精霊使われの少女に祝福を
前作「精霊使われの少女」の続編になります。
前略。皆様、こんばんわ。ただいま絶賛禁断症状真っ最中なセレニアです。正直に言えば毒抜きを少し舐めていたように思います。
「……飲ませて、おね、が……い……」
「だめだ。耐えろ」
アレスさまのお屋敷に移されて身体が沈みこむような羽毛布団に寝かされ、なんとアレスさま直々に看病していただいているのですが、わたしのおねだりを固く拒否なさる際に見せてくださる表情がこう、なんと申しましょうか。わたしのおねだりの仕草や表情がアレスさまのツボにピンポイントで穿っているらしく、普段の軍人然とした時の精悍で引き締まった惚れ惚れする表情とのギャップに悶えてしまいそうになります。
「……何をみておる」
「いぇ。……可愛い、なぁ、と」
「なっ!」
おっと、ついうっかり本音をこぼしてしまいました。でもやっぱりアレスさま、可愛いです。はい。
「セレニア……そなた、この林檎の切り身はいらぬと申すのだな?」
「えっ、あ、だめです、欲しいですアレスさま手ずからの林檎」
「ほほう?」
アレスさまは義理の兄様ともども帝国における有力な武を誇る家柄に生まれ、幼き頃から鍛練に励まれたそうなのですが、意外な一面として実は他の騎士さま方とは違って料理が得意なのだそうです。軍隊が野営する際にまだ下士官の頃、興味を持たれたそうでそれ以降は剣や馬術の腕を磨くのと同様にそちらも磨かれたそうです。未だにアレスさまのお屋敷に移されて最初に戴いたお粥の味は忘れられません。愛情をたっぷりと注がれているという実感が感じ取れました。
「アレスさまの、いじわる……」
「言うべきことがあるのではないか?セレニア」
「っ、あ、アレスさまは……」
「……は?」
「アレスさまは可愛いところもあるけれど、わたしを、守ってくれる、頼り甲斐のある、素敵な人、なのですよぅ……」
「そなたも素直ではないのう、やはり姉妹であるか。まぁよい、口を開けろ。ほれ、あーん」
「ううう……あーん」
媚薬中毒の後遺症でいまだに腕力や指先に力が入らないため食事の類いはこうして、いつもではないにしても大抵はアレスさまが食べさせてくれるのですが。
「美味しいですけど、恥ずかしい……」
「ふふふ、セレニアのほうがより可愛らしいではないか」
「っっ、早く毒抜きして体力取り戻して見せます!」
「ははは、その意気だな。だが焦りは禁物であるぞ?それにこのようになったのは知らなかったとはいえ、わたしの責任でもある。遠慮なく要望を言うがよい」
「…………じゃあ、おやすみになるとき、添い寝してください」
「生殺しではないか?」
「弱ってる婚約者に手を出すような方ではないと信頼してますゆえの、お返しなのです」
アレスさまのご両親さまやミレニアお姉ちゃんの旦那さまにあたるアレスさまのお兄さまに紹介された際に、私がミレニアお姉ちゃんの妹とは分からないまま“黄金の林檎”の被験者にさせられたということがバレて、アレスさまは特にご両親さま方からこっぴどく叱られておりました。曰く、一目惚れの相手に何やらかしているのだ、と。わたし、どうやら一目惚れされていたらしいのですが、だったら最初から事情を話してくださっても良かったような……と思うのですけれど、極秘任務中で出来なかったとのこと。まぁ仕方ない、のでしょうか。
《まったく、セレニアがキレるくらいには好きでなければボクたちが仕返ししてやるのにね》
「光精霊ちゃん?」
《そうね。私やリィーテでも癒せない毒に侵させるとか……本来万死に値するわ》
「ちょっ、水精霊さん?」
《そうじゃのう……まったく、セレニアに感謝するのじゃぞ?こわっぱが》
「地精霊お爺ちゃん……」
《我々はセレニアの意志を尊重しますからね。セレニアが全身で貴方を愛している以上、我々は貴方を害することはありません》
「風精霊さん、まっ、ちょっ、恥ずかしいからっ」
《んだよ、本当のことじゃねーかよ。何今さら照れてるんだよバーカ》
「闇精霊ちゃんまでっ!」
《じれったいねぇ、あたしたちの可愛いセレニアは。とっとと愛の炎を燃やしちまいなよ!》
「だからって本物の炎を出さないでください火精霊おねーさまっ!」
