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怪物の通る歩道橋  作者: 羽川明
閑話2
45/87

その一 佐藤京子の性癖

 転送室に降り立つと、薫さんと加奈子さんが待ち受けていた。二人とも何故か自慢げな笑みを浮かべていて、薫さんに至っては胸を張って偉そうにふんぞり返っている。とはいえ、僕より頭ひとつ下の位置からそんな風にされても、見下ろすのはやはり僕の方で、当然、目線もこちらが上だ。……上目遣(うわめづか)いの上から目線。なんだかおかしかった。

「――――あぁっ!! 今鼻で笑ったデショッ!」

「いや、そんな、……ことはっ……」

「あぁホラまた笑った! 絶対笑ったヨ、今!!」

 腕を振るって怒り出す薫さんをよそに、加奈子さんは笑っていた。どうやら何もなかったようだ。

「ねぇ、そろそろお腹減らない?」

「え? あぁ……」

 言われてみれば、もうずっと前から何も食べていないはずだった。この保護眼鏡を拾ったあの朝から、いろいろありすぎて忘れていた空腹が、今頃になってどっと押し寄せてくる。

「はい。……かなり」

「じゃあ決まりね。着いて来てっ!」

 手招きしながら後ろに振り返り、加奈子さんは薄紫の扉をこじ開けた。途端に眩しい光が差し込んでくる。現れた事務室の真正面に、柴崎さんの背中があった。


           *


 ――――静まり返った事務室に、キーボードを打ち込む音だけがカタカタと響いていた。

「……結局、どうなったんです? 例の〝拠点〟探索は」

 デスクのパソコンとは別に開いたノートパソコンをカタカタと鳴らしながら、佐藤京子が左隣に座る柴崎に話しかける。シンプルなデザインの黒縁眼鏡のレンズに作成中の資料が浮かび上がっていた。

「……あぁ、大したことはねぇよ。加賀山は貧血でぶっ倒れて入院。明はこのところの連戦で疲れがたたってしばらく休むんだそうだ」

 柴崎がぶっきらぼうに答えた。普段から彼らは、こうした事務的な話しかしない。それもほとんどが京子からの一方的な質問だ。しかしその返答によって報告書やデータを作成するのが京子の仕事であるためにあまり無下にもできず、柴崎はいつも重たい口を渋々開いていた。

 というのも彼は、基本的に無口だ。

 後輩たちを連れ立っての作戦行動時は緊張から多少饒舌(じょうぜつ)になるが、それも転送室にて別れるまでだ。そう長くは続かない。

「大したことなくないじゃないすか。もっと慎重に行動してください。彼らの両親に頭を下げるのは所長なんですからね?」

 京子が、横目で睨みをきかせながら嫌みたらしく言う。なぜか後半部分だけが不必要に強められていた。

「……すまない」

 返事はなく、事務室には再びキーボードの入力音だけが静かに響き始めた。その音が先程よりも強く、苛立たしげなものになったのは気のせいではないだろう。

 柴崎が気圧されたように肩を縮こまらせていると、かすかに、椅子の軋む音が立った。

 ――――佐藤京子の居る方からだ。

 ちらりとそちらに視線を向けると、目が合ってしまった。柴崎悟郎にとって、というかSTK尾張支部に務めるほとんどの人間にとって、それはカップ焼きそばのソースをお湯と一緒に捨ててしまうくらいの大失態だった。

「何です? 私の顔に何かついてるんですか? それとも、私に何か不満でも?」

 こうなるからだ。

「……」

「答えて下さい!」

 痺れを切らしたように身を乗り出し、両手でバンッと机を叩く。右隣にして今は不在の、凜土師(りんばし)(かおる)の席を。左隣の柴崎に向かって身を乗り出した結果そうなるのは、京子が現在自分の席ではなく右隣にして右角である薫の席の右側面部、つまり右端に移動しているからだ――――先程の椅子の軋む音はそれが原因だった――――そしてそれこそが問題なのだった。

