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~50P

 そして凜の《パフォーマンス》が始まる。

 黒を基調とした衣装の周囲に、《凜音》が水色の《IL》を散らす。

 ドレスグローブをした腕を上げ、掌を上向ければ、《IL》が色彩を持つ一陣の風のように放出された。

 深く息を吸い、そして始まりの音が奏でられる。

 さして大きくない《ステージ》に向けられるライトの光量は控えめだ。

 やや暗いという印象を持つかもしれない。しかしそれがとても凜によく似合う。

 静かに、しかしよく通る。声に美醜が存在するのならば、十中八九以上の確率で問われた者は答えるだろう。美しい声だと。

 うすぼんやりとしか見えない彼女の顔は、それでも気高い女神のようだ。

 観客が凜の《IL》を受け、浮かぶ物が何かは本人たちにしかわからない。月夜に輝く氷だろうか。それとも滝のように汗が流れる太陽の下で輝く水晶だろうか。

 全ての雑音が、匂いが、消えていく。ただ残るのは凜の歌声だ。

 そして、凜の歌が終わった。


――現在11


 凜の初仕事から一月が経過し、チャリティイベントの前日となった。

《A級アイドル》が十人は集うその控室は、見る者が見れば垂涎の空間だった。《アイドライジング》における《トップアイドル》を決める前哨戦と言っても遜色のない顔触れが並ぶ中、どれだけ緊張しているだろうと冬臣は凜に目を向ける。彼女は一通り先輩アイドルたちへの挨拶を終え、ファッション雑誌を捲っているところだった。

「思いのほか冷静だな」

「昨日まではすっごく緊張してたんだけどね」

「すまない」

「何言ってるの。《プロデューサー》なんだから仕方ないでしょ。それにしてもさ、あなたって凄いよね。今日まで、まるで魔法を掛けられているみたいだった」

 冬臣は過去をまだ口にしていなかった。赤鳥も重要だと判断した雪奈の件を除き、《魔法使い》と呼ばれていた時代のことを凜に話していない。

「お前の実力だ」

「へへ、ありがと。それにね、そんなに長く緊張しなくても済んだんだ、同じように付き添いのいない《アイドル》と友達になったの。先月まで海外で活動してたんだって」

 先日行われたイベント参加者を集めた懇親会に冬臣は参加出来ていなかった。《アイドル》たちのリハーサルの前日に《プロデューサー》は一仕事がある。

「そうか、上級アイドルと交流を持つのはいいことだ」

「そんな打算的な思いはなかったんだけど」

「それでいい。そういうのは俺の仕事だ。紹介してもらえるか?」

「この話の流れで会わせたくないなあ、でもそれとは別にまだいないんだよ、どうしたんだろ?」

「仕事の都合だろう。そういうことはままある」

 二言三言交わしている内に、ぽつりぽつりとリハーサルのために《アイドル》たちが《ステージ》へと移動を開始し、リハーサルが始まった。

 控室に置かれたモニタが彼女たちの姿を映し出す。《歌》型、《舞》型の《アイドル》が半々といったところだ。《A級》の名に恥じぬ高レベルの《パフォーマンス》ではあったが、凜もそれに劣っていないと確信した。

 凜の出番と共に、冬臣も《ステージ》のある会場へと向かい、観客席から担当アイドルの《パフォーマンス》に目を光らせる。

《凜音》と連結した凜の《IL》は水色の光を発し、彼女の超能力を生じさせる準備を終えた。

 凜の歌と共に冬臣の胸に清々しさが生まれる。今この瞬間だけは、悩みも、鬱屈とした感情もなりを潜め、彼女の歌の純粋さだけが胸に響く。

 明日の観客に配られるはずの物と同型の《リング》が冬臣の《ボルテージ》を計測し始めた。その計測結果を見るまでもなく、それは非常に望ましい数値を出していることだろう。

 さして派手さのない振り付けで踊る凜の姿を見て、冬臣は雪奈を思い出す。《ステージ》上で小さな身体を大きく動かし、ファンへ自身の能力を見せつけるようにした挑発的な仕草に、それに足る《パフォーマンス》。二人は同じ曲で、異なる表現をする。

