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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

VRMMOをプレイするのは、サムライ猫なのかもしれない?[短編]

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 零の巻「プロローグ・噂の猫」

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 三次元実体験フィードバック機構付き最先端ゲーム、VRMMO「ゆ~とぴあ☆」。


 脳と電脳を接続することにより、現実世界と同じ体感覚で、

 楽園のような仮想世界を冒険できる。夢のようなゲームだ。


 動物‐獣人‐半獣‐人間と、

 4段階を自在に変化エヴォルトすることができ、

 それが面白いということで爆発的な人気を博した。

 今や日本では、三人に一人は「ゆ~とぴあ☆」のアクティブユーザーと言って、過言ではない。


 日本の3000万ものケモナーに愛されるこのゲームに、

 数ヶ月前から、ある一風変わった噂が流れた。

 規格外の強さを持った、黒い猫があらわれたのだ。

 いくたの猛者もさを蹴散らし、まるで雷のように、荒野を駆けめぐる。


 カタナを口に結わえたサムライ猫。

 毛並みは紫黒しこくで、瞳は紫。

 稲妻のごとく颯爽と現れ、目にも止まらぬスピードで走り回ることから、人々はいつしか彼女のことを


 「雷神らいじん


 そう呼ぶようになっていた。

 これは、彼女がいかにして雷神と呼ばれるようになったのかを、つづった物語である。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 壱の巻「インストール」

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 真っ白な空間を、ぼくは切り裂くように降下していった。

 なぜ落ちているのか?

 そんなことを聞かれても、ぼくにもわからない。

 わけがわからないから、ぼくは


「にゃわうううううううううううううう――――っ!

 落ちりゅううううううううううううううううううううううっ!」

 とあらん限りの声で叫びながら、体をジタバタさせるしかなかった。


 着地地点が見えないだけに、余計に怖い。

 いや、地面が見えてても怖いけども。

 いったいどこに落ちているのだろうか?

 これはもしかして、死ぬやつなのだろうか。

 こういうときは思い出が、走馬燈のように思い出されるって、聞いた。

 けど全然だ。

 何も浮かんでこない。

 ろくな人生じゃなかったのだ。

 そのかわりに、幾つものプログレスバーが、僕のまわりを追いかけるように、ついてきた。

 パソコンで何か落とすときとか、インストールするときとかに、進行状況をあらわすやつだ。


 黄色のゲージが伸びてバーを満たし、緑色に光ると消えた。

 そして新しいプログレスバーが次々と現れる。


「...生体識別完了。」

「...最新パッチ・セット、ダウンロード完了。」

「...最新パッチ・セット、インストール完了。」

「...ユーザーネーム、きなこ。ログイン。」

「...固有キャラデザイン、認証待ち。」「...認証完了。」

「...固有キャラデザイン、ダウンロード完了。」

「...固有キャラデザイン、インストール完了。」

「...ユーザーと肉体のデタッチ開始。」


 これらはいったい、何なのだろうか。

 デタッチ開始という文字列が流れた途端、

 とつぜん、体が火を噴くように熱くなった。

 そのためぼくは

「ぎゃあああああああ、体が引き裂かれりゅうううううううううううっ!」

 と、暴れてまた声を上げてしまった。



「...ユーザーと肉体のデタッチ完了。」

「...ユーザーとキャラのアタッチ開始。」


 今度は、何かに自分の体がくっつけられる感じだ。

 かちっとはまって、しだいに熱が収まっていく。

 見ると、ぼくの体が変わってる。

 人間だ。

 猫の体が、人間に置き換わっている!


「...ユーザーとキャラのアタッチ完了。」

「...ログレスへ接続。」「...コンプリート。」




 恐怖と絶望のトンネルをくぐって、叫び疲れた。

 目を開けると、ぼくは赤い絨毯の上に、立っていた。

 部屋だ。ここはどこかの部屋みたいだ。

 石造りで上品だから、どこかの屋敷だろうか。

 寝室のようだけど、他に人はいないようだ。


 ぼくは自分の両手を見た。

 すごい。

 ぼくは、どうなってしまったんだ?

 ごく普通の、どこにでもいるメス猫だったのに。

 気がついたら、人の姿をしている。


 鏡だ。鏡を探そうと思って、ぼくはあたりを見渡した。

 地図や、モンスター? の絵が、壁に飾られてる。


 西洋の部屋だろうか。

 いやしかし、ここにかけられている地図は、地球の地図ではないらしい。

 知ってる地形も、知ってる地名も、どこにもない。

 なにかのファンタジーゲームの地図なのだろうか。

 やけに手が込んでいる。


 モンスターの絵もそうだ。

 描写がとにかく細かい。

 樹齢何千年もの朽ちかけた木のように、青白い竜。

 崖の上から大きくこちらに咆哮する姿は、威圧的だ。

 名前は、なになに?

 ファントム・ドラゴンだって?



 ぼくは、大きな建て鏡の前に立って、自分の姿を見つめた。

 紫黒しこくの髪に、紫の瞳、人間でいうとローティーンの、少女の姿だ。

 けど髪型はこれ、サムライカットというのか?

 頭の後ろで髪を結んで、一本にまとめている。

 女性の侍によく見られる髪型だ。

 それに、この服装も和装。


「気に入ったかい?」


 声のした方に振り向くと、ベッドの上に小動物がちょこんと立っていた。

 頭にパイロット帽を被り、大きなゴーグルをひたいにかけている。

 ピンク色の鼻、白い毛並み、黒い瞳。

 小ぶりだから、オコジョか?


「わたしの名前は、ゼペットだ。

 このVRMMOにおいて、特定の固有ユーザーのガイドを、担当している。

 きみのキャラデザインをしたのも、わたしだよ。」

「VRMMO?」

「Virtual Reality Massive Multiplayer Online。

 つまり、仮想現実大規模多人数オンラインのことだ。

 平たく言うと、きみはいま、ゲームの中にいるってことさ。」


 なにを言ってるのだ。このオコジョは。

 ゲームの中って、とつぜんそんなことを言われても。

 そんな夢みたいな話……。あっ、そうか。夢か!

 これは夢なんだ。

 夢ならとんでもないことが起こっても、不思議じゃない。

 いやでも待てよ?

 じゃあこの部屋はぼくの夢なのか?

 じゃあさっきの白い空間は?


