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~40P

ング》ファンが世界中から押し掛けている。

「お姉、大成功するようにたくさんお祈りしておいたよ! はい、《スノウドロップ》」

「ありがとう、華奈。特等席で見てなさい」

 天真爛漫の語が似合う妹華奈に、雪奈は冬臣にさえ見せない柔和な笑みを向けると、妹の頭に手を置いた。最前列中央三席は常に彼女のための席だ。両隣を空ける理由は熱狂したファンが妹に害をなさないためだと雪奈は言う。冬臣ももうそれについて不平を漏らすことはない。

「うん、頑張ってね!」

 これから行われる《ステージ》を思い描き、屈託のない笑みを顔いっぱいに浮かべた華奈が走り去ると、冬臣は長く息を吐いた。

「日本に着いたらしばらく休業して観光でもするか?」

「それも悪くないわね」

 その言葉を最後に、雪奈は《ステージ》へと向かう。冬臣の製作した《ドレス》である《スノウドロップ》がライトの明かりを反射し、プリズムのように輝く。雪奈の登場と同時に、歓声が上がり、彼女はそれに応えながら《ステージ》中央へと足を進める。

《スノウ》と雪奈を呼ぶ歓声が一際大きくなった次の瞬間には静寂が訪れた。雪奈のアカペラが始まり、観客の持つ《リング》が各々の《ボルテージ》を指し示す。

 雪奈の歌声に遅れ、曲が鳴りだすと観客から声援が上がり、また雪奈の動きも激しくなって来た。《クラシックアイドル》のように歌い、踊り、彼女の魅力で会場を包み込む。

 そして、《アイドル》としての本領が発揮される。雪奈の周囲に虹色に輝く光の粒が出現し、《スノウドロップ》自体が発光を始め、天使の翼のような形に《IL》が形成された。

「何だ?」

 本来雪奈の《IL》特性から純白になるはずの翼は、虹色を保つ。虹色の翼をはためかせ、浮かぶ雪奈に対し、冬臣はそう漏らした。

 突然だった。雪奈の立つ《ステージ》と観客席を分かつように、白く厚い壁が現れた。そして、雪奈の周りにも同じ物が出現し、彼女を立方体で包むようにして合わさる。閉じ切る直前、冬臣へと雪奈は視線を向け、口の動きだけで指示した。

『華奈には見せないで』

 間はなかった。閉じ切った箱の中で爆発音がし、その消失と共に翼を散らせた雪奈が落下を始める。コマ送りのようにゆっくりと高度を下げる彼女に、冬臣は届かない手を必死に伸ばす。

「雪奈ぁぁぁぁ!」

 鈍い音が雪奈からした。そして、彼女は血の海に沈んだ。観客席と《ステージ》を隔てた壁は、二日間の間何者も通すことなく、三日目に消滅した。


――現在8


「何が《S級》だ。何が《魔法使い》だ」

 冬臣は自分の寝言で目を覚ました。触れた頬には涙の跡が残り、それを冬臣は嬉しく思う。いつの間にか罰から逃れようとしてしまったことを戒める夢を見られたこと、二年以上の年月が過ぎてなお、自分の中にある罪が薄れていないことを喜ばしく感じた。

 床から離れた冬臣が自室の《ドレスメーカー》を起動し、目を細める。その視線の先には昔と変わらぬ結果が表示されていた。《スノウドロップ》に異常は一つもない。ただ一つ変化しているのは蓄えられていた雪奈の《IL》が失われたことだ。

 冬臣は再びベッドに身を投げ、目を閉じる。


 翌朝、赤鳥からの着信を携帯端末が報せた。

「不思議な話なんすけど」

 そう前置きをして彼女は冬臣に告げた。それは仕事とは言えない案件だった。当日案件な上にノーギャラらしい。ギャラは一般への露出をする機会を与えてやることだと言われたそうだ。通常それはあり得ない。しかしそれでも赤鳥は承諾したと言う。

「凜の力ならば表舞台にさえ立てば何かを起こせるかもしれん」

「あしもそう判断したす。かなり怪しい依頼すけど、現状受けざるも得ないす」

 協会主催のイベント前に、経験を積ませてやりたい親心もあるだろう。誰かから、自分の行いの正当性を保証して欲しかっただけなのか、それきり赤鳥の言葉が止む。

 家電の立てる振動音か何かの音だけが、空間を流れた。

「見るだけ、それだけでいいす。凜ちゃんと、あしに勇気を下さい。《魔法使い》とまで呼ばれたあんたの、その……はは、適当な言葉が出て来てくれないすね」

 調べたのだろう、冬臣の過去は赤鳥の知ることとなった。それがどこまでかはわからない。しかし優秀な彼女のことだ、細部まで知っただろうと冬臣は覚悟した。

「あんたが居てくれる、それだけで凜ちゃんも安心すると思うす。何かが起きてお客さんが一人もいなくても、それでもあんた一人さえ居てくれれば凜ちゃんはきっとやり切るす」

