異空間収納
【土と水は混じり合い金と白に変わる。金は木と混じり火と白を生み出す。また、白は白と混じり細かな大五元魔素に新たに生まれ変わる。一定空間内における消費されない魔素は大五元魔素の均一を一定に保とうと結合連鎖を始める。無限に近い色の魔素が目紛しく溶け合い混ざり合う。しかしそれが濁る事は無い。絵の具は何種類も混ぜれば確かに黒く濁っていくだろう。それとは違う。彼らは結合する上限が決まっているからだ。結合回数が限界に達すると大量の白色魔素を飲み込み元の単魔素へと戻る。だから彼らの結合は決して間違える事はない。神樹様の持たない色を彼らは知る術がないという事だ。即ち“黒色”の魔素が自然発生するという事はこの世界において絶対に無い現象なのだ】
*魔素学における用語に習い、魔術学における五元素表記を一部大五元魔素へと訂正する。
著書:シャロン・シャクシャイム
協力者:コラフ・DE・ポトフ
大五元魔素における空間均一の法則。及び、大五元魔素における取捨選択結合の考察より一部抜粋。
カーテンから漏れる光。それを反射した色彩豊かな魔素達は煌びやかに顔色を変えていく。レートが目覚めたのは次の日の太陽が真上に差し掛かった時刻。昨日の魔術のせいで少し気だるい身体は立ち上がる意思を阻んでいる。
一つ溜め息をつき手を天井へと翳した。
「未来詩」
まずレートが取った行動は宙に魔術本を出現させる事だった。その本を開かずに人差し指を定規代わりにし厚さを調べる。数年前までならこういう突拍子な出来事で頁(寿命)が増える例もあったからだ。
「1ミリも変わってねーな」
階段の軋む音が聞こえる。レスティンが様子を見に来たのだろう。レートは慌てて未来詩を消した。家族とはいえ術者以外に未来詩が見える物ではないのだが。後ろめたさがレートの頭を横切った。三度のノックに返事を返すと扉は掠れた音を立てる。
「体調はどう?」
「よろしゅうございますお母様。おっ、久々に見たよ。その格好」
レスティンは照れながらローブの裾を広げ、花園の少女のようにクルリと回った。
鮮やかな乳白色に金糸雀色の刺繍が入っている法衣。レートより少し明るい赤髪と調和が取れ映えている。
所々少しくたびれているが裾の魔列式は丁寧に描かれている。
耐毒、耐錆、耐五元魔素。数え切れない程の耐性を秘めているのだろう。
両の手から覗く銀の腕輪。細かな竜の装飾が施され緑の魔製石がいくつも嵌め込んである。足先の質素に見える皮靴から耳のピアスまで。全身の装備を町で売却するだけで大きな家がいくつも買える代物だろう。
いや、皆目見当がつかず値がつけられない物もあるかもしれない。遥々(はろばろ)の大魔術師、グリムデリム・レスティンの完全武装。
「いつも思ってたんだけど背伸びした小さい子みたいだよな」
十四歳のレートより少し低い背が法衣の裾を地面に引き摺らせている。
「あらあら、母親を口説いても何も出ないわよー」
「口説いてねーわっ!」
上機嫌のレスティンは鼻歌を歌いながらレートが寝ているベッドに歩み寄った。
「んー。おかしいわねぇ」
本来の異次元収納と呼ばれる術が現れる、レートの右腕辺りを見つめレスティンは頬に手を当てた。
やはりあるべき場所に異次元収納は備わってはいない。
昼食を促され居間に降りる。レスティンは宙に映像を映し出しながら小指を回しテーブルに皿やナイフを浮かべ並べた。同時に地下室の方から魔術本を二冊呼び寄せ、何かを書き留めている。映像の方には巨大な人型の機械が映り街を暴れまわっている。
レスティン曰く、世界の記憶の映像らしい。
それが目に入ったレートは何かを思い出し、引きつった顔をしながら目線を逸らした。
食事を終え暫くして食器の片付けをしていたレート。背後から突き刺さる視線を感じる。
「なんだよ。何か用?母さん出発の準備は出来たの?」
むむっと目を細めるレスティン。嫌な予感がし、レートは母親と距離をとった。身のこなしもレスティンの足元に及ばないレートは台所の隅に追いやられ徐々に逃げ場をなくしていく。
「その顔はダメなやつだ!にじり寄ってくんな!」
「あらあら、レートちゃん。警戒しなくても何もしないわよ。ちょっと上着を捲るだけ。ね?」
「い!や!だ!よ!」
ぶっ飛んだ発言と共にコーナーに詰められる。
近づいたレスティンが本来あるべき場所、袖上の異次元収納に手を入れ魔鏡広角拡大鏡を取り出す。それを持ってどこかの探偵のようにレートの腹を観察している。
「早く?脱いで?」
「脱がねーよ!なんで思春期の息子が母親に」
レスティンはいつもの困った顔をしながらレートの肩に優しく両手を置いた。
「えいっ」
言うや否やレートの上着は破けた。どう引き裂いたらそうなるか分からないほど散り散りにシャツの破片が部屋を舞う。
「いやああぁぁ!ケダモノっ!」
レスティンの無茶難題(無理難題)と未来詩の支離滅裂な指令で意外と鍛え込まれた上半身が露わになる。虫眼鏡でレートの腹部を凝視しながらレスティンは何かに気付いた。
「ほほう。これはこれは」
少し息の荒いレスティン。まじまじとレートの腹部を見つめる。暫く関係の無い上半身や首筋を散策した後、ヘソの辺りで虫眼鏡がピタリと止まった。レートが慌てふためく度に腹が波の様に小さく揺れている。
「なるほどねぇ」
「何がなるほどなんだよ」
「丹田に魔力を集中させなさい」
口調が変わる。眉を少し寄せ魔術を教える時の顔をレスティンはしていた。
「わかった。わかったよ」
渋々納得し首の後ろにある毛穴より小さな魔素の吸引口に力を入れる。部屋に漂う魔素がレートの首筋に吸い込まれていく。それを体内の魔素と練り合わせ魔力に変え丹田に集中させた。途端レスティンは鋭く早い抜き手を腹に刺した。レートの目に止まる事のないスピードで。
「……はぁ!?」
レスティンはレートの腹に、肘まで腕を突っ込み「ふむふむ」と、何か探っている様だった。ぼんやり光る腹部は緩い波紋を小刻みに広げる。レートは冷や汗をかきながら仕切りに背中とお腹を交互に確認した。
「母さん!えぇ!?痛く無いっけど!手が貫通してないし!えぇ!?」
レスティンは含み笑いを我慢しながら未熟な魔術師の疑問に答えた。
「術が発動したようだけど不思議ねぇ。この前の収納魔術は腕にかけたのよ。現に私は腕に備わっているわ。それが…お腹にくるなんて」
「おい嘘だろ!」
こうして腹に異空間収納を備えた間抜けな新米魔術師が誕生した。
「ああぁぁぁ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!見た事も聞いた事もねーよ!腹に収納ってなんだよ!カンガルーじゃねーか!嫌だよこんなの罰ゲームだよ!」
頭を抱え自室で叫んでいると階下から声がする。
「ペロちゃんが怖がるから叫んじゃダメよー?」