲法9条の集団的自衛権にしても今まで官房長官を長年やっていた私がやっとここまでやって通用するのだ。お前が昨日今日作りあげた声明文など、国民の誰が付いてくるものか」

ミスターXはにやりとした。

「どうかな。日本人っていうのは一度決まってしまうと、それが自分でおかしいと思っても、自分を殺してそれに従ってしまうような民族なんだ。会社に勤めていても、自分のやっていることがおかしい、社会的に正しくないと分かっていても、それよりも上からの命令に忠実に従うことが一番正しいと思ってしまう。自分で考えることを放棄してしまうのだ。

9年前の沖縄を見ろ。米軍基地の建設に反対している住民を警察の機動隊が力ずくで排除したじゃないか。彼らは全員本当に自分がやっていることが正しいと思っていたのか。上からの命令のために、同じ日本人を次々と逮捕していった。疑問を感じながら上からの命令だからと、自分を殺して従ったのだ。そういうことを繰り返していけば、いつか良心の呵責が薄れていき、命令に忠実に従った満足感に変わっていくのだ。

歴史というものは、後の時代になってあの時はおかしかった、と思うことがあっても、その時代の真ん中にいる時は何も疑問を感じることなく大衆は右と言えば右、左と言えば左に行ってしまうものなのだ。それは生活が苦しくなればなるほど自分で考えることを止めて、誰かの作った大きな流れに付いていってしまうものなのだ」


爆発の翌朝、離島の南島でやっと通信が復旧し、律子の家族はテレビニュースを聞いていた。三度目の臨時ニュースとして、総理代行となったツガ総理の声明が流れていた。

「ただ今より日本は中国、北朝鮮に対して宣戦布告します。この二国のたびたびの領海侵犯、そして今回の南島の攻撃により、我が国は今危機的状況にあります。我が国の平和と安全を守るため、国民は一丸となって・・・・」

ツガ新総理は震える声で、棒読みのようだった。


ツガ総理の隣でテレビには映らず、ミスターXは満足そうだった。

「これでいい。これでやっと日本は敗戦国の汚名を晴らすことができる。あの二国の軍事力はすごいが、日本が負けるはずがない。日本は神武天皇以来の神の国なのだから。最後の一人になるまで戦いぬくのだ。この次の声明は徴兵制と核保有だ。権力さえ手にしてしまえば、憲法など解釈を変えるだけでどうにでも利用できる」


メリーはパートに出かける前、寝室を覗いた。ケンは昨日の夕方からベッドに入ったまま、死んだように動かない。

「可哀そうに。余程疲れていたのね。ご飯は炊飯器、味噌汁は鍋に入っているから、起きたら自分で食べるでしょう。私はパートに行かなくちゃ。ケンは今日はゆっくり寝かせてあげよう。戦争が始まるっていうからこれからのことが心配だわ。でも何があっても、私はケンが生きてさえいてくれればそれでいい。私がケンの分まで働くわ。生活は何とかなるでしょう。私達は贅沢は望まず、ただ家族で仲良くひっそりと暮らしていかれれば良いのだから」


優香はパソコンを立ち上げた。

「今度のタイトルは9条とえっと・・・。沢山あるのね」

律子はどこか違和感がした。それに夫が単身赴任で中国に行っている。戦争が始まったら夫はどうなるのだろうか。そもそも船が壊れただけで、私達の生活は普段のままだ。本当に中国の仕業なのだろうか。中国はこれから自動車を買ってくれる人達ではないのかしら。非常事態なんて必要なのかしら。いや、そもそも私達は選挙で本当にこの憲法のために投票したのかしら」

その時、家の奥から千造の呼ぶ声がした。トイレの介助が必要なのだろう。律子はあわただしく立ち上がった。


新憲法第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。


新憲法第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。


新憲法第七十条 2 内閣総理大臣が欠けたとき、その他これに準ずる場合として法律で定めるときは、内閣総理大臣があらかじめ指定した国務大臣が、臨時に、その職務を行う。


新憲法第六十六条 2 内閣総理大臣及びすべての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。



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