 わずか五分程度の《パフォーマンス》を終え、凜は客席に頭を下げ、退場した。その背に追いつくと、彼女は充足した様子で会場のスタッフと言葉を交わしていた。

「良かったぞ」

「ホント?」

「なんなら《ボルテージ》見てみるか? 計測器ならすぐそこにある」

「ううん、だって《スタッフ》の《ボルテージ》はあてにならんって言ってたじゃない」

 そう彼女は並びの良い歯を見せ笑う。

「そうだな。それでは送ろう、今日はレッスンする必要はない、よく休め」

「うん、でも一回控室に戻ってもいい? 《小雪》ちゃん、そろそろ来ているだろうし」

「例の友人になった《アイドル》か。一言挨拶するくらいなら邪魔にもならないだろう」

 会場から控室に戻る《アイドル》は他におらず、行く通路は静まり返っている。十人ほどの《アイドル》とはいえ、彼女たちについていた《スタッフ》を入れると相当な人数だったと言えた。

「何か夜の学校みたい」

「不法侵入は感心しないな」

「ちゃんと守衛さんに許可貰ってから入ったよ、テスト前なのにノート忘れちゃって」

「つまりは暗くなるまで勉強をしなかったということだな」

「うぐ、そうだけどさ。それ、ユーモアのつもりなら面白くないからね」

「すまん」

「許してあげる」

 スキップするような足取りの凜の背に、冬臣はため息を吐きながら続く。軽く上下関係が入れ替わる関係は、不思議と冬臣にとって心地良い物だった。それが何を意味するのか分かる前に、二人は控室のドアを開き、そして。

「《小雪》ちゃ――」

「――凜ちゃん、あの曲! どうしてあなたがあれ……を」

 見間違えるはずはなかった。ぐっと女らしさを増し、かつて目を伏せがちにして弱々しい印象を与えていた様子も百八十度変えていたし、一度も冬臣に見せることのなかった表情を浮かべ始めたのにも関わらず。

「何でアンタがここにいるの!?」

 簡易ドレスなのだろう。《ステージ》でもないのに関わらず彼女は《IL》、正確には《疑似IL》を噴射し、そのまま勢い付けて冬臣に掴みかかり、殴打。

 冬臣の痛みから生じた短い声は耳に届いていないようで、彼女は拳を振るい続けた。

「《小雪》ちゃん、止めて!」

 凜が縋りつき、ようやく拳を止めた少女だったが、自身を抑えることが出来ずにいる。

「何でアンタが生きてるの!?」

 彼女の周りでは激しく明滅する《疑似IL》が冬臣の視界を埋め尽くし、それはそのまま彼女の激情を示していた。それに反して、冬臣の瞳からは光が失われつつある。それは、数か月振りに彼が湛えた瞳で、凜はそれを目の当たりにしてしまう。

 間もなく騒ぎを聞きつけた《小雪》の《プロデューサー》が彼女を引きはがし、他の《スタッフ》と共に《小雪》はその場から去った。

「この度は、私共の《アイドル》が失礼を致しました。こちらは、その、迷惑料ということで」

 差し出された金を、冬臣は受け取らなかった。

「いえ、何も起きていませんので構いません」

 食い下がる《プロデューサー》に、冬臣は感情のない声で言う。

「何も、ありませんでした」

 只ならぬ雰囲気に、圧倒される《プロデューサー》を見ることなく、冬臣は控室を後にする。自身でもどこを歩いているのかもわかっていない足取りは、見る者に不安を覚えさせた。