 ゼペットは指を振って、半透明のパネルを呼び出した。

 パネルの中に映像が流れ始める。

 住宅地の道路らしい。

 その中を一匹の猫が歩いている。

 あ、あれは、ぼくだ。

 ぼくはもともとは猫だったのだ。

 どこにでもいる平凡なメス猫。それがぼくだった。

 ゼペットは声のトーンを落として

「まずきなこに、非常に残念な知らせをしなければ、いけないのだが……」

 と切り出した。

 

「実は、きみは交通事故で、タンクローリーにひかれてしまってね。

 ほら、そこに幼女がいるだろう?

 きみは、あの子をかばったんだ。

 幸運なことに、幼女は助かったが……、きなこは……。」


 いっしゅん、なにを言ってるのかわからなかった。

 ひかれてしまったって。どういうことだ?

 それってまさか、と口をぽかんと開けるぼくに、ゼペットはうなずいて言った。


「きなこは、……死んだんだ。」


 映像の中のぼくが幼女に向かって飛び、幼女はぼくにぶつかって助かった。

 けれどそのかわり、映像の中のぼくは、タンクローリーに吹っ飛ばされた。


 こんな記憶、ぼくにはない!

 記憶が無いのに、そんな。ありえない!

 ゼペットにそう言うと、


「重体だったからね。脳もぐちゃぐちゃだったし。

 記憶障害が起きてるのかもしれない。」


 脳がぐちゃぐちゃって。あんた。

 またまたご冗談を……。

 そらネコがタンクに突っ込んだら木っ端みじんだろけどさ。

 もうちょっと言い回しってもんがあるだろに。


 でも、もしそれが本当なら。

 死んだのにどうして、ぼくはここにいるんだろう。

 ぼくはたしかに生きてる。

 われ思う。ゆえに我生きてる。

 デカルトのおっさんもそう言っていたではないか。

 ぼくの素朴な疑問に、ゼペットがこたえてくれた。


「それは、このVRMMOの法人を運営している社長の、取り計らいだ。

 幼女は社長の令嬢だったんだ。

 もちろん最初は、重体だったきなこを集中治療室に運んで、肉体を蘇生しようとしたんだけど、

 ところが、原形をとどめていなかったものだから、そのかわりにと。

 きみにプレゼントを、贈ることにしたんだ。」


 ゼペットはパネルを操作して、映像を切り替えた。

 猫のシルエットと、ネットワークのシルエットが浮かんだ。

 猫からネットワークに、右矢印が、ちこちこ点滅する。


「もう気がついてるかも知れないけど、

 プレゼントというのは、このVRMMOを永久無料で、楽しむ権利のことだ。

 本来は人間のゲームだから、猫がログインすることなんて、通常出来ない。

 ところが、きなこが亡くなる直前、こうやって猫だったころのデータをスキャンすることで、バイオコンピュータに、きなこの脳を転写したんだ。

 バイオコンピュータは、VRMMOに接続することが出来る。」


 猫のシルエットが消えて、ネットワークのシルエットだけになった。

「コングラッチュレーション!」


 いやいやいやいやいや!

 コングラッチュレーション! じゃねーよ!

 ぜんぜんめでたくないわ! 

 命の恩人をコンピュータに転写して、ゲームの世界にぶっこむって。

 触れてはいけない生命の禁忌たくさん犯してるよね!?

 ぼくが声を荒げてそう言うと、ゼペットは「まあまあ」とぼくを落ち着かせようとした。


「そうは言っても、せっかく新しい世界を体験できるのに、それを楽しまないと損だとは思わないかい?

 まっさらな自分になって、新しい人生を歩めるんだよ?

 きなこの体は、この世界でも飛び切り魅力的に見えるようデザインしたし、

 この世界なら、きなこはモテモテ間違いなしだ。

 特典で固有スキルをつけておくから、強さにおいても、きなこはどんなプレイヤーよりも強くなれる。

 きなこは皆から頼りにされて、チヤホヤされるんだ。」



 元の人生をもう一度やり直せると聞いたら、もちろんお断りだったけど、

 ゼペットの話を聞いているうち、

 そんな人生ならぼくも体験したいと思うようになっていた。

 前世でぼくは、ずいぶん惨めな思いをしたような気がする。

 他の人たちを羨んで過ごしていた気がする。

 新しい人生というのなら……。

 しかも人生イージーモードというのなら、

 それは、ぼくが空想していた世界そのものではないか。


 ……やってみようか。

 第二の人生。

 




ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 弐の巻「激戦」

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 太陽がちょうど頭の上にかすんで見える。

 ぼくは霧がかった森の中で、樹齢何千年もの朽ちかけた木のように青白い竜、ファントム・ドラゴンに追いかけられていた。


「いやあああああああぁぁぁ!!!

 ついてこないでええええええええっっっっ!!!」


 と、あらん限りの声をあげて逃げる。

 ファントム・ドラゴンは猛スピードでケダモノのように突進してきた。

 幸い、足の速さは負けていない。

 ぼくは洞窟を見つけると、その中に飛び込んだ。

 洞窟の入口は、ファントム・ドラゴンが通れるほど大きくない。

 洞窟の中でぼくは、ほっとひと息ついた。


 洞窟の外からはファントム・ドラゴンのグルルという鳴き声が絶えず聞こえる。

 逃げ込んだは良いが、今度は出られなくなってしまった。


 何であんなおっかないモンスターがいきなり追いかけてくるんだ。

 どうしたものかと思っていると、洞窟の奥から人影が現れた。

 男が三人と、年若い女性が一人だ。

 四人とも鎧を身に着け、マントを背に羽織っている。

 腰には剣を携えていて、すぐに騎士なのだとわかった。

 女が嬉しそうに声を上げて言った。


「やはり、私が言った通りではないか!

 煙弾は無駄にならなかった。

 救難信号に気がついた人たちが、我々を助けに来てくれたのだ!」


 はしゃいでいる女の後ろで、男の一人がまさか、と驚く。

 残りの男も言葉を失っている。

 ぼくがわけもわからず困惑していると、女はぼくの両手を掴んで、自己紹介をした。


「私の名前はサーシャ。あなたは?」


 ぼくの名前は、きなこだけど……と、自己紹介を返すと、サーシャは笑ってこう答えた。


「ニャー?

 ニャーと言うのだな! よろしく、ニャー」


 サーシャは白い肌を嬉しそうにほころばせ、

 顔にかかった亜麻あま色の髪を手ですいた。


 まずいな、……これ。

 伝わってない。


 ぼくのことでガヤガヤ四人が話し始めて、ぼくはようやく状況がわかってきた。

 どうやらこの四人は、この洞窟に前から閉じ込められているらしい。

 外にはファントム・ドラゴンが二体いるが、レベル差が大きすぎて倒せないため、

 煙弾を撃って救難信号を送ったり、洞窟の奥を掘り進めて新しい出口を作ろうとしたりして、現状から脱出しようとしていた。

 そこに、ぼくが現れた。

 ぼくが一人だけだと知った四人は、かなりガッカリしているようだった。

 それに、ぼくが自分を追いかけていた三体目のファントム・ドラゴンを、洞窟のすぐ外まで連れてきたと気がついてからは、四人はより一層、もはやこの世の終わりのように、しょげこんでしまった。


「クッ、これまでなのかっ……!

