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怪物の通る歩道橋  作者: 羽川明
十九章
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その四 学校編・北館四階廊下付近2

 何の前触れもなく、廊下の窓が一斉に砕け散った。廊下の床と、午後十時を回った外の暗闇にほぼ均等な割合で破片が散らばり、流れ込んで来た外気が二人の足元を冷やす。

『破壊衝動、検知。推定危険度:五』

 ナビゲーターが警告してくる。呆然と突っ立っている暇など無かった。

「五!? まずい……」

 交戦は何としても避けなければならない。しかしだからと言って、背を向けて走り出すのも危険すぎる。柴崎は、にじむ手汗で取り落としそうになりながらも、静かに蛍光灯の出力を上げた。念のため、柄からちょうど尻尾のように生えた落下防止の紐――――蛍光灯さばきが鈍るので普段は外している――――を手首に通しておく。

 一方の風間隼人は、白衣の下から背中に手を回してはいたが、独自の武器支援システムを用いるかどうかはまだ決めかねていた。悩んだ挙句、その状態のまま視線だけで柴崎に問う。

「やめとけ。危険度五は俺も見たことが無い。こんな逃げ場のない場所では、下手に刺激しない方がいい」

 彼の面持ちはまさしく真剣そのものだった。風間は素直にその言葉を信じ、取り出そうとしていた装置を元の位置に戻して頭の中で組み立てていた弾幕を地形だけを利用して張るものに切り換えた。とはいっても、こんな死角のない狭い一本道で使える弾幕などたかが知れている。かろうじて敵を牽制することはできても、それだけだ。くすんだ金属フレームで跳ね威力減衰したレーザービームなど、危険度二さえも倒せないだろう。

 フィジカリィー・レーザー――――発光弾の射程距離は数メートル程度、到底届かないだろう。


 二人があれこれ思考を巡らせる最中、それは音もなくゆらりと現れた。

 最初に見えたのは、深い闇の中に浮かぶ毛玉だった。艶のない、無数の細長い毛が束になって丸まり、先端が前に長々と垂れ下がっている。毛先はふらふらと揺れていた。

「悟郎さん、あれ……」

「あぁ。用意はいいな?」

「でも、俺の弾幕で足止めできるかどうか――――」

 その先を遮ったのは、ごく小さなせせら笑いだった。闇の中浮かぶ毛玉の下、垂れた毛先の中に、真っ白な歯が並んでいる。唇の薄い、()き出しの歯茎とともに。

 よくよく見れば、毛玉は長い黒髪のようだった。しかし月光を受けてなお黒く、艶がない。まるで、反射せずに呑み込んでしまっているかのようだ。歯も同様に、白く塗りつぶしたように色むらがなく、その表面には微塵の光沢もない。そこだけ別世界であるかのようにさえ思える。黒と白のツートンカラー。たったそれだけの、簡潔な異界。

 そこに、新たな色が加わった。

 垂れた黒髪の向こうで、紫の双眸が光る。それはほくそ笑む口に合わせるように、すっと目を細めた。同時に、目元の光が強まり、顔の輪郭から首元までもが浮かび上がった。

「――――来るぞ」

 柴崎は、直感的にそう思った。

『アハアハアハアハアハッ、――――ィイヒヒッ!』

 張り裂けた頬に、一層強く笑みが刻まれる。

『――――キィィイイイャアァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーァッ!!』

 つんざくような甲高い絶叫。そこから満ち溢れる想いは、――――言い知れぬ歓喜だった。

 狂おしいほどに、()()れているのだ。恐らくは、手にした圧倒的な知性に。

『人ト非、危険度:五』

(めす)、……女か」

 人ト非は基本的に中性的な体つきをしているため、見た目だけで性別を判断することはできない。だが、女性のみ、まれに明らかにそれと分かる個体がいる。ある種突然変異とも言える〝異個体〟とは違い、その見た目や生態は共通している。長い黒髪に、紫色に発光する瞳。そして、その攻撃方法は――――

「嘘だろ……」

 風間は、何よりも信じてきた自分の目を疑い、眼前に広がる光景にただただ愕然とした。

 瞬間、彼の思考は停止する。

 尾張支部のベテランたる柴崎さえも、言葉を忘れたカカシの如く立ち尽くしている。

『敵二体、接近中』

 迫り来るものがただの怪物ならば、どんなに気楽だったことか。

 端的に言えばそれは、景色だった。無機質な建造物であるはずの壁が、生き物のようにうねり波打ち、左右から山なりにせり出して向かってくる。左は、教室の窓を砕いて木片を散らし、右は、窓枠を飴細工のように捻じ曲げながら、まとわりついたガラス片を粉々に砕いて行く。波のようになめらかな動きだ。

 せり出した山なり。

 当然だがそれは今まで二人が戦ってきた、どんな怪物にも似ていなかった。

 単なる景色なのだ。底の抜けた万華鏡をのぞきこんだような、或いは、ドアののぞき穴を通してみたような、(ゆが)んだ景色。(いびつ)な世界。それが今、目前に迫っていた。

 二人はもはや、逃げ出すことさえ敵わない。

「――――っぁああっ!」

 衝撃。ビルが倒壊したかのような、凄まじい轟音が間近に響く。生ぬるい風を顔に受け、柴崎ははっと我に返った。目を見開くと、山なりにせり出した左右の壁が引っつきあい、行く手を隙間なく阻んでいる。