 そう断言する赤鳥の根拠に、冬臣は思い当たる節はなかったが、それは些細な問題だ。それにただ居るだけで自分の役割が全う出来るというのなら、強いて断る理由も考え付かない。

「場所は、どこだ?」


 ショッピングモールの一角、そこに小規模な《ステージ》があった。

 広大な敷地を有するこのショッピングモールには他にも複数の《ステージ》があり、《アイドル》に限らず芸人など様々なゲストが《パフォーマンス》をすることがある。

 凛が《パフォーマンス》をする《ステージ》はその中で最も小規模で、立地も一番劣等のそこだった。しかしそれは冬臣からしてみれば当然のことだと思える。プロダクションの規模、凜の実績、依頼の入り方、どれを取って見てもこの状況に不服を唱える要素がない。

 冬臣が《プロデューサー》のままであれば凜の控室に向かったところだ。しかし今の彼は《プロデューサー》ではなく、ただその場にいた。辺りには多くの買物客が行き交っていたが、観客席には誰も居らず、冬臣もそこに腰をかけることなく少し離れた所で立っている。

 そして、モール内に流れるアナウンスが始まった。

「ただ今よりイベントスペースAにて、《アイドルグループ・season》によるライヴを行います、ご興味ある方は是非お越しください、またイベントスペースCにて《落語家・清弘》によるトークライヴ――」

「はあ? 《season》? え、無料だよな?」

「ええ、清ちゃん!? 奥さん、行きましょうよ」

 疎い冬臣の知らぬ名が次々と呼ばれ、多くの買物客がこぞって移動を開始し、辺りに静けさが生まれる。そんな最中、凜が《ステージ》に姿を見せた。相変わらず客席には誰も居ない。

 凛の表情が曇るのと同時に、冬臣は脳内で顔に出すなと叫んだ。

 アナウンスを耳にしてもまだ買物を続ける客は少なく、芸能人を見に行くことよりも買物を優先した彼らの視界に凜が入ることはなかった。それを慮ってか、買物客の邪魔をしない程度にボリュームを絞られたスピーカーから曲が始まる。

 凜の歌が始まり、冬臣は拳を握り込んだ。怒りから、歯を食いしばっている。

 誰が凜にあんな曲を歌わせた。その曲は凜の声質を生かせない類の曲だ。誰が凜にあんな媚びた動きをさせている。凜はそこいらにいる十把一絡げの《アイドルグループ》とは違う。誰が、誰が、とあまりに悪意に溢れた《スタッフ》の姿が浮かび、冬臣は涙まで浮かびあがりそうだった。奥歯が砕けそうだ。

 凜と目が合う。彼女は気恥ずかしそうに一度表情を崩す。この有様を恥じているのだろう。それでも彼女は《パフォーマンス》を続けた。当日案件だったため、レッスンもろくに出来なかったのだろう、動きも硬い。しかしそれでも凜は《アイドル》であり続けた。途中で《パフォーマンス》を投げ出すことなく最後まで歌い、踊り切った。

 かなりまばらな拍手を得た。どうやら吹き抜けになっている上階から見ていた買物客がいたようだ。しかし、その彼らも時間が経てばきっと凜を忘れるだろう。そもそも他のイベントスペースにも行かず買物を優先した客はイベントに興味がないのだ。ただたまたま見下ろした先に凜がいた。そしてちょうど終わりが来たから拍手をした、それだけだ。

 せめて自分だけでも、という思いはあった。しかし、冬臣は拍手が出来なかった。そして、そんな自分を唾棄しながらも、冬臣の身体はただその場を後にし、家へと逃げ帰ることしか出来なかった。冬臣の脳裏に焼き付いた雪奈は純白の《ドレス》を赤く染めていた。