 私たちはもはや、ここで死ぬしかないというのかっ……!」


 と、サーシャが悔しがった。

 そんな、おーげさな!

 だってこれ、ゲームでしょ?

 戦闘不能になっても、またやり直せば良いやん。


 だいたい、洞窟に閉じ込められて逃げられないからって、洞窟を剣で掘ろうなんて、アホすぎて話にならない。

 口に出して言いたかったが、


「姫。また、かの者がニャー、ニャー言っておりますが……。」


 と、話にならない。

 そう。言葉が通じないのだ。

 残念ながらこいつらは、ぼくの言葉を理解する知性を持ち合わせていない。


 ぼくは、自分のステータス画面の確認をすることにした。

 オコジョのゼペットが言うには、ぼくのステータスは最初から高めに設定されてるらしい。

 ゼペットがしていたように指を振ると、半透明のメニュー画面が目の前に現れた。

 そこからステータス表示を選択する。


--------------------

名前 :   きなこ

レベル:   75

種族 :   ネコ(きなこ)

職業 :   サムライ(きなこ)

HP :  7412/7412

SP :  63/63

筋力 :  42

敏捷 :  88

【スキル】 ブーストレベル1、ピンチにブースト、カタナ装備可能

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 レベル75……。

 このゲームの基準はわからないけれど、それなりに高いことはわかる。

 ぼくがメニュー画面を見ているのに気がついて、サーシャが振り向いた。

 そして、衝撃を顔にありありと浮かべた。


「レレレレレレ、レベル75!!?」


 残りの三人も顔面ブルーレイである。

 そんなに凄いのか? と聞いたけれど、言葉が通じないのだから、やはり質問は伝わらなかった。

 我に返って「行けるっ……!」と、決意を新たにするサーシャに、四人の中で一番年長の男(ちなみにこいつは、マルコというらしい。)がうなずいた。


「ファントム・ドラゴンのレベルが62。

 我々の平均レベルは45。

 四人では勝てませぬが、レベル75が一人加われば……。

 早速、準備に取り掛かりましょう!」


 勝手に決めやがって……。

 ぼくの意見なんて、聞いていない。

 なんて自分勝手なのだ。

 しかし、ぼくにとっても、ここから出ないことには仕方ない。


 ぼくは四人とともに、洞窟脱出作戦を決行することにした。

 作戦はこうだ。

 まずぼくが洞窟から飛び出して、ぼくが三匹の注意を引きつけてる間に、四人が三匹を片付ける。


 作戦に穴がありすぎて、ツッコむ気になれないが、敢えてツッコむとしたら、

 さらっとぼくを囮役に任命しているところだろうか。

 レベル75であっても、相手が62もあるなら、手こずりそうだ。

 二匹と言わないまでも、せめて一匹くらい引き離してくれたら楽になるのになぁ、とぼくはぼやいた。


 イグルが、洞窟の奥から馬を連れてきた。

 どうやら奥に荷台付きの馬車があるらしい。

 シャドウ・ドラゴンは足が速いから、馬でないと相手にならないと言っていた。

 4匹しかいなかったので、サーシャ、マルコ、イグル、モーガンが乗ることになった。

 ぼくは馬には乗れない。

 乗りたいかどうかくらい、声をかけてほしいものだ。

 ぼくが、日本人の精神を教育してやった方が良いのだろうか、とも思ったが、他人は他人か、と思い直した。

 サーシャ姫が声を上げた。


「行くわよ、ニャー!」


 ……鳴き声かな?

 と、いちいち全部反応していたら、体が疲れてしまいそうだ。

 ぼくは洞窟から駆け抜けた。

 洞窟のすぐそばにファントム・ドラゴンが一、二、三……四匹!?

 数が増えてる!!


 霧の中にファントム・ドラゴンの目が鋭く光る。

 ドラゴンたちの雄叫びが聞こえて、一斉に襲いかかってきた。


 まずいまずいまずいまずい。

 一匹増えてるとは、計算違いだ。

 一人で四匹からターゲッティングされるのはまずい。


 振り返ると、サーシャたちは既に洞窟から出ていた。

 そして洞窟の出口から横に広がった。

 作戦中止だと声をかけたが、伝わらなかった。

 ぼくが予定通り直進すれば、ドラゴンの背後が取れる。

 仕方ない。

 やるしかない!