「…………相変わらず賑やかだの、セレニア。精霊たちよ、セレニアは私が責任もって幸せにする。それで許しては貰えぬか?」
《いいよ、それで。ただし違えたら……》
《光を奪う》
《渇きを満たさせない》
《同じ毒に苦しむがええ》
《言葉を奪いましょう》
《未来永劫、闇に飲まれちまえよ!》
《燃やす!》
……本当に私はみんなに勿体ないくらい深く深く愛されているのが実感できてとても幸せなのです。
***
アレスさまたちの地位になるとお風呂はお屋敷のなかの一画に大浴場なるとても広い浴槽があるとのことで、同時に数人で入ることができるそうなのですがわたしの場合は自力で歩けないような状況なので下手をすると溺れかねないと危惧され、結局豪華で大きなバスタブを用意されてしまい、お屋敷の侍女さんたちに大人しく洗われています。さすがに現状、自分で出来るとは口が裂けても言えないのです。
「セレニアさまはお肌がすべすべですのね」
「あとはもう少し肉付きを良くされればアレスさまもイチコロですわ」
「ひゃんっ、ぁ、ちょっ」
「感度も抜群ですね……クスクス」
「や、やめ……おねが……」
「はいはいそこまでになさいあなたたち。セレニアさまはご病気なのですよ?」
助かりました。侍女長さま、ナイスタイミングなのです。侍女さんたちに悪気がないのは理解しているのですが、なにぶん侵されている毒物が媚薬です。変なさわり方をされるとピンチもピンチ、大ピンチなのですよ。一応、侍女長さまはわたしの毒物がどのようなものかは知らされていますが、一般の方にたいしては伏せられているらしいのです。なのでお風呂の時は大抵侍女長さまもご一緒されています。すごく助かります。
お湯からあがれば病人が着るような寝間着に着替えて再びお布団に沈みます。アレスさまはまだお仕事があるみたいでもう少し遅くなってからいらっしゃることが多いのです。なるべく頑張って起きていられるようにはしていますが、無理な時は無理せず眠るように言われているので残念ですが先に休ませてもらっています。
「またせたか?」
「アレス、さま。いいえ」
「しかし本当に華奢よの、セレニアは。本当に冒険者であったのか?」
「あははは……見習いに近いとはいえ、一応、です」
見た目が弱そうだったので大きな収入が見込めそうなクエストはなかなか受けることが出来なかったのはかなりきつかったのですが、細かい作業の仕事などは結構請け負えてましたので生活に困るほどではありませんでした。
「焦る必要はないが早くそなたと戦場に並び立ちたいものよ」
「では、やはり王国、と?」
「時間の問題であろうな。我らエインヘリアルは王国の情報収集に努めておるが」
「せめて、母の移住まで待って欲しいのですが……」
「それは大丈夫であろう。ミレニア様がなんとかすると申しておった」
帝国に亡命して、はいそれで終わりというわけには参りませんでした。結婚式を済ませたお姉ちゃんは漆黒鎧の騎士さま方、“エインヘリアル”というのだそうですが、その方たちと並んでも遜色ないような漆黒のドレスタイプをした魔導師服を身に付けて、将軍さま操る騎馬の後ろに乗せられて出撃しているようで、私も回復したらお姉ちゃんとお揃いの魔導師服にてアレスさまと出撃するそうです。
「セレニア、祖国を相手に迷いはあるか?」
「いいえ、アレスさま。母をも迎え入れてくださりましたし、罪なき民を安易に奴隷にするような王国などすでに祖国ではありません。……アレスさまとともに在れるこの国こそが祖国ですよ」
「……可愛いやつよ」
「んっ……ぅ」
アレスさまは華奢だというわたしの身体を痛くしない程度に抱き締めて下さってからそっと接吻を唇に下さり、そしてその大きな手でゆっくり優しくわたしの頭を撫でてくれました。今ではアレスさまにこうされることが至福のひとときともなれるほどには馴染んだというのか、こう在るために生きてきたかのような感じがしているのですが、錯覚でなければ良いのですが。
「さて、夜もふける。今宵はセレニア、どうするのか?腕か?それとも背中か」
「腕はお疲れになりませんか、アレスさま」
「さほど疲れぬよ。セレニア、そなたは軽すぎるからの」
