正体
史上二度目となるハンハンド襲来を受け、STK尾張支部の戦闘員の面々は第二作戦会議室に集結していた。と言っても、本道に加賀山、所長の姿は無い。代わりに正面のホワイトボードの横に立ち、資料片手に作戦内容を茫然自失の体で読み上げるているのは、佐藤京子だ。現在彼女が打ち揚げられた魚のようにやつれているのは、無論所長の不在に寄るところが大きい。
「……ハンハンドが初めて確認されたのは、今からちょうど八年前。その時に作成された本部のデータによると、ハンハンドのおおまかな身体構造は、〝胴〟とその表面に生えた〝腕部〟の二つに分けられます。胴自体は全長百メートルにも満たない扁平などす黒い球状の塊ですが、その表面をほとんど覆うような形で生えた腕部が四方広域に展開されると、最大で、直径十キロメートル超にまで及ぶ、……とのことです」
当然、その声には覇気も生気もまるでなく、これからあまりにも無謀な戦いを強いられるとあって張り詰めたメンバー間の空気を陰鬱なものにしていた。
しかし、半径十五メートル圏内に所長が居ない今、彼女の平静をかろうじて繋ぎ止めているのは首から下げたロケットペンダントだけであり、その命綱とていつまで持つかわからない状態にある。そのため、佐藤京子が誰に言われるでもなく自身の役割を全うしているというだけでも十分だと言えた。
「十キロメートル超? 街が丸々一個呑み込まれちまうぞ……」
手元の紙コップをくしゃりと握りしめ、柴崎悟朗が静かに戦慄する。
「ハンハンドの出現場所に最も近いSTK本部は避難勧告の出た街に住む民間人の避難経路確保のため、ハンハンドの出現に伴って呼び寄せられた不特定多数の怪物たちの掃討に当たっており、ハンハンド討伐に割けるほどの戦闘員は現在残っていないそうです。また、現在発生中の深刻な電波妨害によって周辺区域でメタルワープシステムが作動しておらず、現地へ直接向かうことはできないようです」
「……つまり、本部に一番近い俺達がやるしかないってことですか?」
ずっと黙って話に耳を傾けていた風間が、不意に恐る恐る口を開き尋ねた。
「はい。……今のところは」
鋭い視線が失せ、死んだ魚のような有様になった京子の瞳が、一層光を失う。
「こんな時、所長が居れば……」
上杉加奈子がぽつりと呟いた。今この場に所長が居れば、その凄まじい思考速度によって瞬時に作戦を立案し、的確な指示で装備を整えすぐにでも出撃できたことだろう。
しかし、所長は今本部の会議に駆り出されている。どうせ実際に働くのは所長や私たちなのに、どうしてわざわざそんなまわりくどいことをしなければいけないのか、全てが終わってから報告書なりなんなりを出すのではダメなのか、加奈子には理解しがたかった。今この瞬間にも、逃げ遅れた何の罪もない人の人生が奪われているかもしれないというのに。
――――その時、神懸かり的なタイミングで会議室の扉がノックされた。
全員の視線が一挙に扉に集まる中、佐藤京子が鬼気迫る形相でドアノブに飛びつき、扉ごと引きちぎらんばかりに開け放った。
「――――所長!!」
「うわっ!」
歓喜し、思わず叫ぶ。しかし、そこに立っていたのは所長ではなかった。どさくさで飛びつこうと目論んで広げられた京子の両腕は、その人物の頭上近くの虚空を掠め空振りに終わった。
「な、なんすかいきなり……」
果たして、現れたのは、本道明だった。急いで駆け付けたのか、白衣が着崩れており、片腕にはなにやら丸めたポスターのようなものを抱えている。
「本気!? あんた、今までどこ行ってたのよ! ……ていうかタイミング悪っ!」
加奈子がすかさず眉を潜めて食いかかる。〝本気〟というのは明のあだ名であるが、そんな名前で呼ぶのは加奈子くらいのものだ。如何せん紛らわしい。
「……悪かったな空気読めなくて。こっちもいろいろ大変だったんだよ」
「何よそれ。どうせ引きこもってゲームでもしてたんでしょ?」
「あぁ!? お前なぁ――――」
「――――それより、その馬鹿デカい紙束はなんだ」
「え? あぁ、これは……」
「そんなの持ち歩いてるから遅くなるのよ」