「あ、あぁあぁぁっ……」

 ほとんど吃音(きつおん)に近い声を絞り出し、尻もちをついてへたり込む。そのまま後退りしようとすると、背中に、冷たく硬質なものが宛がわれた。

 ぞっとして、青ざめた顔で振り返る。こんな姿を見られたら、風間に幻滅されると危惧していた柴崎だったが、それ以前の問題だと気付いた。

「……なんだ、これ」

 そこにあったのは壁だった。教室と窓の区切れ目、ごく自然な位置に、その壁は何食わぬ顔で鎮座していた。まるで、遥か昔からそこにあったように。

「おい、おい!! 隼人っ! そこにいるのか!? 返事してくれ!!」

 張り付くように身を寄せ、拳を打ち付ける。しかし、どれだけ力を込めようと、壁は微動だにしない。返ってくるのは、かすかにざらついた塗料と、その奥に秘める厚いコンクリートの、本物の感触。それだけだった。

 あの時、柴崎の五メートル後方に風間は居た。いくらこの壁が厚かろうと、巻き込まれたということはないだろう。この向こうにも、廊下があるならば。

 もしも、あの人ト非が本当に景色を捻じ曲げられたのだとして、ここが校舎の終わりならば、風間はどうなるだろう。考えたくもなかったが、柴崎の思考は止まらない。まさか、あの警備員も、本当に壁を突き抜けて――――


 ――――そんなはずがあるか。


 柴崎の脳裏を、ある種の怒りに似た感情がよぎった。

 振り返り、引っついた山なりの裂け目を力任せにぶった切る。

 やはり、というべきか。壁の感触ではなかった。高出力で薄紫に火照る切っ先が、二つの手ごたえを捉えた。

『敵二体、撃破』

「ふっ……」

 吐息とともに笑みが(こぼ)れる。塞がれていた道は元通りに開け、直線上に人ト非が現れた。真正面。互いに逃げ場はない。が、柴崎はもはや勝利を確信していた。

「うぉおおおおおおおおおぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぁぁっ!!」

 燃えるような雄叫(おたけ)びを上げ、全力で駆ける。

『ィハァァアアアァァッ!! キィャヤアアアァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!』

 木製タイルの床が盛り上がり、波打つように押し寄せる。

 構わず走り、見る間に迫る山なりを大股で飛び越える。

「ぁっ!!」

 山なりの坂を右足が突き抜けた。恐ろしく感触がない。つむじがひやりと青ざめる。柴崎はすぐにすり抜けたのだと悟った。左脚で踏み込み、転倒しかけた上体を、がくんと跳ね上げ引き戻す。

 人ト非との距離はしだいに(ちぢ)まりつつあった。最初に現れた場所から、一歩も動こうとしない。(ある)いは、動けないのかもしれなかった。

『ァァアアアァァーーーーーーーーーーーーーーーーッッグッ!!』

 左右両側の壁がせり出しながら波打ち、凄まじい速度で襲いくる。しかしその動きには明らかな動揺が見て取れた。山なりは先程よりも傾斜が急で、ほとんど壁から突き出すような形になってしまっている上に、左右の速度がばらばらだ。二つの山なりの間にできた隙間も、でこぼこで歪だった。そして何より、木片やガラス片の飛び散るけたたましい音がなく、全くの無音だ。

「所詮は見かけ倒しか……」

 幻惑。それが、女の人ト非における攻撃手段だった。現時点でそれ以外の攻撃は確認されていない。柴崎は最初、それを色気で魅了する類だろうと勘違いしていた。故に対処が遅れたのだ。だがもう迷わない。

「――――おぉらぁぁっ!!」

 野太い声を張り上げて飛躍し、横切ろうとする左右の山なりを回転切りで両断した。着地の衝撃で床を滑り、それさえも走る(かて)にする。人ト非はもう目の前だ。

『敵二体、撃破』

 全て幻覚だと悟った柴崎に、恐れるものなど何もなかった。後は気力の問題だ。右手の中で唸る電撃はあらゆる怪物を断ち切れる。それほどに紫外線濃度の濃い危険な代物(しろもの)でもあったが、彼はその蛍光灯を我が子のように愛で、信じていた。

 が、柴崎は不意に不穏な向かい風を感じ、バランスを崩した。立て直す前に足がもつれ、前のめりに倒れ込んでしまう。

「ぐっ!」

 これまでの速度も相まって、額を打ちつけてなお勢いが止まらない。そのまま数メートル床を頬擦りし、鼻先が擦り切れたところでようやく収まった。顔を上げ、上体を起こし、よろよろと立ち上がろうとする。刹那、奥の廊下があたかも引き戻されていくメジャーのようにのたうちながら、急速に縮んでいった。そうして、校舎の終わりの薄汚れた壁が差し迫る。

 咄嗟に目を閉じると、目前で風が止まった。束の間、柴崎はすぐにその真意に気付く。

 振り返っても、あるのはやはり端の壁。これは本物だ。切ったら、武器の方が壊れてしまう。――――柴崎は、閉じ込められたのだと気付いた。

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