「が、頑張ってお肉をつけます……ですが、今夜はその広い背中を枕とさせてくださいませ」
「あいわかった。存分に枕とせよ。では寝ようぞ、セレニア」
「はい、アレスさま」
湯を浴びてからいらっしゃったらしいアレスさまの背中からは寝間着ごしに爽やかな石鹸の香りがわたしの鼻をくすぐりアレスさま独特のいい匂いとともにわたしを安心させてくださります。毒を抜くまではこれ以上はお預けです。子供に後遺症を残すなどしてはなりませんし、わたし自身にも悪影響が残るやもしれません。なによりもそれよりも、アレスさま自身以外によって心地よくなるなどもってのほかだとおもうのです。……そのようなことを考えながら背中からアレスさまに腕を回し胸を密着させていたらアレスさまが、
「セレニア。なにやらドキドキしておるな。なんぞ考えておらぬか?」
とまるで見透かされたかのように苦笑されてしまいました。私はそ知らぬふりを決め込んで寝たふりをしつつ、そのまま本当に眠ってしまったのでした。
***
わたしが侵された毒のタイプは一度に絶ちきってしまうと気を狂わせてしまいやすいとのことで、数日に一度くらいの割合でわざわざ王国まで行って取り寄せてきた“黄金の林檎”をかなり薄めたものを頂いています。最終的には量も減らしていって、飲まなくても大丈夫なようにすることが出来るそうですが、将来的には仕入れた“黄金の林檎”を解析してこのような療養生活を経ずとも解毒できるようにと解毒薬を研究しているそうです。もちろん被験者はわたしです。幸いなことにまだ帝国には広まっていませんからね。
「それにしても恐ろしきは火精霊、よの」
「あの、アレスさま。お姉ちゃんは火精霊さまと何をなされたのでしょう?」
「うむ。それがな……」
どうやらお姉ちゃん、依頼で帝国軍の密偵小隊――つまり“エインヘリアル”の動向を探っていたようなのですが。
「身分を隠した我が兄上と何度か遭遇しお互いに情報のやり合いをしたそうなのだが運悪く兄上の身分がばれた際に王国側の密偵も居合わせたようでな」
「でも基本的にお姉ちゃん、余程でなければ裏切らないですよ?」
「うむ。ミレニア様が王国側の部隊とともに兄上率いる小隊と一戦する直前に、ミレニア様を王国側が突然捕縛しようとしたらしい」
「え、どうして……」
「我らに内通したと誤解されたようだ」
……うわぁ。相変わらずお姉ちゃん、不運だなぁ。あれ、でもそれでどうして帝国軍が関わっているんだろう。
「兄上からすればミレニア様の身分はとっくに王国側とばれておるのでな、ミレニア様と王国側がやりあっているところに兄上たちが到着、乱戦になった」
お姉ちゃんとしては王国側に反撃したら内通の証明なってしまうし、王国側は抵抗するお姉ちゃんに疑惑を深めたところへ帝国軍がその横腹から奇襲。結果として全勢力から徹底的に攻撃されたお姉ちゃんがキレてお姉ちゃんの火精霊さんが主に王国側を焼け野原にしてしまったということらしい。
「その後兄上とミレニア様がどのような会話をし馴れ初めたかは知らぬが」
「それで火精霊お姉さまのことを」
「結果として無駄だったがな。密造拠点も焼失したし」
「ご、ごめんなさいアレスさま」
実は私が監禁されていた高級地下娼館が例の“黄金の林檎”の密造拠点のひとつで各地から拐ってきた少女たちに投与しての研究もしていたらしく。アレスさまは私を救出してから踏み込む予定だったそうだ。密売拠点はまた別なのでそちらは泳がせながら元締めを洗っているらしい。
私があのときのことを思い出して俯きしゅんとしているとアレスさまは軽くため息を吐かれ、わたしを優しく抱き締めてくださりながら耳元で囁くのです。
「セレニア、そなたは我が言葉を守ったのだ。何を悔やむことがあるのだ?」
「で、でも」
「そなたが大事なのだ。私は他の誰にも、ほんの少しでもセレニア、そなたを与えるつもりはないぞ――そなたがたとえ望んだとしても、な」
「……ぁ」
アレスさまの言葉に私はハッとして面をあげればアレスさまはそのまま私の顎に指を添えて、そのまま私の唇に重ね……何も余計な事を考えることすら許さないと言わんばかり情熱的で胸が苦しくなるような接吻を――大人の男女がするようなひとときに、わたしは文字通りアレスさま一色に染め上げられて、その胸のうちに身体を預けてしまうのでした。