 そして、辿り着いた場所はリハーサルの行われている会場の二階部分だった。

「え? 《小雪》さんリハ要らないって?」

 会場のスタッフたちのやり取りが耳に入っても、それが冬臣の意識に入った印象はない。

「大丈夫、だよ。《小雪》ちゃん、向こうじゃもう二年も《アイドル》やってるって言ってた」

 その声に、冬臣の背が大きく震えた。

「すまない、凜。いたのか、いる、な。それはそうだ。すまない、今タクシーを呼ぶ」

「あなたは?」

「俺? ああ、車置いたまま、には出来ない」

「あたしは、あなたを置いたまま帰れないよ」

「明日がどれほど重要な日か、わかっていないのか?」

「わかってるけど……」

「わかっていない。休め」

 この状況でその言葉に素直に頷く者など皆無だろう。事実、凜もそれに外れなかった。

「《小雪》ちゃんってもしかして」

「雪奈の妹の、華奈だ」

 二年前の冬、目覚めた時には積もっているはずの雪は一片たりとも残っていなかった。そして、消えていたのは雪だけではなかった。

「いつも俺や雪奈の背中に隠れてばかりだったあの子が、どこへ行ったのかずっと探していた」

 そして見つからず、諦めた。

 凜の短い人生からは、言うべき言葉が見つからない。だから冬臣の独白を聞き続ける。

「まだ十二だったんだ。恨まれて当然だ。姉を殺した男で、憎まれて当然だ」

 だから向けられた憎悪は冬臣が受けるべきものだと言う。

「そうね、しかもその殺人者が今ものうのうと罪を犯した業界で生きているのだもの」

 凜の背後から現れたのは、冷静さを取り戻したかのように見える華奈だった。初めて出会った時の雪奈よりも荒んだ瞳を携え、彼女は一歩一歩冬臣へと近寄っていく。そうして視線は冬臣へと向けたまま言う。

「凜ちゃんとは、友達になれると思ってた」

「あたしは、まだそのつもりだよ。でも、その人に酷いことをするなら……」

「相変わらず担当アイドルを丸め込むのが上手いのね。詐欺師にでも転職したらどう?」

「華奈、ちゃん」

「私の本名、こいつから聞いたんだ? 驚いた、その口からまだ私たちの名前を出せるなんてね。図々しいにも程があるわ」

 華奈は、凜を視界には入れることなく冬臣を睨み続けている。まるで目を合わせている間は冬臣が不幸になるとでもいうようだった。

「止めて! その人の二年間を知らない癖に勝手なこと言わないで! ううん、今あなたの目の前にいるその人を見て、感じないの!?」

 華奈の目には、暗い光が宿っていて、それが薄暗がりの中で妖しく光っているように見えた。

「知らないわ」

 もう、言葉は通じない。

「そうだ、そこから飛び降りられたら許してあげる。もちろん頭からね。二階だもん、運が良ければ死なないわよ? お姉は四階から飛び降りたんだ、その半分で許してあげる」

 屈託のない笑顔で言い放つ華奈の雰囲気に圧倒されたか、凜が息を飲む。その傍ら、冬臣の動きは迷いがなかった。二階観客席の欄干に足を駆け、その身を宙へと――。

「華奈、《プロデューサー》さんが困ってるよ? 早く戻ってあげないと」

 華奈の手が冬臣の背広を掴み、彼の進路とは逆方向へと引き倒す。そして、極々小さい声で呟く。内容は、決して冬臣を助けたのではないことを如実に示していた。

「ごめんなさい、姉さん。今行くわ」

 冬臣の中で声にならない声が響く。無様にも地面に膝をついたまま差し出す手は、宙をさ迷い、何も掴めない。雪奈は振り返る仕草をみせたが、華奈がそれを遮る。二人の背は遠ざかり、そして扉の奥へと、消えた。


――現在12


《アイドライジング協会》主催、チャリティイベント当日がやって来た。

「行くぞ、凜」

 白井井芸能プロダクションから、冬臣が車を出す。道中助手席からの視線を幾度となく受け、冬臣は表情を作る。それは、かつての雪奈にも劣らない巧妙さで動いた。

「昨日はすまなかった。決着は着いた、俺は今日お前を一人前の《アイドル》にして見せる。だからお前は、事務所を守れる《アイドル》になれ」

 凜の視線が、冬臣の頭の先からつま先へ、そして瞳に向く。一度だけ息を吐くと、凜は言う。

「わかった。あたしを《シンデレラ》にしてね」

 昨今の《アイドライジング》における新人賞受賞者の代名詞を口にした凜に、冬臣は一度、無言でその願いに答え、数度目の信号待ちで短く返事をした。



「緊張して来た」

 チャリティイベント開始から三十分が過ぎると凜はそう口にした。黒をベースにした衣装には凜のイメージカラーである水色がアクセントとして組み込まれている。肘にまで届かないドレスグローブから袖口まで覗く白い肌を忙しなく擦る彼女の顔には青が浮かぶ。

「何も緊張をする必要はない。順位を競う訳でもないから、今日は睦月凜の存在を知らしめるだけでいい。振り付けを忘れようが《IL》で失敗してもいい、お前が歌えばそれだけで今日の目的は達成できる」