 すんでのところで、ぼくはドラゴンの牙をかわした。

 一匹避けても、次の一匹の鉤爪が飛んでくる。

 間一髪でそれも避けたが、人間の体だからか。

 体が動かしにくい。


 そのとき、サーシャたちの雄叫びが聞こえてきた。

 ドラゴンの背後について、襲いかかったに違いない。

 体を起こして飛びかかってこようとするファントム・ドラゴンのすぐ上に、サーシャの姿が見えた。


「もらったああああああぁぁぁぁ!!」


 と、ズバッとドラゴンに斬り込んだ。

 しかし、甘い。

 レベル差があり過ぎるからか。

 ドラゴンは怯むことなく振り返って、標的をサーシャに切り替えた。

 残りのドラゴンも、それぞれ三人の男に斬られたが、まだピンピンしている。

 それぞれ、ぼく以外に標的を移した。


 言わんこっちゃない。

 これは最悪のパターンだ。

 全員がバラバラに、ドラゴンと追いかけっこを始めてしまった。

 もちろん、ドラゴンが追いかける側だ。


 ぼくとこの四人とは関係ないから、見捨てることだってできる。

 面倒な連中とは付き合わないに限る。

 けど、このゲームを始めたときの気持ちをすぐに思い出した。

 あのときぼくは、生まれ変わった新しい人生を歩もうと決めたではないか。

 今のぼくには、それを叶えることができるだけの、力がある。

 それなら、……ぼくは、サーシャを追いかけていたドラゴンに突進した。


 ドラゴンは吹っ飛び、枯れ木をなぎ倒していく。

 武器がないから突進したのだが……

 そういえばカタナ装備可能とか書いてたっけ。


 ファントム・ドラゴンが立ち上がった。

 さすがに一撃では倒せないか。

 ぼくはサーシャに、洞窟の中に撤退するよう伝えた。

 他の人間も引き連れて、早く洞窟の中に戻るんだ。


 ぼくは、ファントム・ドラゴンと対峙して、空手の構えを取った。

 これでもぼくは、空手の黒帯を持っているのだ。

 いつでもかかってこいや、この野郎が。


 ファントム・ドラゴンが飛びかかってきたのを横に避けて、すぐさまぼくは身を翻し、ジャンプしてファントム・ドラゴンの背後に正拳突きをかました。

 ファントム・ドラゴンが霧を切り裂きながら、遠くに吹き飛んでいく。


 状況を確認しようと、身体の感覚に神経を集中した。

 サーシャが、まだ逃げてない。

 クソッ、言葉が通じなかったんだ。

 他の三人は……、一人の悲鳴が聞こえた。


 ぼくはサーシャの腕を掴み、洞窟の方に走った。

 身振り手振りで、洞窟の中に入れと言っていることを伝える。

 他の三人もだ。

 声をかけて、避難するように言え!


 ようやく意味が通じたらしく、サーシャが撤退の号令をかけた。

 まだ生き残っていれば……良いが。

 ぼくは悲鳴が聞こえた方に走った。

 そんなに遠くではない。


 ファントム・ドラゴンは、イグルを手で地面に抑えつけていた。

 片腕を食われたか。右腕がない。

 HPのゲージが赤くなっている。

 馬は逃げたようだ。


 雄叫びをあげるファントム・ドラゴンに、ぼくは飛び膝蹴りをかました。

 ドラゴンはゴロゴロと転がり、木にぶつかった。

 ぼくはイグルのもとに駆けつけた。

 ダメだ。下手に動かせないぞ、これは。ひどい怪我だ。


 ぼくはイグルを引こずって草むらに隠した。

 そして、残りの二匹を探した。

 二匹はマルコとモーガンと戦っていた。

 馬上では戦いにくいから、馬から降りているのだろう。

 この二人は、イグルほど怪我を負っていない。

 だが劣勢だ。

 HPのゲージは既に、半分を下回っている。


 ぼくは、二匹と二人の間に割って入った。

 二人に身振りで洞窟に帰るよう伝える。

 そこでサーシャの声が聞こえた。

 撤退の号令を叫びながら、洞窟の外にまだいるらしい。


 まったく……。

 マルコとモーガンは、洞窟の方に逃げていった。

 残るのは、二匹のドラゴンと、……さっき相手した二匹のドラゴンも加わってきた。

 ぼくのことを、追いかけてきたのか?


 まさか四匹を同時に相手するなんてな。

 だが、さっき戦った感じだと、やれないことはない。

 一度逃げて、隙を見てゲリラ的に攻撃を加えれば……。


 そのとき、ファントム・ドラゴンが叫んだ。

 四匹同時にだ。

 しかし襲いかかってくる様子がない。

 すぐに、ズシンズシンと、巨大な地鳴りが聞こえたきた。

 地面が揺れている。

 ぼくの背後から…………これは!


 背後にいたのは、ファントム・ドラゴンよりも巨大な竜だ。

 五階建てのビルくらいの体長はあるのではないか。

 普通、ゲームの最初って、スライムとかそんなやつを相手にさせるべきだろ……。

 なんでいきなりこんな、ハードゲームになってるんだ。

 こいつのレベルって、いくつだ?

 もしかして、ぼくよりも高いんじゃないか……?


 ……いや、そんなこと考えても仕方ない。

 こんなのが洞窟の外にいたら、一生外に出られなくなってしまうではないか。

 今戦っても、後で戦っても、同じことだ。


 それに、イグルの治療だってしないといけない。

 あの怪我を放置していれば、いずれすぐにくたばってしまう。

 ぼくに残された時間は、おそらくそれほどない……。


 やるしかない!

 ぼくはビルのように大きな竜に向かって、飛びかかった。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 参の巻「救いの手」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 一瞬、何が起きたのかがわからなかった。

 記憶にあるのは、ビルほどの大きなドラゴンに飛びかかったあと、目の端に黒い影が見えたというところまでだ。

 そこから先は、気がついたら強い衝撃とともに吹き飛ばされていた。


 ぼくは地面を何回転もゴロゴロ転がった。

 脳がグワングワンする。

 なんだこれ……っていうか、ちょっと待てよ! これ!!

 ちょおおおおおおおおお痛いんですけどおおおおおおおおおおっっっ??!!


 いってえええええええええぇぇぇっっっ!!

 ゲームじゃなかったのかよ!! とぼくは口汚く罵った。

 立ち上がって、口の中の血をペッと吐き出す。


 HPは四分の一が削れている。

 ナメた真似しやがって……。

 信じらんねえ!


 女の悲鳴が聞こえてきた。サーシャだ。

 霧の向こうで、サーシャが例のどでかいドラゴンを前に立ち尽くしている。


「レベル83、ミスト・ドラゴン……!?」


 ぼくは大声を上げて、今すぐに逃げろ! と叫んだ。

 お前がいても足手まといになるだけだ。

 それより、安全な場所に避難しろ!


 しかし、伝わらない。

 平均レベル62のファントム・ドラゴンが四匹に、レベル83のミスト・ドラゴンが一体か。

 まったく、本当にツイてないな。

 あとでゼペットのやつを袋にしないと気が済まない。


 状況はきわめて劣勢だ。

 初めて来た霧の深い森だし、こちらには守るべき女がいる。

 レベル75のぼく一人で切り抜けるのは厳しくはないか?


 ぼくはドラゴンの注意を引くため、ミスト・ドラゴンに向かって跳躍した。

 だが、ミスト・ドラゴンの尻尾でまた弾かれる。

 ――今度は見えた。

 警戒していたから、ドラゴンが高速で体をひねり、尻尾を振ってきたのが見えたのだ。

 ぼくは両手でそれをガードした。


 キツいが、ガードすれば耐えられる。

 倒せない相手ではない。

 やるしかない!


 サーシャがファントム・ドラゴンと戦おうとしている。

 勇ましいのは結構だが、すぐに負けるのは目に見えている。

 ぼくはファントム・ドラゴンとサーシャの間に入って、ファントム・ドラゴンに廻し蹴りをした。

 首を振って、あなたはここに居るべきではないと、サーシャに伝える。


 背後に気配を感じる。

 まずいっ! と振り返る前に、ファントム・ドラゴンの鋭い爪がぼくの身体を引き裂いた。

 クソッ!!