「セレニア。そなたは永遠に私のものだ……よいな?」
「はい……アレスさま、に、わたしの――すべてを、捧げます……」
わたしの答えを受け取ったアレスさまが下さった極上の笑みにわたしはとうとう耐えきれず幸せな心地のままに気を失ったのでした。
***
本来、こういった中毒症状は短期間では抜けないものですがわたしの場合は光精霊ちゃんと水精霊さんが常に癒し続けてくれます。ですのでなんとか結婚式予定日には間に合いそうな気がします。
結婚式といえばふとアレスさまには今まで婚約者候補みたいな方はいなかったのでしょうか。ちょっとだけ気になります。
「自称なら掃いて捨てるほどおるな。であるからセレニア、しばらくは屋敷はおろかこの部屋近くから出ること、まかりならぬ」
「嫉妬、ですか」
そう言えば今日は何やら騒がしい気がします。なんでしょうか。
「セレニア、そなたが気にする必要はない。薬を飲んだら一眠りするが良い……飲ませてやろうか?」
「や、お薬くらいは一人でもう飲めますからっ」
「遠慮するでない、ほれ」
「っ、ぁ、むぅ……んん」
余計な心配をしたのがまずかったのでしょうか、いつもにもまして笑みを浮かべるアレスさまに、粉薬を溶かした水薬を口移しでなかば強引に飲まされてしまい、さらにそのまま息も乱れるくらいにされてしまう頃にはもう何も。そう、何も考えずにアレスさまだけを感じて眠りに落ちておりました。
「しばしゆるりと休め、セレニア」
「……アレスさま、セレニアさまのことはお任せを。侯爵令嬢さまがお待ちでございます」
「わかった。見舞いなどただの口実であろう、我が最愛に会わせるわけにはいかぬ」
そのような言葉をかすかに耳に残しながら私の意識は途絶え……そして目が覚めた時にはわたしのベッドの脇に新たに設置したアレスさまの執務机にて静かに書類をめくるアレスさまがいらっしゃるだけでした。
「アレス、さま?」
「よく眠れたか」
「……はい。その、侯爵令嬢、さまは……」
「聞こえておったのか……そう言えばスキル持ちであったな」
アレスさまは軽くため息を吐かれると席を立ち私の枕元にある椅子へと腰掛けられ私の髪を撫でながら何も心配することはないとおっしゃいます。
「我が幼馴染みではあったがただそれだけのことよ。私にはそれ以上の感情は――ない」
「そう、ですか……」
「そなたが気にやむことはない。ただ、私とともに居てくれれば良い」
「はい。ですが、回復したら私もお側に、戦います」
「そなたがただ守られるだけの娘とは毛頭思っておらぬ、侯爵令嬢と違って、な」
帝国という国は根本的に能力がすべてです。この能力主義というものが実は少しくせもので、“庇護を受けている”というのもひとつの能力とみなされます。能力があると判断された場合、帝国ではたとえ亡命したてであっても市民権が与えられ、最低限の医療や公共サービスを受ける権利が戴けます。また、期間は区切られますが生活基盤を築くための準備金も無利子で支給されるそうです。ですので普通は庇護されている間に何らかの自分が示せる能力を確保するのが一般的なんだそうです。
「そなたはすでに精霊使いとしての能力をミレニア様ともども示しているので問題ない。母上殿についてもそなたたちの庇護下にあると見なせばまず我らが死なぬ限り問題なかろ」
つまり未成年者の保護制度、もしくは亡命者の一時保護制度ということなのだと気が付き納得しました。けれども同時に疑問もわきました。能力を示せないものや示さなかったものはどうなるのでしょう。
「陛下とて努力の報われなかった民を責めるような事はせぬ。ただし、怠惰だけは許されぬがな。ましてそれが我ら貴族のような立場であれば尚更示しがつかぬ」
「じゃあ王国のような威張るだけのお坊っちゃんや箱入り娘みたいな方はいらっしゃらないんですね」
私が感心しているとアレスさまはなぜか溜め息を吐かれました。
「ならば良かったのだがな……」