「――――っせぇなぁ!」
二人が再び口喧嘩を始めそうになる気配を予期し、柴崎は無言で本道の腕の中から筒状に丸められた紙束を半ば引ったくるように引き抜いた。腕に抱えたままホワイトボードを肩でどけ、その背後の卓上に豪快にぶちまける。資料の束がいくつか床にこぼれたが、柴崎が目を止めたのは、卓上に押し広げた一枚の巨大ポスターだった。
「これは、――――ハザードマップか?」
「はい。所長に京子さんに渡せと言われて……」
「……それって、ハンハンドが出現した街のですか? どうして今更……」
風間が横から興味深げに覗き込むと、至るところにペンで色分けされた線や楕円が書き記されていることに気付く。そばに走り書きだが丁寧な字で補足説明がなされている個所もあった。
「どうも、このオレンジの斜線が現時点で展開されてるハンハンドの腕部、赤い楕円が胴らしいな。青い太線は避難経路か?」
柴崎が半身で振り返り、まだ口喧嘩をしている本道明に尋ねると、明は口論の合間に視線を合わせて大きく頷いた。口頭で答える余裕はないらしい。
「……それにしても、胴がやけに東よりですね。〝胴〟なんて言うくらいだから、俺、てっきりど真ん中にあるもんだと思ってたんですけど」
「ん? ……あぁ、確かにな」
風間の指摘に、柴崎は卓上に頬杖をついてしばし黙考した。
「……胴が移動したというよりは、腕の方が西側にばかり広がってるように見える」
頭で思い浮かべたことをぼそぼそ呟きながら、柴崎はマップの北東に位置するハンハンドの胴から、腕の広がる方向に合わせ視線で辿っていく。すると、その方角にばかり避難経路が集中していることに気がついた。ハンハンドの腕部が明らかにその進行方向に向かって伸びているように見えるのは、偶然ではないだろう。
腕部の展開範囲を示すオレンジの斜線は、マップの北東から南西、――――右上から左下に向けて伸びた卵型をしていた。その黄身にあたる胴は右に極端に偏った位置にあり、東側にはほとんど展開されていないようだった。あくまで、地図上ではの話だが。
「――――なるほど。どうにかなりそうですね時間もありませんし、早速移動しましょう」
そこで、柴崎と風間の間に割って入るように頭を突っ込んだ佐藤京子が、ハザードマップを一瞥するや否やそう呟いてすっと顔を上げ、未だ口喧嘩の収まらない二人の脇を素通りして扉に手をかけた。
「行くって、どうやってだよ?」
柴崎の呼び止めに、京子が生気を取り戻し、いつもの威勢できっと睨んで言った。
「尾張支部の車で、です」
「何?」
「専用の駐車場に六人乗りのバンが止めてあります。作戦要綱はすでにこちらの資料にまとめてあるようですので、移動しながら伝えます」
色々と初耳だった。ただ、床が片付いていたので、京子が掲げている紙束が、あの時柴崎が豪快にぶちまけた資料なのであろうことは分かった。恐らく、ほとぼりが冷めたころに嫌味を言われるだろう。早くも気が重くなる。
だが今は、それどころではない。溜息を吐くのは、全てが終わってからでいい。
柴崎は溜息を飲み下し、気持ちを切り替えようとする。その時、佐藤京子の悲鳴が上がった。
見ると、扉の向こうに黒い人影が立っている。黒いパーカーのフードを目深に被っているようだった。人影が不意にゆっくりと顔を上げると、腰を抜かし尻もちをついた京子の後ろで上杉加奈子が息を呑んだ。
「嘘…… ――――だって、クビになったんじゃ……」
一直線上に居た加奈子が一歩身を引き、柴崎にも、人影の顔が見えた。そうして加奈子同様息を呑み、目を見開く。柴崎は、驚きのあまり言葉を詰まらせた。
静まり返る中、人影は目深に被っていたフードを片手で肩に下ろすと、代わりとばかりに口を開いた。
「――――お久しぶりです。加奈子さん」
その場の誰もが、その少年の顔を知っていた。しかし同時に、その場の誰一人として、その少年の名を知らなかった。他ならぬ、少年自身さえも。
唯一言えることは、彼が回避システム付きの最新型を装備したSTK尾張支部のメンバーの一員だったということだけだ。




