その六 閃光
『避けて下さい』
――――次の瞬間左端から突如現れた黒腕が濁流の如く押し寄せ、坂本さんもろとも、一歩手前の空間が一瞬にして呑み込まれた。視界が、どす黒く染まる。
「――――なっ……!!」
驚きのあまり腰が抜けた。後ろ手に手をついたところで、両足が震え上がり、まともに立ち上がれない。尻もちをついたまま後退るだけで精一杯だった。
「あ、あぁっ、あ……」
部屋の一角を壁のように覆い尽くした黒腕は、左端の壁から音もなく生え出ては、激流の如き凄まじい速度で荒々しくうねりながら右端の壁に消えて行く。にも関わらず、一向に途切れる気配が無い。黒腕の先には、人間そっくりの手がくっついていた。時折、流れから外れた黒腕が床を擦っては、不気味な爪跡を残して行く。
『データがありません。危険度:判定不能』
今更のように告げるナビの、定型文がもどかしい。
「坂本、さん……」
「――――選択、……フォーカスフラッシュ!」
不意に、どす黒い壁の向こうで眩い光が炸裂した。それはまるで剣で切り裂くかのように横なぎに走り、漏れ出す強烈な光は一層強くなる。刹那、裂けた隙間から坂本さんが飛び出して来た。そうして着地と共に床を蹴りざっと駆け出す。
坂本さんはそのまま僕との距離を衝突寸前まで縮めると、体をがばりと右に倒して素早く踏み込み、すれ違いざま僕の腕を取った。
振り返ると、裂け目が口を閉ざすように塞がっていくのが見えた。
「うわっ!」
強引に引き寄せられ、体がぐんと後ろに引く。右足を軸にくるりと回り、慌てて向き直ると、今度は綱を引くように手繰り寄せられ、そのまま半ば引きずられるような形で走り出した。
追い立てる無数の黒腕が、両の壁から交互に生え出て次々に背後を掠めて行く。通路に飛び出すと、そこは既に数え切れないほどの黒い手のひらに埋め尽くされていた。ようやく坂本さんの手元が緩み、左腕が解放される。
「あれが、ハンハンド? もうこんなところまで……」
「むしろ好都合だ。――――ついて来いっ!!」
張り詰めた声色とは裏腹に、待っていたかのような口振りだった。
坂本さんが掛け直した保護メガネの縁に手をかけると、正面前方に銀白の雷光が轟き、黒腕が一掃される。しかし、壁からすぐに新たな手が生えてきて、僕ら目掛けて猛然と襲い来る。
「……カラーチェンジャー、青」
坂本さんは臆することなく呟くと、その黒く塗り潰したような濁流の中に、真正面から突っ込んで行った。
「――――待って下さいよ!」
次の瞬間、前を走る坂本さんの目元から、青白い閃光が迸った。