帝国には公爵さまはいらっしゃらないようで、皇帝陛下と皇妃陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下などの皇族さま方をお支えする帝国貴族の頂点は四大侯爵家とも呼ばれる四つの侯爵家なんだそうで、アレスさまの御実家もその一つだとか。つまり、お姉ちゃんは次期侯爵夫人なんだって。大変そう………。
「あれ。もしかして……」
「セレニアは察しがよいの。侯爵令嬢だけは箱入りよ。もっともそれは娘を可愛がるあまりにあらゆる機会と可能性を潰した現当主が大半悪いがな」
「ええと、庇護を受けるのも能力でしたっけ」
「あくまでも想定は子供だがな。貴族の場合においては例外もあるにはあるが」
つまりわがまま放題に育てられ甘やかされ努力を知らずに育ったその侯爵令嬢さんは自分一人ではなにもできない、無能。一人娘のため父親が健在であれば問題は取り敢えずないけれどいずれはお婿さんを取るか、嫁入りして新しい庇護を受けないといけないというわけなのに、基本的に能力主義を重んじる他家から婚約の申し込みがなく、あてにしていた幼馴染みのアレスさまも私という正体不明の婚約者ができてしまってあわてているのだろう。
「ならばセレニア、聡明なそなたならわかるであろう?」
「はい、追い詰められた人間と、その信奉者ほど危険な存在はありませんから」
「セレニアたちもな」
「……否定できません」
「私がそなたのそばにいない間は不自由をかけるとおもうが」
「はい……アレスさま」
もとより自分一人では歩き回れない状態ですし、基本的にはお布団の中にいるしかありません。面会に来てくださるのもアレスさまかお姉ちゃん。まれにアレスさまのお母さまくらいですし、お部屋もお屋敷の奥の方ですから部外者が来ることはまずありません。私が意識の無いときは精霊さんたちが見守っているらしいので多分大丈夫……なはず。
…………そう、思っていた時もありましたが案外世の中はうまく回らないようです。
あれからさらに日が経ちなんとか自力で上半身くらいは起こせるくらいに回復した頃でした。アレスさまは私と結婚するにあたり、御実家であるトリエステ侯爵家を出て新しく伯爵位を賜ることになるそうで、それらの話し合いのためにご両親とともに登城されておいででした。
午前のお茶を侍女さんからいただいていたらなにやら表の方が騒がしいのです。なにごとでしょうか。
「大変です、セレニアさま!ロマーニャ侯爵家令嬢のドゥーチェさまが武装した騎士たちを引き連れて押し掛けて参りました」
「……アレスさまには?」
「はい、先ほど裏口より皇城へ早馬をだしましたが……」
「時間はかかりますよね、やっぱり」
トリエステ侯爵家は武門を誇る家だけあって屋敷で働く方々もそれなりに動けるとはお聞きしていますから、今すぐにここまで乗り込まれることはないでしょう。家令さんを筆頭に表で時間を稼いでいるようで、その間に私の部屋には厳しい顔つきをされた屋敷中の侍女さんたちが集まってきていました。
「セレニアさま。どうやらロマーニャ侯爵家はセレニアさまを妖しい魔術でアレスさまを魅了した魔女として告発されたようです」
「でも、私たちが断じてセレニアさまに危害を加えようとするものたちからお守りいたしますからご安心くださいませ」
侍女長さまが経緯を説明してくださると、侍女さんたちのリーダーでもあるハンナさんがドアの前にバリケードを作る指揮を執りながら勇気付けてくださりました。
「ロマーニャ侯爵家は帝都の法と治安を代々預かる由緒ある家ですのに……堕ちたものです」
「トリエステ侯爵家は諜報と軍務を代々預かる家ですので使用人も基本的に退役騎士を中心に雇っていることは割りと有名なのですが……まさかここまでの暴挙にでるとは」
侍女長さまは失望したように嘆息され、扉を施錠しバリケードの設置を終えたハンナさんは扉を見据えたまま本当に信じられないと呆れていた。
「ここよ!この部屋の中にアレスを妖しげな魔術で魅了し洗脳した薄汚い王国の魔女がいるわ!警務団長」
「ドゥーチェさまはお下がりください、危険です。……部屋の中の者に告ぐ!帝国の民として王国の魔女を即刻引き渡し陛下への忠誠心を示すが良い!」
