その一 廃工場外周
転送先は、一見どこにでもあるような工場だった。この前の廃工場よりも幾分か新しいものの、錆が目立つトタン合金の壁には寄り添うように雑草が茂っていて、その外側を行く手を阻むように側溝が囲んでいる。側溝は白く濁った水で満たされていて、その流れは酷く緩やかだ。人気が無くしんと静まり返った一帯で、唯一、真っ平らな屋根に生えた煙突から立ち込める細々とした煙がかすかに音を立てていて、廃工場のような見た目をおぼろげに否定している。
「来たか」
聞き慣れない低い男声に振り返ると、黒っぽい上下にすすけた白衣を着た浅黒い肌の男性が腕を組んで立っていた。黒光りする鋭い眼光に筋の通った高い鼻を、男にしては長い無造作な前髪が覆っていて、不精髭の生えた口元には微笑が浮かんでいる。頬が少しこけていた。年齢は、二十代後半から三十代前半と言ったところだろうか。
その隣には、クリーム色のセーターとこげ茶色のホットパンツにやはり白衣を着込んだ女性がやや距離を置き、片手を腰に当てた姿勢で立っていた。少し焼けた小麦色の頬には溌溂とした快活な笑顔が浮かんでいて、茶色い短めの髪を高めの位置でポニーテールにしているようだ。大きな茶色い目と視線が合うと、バチリとウィンクで返されて、思わずどきりとしてしまう。……古風だな。
年齢は、隣の男の人と同じくらいに見えるけど、この人の方が断然若々しい。
「へぇー、君が新入り君? 噂は聞いてるよ。――――すごいんだってね」
裏表のなさそうな気さくな声色は、ハスキーボイスとでも言うべきか、やや低めだ。
「は、はぁ……」
返答に困り生返事で返しても、女性は顔色一つ崩さず楽しそうに笑っている。その視線が時折、どうしてか隣の男の人に泳いではさっと戻る工程を繰り返しているのは、毛嫌いしてるからだろうか。だったら見なければいいのに。
「わたしは加賀山……って言うの。そっちは柴崎悟郎。よろしくね」
あぁ、今顎で指した。しかも必要最低限ぎりぎりの動作で。そんなに嫌いなのかな。
柴崎悟郎と紹介された男の人は、面倒くさそうに頭を掻いているだけで特に反応はない。それを見た加賀山さんは機嫌を損ねたようにそっぽを向いてしまった。仲悪いのかな、この二人。所長もどうしてこの二人を僕らより先に向かわせたんだろう。と思っていたら加賀山さんのさらに左に涼しい顔で立っていた。色黒の二人と比べるともはや生気が無いとさえ言える色白な肌に、軽く整えられた、澄んだ色の短い黒髪。全てを見透かしたような灰色の瞳は今はなぜか真っ黒なサングラスに隠されている。
「保護者の承諾は得られそうかい?」
「それが――――」
僕が先程までの出来事をかいつまんで話すと、所長は珍しく困り顔になった。
「……そうか。まぁ確かに、そんな不自然な建物があったなら政府の仕業と見て間違いないだろうね。しかし困ったな。君、住所は分かるかい?」
「え? ……あぁ、いえ、わかりません」
どうしてだろう。今、とてつもない違和感を感じた。所長が既に知っているような話し方をするのはいつものことじゃないか。
「そうだよね。うーん、どうしたものか。まぁとりあえず、これは渡しておくよ。いい加減、その格好のままじゃ危なっかしいからね」
言いながら所長が差し出したのは、四角く折りたたまれた一枚の白衣だった。手に取って見ると、それは本道君たちとは違い薄い水色で、背中には灰色の大文字で『STK』その下には『――――尾張支部――――』とプリントされていた。生地は指先で糸の凹凸がわかるものの、滑るようになめらかでいかにも丈夫そうだ。両手で強く引っ張るとびっくりするほど伸縮した。
「あぁ! それ最新鋭のやつじゃん。いいないいなぁー」
いきなり背中に飛びついて来て、薫さんは心底うらやましそうな声を上げながらぴょんぴょん跳ねて肩越しに覗き込んで来る。その度に長細い毛先が背中をくすぐって落ち着かなかった。……というか、近いな。
「はははっ、明日には全員分配送されてくるから、それまでの辛抱だ。それじゃあ、僕はこれで。後はよろしく頼むよ、諸君」
所長は後ろ手に軽く手を振りながら数歩進んでぴたりと足を止めると、次の瞬間音もなく舞い降りて来た鋼鉄のパイプの中に消えた。パイプは地面でガシャンと跳ねるや否や、うっすらと丸い跡を残しあっという間に空へ戻った。
「れ、レーザービームなしで……?」
「あぁ、所長のだけはGPSでやってるからネ。トクベツセイなのさ。はてさて、わたしもそろそろ戻るとするヨ。あくまで非、戦闘員だからネ!」
――――じゃあなんで来たんですか?
そう問いかける暇もなく、薫さんもメタルワープで帰って行った。