「歌詞、飛んだらどうするの?」

「それはどうしようもない。不安なのか? なんなら客席で横断幕に扮した歌詞カードを張り付けられるよう《協会》に打診して来るが?」

 凜が笑う。明らかに冬臣の声には本気がなかった。まるで真剣みのないその声に、凜は目じりに涙まで浮かべて見せた程だ。

「あたし、本当に緊張してたし不安だったんだよ?」

「一緒に緊張して不安になって欲しかったのか?」

「ううん。違う。今のあなたみたいに、あなたらしくない言葉で返して欲しかったのかも。何か一人で緊張して不安になってるのがバカみたいになっちゃったよ。やっぱり凄いね、あなたは」

《アイドル》が一番欲しい物をくれる。そう凜は言った。冬臣は一度だけ目を閉じ、口を開く。

「そろそろ時間だ、行って来い」

 首肯した凜が《ステージ》へと歩み始めると、冬臣は舞台袖のモニタ前へと腰を落ち着けた。目まぐるしく入れ替わる数字、文字の一字も見逃さないと、冬臣はモニタを注視する。

 凜と《凜音》が《IL》の光に包まれ、曲の前奏が始まる。事前の露出が少ない《アイドル》の登場に観客はざわつく。それでも凜の表情は強張ることも、恐れを浮かべることもなかった。

 そして、凜の歌が始まる。《アイドライジング》の観戦に慣れた者たちが、即座に手荷物をあさり始めた。その彼らが手持ちのサイリウムを水色のサイリウムへと持ち替え始めたところで冬臣の片頬が上がる。客席の一列目に水色の明かりが灯り、続けて二列目、三列目。会場の八割が凜のイメージカラーに染まった。

「ありがとう」

 誰の耳にも届かない言葉を冬臣は口にする。他の誰とも共有出来ない記憶を呼び覚まし、昨晩固めた決意を実行に移す覚悟を決めた。

 割れんばかりの歓声を耳にし、冬臣は自分が凜の《パフォーマンス》の終盤を見損ねたことに気づく。口から出た言葉は不思議と悪意のないそれだった。モニタの中の凜が司会者から二~三質問を投げ掛けられ、それに答える。観客席に浮かぶ光がそれに合わせて忙しなく動く。

「あたし、上手く出来たよ」

 戻った凜の第一声はそれだった。疑問形ではなく、言い切った彼女は正しく現状を把握している。浮かぶ涙も震える声の意味も正しく受け取ったつもりの冬臣の顔には笑みが浮かんだ。

「ああ、よくやった。今日からお前は名実共に《アイドル》だ。もう見習いではないのだからそれを肝に命じることだ」

「うん、うん。あたし、頑張ったよ」

「ああ、そうだな。間違いない。この数か月、お前はどの《アイドル》よりも頑張った――」

「――だから、行かないで」

 冬臣の言葉に被せて、凜はそう言い、冬臣のスーツの袖口を握った。

 何故わかったと疑問を呈することも、袖が皺になると軽口を叩くことも出来ず、冬臣は凜の手から伝わる熱をただ受け取り、そしてようやく口を開いた。

「俺はきっと、大切なものを忘れて来てしまったんだ」

「いいじゃん、それでも。新しい大切な物を作れば、いいよ」

「ありがとう。だが、本当に大切なものなんだ」

 凜が口を開閉し、そして俯く。その視線の先には、冬臣の靴がある。出会った頃には薄汚れていたそれが、今は綺麗に磨かれている。だが、どこで引っかけたのか、傷が浮かんでいる。

「帰って、くるんだよね?」

 冬臣が強い語調で断言する。それを聞き届けると凜は顔を上げた。

「じゃあ、行ってらっしゃい。気を付けてね」

「心配するな、もう二度と道半ばで終わらせることはしない」


――現在13


 黒井芸能事務所は白井のそれとは百八十度印象が異なっていた。《協会》を意識したのか、それとも莫大な財を持った者に共通するのか冬臣にはわからないが、一つの建物で《アイドライジング》を完結させられるだけの施設を擁している。

