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怪物の通る歩道橋  作者: 羽川明
二十章
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その一 落書き

「――――さんっ、薫さん! ……薫さんっ!!」

 倒れ込む薫さんの体を強く揺さぶりながら、必死に呼びかける。膝立ちしていると、床が恐ろしく冷たい。――――けれど僕なんかより、薫さんの方がよっぽど寒いはずだった。抱きかかえた背中から、体温が奪われていく。

「……うっ、うーん。あれ? ……あぁ、キミくんか」

 薫さんが、眩しそうにうっすらと目を開いた。どうやら意識を取り戻したようだ。しかし、声は気だるげで、表情もどこか覇気が無い。そして何より、あの、いつもの屈託(くったく)のない笑顔が、――――引きつっていた。

 ……そんな顔だけは、見たくなかった。例え今までが、仮面だったんだとしても。そうでなければ僕にはもう、この人の全てが、作りものに見えてしまうから。

「状況を説明して下さい」

 曲がり角の向こうから、坂本さんが今更のように姿を現した。まるで、ずっとそこで待ち構えていたかのようなタイミングだった。

 僕らを追いかける途中で怪物に出くわしたのかとも思ったが、息一つ切らしていない上に、髪はきっちりと整えられたままだった。そんな風貌で、悪びれることもなく僕らを平然と見下ろしている。……無性に腹が立った。

「危険度五が逃げた、多分三階だ」

「そうですか」

 大して興味もなさそうな、無感動な声色で言う。

「……では、ひとまず撤退しましょう。一階と二階の班も、既に作業を終え帰還しています」

「何?」

 柴崎さんがあからさまに眉を潜め、怒気を(はら)んだ声を上げても、坂本さんは動じなかった。

「……聞いてないぞ、そんなの」

「僕の指示です」

「なんだと? ……お前、何様のつもりだ。こっちは危険度五と交戦してたってのに、勝手に帰らせるなよ! 応援を呼んで欲しいくらいだ」

「――――来ませんよ」

 坂本さんは押し殺すように短く笑い、きっぱりと言い放った。どこまでも、冷めた声色で。

「あぁ?」

「危険度五ですよ? 敵うわけない。だからあなた方が呼ばれたんです。尾張支部は壊滅、本部も大打撃を受けたため、()えなく作戦は中止。そういう記録を残すために。データは十分取れました。今撤退したところで、上も文句は言わないでしょう」

 蛍光灯を握る柴崎さんの手に、力が込められる。みしみしと、悲鳴を上げる音さえ聞こえてくる気がした。

「お前、ずっと撮ってやがったな!」

「え?」

 耳を澄ませると、微かな駆動音とともに、ハチに似た耳障りな羽音が聞こえて来た。

 これは――――?

「なんだ、気付いていたんですか」

「俺らを()めてるんですか? あんなもの、気がつかない方がおかしい!」

 風間君が苛立たしげに踏み出し、窓の外を指さす。……僕の位置からは何も見えなかった。

 しかし、それは次の瞬間姿を現した。

「わっ!」

 割れた窓から強い光が差し込み、一瞬視界が眩む。その正体は、すぐに分かった。

「――――あっ、あれは、……ドローン?」

 窓枠から数十センチ離れた空中に、それは浮かんでいた。四方に取り付けられた円形のプロペラを回転させ、何食わぬ顔で飛んでいる。前方に取り付けられたライトが、こちらに向け強烈な光を放っていた。腹には小型カメラが取り付けられていた。

「本部公認の偵察機ですよ。データは映像として残すのがもっとも効率的ですからね」

「違う。それはお前が俺たちを信用してないって言う一番の証拠だ」

「……どちらにせよ、僕は帰ります。作戦変更の指示が無い以上、危険度五との交戦は避けるようにというのが本部の指示ですから。あなた方はどうぞお好きにしてください。ただしくれぐれも自己責任でお願いしますよ」

「はなからそのつもりだ」

「そうですか。では――――」

 振り向きざま、坂本さんと目が合った。瞬間、唇の動きだけで僕に何か言ったような気がしたが、咄嗟(とっさ)のことで、何と言ったのかは分からなかった。しかし坂本さんは特に気にした素振りも見せず、そのまま階段の方へ消えてしまった。

「急ぐぞ」

 行って、柴崎さんは坂本さんが下りて行った方とは反対側の階段へ歩き出した。薫さん達もその後に続く。僕も遅れて歩き出そうとすると、足の間を風が抜け、すぐそばの背後で、かさりと微かに音がした。

 振り返り見下ろすと、足元に折り畳まれた紙切れが落ちている。ただのゴミかとも思ったが、なんとなく気になったので拾い上げた。

「……ん?」

 広げると、走り書きで五桁の数字が書かれている。三桁目と四桁目の間に、わざわざ〝,(コンマ)〟が添えてあった。おかげで見やすくはあったけど、坂本さんがそんなことのために付けたとはとても思えない。そもそも、これが坂本さんのものかどうかさえ怪しいけれど。


(41,140)


「――――四万一千百四十?」

 何のことだろう? ひょっとすると、本当にただの落書きか、誰かの落し物かも知れなかった。

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