過去の残骸
息も絶え絶えにラトフに追いつく。辿り着いたそこは山中なのに一面に砂利が敷き詰められている。小石の下は焼けた煤が広がっており草木の一本生える様子はない。
端に鎮座する一部が欠けた大岩。それが少し異様な地帯をまた主張している。
そこで何かを感じ取ったラトフは追いついたレートの首筋の襟を噛み大岩の影に問答無用でぶん投げた。芯を捉えた様な目をして砂利以外何もないはずの地面に唸っている。
愛らしい少女の顔は少しずつだが獣に近い形相に変貌していく。
「ゴァアアア!レートは逃げるんだゾ!」
「いってーなぁ。どうしたって言うんだよ」
微かに風の匂いが変わった。燃え尽きた灰に近い嫌悪感を持つ匂い。それが魔素と混じり合い吸引口から体内に入ると息苦しさを感じる。次第に近くから籠った気泡の音が聞こえ、一層ラトフの警戒が顕著になった。
先にある砂利が小刻みに震え出す。下から砂利を押し退けた土が不自然に吹き出し、その中から温度を持たない金属系の手の形が現れた。もがき苦しむ様に。這い出る様に。地中からそいつはずるりと現れた。
「なんだよ…こいつ」
姿を現したそいつの大きさは人の十倍はあるであろう体格を所有していた。人型で土や鉱石で表面を覆った身体。魔獣かもしくは魔術師の土人形を思わせるが少し違う。随所に回路や金属片が見え隠れし混線するケーブルや歯車から火花が散っているからだ。
一部負傷しているのが見て取れる。右腕に関しては外装すらしておらず、何かの鉄線や淀んだ魔製石が幾つか剥き出しになっている。
レートの記憶が蘇る。七歳の頃、町から戻る時だった。地中からそいつらが現れたのは。家よりも大きな甲冑を身に纏い、巨大な盾をいくつも浮かび上がらせる三体の機械兵士。もっともその時は魔製石が劣化し只の魔獣と化しただけでレスティンが軽く始末をつけた。
違いは“虚無の瘴気”を漂わせてはいないという事。
「なんでまたこいつが」
ふと、手をついてる大岩に違和感を覚えた。集中すると微かながらレスティンの魔力の余韻を感じる。
「母さんが結界を切ったからだ…」
「私にはこいつがなんなのかはわからないゾ!わかるのは、コイツから虚無の匂いがするって事だけだゾ!」
気味の悪い小さな金属音が鳴り続ける。仁王立ちする機械兵士の目と思われる部分。そこから黒針が溢れこぼれ落ちていた。無数の蟻の様に湧き地面に降り積もっては昇華されていく。完全に虚無に堕ちきっている。
ラトフの腕が魔力を帯び毛や尻尾が怒髪天を衝く勢いに立ち上がる。四つ脚に力が入り、正に襲いかからんとする野生の虎の形態を取った。
「おい!あんな物騒なヤツと戦うのか!?」
「私は戦うゾ!」
「町の人達を呼んだ方が良いって!」
ラトフは咆哮と共に機械兵士に突っ込んでいった。途中、宙に出たオレンジ色の二重の陣。中心の紋には虎の顔の描かれており、それにラトフは右腕を突っ込んだ。
拳と肘の二点に固定された陣は固定され、その間に激しい紫電が流れている。紫電が腕の間で往復するほどに魔力は膨れ上がり拳に魔力が溜まっていく。
「強化と反発し合う列式…」
レートは陣に描かれた術式を一部解読した。複雑な五元素の魔術が殆ど使えない獣人族は代わりに家系代々の得意とする固有術式を保有している。
無防備につっ立っていた機械兵士はラトフの接近に反応した。歪な手を向けると見たことの無い魔術陣が現れ楕円形の盾が召喚された。それは唸るラトフの爪撃を防ぐ。
押し切ろうとする爪。塞がんとする盾。
両者の間に削れ合う魔素の火花が飛び散る。
「ナァアアアウッ!」
鬩ぎ合いはラトフに軍配が上がった。盾を打ち抜き懐に入ったラトフは間髪入れずに装甲の薄い腹部を抉り取った。機械兵士は電子音を二、三音鳴らす。
「ラトフ強えぇぇぇ!」
勢いそのまま距離を縮めた虎は再び機械兵士に襲いかかる。次の標的はコードや歯車が剥き出しの右腕。手負いの箇所から攻める獣のセオリー。接近を妨害するように次々に召喚される盾が地面に突き刺さる。フェイントを織り交ぜながらラトフは盾の隙間を縫う様に駆け抜ける。