 受付に顔を出したところ、冬臣は即座に最上階の社長室へと案内された。毛の長い絨毯を踏みしめ、クッション性の高いソファーに身体を沈み込ませたところで黒井が姿を現す。

「よく来たな。正直来るとは思わなかったが」

 黒井は冬臣を一瞥すると対面のソファーに腰を降ろしながらそう言った。

「? 狙ってやったのではなかったのか?」

「何をだ?」

 黒井の顔に、含みはなかった。まるで何を言っているのかわからない。そう片眉を上げている。しかし間もなく顎に手を当て思案して見せた。

「ふん、まあいい。白井が再び窮地に陥っただけで私は気分がいい。早速だが貴様に駒を振ろう。二年ほど前に手に入れたのだが、現状駒と呼ぶのもおこがましい物だ。無能は切り捨ててもよいのだが時機を逸している所だ。《A級》程度にはして貰おう《魔法使い》」

「してみせよう。だが一つ要求を聞き入れてもらいたい」

 顎をしゃくれさせた黒井に向かい、冬臣は言う。

「《小雪》をプロデュースさせてくれ」

「……好都合だ。元より貴様が付くのがアレだ。貴様が目を付けるということは何かあるのか? 私には微塵も才能を感じさせんがな」

 長年、業界に携わってきたのだろう黒井の目は、おそらく冬臣よりも物事を正確にとらえているだろう。華奈の《IL》は《ドレス》を起動させるにも足らない。

「何とか、するさ」

「そうか。それでは見物させてもらうとしよう」

 そう告げると、黒井は鍵を投げてよこした。

「駒には価値に応じた環境を与えることにしている。貴様には五十階ワンフロアをくれてやる。好きに使え。トレーニングルーム、レッスン室、研究施設一通りあるが万一不足があれば言え」

「大盤振る舞いだな」

「ふん、使える駒に金を惜しむのは三流のすることだ。最も、そのための金すら用意出来ん者もいるがなあ、ふはははは」

 高らかな笑いが響く中、社長室のドアが控えめに叩かれた。短い言葉で入室を促され、登場したのは華奈だった。二年前の雪奈と同い年になった彼女は、見た目もあの頃の雪奈そっくりだ。肩口までの長さの髪に、整った鼻梁。白く滑らかな肌は同性から羨まれるそれだろう。

「お呼びですか社、長」

 言葉の途中で冬臣に気付き、一瞬息を飲んだのが手に取るようにわかった。

「ああ、貴様の新しい《プロデューサー》だ。コレが今後貴様の《アイドライジング》全ての担当をする」

「お言葉ですが社長、私には姉さんが――」

「――《C級》風情が私に意見を出来ると思うな」

 有無を言わさぬ冷たい声だった。おそらく黒井は、華奈に何の価値も見出していないのだろう。

「興が削がれた。引き継ぎなどは勝手に済ませろ。能力を示したまえ《魔法使い》」

 それが切り上げの合図となった。冬臣は華奈と連れだって社長室を出ると、無言で前を行く華奈の背に言う。

「雪奈に会わせてくれないか?」

「いいわよ。自分の罪の重さを理解しなさい」

 華奈の承諾は意外だった。意味はわからなかったが、罵詈雑言を受けたとしても絶望することはないと、胸に決めている。

 二人がエレベーターで下って行った先は、四階だった。入所した際に確認した案内図では、居住区としては最下層を示していたはずだ。冬臣の思考が顔に出ていたのか、言い訳をするように華奈は言う。

「向こうで《B級》止まりだったからよ。この国では《C級》になる、その程度のことも知らないの?」

 無論アイドルに限っては、《A級》以上からが国内外共通の《ライセンス》であることは知っている。しかし冬臣が疑問に思ったのはそこではない。雪奈の使い道はいくらでもあるはずにも関わらず、最低待遇ということは黒井が彼女を利用していない事実を表しているのではないだろうか。そう、思ったのだった。

「姉さん、入るよ」

 お姉、とは呼ばなくなったようだ。わずかな間を空けた後、華奈が自室となっている部屋への入り口を開く。ベッドが両脇に二つ、間に丸テーブルが一つ、それで室内は一杯となっている。ドアが一つあるのは、おそらくユニットバスだろう。