 HPは既に半分ない。

 立て続けに襲ってくるファントム・ドラゴンの爪や牙を避けて、ファントム・ドラゴンに腹いっぱいの連打を加える。

 それで二体のドラゴンを葬った。


 ファントムの方は、大したことない。

 すぐに片付けられる。

 問題はミスト・ドラゴンの方だ。

 今のところ、向こうからは襲ってこないが、それは仲間のファントムがぼくのすぐ近くにいるからかもしれない。

 つまり、ぼくがファントムを全部殺ったら……

 やっぱり!

 最後のファントム・ドラゴンを倒した途端、ミスト・ドラゴンが臨戦態勢に入った。


 ぼくのHPは……もう黄色くなっている。

 そしてあろうことか、時間とともにジワジワそのゲージが削られている。

 傷を負っているからか。

 血が吹き出てるから、それがステータス異常の毒みたいになっているんだ。


 あ、あのさ……これ。

 これダメだろ……もうこれ……。

 常識で考えて、無理ゲーすぎるんだが……。

 体中が、滅茶苦茶痛いんだが……。


 サーシャが雄叫びを上げてミスト・ドラゴンに斬りかかった。

 さすが姫騎士といったところか。

 型と威勢は見事である。


 しかしミスト・ドラゴンにはほとんど効果がなかったらしく、尻尾を振ってサーシャをあしらった。

 サーシャは尻尾を避けようとしたが、かすったのだろう、近くの木に激突して気を失った。


 口の中が鉄臭くて、ほろ苦い。

 諦めたい。

 諦めたい。

 いつものように、温かいぬくぬくした部屋で、何もすることなく、自由気ままに生きていたかった。

 たとえタダ飯食らいと罵られ、惨めな思いをしたとしても、こんな痛い思いをするくらいなら……。

 こんな思いをするくらいなら……。

 ぼくは、拳を握って震えた。

 ミスト・ドラゴンの鳴き声がとどろく。

 ぼくは微かに笑った。

 どうしようもないと悟ったとき、人は自然と笑ってしまうものだ。

 わかったよ。……これで最後だ。

 戦闘不能になるまでは、もう少し続けてやろう。

 そしてこれでもし負けたなら、……

 これが最後の……と思ったその瞬間、ぼくの身体に急激な変化が起きた。

 体が光に包まれる。


《ピンチにブーストが発動しました。》

《ブーストレベル1:動物アニマルモードに変化エヴォルト。》

《ブーストレベル1:全ステータス補正プラス10%。》

動物アニマルモード:全ステータス補正プラス30%。》


 目の前に文字列が浮かんできた。

 これはいったい……。

 傷口が浅くなっているし、霧の中なのに目が凄くハッキリする。

 頭がクリアに感じられて、自分の周りの時間が一気に遅くなった気がした。

 いやそれより……猫の身体になっている!

 黒猫だ!!


 動かしやすい。

 人間の体とは大違いだ。

 ぼくはミスト・ドラゴンを見上げた。

 これはっ…………、行ける……っ!!


 ぼくの跳躍の速さに、ミスト・ドラゴンは反応がついてこなかった。

 尻尾を振るより速く、ぼくの正拳突きがミスト・ドラゴンの頭を突き破る。

 手応えアリだ……。

 っつーか頭が弾け飛んだ!