間合いに入りラトフの爪撃が狙い定めた右腕を捉える。獲った。と思われた機械の右腕は何故かすり抜け、隙が出来たラトフは岩の様な左腕で地面に叩きつけられた。
「アガッ!」
虚像。機械兵士は右腕を映像として映し出していた。余計な魔力を使ってまでフェイクを維持する答えはレートにはわからない。
起き上がらんとするラトフに古代兵器の左腕が襲いかかる。ビンタと呼ぶには相応しくない速度の平手打ち。衝突の瞬間に乾いた音が辺りに反響する。同時にラトフの姿が無くなる。探さずともわかる。近くの林の大木が爆発に似た音を立て土煙をあげたからだ。
「大丈夫か!?」
すかさず返事が聞こえる。
「はいっ!はいはいはい!私はとっても元気だゾ!」
何も無かった様にラトフは手を挙げながら林から飛び出した。レートとは違い屈強な魔力を身体に覆っている獣人のラトフは負傷を感じさせない。
尚も続く戦い。間合いに入ってもフェイクの右腕に翻弄され、ラトフの動きは徐々に悪くなる。無いものを避けてしまう。それが積み重なったほんの僅かな攻防の末。
「上だ!」
「ナッ!?」
油断したと言うべきか兵器の方が一枚上手だったのか、頭上に現れた巨大な陣。そこから大きな真四角の盾が現れた。それを交わしきれずラトフは地に押し潰された。
レートの感覚でほんの五秒ほど。
現れては落ちて消え。現れては落ちて消え。
うつ伏せのラトフに上空から巨大な盾の豪雨。盾の猛襲で地面ごとラトフを押しつぶしていく。短い時間の間に何十発。砂誇りが晴れ楕円の埋葬のように窪んだ穴。その中心で丸くなったラトフは動かなくなっていた。
不気味な電子音を出し古代機兵は左腕を伸ばした。大量の黒針が無機質な指の隙間から溢れ出る。
「だから言ったろうが!炎柱槍!!」
即席の雑念混じりの魔術。考えるより先に手が動いた。術式を重ねる暇の無い陣からは不安定な踊る蛇のような炎が放出された。
無防備な兵器の背中に炎が襲いかかる。しかしレートの魔術では猪すら殺せない。せいぜい気付かせるくらいが限界だ。それはレートも承知の上。
兵器は新たな魔力を感知し短い電子音を鳴らす。すぐ様、滑るようにレートに迫る。深い闇の目からは黒針が尚も溢れ続ける。
魔獣にはない虚無の恐怖心でレートの身体は竦む。途端、視界が振れる。何が起こったかわからず身体は糸が切れた玩具の様に空を舞った。骨が軋む音だけがレートの耳に届いた。
それは深く重い一撃だった。
叫び声をあげる暇もなく意識が身体から離脱しそうになる。殴られたのか蹴り飛ばされたのか体当たりなのか。それすらレートには確認出来なかった。
わかった事はゴミの様に叩きつけられた地面はとても硬く、激痛を引き起こす物と確認出来たという事だ。
ラトフとは違い魔力の質の低いレート。身体を覆う魔力にあまり意味はない。
レスティンに良く言われた言葉が頭に巡る。
『レートちゃんは魔素を体内で魔力に変換する時、限りなく魔力圧が下がるの。だからね。攻撃は“死ぬ気で避けないとダメよ”』
「死ぬほど痛ぇ…」
咳き込んだ拍子に口から血が吹き出た。淡くローブ内が光り、レートは呼吸を整える。苦痛を浮かべながらラトフに視線をやる。果敢に挑んだ末、呑気に気絶している無鉄砲者の虎娘。ラトフ。
再び機械兵士はクレーターのあるラトフへ歩みを向けた。
「未来視!」
【助けろ】
出現させた未来視の文字が点滅を始めている。
「ラトフのことだったのか…」
レートはその文字を睨みながら状況を打破する算段を立てる。
ーー魔製石を使い回復魔術をかけながら町に行って助けを呼ぶ。一時間もあれば戻ってこれるだろう。しかしラトフが助かる可能性は零に近い。そもそもさっきあったばかりの重罪の疑いのある獣人。人の忠告を聞かずに無謀に挑んだ命知らず。ましてや助ける義理なんて無いんじゃないのか。未来視の文字は黒色。頁が無くなっても十枚以下。今死ぬ危険に出るよりも遥かに安全だ。レスティンだって俺の為に頑張っている。ここで死ぬ訳にはいかない。“出来る事をする”。母さんが良く言ってた言葉。これは逃げるんじゃない。助けを呼びに行くだけだ。あー!くそくそくそくそ!違う!そうじゃない!ラトフがどうとかレスティンがとうとか!それは俺が弱いからだ。見苦しい言い訳だ!わかってんだよ!どうせ頁の回復は期待出来ないんだ。事実この三年間すり減っていく一方なんだ。逃げたところで今死ぬか。約九十日後に死ぬかなんだ。だったらーー