「お帰りなさい、華奈」

 丸テーブルを挟んで部屋の奥、車椅子に乗った雪奈が微笑んでいる。一切含みのなさそうな柔らかなその笑顔は、冬臣の初めて見る顔で、強い違和感があった。

「姉さん、今日から専任スタッフが付くんだって。この人」

「え? 良かったじゃない。頑張りが認めて貰えたのね。すみません、こんな身体なので座ったままでの挨拶になっちゃいますけど、妹をよろしくお願いします」

 そう言って、雪奈は頭を下げた。まるで、初めて会う相手にそうするように。

「雪、奈?」

 新手の嫌がらせならそれで良かった。お前を許さない、そう憎まれるのなら許されるまでひたすら努力し続けるつもりだった。

「はい? あ、失礼しました。華奈の姉で雪奈と申します」

「知って、いる」

「華奈から聞きましたか? あなたが来るまで私たちは二人三脚でレッスンや《ドレスチューニング》をして来たんですよ? 一応向こうではそれで《B級》までは行ったんです!」

 雪奈はそう言って、自慢げに胸を反らした。胸は成長し、いつだか雪奈が言っていたように程よい大きさになっていた。

「そう、か。それは凄いな」

 冬臣の言いたいことはそれではない。しかし口から出るのはそんな他愛のない言葉ばかりだった。妹が世話になる人、雪奈はそう考えたのか終始活発に、失礼のないよう努めて会話をしているようだった。

 ようやく会話を切り上げることに成功すると、冬臣は四階のエレベーターホールのソファーに座り込んだ。どれくらいの時間放心していたのかわからないが、足音で気を取り戻す。

「記憶がないのよ。でも大分マシになったわ。今では欠けた記憶は姉さんが《スノウ》だった時の記憶だけ」

 言って、華奈が冬臣の顔を覗き込む。

「おかしいわよね、あなたがいた時期の記憶だけがないの。どれだけ姉さんはあなたに傷つけられたのかしら? まるであなたのことだけ思い出したくないみたい」

 冬臣の噛みしめた唇から、鉄の味が広がる。

「これでもあなたは私たち姉妹に関わろうとするの? 私は正直迷惑。姉さんと二人でならこの国でもやっていけるわ。それは姉さんのように《アイドルマスター》に届くほど上手くは出来ないかもしれない。でも、私はそれでもいいわ。二人で静かに暮らせたら、それで、いいの」

 チャリティイベントで華奈の《パフォーマンス》は目にした。そして、かつての自分に近い黒井の考えはわかる。それらから推測すれば答えは一つだ。

「黒井は、それを許さないだろう」

「あなたに社長の何がわかるの? あの人は向こうで《アイドル》になることすら出来なかった私のために《ステージ》も、《ドレス》も用意してくれたわ」

 思い当たる節はあった。しかしそれを口にすることは憚られ、結局言うことが出来ない。

「あなたに捨てられて、姉さんの資産がかすめ取られていく中で、社長が守ってくれた。社長だけが本当のことを教えてくれた。厳しいことも多いけど、でも本質的には優しい」

 あなたとは逆。そう、華奈は睨み付けてくる。押し問答をする気力は冬臣にはなかった。

「その黒井から、お前を《プロデュース》するよう依頼を受けた」

「拒否すればいいでしょう? 一企業の社長が《S級プロデューサー》相手に無理強い出来る訳ないでしょうに」

 口下手な自分を恨めしく思いながら、冬臣は拳を握り込む。それで事態が好転する訳がないのを知りながらも、そうしてしまう。諦観の気持ちがじわじわと湧き上がる。それを追い払うように首を振ると、視界の端に雪奈が映った。

「凄いじゃない、《S級プロデューサー》さんだ何て! せっかくだから付いて貰ったら?」

 いつの間にか現れた雪奈に、驚いたのは冬臣だけではなかったようだ。

「姉さん……」

 嫌なところを見られた。そんな心境を隠そうともしない華奈に、雪奈は続けた。

「やっぱり、お姉ちゃんとしては《B級》でいいやとは思わないで欲しいな。私のせいで何かを諦めるられると、お姉ちゃんとしては辛いよ」

「そんなつもりは全然ないよ。私はただ……」

 今度は華奈が自分の掌に爪を立てる番だった。はっきりとした敵意を冬臣に向ける自分というのを見られたくないのか、華奈は最終的には首肯し、一人でエレベーターに乗って行った。

「華奈が失礼な態度取ってしまってすみません」

「いや、構わない。無理もない、ずっと二人でやって来たのだろう? 突然そこに割り込まれたらいい気はしないだろう」

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