 ミスト・ドラゴンはシュワシュワと霧のように消えていった。

 最後の最後で、まさかの大逆転を決めたのだ。



 その後、ぼくたちは再び洞窟の中に戻った。

 サーシャ、マルコ、モーガン、そして奇跡的にイグルも、生き残っていた。

 逃げてしまっていた四匹の馬も、回収できた。

 ぼくは、動物アニマルモードになってちょうど30秒後、元の人間の姿に戻っていた。

 痛みも凄いけれど、体がヘトヘトで、しばらく動ける気がしない。

 あの変身のあとにドッと疲れが来た。

 戦いが終わって気が抜けたから、ということもあるのかもしれないが、

 それよりも、動物アニマルモードに問題がありそうだ。

 身体に相当の負担がかかるに違いない。


 イグルに薬草を与えるマルコ。

 サーシャは、ぼくに

「ニャー、あなたは何者なのですか?」とたずねた。


「レベル75ほどの実力者、王国を見渡してもそうそういないことなのに、

 レベル83のミスト・ドラゴンを一撃で……。

 信じられない……。

 この目で見てなければ、信じませんでした。

 あなたは、いったい……?」


 やはり、75という数字は、それなりに高いのだろう。

 しかし、ゲーム運営者からの計らいで、そんなステータスを得たなんて、流石に言えない。

 どうやら全くいないこともなさそうだから、我流で頑張ったと答えたのだが、

 サーシャが当惑しているのを見て、しまったと、ぼくは頭を抱えた。

 言葉が、……通じないのだ。


 サーシャはぼくのことを知りたがっている。

 ぼくのことを知りたいのは、ぼくも同じだ。

 さっきの変身が何の作用によるものなのか。

 何が引き金トリガーとなったのか。

 その疑問は、ステータス画面を開いてすぐに確認できた。


 スキルの説明だ。

 ピンチにブーストというのは、

「瀕死状態になったとき、自動的にスキル・ブーストを発動させる。」というものらしい。

 あの時ぼくは、HPがジワジワ減っている状態だったから、気がつかないうちに条件が満たされたのだろう。


 ブーストレベル1というのは、

「SPを全て消費して、動物アニマルモードに強制変化エヴォルト

 全てのステータスが10%補正される。

 効果時間:30秒。発動後、24時間ブースト不可。」


 変化エヴォルトは、このゲーム特有のシステムに違いない。

 ぼくが一時的に猫に戻ったのも、それが原因だ。


 レベルが75あって、

 こうした特殊なスキルがあるから、こんな高難易度なエリアに飛ばされてきたのだろうか。

 たしかに、ファントム・ドラゴンは、ぼくにとっては雑魚だったが……。

 クエストというメニューを開くと、

 そこにこう書いてあった。


「サーシャ姫を護送し、姫の命を守れ。

 達成難易度:特D。

 クエスト進行中。」


 この事件は、クエストに巻き込まれた結果によるものだったのか。

 ゲームの中の、イベントのようなもの……。


 結局ぼくらは、その洞窟で一夜を明かすことになった。

 五人とも身体に深い傷を負っていたし、

 すぐに動ける状況ではなかった。


 イグルの傷は、ふさがらない。

 ファントム・ドラゴンに右腕を食われて、それっきりだ。

 だから薬草を使っても、途中でHPの回復が止まった。

 ゲージは赤から黄色になったものの、緑色にならなかったのだ。

 しかも、ジワジワとHPが減っていく。

 グルグルに包帯を巻くだけでは足りないのだろう。

 できるだけ早く、治療環境の整った場所に連れて行った方が良い。


 薬草は、馬車の荷台にたくさん用意されていた。

 もともと新地開拓のために出陣したらしく、万が一の備えは万全だ。

 保存食もあるし、予備の武器や防具、煙弾まである。


 そういえば煙弾がどうこうとか、最初にサーシャ姫が言っていたな。

 煙弾で救難信号を出したって。

 でも、こんな霧の深い場所で煙弾を使ったとして、たとえ近くに人がいても、気が付く人がいるとは思えない。

 やっぱりこの人たちは、どこか考えが浅はかというか、抜けているところがある。

 ひょっとしたらこの人たちは、コンピュータなのかもしれないな、と思った。

 人間ではないAI。

 そう考えると、話が繋がっていくような気がする。

 まぁ、ぼくも猫だし。

 いや、今はぼくもバイオコンピュータだったか……。


 人間が死ぬとしたら、それはゲームを再び始めるだけで済む。

 だが、コンピュータが死んだときの扱いはどうなるのだろうか。

 ぼくがクエスト攻略に失敗すれば、サーシャ姫はどうなるのだろう。


 たき火を囲って、四人で干し肉を食べた。

 あまり美味しくはない。

 ぼくが作った方が美味しくなりそうだ。

 サーシャ姫は干し肉を口に含み、それを柔らかくしてイグルに与えていた。


 ぼくは馬車の荷台の上で、武器や防具に囲まれて眠ることになった。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 肆の巻「王刀・白夜」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 目が覚めるのと、どちらが早かったかわからない。

 とつぜん、


「うっ、うわあああああああああああっっっっっ!!」


 という大きな叫び声が聞こえた。

 誰の声かと驚いて、ガバッと起き上がった。

 肩で息をして、目を見開いて、自分の手を見て、それでようやく声の主がわかった。

 ぼくの声だ。

 ぼくが叫んで、夢から目が醒めたのだ。


 体がびっしょり汗をかいている。

 サーシャやマルコが、慌ててぼくに近寄った。

 どうやら起こしてしまったらしい。


「どうした?

 何があった?」


 と聞くサーシャに、ぼくは答えられなかった。

 どうせ言葉は通じないからと、首を振って応じた。

 心配いらない。

 ただ、悪い夢を見ただけなんだ。

 悪い夢……、ぼくにとっては、現実だった。

 どうしてこんなときに思い出すのだろう。

 いつもは夢なんて見ないのに。


 ……そうか。

 体が疲れ切っているからだ。

 体が疲労していると、眠りが浅くなって夢を見やすくなるのだ。

 傷だらけ、…………悪夢。

 もう見たくない。

 怪我をするのも、……もう御免だ。



 ぼくが見た夢は、ぼくがまだ現実世界の住人だった頃の夢だった。

 ぼくが施設にいた頃の夢だ。

 そこがどんなところだったかはトンと思い出せないし、

 もう思い出したいとも思わないけれど、

 そこでぼくは落ちこぼれとして生きていたような気がする。

 考え方が周りの猫たちとあわなくて、ぜんぜん馴染むことができなかった気がする。


 ぼくは社会全体から疎まれているように感じていた。

 「屁理屈ばかり言って、変わったやつだ」とか言って、

 みんなぼくを一様に悪くみなしていた。


 ぼくは、そんな風に言われて心が塞ぎ込むたびに、

 みんなと同じように、感じて、考えることができたら、どんなに良いだろうと何度も祈った。

 みんなのように普通でありたいと、神に何度も願った。

 そう。ぼくは本当は、……みんなのことが羨ましかった。

 口では反抗しても、それは違うと感じたとしても、

 心の中の、もっとも繊細なところでは、皆のことを認めていたのだ。


 ぼくは、変わったといえるのだろうか。

 ぼくは、この世界で新しい生き方をしようと張り切った。

 それからぼくは、変わったと言えるのだろうか。



 ぼくは首を横に振って、嫌な考えを振り払った。

 ぼくは変わった。

 まだだとしても、これから変えれば良い。

 それができるだけの、力がぼくにはある。

 絶対的な力だ。


 ぼくの様子を見て、大丈夫なのだと思ったのか、

 サーシャは同じ荷台で横たわっているイグルのそばに戻り、

 その様子を見て、薬草を一つ与えると、再び眠りについた。


 サーシャ姫は今回の件でイグルに深い責任を感じているらしく、

 ぼくが眠る前にもこんなやり取りがあった。


「クッ……、私が不甲斐ないばかりにっ……。

 すまないっ、……イグルッッ。」


「サーシャ姫、……そんな。

 サーシャ姫のせいでは……ございませぬ。

 私は、サーシャ姫のためにこの身を捧げると誓いました。

 死ぬ覚悟は……とうにできております。

 どうか、そんなに思い詰めないでください!」


 息が途切れ途切れで、聞いていて痛々しかった。

 何もしなければ、本当にすぐに死んでしまいそうだ。

 薬草をドーピングし続けたとしても、このペースで薬草を消費するとなると、

 イグルのために薬草を全部使って、持って二日といったところか。


「死なせはしない。

 お前は必ず私とともに、ゼルテニアに戻るのだっ!」


 サーシャは目に涙をたたえていた。

 悔しそうに、イグルの手を強く握りしめていた。


「姫とイグルは、小さい頃よりの間柄でしてな。」


 と、サーシャ姫のお目付け役である、マルコが教えてくれた。


「イグルは姫の弟分みたいなもので、

 今回の遠征で姫が出陣すると聞いて、

 ぜひ自分も同行させてほしいと申し出たのです。

 しかしまさかこんなことになるとは……。」



 ぼくは、すっかり目が覚めてしまったから、

 洞窟の外の様子をうかがうために、馬車を降りた。

 降りてから、洞窟の出口に近いところにモーガンがいることに気がついた。

 万が一のために、見張りをしていたのだ。


「さきほどの声は、ニャーさまのものですか?」


 モーガンは体がでかく、落ち着いていて頼りになる。

 それでいて、一回り小さいぼくのことも一人前の人間として扱ってくれていた。

 もちろん、ぼくがこのモーガンよりもずっと、――少なくともステータス上は、遥かに強いから、ということもあるかもしれないのだが……。


 ぼくが心配いらないと首を振ると、

 モーガンはうなずいた。

 ぼくは寡黙に洞窟の外を見張るモーガンの横に立ち、

 ステータス画面を出して、マップを表示させた。


 今、ぼくらがいるのはここだ。

 けど、ここからどこに向かうのだ?

