プロローグ
――――深夜。遠雷とともににわかに降り出した大粒の雨が、歩道橋の上で踊る。
そんな中その中ほどで、傘もささずに一人立つ、白衣の青年が居た。嘆息をつき空を仰ぎ見るその青年はなぜか、半透明の保護メガネをかけていた。一見して研究施設の科学者のような身なりであるが、まだ幼さの残るあどけない顔立ちと、泥に汚れた白のスニーカーがそれをおぼろげに否定している。
青年が、保護メガネにかかった雨粒を拭おうと太いフレームに手をかけた刹那、豪雨の地鳴りを掻き消すように、不気味な笑い声が起こった。
『ヒィヒヒヒッッ!!』
しゃがれた甲高い奇声。無論それは、青年から発せられたものではない。
「っ!!」
欄干の向こうから突如飛来した黒い塊を、青年はまるで見計らったように躱す。
青年がそれを視線で追い立てフレームを軽く握ると、保護メガネからレーザーが迸った。醒めるように青いそれは、歩道橋の端へと逃げる、黒い塊の背中を打った。
『ギャアァァッ!!』
『敵一体、撃破』
一瞬の断末魔の後、保護メガネが喋る。機械音声の平淡な声色だった。
『次、来ます』
振り返りざま、三度照射。均等に散った三つのレーザーが、夜の帳を切り裂き駆ける。見返せばそれは発光弾だ。
三者三様の悲鳴が起こり、伸びた黒腕が引っ込んだ。
『敵三体、撃破』
触手の先に人の手首を生やしたようなそれは、闇に溶け込み、判別しがたい。
『上です』
見上げ、迷わず引き絞る。猫の頭に先の黒腕を四つ生やした赤目の不気味な化け物が、裂けた笑みを浮かべたままレーザーに撃たれた。
『避けて下さい』
咄嗟にしゃがんだ青年の頭上で、六つの黒腕が交差する。
「……武器選択、フラッシュ!」
言い放ち、コンマ数秒の空白の後、青年はまたもフレームの淵を撫でる。そこには赤と緑、小さな二つのボタンが並んでいた。
『――――ァァアアアア!!』
わずかに遅れて一際眩い閃光が迸り、仰ぎ見た青年の頭上を一掃した。
『敵二体、撃破』
「はぁ……」
気の抜けた溜め息とともに、強張っていた肩が緩む。
束の間、ナビゲーターの声が張り詰めた。
『マスター!! 避けて下さいっ!』
冷淡に聞こえたそれに、感情が灯る。直感的に振り返った青年の背後で、頭部だけの猫がせせら笑う。
『ィヒヒヒッ!!』
――――それは、本当にわずか数瞬の隙が産んだ――――〝死〟だった。
次の瞬間、雷雨に濡れた青年の胴を、背を、どす黒い腕が貫いた。
「ぐぅっ!!」
崩れ折れる青年の目元から、滑るようにして落ちた保護メガネが、歩道橋の床で虚しく跳ねた。
大の字になって横たわる青年の体に、一層強くなる雨が容赦なく打ち付ける。
「――――ごめん、加奈子。やっぱ、帰れそうに、ないや……」
最後の力を振り絞り、虚空へ延ばされた腕が、ついにぱたりと倒れ伏した。
流れ出た一筋の涙も、大粒の雨に掻き消える。
不意に、沈黙を貫いていた保護メガネから、元の無機質な声が流れ出した。
『……告。緊急――――態発…。――――カラ…ェ…ジャー、発動』
すいません。いろいろと手違いがあって、消えてしまいました。
今度こそプロローグ。改稿版です。
これを機に全編読んでいただければと。