「……そこは、凜土師の席だろ」

 正確には、その横端である。京子の真後ろには通路へと続く扉があった。通路を(はさ)んだ向こう側には所長室がある。

 京子は一時肩をびくりと飛び上がらせたものの何とか平静を装い、取り繕うように眼鏡をクイと持ち上げると、柴崎の双眸を澄まし顔できっと見据えた。

「それが何か?」

 絶句。というか、硬直。柴崎はしばし、思考停止状態に(おちい)った。

「いや、だから……」

 自分が間違ってるのか? と柴崎は一瞬本気で思ったが、すぐに思い直し、なんとか言い返そうとする。

「――――前にも言ったと思いますが、私は唯一無二の助手として、所長から半径十五メートル以上離れるわけにはいかないんです。それとも、あなたが代わりにやってくれるんですか? まぁ、務まらないでしょうね、あなたには。分かったら私達のことは放っておいて下さい」

 言いながら、所長が所長室から隣の第一研究室に移ったのに合わせて京子の下半身が身を乗り出したままの上半身を軸に凜土師薫の席の向かい、柴崎から見て左に移動していく。幸い、というべきか、そこは空席だ。

「……」

 所長は誰にも狙われてないだろとか、そもそもお前は助手じゃないだろとか、言いたいことはいろいろあったが、柴崎は口をつぐんだ。

 それを見た佐藤京子は、柴崎悟郎などという〝鈍感の覇者〟に自分が常に所長と半径十五メートル以内に居なければならないことを口走るという、開いたふたの隙間からカップ焼きそばの麺を流しに落としてしまうくらいの大失態に強張っていた肩をがっくりと落とした。ついでに、額に玉のように浮かんだ汗を拭う。

 危なかった。今のは、本当に危なかった…… 心の中で呟きながら、気を落ち着かせようと首にかけたブロンズのロケットペンダントを服の上からそっと撫でた。

 ――――ちなみに中には所長が所長室にてふんぞり返ったままうたた寝している写真が入っている。撮影厳禁の所長室でどうやって撮ったのかは不明であるが、その写真の存在が露見しようものなら彼女は発狂するだろう。それだけは確かだ。

 別に私は、ストーカーではないし、変態でもない。それが彼女の(心の中での)口癖だった。

「……そう、私はただ純粋に、あの人を誰よりも深く愛してるだけ」

 思い切り口に出ていたし、まぁまぁの声量となって聞こえてきたが、柴崎は、いつものことだと聞かないふりをした。その時、事務机を挟んだ向こうの床で、レンチの落ちる音がした。ぼそぼそ呟きながら独りの世界に没頭していた京子は今度こそ飛び上がって椅子から転げ落ちた。柴崎は見ないようにそっぽを向いていたが、タイトスカートの裂ける音がはっきりと聞こえた。

 ばん、と音を立てて凜土師薫の席に細く白い手が鉤爪の如く引っ掛けられ、青ざめた顔の佐藤京子がふらふらと立ち上がる。黒のタイトスカートの裾に少し裂け目が入っていた。それに気付いた京子はほとんど自動的に音源の主を視線で辿る。そうして、柴崎の向かいの席に明かりがついているのを発見した。どうやらこの場にはもう一人居たらしい。

「……構わず続けてください」

 覗き込むと、風間(かざま)隼人(はやと)素気(そっけ)なく言った。特製の黒いリング型の保護眼鏡は今は外しており、京子の鋭い視線を黒いつぶらな瞳が真っ向から見つめ返してくる。

「あ、……いえ、その、ちっ、ちょっと、目が疲れちゃってて。ごめんなさいね……」

 さすがの京子もこれには反撃できず、むしろ相変わらずの女顔に少しうっとりとし、曖昧な笑みを浮かべながらおとなしく引っ込んだ。

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