 一番近い街はどこだ?

 身振り手振りで、説明する。


「我々の帰還先であれば、ゼルテニア、ここです。

 今我々がいるこの地から、さほど離れているわけではありません。

 この霧の森を南に抜けて、ウラル山脈を越えたところにあります。

 歩いて二日の距離でしょうか。」


  歩いて、二日か。

 イグルが助かるかは、微妙なところだな。

 ぼくは必要ないと思うが、薬草が必要になるのは、イグルだけとは限らない。

 イグルを助けるかどうかの判断を下さねばならないときが、いつか来るかもしれないな。

 イグルか、他の誰か、どちらかを選ばねばならない時が。


「ニャー。」

 と、背後から声が聞こえた。

 サーシャだ。


「ニャー、いや、……ニャー先生。

 私の話を聞いていただけませんか。」


 なんです?

 と首をひねる。

 寝たわけではなかったのか。


「イグルは、そう長く持ちそうにありません。

 持って二日、といったところか。

 ここから、ゼルテニアまでも、それくらいの距離です。

 しかし……、モンスターと戦って薬草の消費が早くなれば……、クッ……。」


 それは気がついていたのだな。

 その通りだ、サーシャ。いやサーシャ姫。

 そうなれば、イグルは助からない。

 どちらかを選択せねばならない時が来るのだよ。

 非情なことにな。


 しかし、サーシャはぼくが予想だにしないことを言ってのけた。


「ニャー先生、ゼルテニアの王家の者としてではなく、

 一人の人間として、あなたにお願い申し上げたい。

 どうか、……どうか我々の盾になってはもらえませぬか!?

 ニャー先生が我々の盾になってくだされば、我々は誰も死なずにすみます。

 薬草を無駄に使わずに済めば、

 みんなで笑顔で凱旋することができるのです!」


 うんと、ちょっと何を言ってるのかわかりませんね。

 盾になれってどういうことでしょうか。

 モンスターのヘイトをぼくが一人でかき集めて身代わりになれっていうことですか?

 冗談じゃないんだが……。

 笑顔で凱旋とかカッコイイこと言って誤魔化してんじゃねーぞ!


 とは思っても口には出さない。

 口に出したところで、意味も伝わらないしね。


 はいはい、わかりましたよ。

 けど、怪我するのはもう御免だからね?

 モンスター出たら死ぬ気で瞬殺するから。


 しっかしまあ、こんなゲームの世界で、マジになって人助けすることになるなんて。

 まったく思わなかったわ。

 いや、ゲームだからマジになるのかな。


 ぼくがうなずいて、手を差し出すと、

 サーシャが握手してくれた。


「ニャー先生、もし良ければ……。」


 今度はなに?


「これを……。」


 サーシャの言葉に、マルコが反応して前に出てきた。

 手に何か持っている。

 これは、なんだ……脇差し?


 受け取ってまじまじと見た。

 白が基調で、鞘に巻いている太い紐を使えば、身体に帯刀することができそうだ。


「王刀・白夜はくやというカタナでございます。

 カタナを装備できる上級職に就いている人間は、

 この国に一人もいないため、

 カタナの製造はこれまで全くされてこなかったのですが。

 その白夜だけは、建国以来、ゼルテニア王家の守り刀として、

 代々伝わっていたのでございます。」


「私もカタナはその一振りしか見たことがない。

 とても貴重なものだと聞いている。」


 なるほどね。

 ちゃんと報酬はもらえるわけだ。

 しかも前払い? 気前は良かったのだな。

 武器のステータスを確認してみたところ、


 攻撃力87

 耐久値36

「ゼルテニア王家に伝わる脇差し。」


 まぁそれなりに強そうではあるけれど、

 耐久値が低いのが気にかかるところだ。

 それに、この一振りしかカタナはないってことは。

 サムライはメインがレア武器のレア上級職だったのか?


 武器の入手難易度が低ければ、簡単に強くなることもできるけれど、

 最低ランクの武器までレア扱いとなると、

 これはけっこう扱いづらそうだぞ。


 それに、耐久値があるということは、このカタナ、折れるんだろうし。

 いや、絶対折れる。

 肝心なときに折れるやつだろこれ。

 フラグビンビンなんだが……。


 まぁ、いま気にしても仕方がないけどさ。

 ぼくは丁寧にお辞儀して、

 またサーシャと握手を交わした。


 サーシャ姫たちは、色々とヘンテコなところがあるが、

 悪気があるわけではない。

 せっかくだ。力になってあげよう。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 伍の巻「奴隷の娘」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 翌朝すぐに、ぼくらは洞窟の外に出ることにした。

 できるだけ早く出発したほうが、イグルのためだろう。

 まだ日が登っていないから、寒くって仕方がない。

 霧だって、一層濃くなってしまって、視界は最悪だ。


 馬車の中に三人を乗せて、

 ぼくとモーガンが馬車の周りで護衛として動いた。


 出発して一時間が経過した頃だろうか。

 ようやく日が差しこんだ頃になって、ぼくらはサーシャ姫が他の部隊とはぐれたというポイントについた。

 馬車の残骸らしき木片が散らばっていたり、武器や防具が散乱していたりしているから、まず間違いない。

 この場所でファントム・ドラゴンの群れに襲われたのだろう。


 幸運なことに、薬草の補充もできた。

 そう多くはないが、このまま順調に行けば、イグルは助けられる。


 そこで、一人の生存者を見つけた。

 少女だ。

 人形のような整った顔立ちをしていて、とても可愛らしい女の子だった。

 ぼく自身もメスだけれど、この子を見つけたとき、惚れ惚れして、いっしゅん、胸がキュンとして、見惚れてしまったほどだ。


 よく見れば頭に猫耳がついていて、

 ぺたんと座りこんだお尻からは尻尾が伸びている。


 だだだ大丈夫かい。

 怪我はないかい!?

 とぼくが呼びかけても、先方にはニャーニャー言ってるようにしか聞こえない。

 言葉が通じないのは本当に不便なもので、

 未だに言ってからそのことを思い出す。

 代わりに、モーガンに呼ばれ馬車から降りてきたサーシャが聞いてくれた。


 足に怪我をしていたので、薬草で治してやるのかと思ったが、

 サーシャたちは少女から離れて相談を始めた。


「あれは大臣の奴隷ではなかったか。

 たしか、生まれたときから貴族の奴隷用として育てられた娘とかいう。」


「オンドゥール公の奴隷でございますね。

 私も一度拝見したことがありますが。

 奴隷の首輪をしておりますし、姫の言う通りかもしれませぬな。」


「いかが致しますか?