王国の、と言われてますが実は私、すでに亡命を認められて身分は帝国の国民となっています。これは皇帝陛下のサインが入った公式文書が作成されていますのでしかるべき立場の人間であれば確認されているはずですので、ということは扉の向こうにいる方々は見る立場にないという事なのでしょう。
それから、私が魅了したと言われてますが……今思えば魅了されたのは私のような気がするのです。それに媚薬中毒にされたのも実は私がアレスさまから逃げられないようにしたのではないか、と。腹黒アレスさまです。でも今、私はとても幸せなのでそこまでするほどに惚れてくださったアレスさまに感謝しています。
「申し訳ございませんが何かの間違いではございませんか?ここには陛下に忠誠を誓った帝国臣民しかおりません」
「そんなはずはないわ!私からアレスを奪った憎い王国の女がいるのは分かっているのよ!?」
「……仮に百歩譲ってそのような者がいたとしましょう。ですが治安部隊まで動員し陛下の信任厚いトリエステに、しかも当主不在を狙ったかのような無礼な振舞い。確かな証拠と罪状があるのでしょうね?」
金切り声をあげる侯爵令嬢の喚き声に続いて騎士たちを率いる隊長らしき人物の要求を侍女長さまが落ち着いた声色で返答されました。さらに正当性を追及されたところ、再び金切り声響きました。
「抵抗すること自体が罪の証拠よ!構わないから踏み込みなさい、これは命令よ!!」
「総員、突入用意。扉を断ち斬り、抵抗する者は容赦なく捕縛せよ!」
どうやら理屈は通じないようです。また、正当性もないという事を、侯爵令嬢の私的な理由によるものだということが明らかにされて、ふと私は困りました。
ここはアレスさまの執務机がある私室です。幼き頃からの想い出がたくさん詰まった大切なお部屋です。そのような場所に彼らが乱入してくれば間違いなくめちゃくちゃにされてしまうのは明白です。私が直接悪いわけではありませんが……さすがにそれは堪えられませんでした。
「アリサさま、ハンナさん。アレスさまの大切な想い出がつまるこの部屋を荒らすわけには参りません……扉を、鍵を開けてください」
「セレニアさま……わかりました」
バリケードはそのままに扉の鍵を解錠すれば重厚な樫の扉が廊下側へと乱暴に開けられました。そしてまるでオーガのように、本来ならば美しいはずの顔を怒りと嫉妬で歪め、血走った目付きの女性がベッドの上で上半身を起こしたままの私を見るやいなや、
「やっぱりいるじゃない、王国の売女!そんな貧相な身体でアレスを奪えるわけないわ、アレスに相応しいのは地位も財産もあるこの私なのよ!!」
「……静かにしてください。そもそもとして、あなた方は事実を誤認されています。あなた方は私を王国の、としきりにおっしゃいますが私は陛下に忠誠を誓った帝国臣民です。アリサさま」
「はい、こちらにセレニアさまを帝国臣民と認める旨の公式文書と陛下の署名がございます」
私はドゥーチェさまのペースにのせられないように落ち着いて間違いをただし、アリサさまに頼んで明確な証拠というものをドゥーチェさまではなく騎士さまたちに陛下の署名がよく見えるように示していただきました。
さすがにこれには公式文書というものを見慣れている騎士さまたちも動揺したようで、お互いに顔を見合わせています。なぜならばこれはただの身分証明書ではなく、陛下が直々に私の身元を保証されたということにほかならないのですから。しかしそれでも嫉妬に狂われたドゥーチェさまには効果がないようで、
「そんなものは偽物よ、陛下の署名の偽造は極刑だわ、すぐさま捕らえなさい!」
「いや、さすがにそれは……もし本物の場合、不敬罪に……いくらドゥーチェさまのご命令でも」
どうやら騎士さまたちを穏便に無力化することには成功したようです。上官の愛娘とはいえ、本来指揮権はドゥーチェさまにはありません。自分たちの出世や進退にかかわるとなれば怯むのは当然でしょうから。これであとはドゥーチェさまだけです。なんとかお互いに手をあげることなく済ませなければ。
「ドゥーチェさま」
「黙りなさい、その穢らわしい口で私の名を呼ばないで!」
「あなたはアレスさまの事が好きですか?愛されてますか?」
「っ、そんなの当たり前でしょ!小さい頃からずっと一緒なのよ?」
「ではそのことを言葉で、態度で、心で示されたのですか」