考えがまとまったレートの口元に笑みが溢れた。半端に出血の治った膝を立て上半身起こす。
未来詩の文字が先より点滅を早めレートを囃し立てている。
【助けろ】
「うるせーよ」
【助けろ】
「未来詩に言われなくったってな…」
【虎の娘を助けろ】
「女の子を見捨てる程まだ腐ってねーんだよっ!!」
膝立ちのままやけくそ気味にレートは陣を展開する。前方の地面に巨大な陣が現れる。複雑な魔素の列式。虚無の瘴気のせいか吸引口から伝う魔素は単魔素が多い。瞬時に状況にあった列式に計算し直す。次々に答えが導かれた陣が重なっていく。
七つ重ね終えたところで取り込んでいるはずの吸引口が力を弱めた。後は魔力を流し発動するだけだというのに。
「くっ!」
レートの体内で作られる魔力が既に限界に達していた。胸の中にある魔核がこれ以上の魔力合成を拒否し吸引口を閉ざした為だ。
意識が朦朧とする中、腹から鎖で繋がれた荒削りの楕円の水晶石を二つ取り出した。水晶石はレスティンが磨き上げ魔術式を込めた“最高水準の魔製石”。
それを両手で持ち倒れこむ様に陣の描かれた地面に突き刺す。
「全部もってこい!!」
発動した魔製石がレートの首元の吸引口を無理矢理広げた。辺りの空気中の魔素を全力で吸いとっている。レートの魔核や体力などを考えず。強引に。
魔素と自身の体内魔素を練り合わせ、強引に作られた魔力が胸から腕に伝い陣に魔力が帯びていく。
レートはその体制のまま白目を向き意識は中断された。
引き換えに陣の中から二つの刃が捻れ合う剣を持った炎の魔人が現れた。全身から大量の炎が零れさせ、今にも一辺を焼き尽くさんとする眼光を見せる。大きさも機械兵士を優に上回る。
魔術名“囚われた炎者と穿つ天牛の双角”。
マントの内側の光が輝きを増した。束の間の時間を得て意識がレートに舞い戻る。
「あっあっ危ねぇ!口から臓物が全部出たと思った…」
機械兵士は炎の魔人の魔力を感知しこちらを向いているが、足元のラトフから離れる気配はない。
「ラトフから離れろって言ってんだよ!」
炎の魔人を見据えてはいるが機械兵士はこちらに寄ってはこない。かといってこの魔人で攻撃したとしても、レートを通して生み出された脆い魔術。
機械兵士の厚い盾に潰されれば一撃で消えてしまうだろう。
「ぶっ放せ!!」
炎の魔人が術者に従い絡み合った剣を空に投げた。上空まで高く飛んだそれが花火の様に砕け散る。
影を探すのが困難なほど辺り一面を光の世界に変える。機械兵士は顔の方向を空に変え電子音を鳴らした。
「ラトフ!!」
その隙にレートはラトフの元へ駆け付けた。回復魔術が発動している魔製石をいくつもラトフの胸元に押し込める。
盾の衝突音が鳴り響く。
振り返ると魔神の居た場所に機械兵士が立って居た。地面にめり込んだ盾が魔人の消滅を知らせている。
「がっ!」
機械兵士が投げた石がレートを直撃した。無残に砂利を散らしながら転がる。離れたレートを無視する様に機械兵士は再びラトフに近づいた。
肩で息をするレートは這い蹲りながら掌を向けた。
ラトフの下に人間大の魔法陣が広がる。土が盛り上がり生きた柱のようにラトフを乗せ、うねりながら天に伸びる。
魔術名も無い全力のただの土柱。
「脆くて良い…少しでもラトフが生き延びれる時間を…」
機械兵士はまたも電子音を鳴らすと次はレートに歩み寄る。上空に移動したラトフはどうやら魔力探知の範囲外になったようだ。
「炎…柱槍…炎…柱槍」
朦朧としながら倒れたままの身体に鞭を打ち腕を伸ばし魔術を唱える。かすれ気味の陣は不安定に現れては消えていく。
「炎…」
音もなくゆっくりと滑り寄る機械兵士。漆黒の目から溢れでる黒針がレートには黒い涙に思えた。
小さな痙攣の後レートの肉体は強制的に意識の遮断を選んだ。