 足に怪我を負っているようですが。

 薬草を与えて、連れ帰りますか?」


「いや、奴隷のために貴重な薬草を使うわけには……。」


「左様。

 奴隷の者を助けて仲間を死なすようなことはあってはなりませぬ。

 ここに置いてゆくべきでしょう。」


 まてよ、まてよ。

 本気でそんなことを言っているのか?

 お前ら、奴隷だからって、相手は同じ人間なんだぞ。

 このまま置いていけば、間違いなく、くたばる。

 こんな可愛い子を死なして良いって、本当に思ってるわけ?


 ぼくは抗議のつもりで訴えかけた。


「ニャー殿の気持ちもわかりますが……。」


「イグルを死なすわけにはゆかぬのだ。ニャー先生。

 わかってはもらえませぬか。」


 ぼくは頑として聞かず、少女の側についた。


 ぼくにとっては、死にかけの青二才なんかよりも、この少女の方が大切だ。

 あんたらが少女を置いていくというのなら、勝手にすればいい。

 ぼくは、あんたらとは別に、この少女を守ることにする。

 ここからは、別行動だ。


 サーシャ姫たちは途方に暮れてしまった。

 いや、そんな迷ってねーで薬草与えて連れていくだけで良いんだが。

 ぼくがついてないと無事に王国に戻れるかもわからないのに。

 頑固なやつらだな。


「……わかった。ニャー先生。

 ニャー先生が連れて行くというのなら、その少女はニャー先生にお預けすることにしよう。」


「姫!?」


「マルコ。

 我々の命運はニャー先生が握っている。

 これくらいの褒美はくれてやってもいいだろう。

 モーガン、薬草を。」

「ハッ。」

「この奴隷をニャー殿の奴隷にするということですか?

 それでは大臣が……。」


「そこまでは言っておらぬ。

 あくまで国に帰るまでだ。

 大臣のお気に入りだからな。

 連れて帰れば大臣も喜ぶかもしれぬ。」


 奴隷の少女は小さな声でぼくにいった。


「どうも……、ありがとう……ございます。

 ニャーさま。」


 どういたしまして。別に気にしなくていいけどね?

 これくらいのことは、ぼくにとっては、当たり前のことだから。

 ところできみ、名前は?

 名前。名前だよ、な、ま、え。

 呼び名だ呼び名!

 ジェスチャーで伝わる内容ではなかったか。


「? 私の名前は……、ソフィアですが……。」


 あ、伝わってた。

 ソフィアか、名前も可愛いんだね。

 と口に出したそのとき、目の前がとつぜん真っ暗になった。

 自分以外の世界が全て暗転したようだ。


 な、なんだ、なんだ?

 何が起こったのだ?


 足元に、オコジョのゼペットが立っていた。

 運営、すなわちゲームマスターの一人だ。

 ぼくをこの世界に連れてきた張本人でもある。

 ゼペットはスーッとぼくの目の前まで浮かび上がってきていった。


「あまり干渉するつもりはない。

 手短に言おう。

 その奴隷の少女を連れ帰ることは、クエストの難易度を大幅に引き上げることに繋がる。

 決してオススメはできないな。」


 どういうことだ?

 何を言っている。

 何故そんなことがわかる?


「理由は簡単だ。

 今回、サーシャ姫は未開拓地の開拓遠征で、偶然モンスターの群れに襲われ、仲間とはぐれたと認識しているようだが、

 実際はそうではないからだ。

 大臣が。オンドゥール大臣が手引きしたことなのだ。

 危険な遠征について来るよう姫をそそのかしたのも大臣であり、

 モンスターの群れを挑発して姫のもとに向かわせたのも大臣だ。」


 そんな。どうしてそんなことを。


「残念ながら、ゼルテニアではいま、国家転覆クーデターが、計画されているんだ。

 大臣は、国家政権掌握を画策しているメンバーの一人なのだよ。

 姫の安全を確保するためには、その計画を阻止するしかないのだが。

 しかし、その奴隷の少女を連れて帰れば、話が余計にこじれることになる。

 その少女が大臣の奴隷である限り、その子が大臣を裏切ることはないからだ。

 つまり、大臣がその娘を使って悪さを企む可能性もありうるということだ。」


 「それに、」とゼペットは付け加えた。

「帰り道は君らが想定しているよりも一日長くかかる。

 大臣が最短の帰り道を封鎖したためだ。

 迂回してウラル山の洞窟を通ることになるが、ここのモンスターは、この霧の森のモンスターと遜色ないほどの強さを持つ。

 そこにいる、イグルが助かる可能性も、5%あれば良いところだろうな。

 守るべき者が増えれば増えるだけ、助かる見込みは下がる。」


 死ねばどうなる?

 コンピューターが。NPCが死んだときの扱いはどうなるのだ?


「おや。気がついていたか。

 彼らがコンピューターだということに。優秀だな。

 もちろん、復活はしないよ。

 死んだらそれっきりだ。」


 ぼくも?


「きなこに与えられた命も、一つだけだ。

 再生はできない。

 どうする?

 危険がより増すことになるが、

 わかっていて、その少女を助けるのかい?」


 うすうす予想はしていたけれど、このゲームは思ったよりもシビアなんだな。

 傷を受けたら普通に痛いし、死亡判定は実際の死を意味してる。

 楽園なんて、ほど遠いじゃないか……。


 ゼペットに向かって、ぼくは小さくうなずいた。

 たとえ将来の危険になるとわかっていたとしても、だからといって、見捨てるわけにはいかないよね。


「合理的な判断を下さないか。

 わかった。私たちも陰ながら応援しているよ。

 一つだけアドバイスだ。

 迷ったら、とにかく先に進むと良い。

 一歩でも先に進むことが、全体の生存率を引き上げることに繋がるはずだ。」


 スーッと、また、さっきの光景が戻ってきた。

 ゼペットはもういない。

 目の前にはソフィアがいるだけだ。


「どうか……されましたか?」


 いまのやり取りは聞こえていなかったのか。

 心配そうな顔をしている。

 いや、何でもないよ。ソフィア。


 微笑んだら、ソフィアも微笑み返してくれた。

 ピクピクと動く猫耳がまた、愛らしい。

 ぼくが守ってあげるよ。

 ソフィア、きみも、イグルも、

 そしてサーシャ姫、モーガン、マルコも、みんな死なせない。

 誰ひとりとしてね。

 ぼくが守る。


VRMMO元年。

ここまで読んで下さりどうもありがとうございました。m(_ _)m

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