「そんな必要あるわけないじゃない。アレスはずっと私の隣にいてくれたのよ?そんなことしなくても」
「私はきちんと言葉で、態度で、心を込めて、アレスさまに好きだと、愛しているのだと、どこにもいかないで私のそばにいてほしいとお伝えしました」
「やっぱり私のアレスがいなくなったのはあなたのせいじゃないの!今すぐ返しなさいよ、返してよ!」
ものすごい形相で私を睨み付け叫ぶドゥーチェさまに少しだけ怖じ気ついたのは内緒です。でも。そう、でも。アレスさまを勝手に所有物扱いするような女に負けるわけにはいかないのです。
「アレスさまはあなたのものではありません。そして、当然わたしのものでもありません。アレスさまはアレスさまのものなのです」
「言っている意味がわからないわよ!」
「では帝国の臣民として、能力の有無は重大な問題になるのは当然、ご存知ですよね?」
「バカにしてるの?当たり前じゃない」
「例えばあなたはお父上にあたるロマーニャ侯爵さまから溺愛され、必要とされあなたもそれに応えることで庇護を受けるという能力を示されていると思いますが」
「それがどうしたというの」
「ではあなたから何か、そう何かひとつでも、今までにアレスさまに対してあなたのお父上があなたにされたように努力されたことはございますか?」
「そ、そんなの……とうぜん」
「ありませんよね。ただただアレスさまから受け取るだけであなたからアレスさまに何かを努力されたことはないのでしょう?」
「くっ…………」
「今だって、そう。あなたはお父上から与えられたものだけを使い、ご自分ではなんの努力もされずに、果てはアレスさまの大切なものを踏みにじろうとした」
「…………」
「私はアレスさまが好き。愛しています。アレスさまから愛して貰えるために、アレスさまを癒せるように。大切なものを守れるように、努力するの。だから私は、あなたなんかには、絶対に、まけ、ない、から!」
冷静にいるつもりが次第に私も興奮して頭に血が上ってしまい、最後は感情的なものもまざってしまったきがする。途中から黙りこみ、顔を伏せてしまっているドゥーチェさまは一言も反論することなく小刻みに肩を振るわせている。私の魂の叫びのような一声のあと、静まり返った部屋にぽつりとドゥーチェさまが沈黙を破って言葉を発した。
最初の一言はあまりにも小さすぎて聞き取れなかったけれど、私を見ることもなくいまだ肩を振るわせて、柔らかそうな荒れひとつない両手をぎゅっと握り締めたままのその姿に私は一線を越えて言い過ぎてしまったことを悟ってしまった。これは……まずいかも。いえ、まずいです、これ。どうしようかとアリサさまの顔を見ようとして――ドゥーチェさまからの罵声を浴びたのでした。
「うるさい!うるさい、うるさい、うるさい!!たかが平民が貴族の私に意見など万死に値するのよ!悪いのは私じゃないわ、あなたが悪いのよ!あなたさえ、あなたさえいなければいいんじゃない……わたしのアレスを返さないなら返さないでいいわ。その代わり……今すぐここで」
私の冒険者としての本能が逃げろと、危険だと叫んでいます。しかしながら残念なことに身体が動きません。アリサさまやハンナさんたち、騎士さまたちもドゥーチェさまの豹変ぶりに度肝を抜かれてしまったのか動くことすらできないでいるようです。本当に死に瀕すれば精霊さんたちが助けてくれるとは思いますが、事前に手を出さないでとお願いした手前、というか声がでそうにありません。一応、精霊使いは言葉にしてお願いしないといけないことになっていますから。
ゆっくりと、まるでスローモーションに面をあげたドゥーチェさまは。最初に見た時よりもはるかに凄みを増した、ただただ純粋に私に対する強烈な憎悪で満ち溢れたその瞳で、表情で、そして醜く歪んだその口で。
「死ねぇぇぇぇえええっっ!!!」
傍らにいた騎士さまから剣を奪い取るとまさに火事場の馬鹿力で私めがけて投げ付けて来たのです。避けられない、声もでない、どうしよう、当た――――
「そこまでだ」
突然枕元から愛しいアレスさまのお声が聞こえたかと思うと私の眉間に刺さる寸前だった剣先を右手で掴み取り押し留めてくださったのです!
「アレス、さま?」
「セレニア、無事か」
「は、はい。……はい、なんとか」
「……そうか」
アレスさまにまるでよく頑張ったとでも言わんばかりに頭を撫でられた私は緊張が唐突に解け、命が助かった安堵感とアレスさまがそばにいるという安心感、そして極度の緊張感と恐怖感に奪われ続けていた体力が尽きて。そのまま気を失ってしまったのでした。
***
次に意識を戻した時はすでに深夜でした。妙に身体は熱っぽく、午前中には動かせていたはずの上半身はまるで鉛のように重く、怠く。ピクリとも動かせません。
魔法の光が淡く灯る室内灯に照らされた辺りをそっと見渡せば、お腹の辺りには疲れきった表情のまま私にすがりついて眠るお姉ちゃんの姿がありました。
「……お姉、ちゃん……?」
「目覚めたか、セレニア」
カーテンの開け放たれた、淡い蒼色の月光が降り注ぐ窓際からアレスさまの声が聞こえました。
「アレス、さま……わたし?」
「アリサから詳細を聞いた。……思わず肝が冷えたぞ」
「ごめん、なさ、い……」
勢いが余ったとはいえ、アレスさまが着てくれなければ私はきっと死んでいました。死ななくともこうして話すこともなく生死の境をさ迷っているに違いありません。私はまだまだ、未熟です。
「いや、責めているわけではないのだ」
「え……?」
ゆっくりとアレスさまが窓際から枕元の椅子まで歩かれて腰掛けることなく絨毯の上に跪き、横になっている私の目線に合わせるようにして私を見つめてこられました。
「アレスさま?」
「セレニア」
「……はい」
「そなたは本当に心から感謝しておるのだ……私のような不器用な愛し方に、精一杯応えてくれた」
「はい………」
「そして、私を守る為に、全ての力を振り絞ってくれたな。倒れて高熱をだしてしまうほどに、全力で」
そっか。わたし、倒れちゃったんだ。お姉ちゃんが憔悴しているのは私が眠りからなかなか覚めないから。そして高熱が下がらないから。……あれ?でも今までなら光精霊ちゃんたちが勝手に治してくれて……。
「精霊たちが申しておった。そなたはもう、一人前だと」
「みんな……」
「セレニアよ。そなたはよく頑張ったのだ。理不尽な状況に曝されながらも良く忍耐し、恐怖に屈することなく己の意志を、想いを貫いた。そして最後の最後まで諦めることなく目を背けることなく、前を向き続けたそなたは……私の愛するセレニアは…………」
そこで一度言葉をきったアレスさまは。思いもしていなかった言葉を私に賜わってくださり、深い愛情のこもった接吻を、くださったのでした。
「……そなたのそばに生涯在れることを、光栄に想い、誇りに思う……幸せになろうぞ、セレニア」
補足として、アレスさまがセレニアのピンチにかろうじて間に合ったのは同行していたミレニアによって風精霊の力でセレニアがいた部屋に直接運ばれたためです。
お読みくださりましてありがとうございました!