――過去6


「下半身、付随?」

 雪奈の事故から三日。彼女は入院先のベッドで身体を起こし、足が動かなくなったことを冬臣に伝えた。彼にはその表情がいつも通りの彼女に見えた。

「打ち所が悪かったわ、私も落ちたものね」

 そう言って肩をすくめた彼女の目に涙はない。まるで失敗はしたがさして重要なことではない。そんな調子だ。その彼女を前に、冬臣は物を言わぬ木偶と化した。

「《アイドルマスター》にはなり損ねたわね。それでも私は自分の貞操分程度は稼いだでしょう? 前に一生食べていけるだけは稼いだとあなたは言ったわね?」

 その言葉に間違いはなかった。三カ国で《トップアイドル》となった《スノウ》だ、今後の通院費を差し引いても余裕で間違いない。しかも雪奈の才覚であれば《アイドル》を引退したところで他に稼ぐ手立てもあるだろう。

「次の《アイドル》を探しなさい」

 よどみなく雪奈は口にした。自暴自棄でも何でもなく、ただ冬臣にとってよりよい選択肢を取るように促す、そんな助言めいた色すらあった。

「……日本に向かうぞ。治療する」

「バカね、簡単に治るような物ではないわ。仮に治ったとしても手術、それからリハビリと何年かかると思っているの。その頃には私もあなたも《S級》の資格をはく奪されているわよ?」

「また取り直せばいいだけだ。お前はまだ十代半ばだし、俺だってまだ二十代だ」

「…………そうね」


 このやり取りから数日後、雪奈は入院先の屋上から身を投げた。

 冬臣が自身の事故から復調し、現場を訪れた時には、もうそこには雪奈を思わせる物は何も残っていなかった。


――現在9


 冬臣は虚空を見つめていた。もしも視点が定まっていれば天井の染みを数えることくらいなら出来たかもしれない。物一つ落ちていなかった自室の床に散乱するゴミから察するに、無意識の内に食事を取り、排泄等はきちんとしていたようだ。

 夢で見た過去の映像は、冬臣の時間を凜と出会う以前の――否。霜月姉妹を失った頃まで遡らせた。そしてその当時と同じ逃避行動を取る。しかしそれを続けることは許されず、何者かが冬臣の自宅を尋ね、呼び鈴を鳴らす。何度も何度も鳴らし、諦めることを知らない来訪者に、凜の姿が思い当たったが、冬臣は玄関のドアを開くことなく済ませた。とても誰かと会う気分にはなれない。

 それらが繰り返されて数日が過ぎた頃だ。施錠し損ねていた玄関のドアが開かれた。遠慮がちに歩く足音が冬臣の耳にも届く。空き巣の類も疑ったが、結論から言えば的外れだった。

「空気の入れ替え、するから」

 凜はベランダに繋がる戸に掛かったカーテンを一気に開き、また戸自体も開け、外の新鮮な空気を室内へと取り込む。麻痺し、何の匂いもしなかった部屋に緑の香りが混じる。

「やっぱり、外の空気は暑いね。でもさ、クーラー点けっぱなしは駄目だよ。空気、籠ってる」

 凜は日差しを背に、冬臣へと向き合うと、表情を曇らせた。

「来て、よかった。酷い顔してるよ? 解決は出来ないかもしれないけれど、辛いことがあるなら――」

「――何か用か?」

 その声に、生気はなかった。枯葉が地面を転がる音の方がまだ瑞々しくさえある。

「あなたが控室に来てくれなかったから言えなかったの……事務所の借金、あなたが肩代わりしてくれたって聞いた。《協会本部》からチャリティイベントでの仕事の依頼も来たよ」

「そうか」

「うん。そう。だから、ありがとう」

 それからしばらく、静寂が続いた。凜は落ち着きなく目を泳がせ、冬臣は何もない空間を眺めている。

「赤鳥さんから聞いた。あたしの才能、買ってくれてるって」

 冬臣は何も答えない。

「嬉しいよ」

 冬臣は黙っている。

「オーディションに受かってもさ、『黒井事務所の他の《アイドル》に空きが出来たそうなので』って翌日には断りの連絡が来るばかりだったんだ。そんなことばっかり続いたから、あたしには何の力もないんだと思ってた」

 冬臣が持った黒井社長の印象に、誤りはなかったようだ。もっともそれを誇るような神経は冬臣にはない。

「直接言ってもくれたよね? フィジカルも《IL》も及第点だって」

 それももう遠い昔のように感じる。

「でもさ、自信、ないんだ。この間の《ステージ》見に来てくれてたよね? 失敗だったよね。怖いよ、次は《協会本部》からの仕事だもん。これを失敗したら、あたしたちはどうなるんだろう? ひょっとしたらまた黒井事務所がイベント前に何かしてくるかもしれない。ううん、チャリティイベント内でも何されるかわからない」

《協会本部》が主催するイベントは、業界注目度が高い。《トップアイドル》になるための登竜門とも言えるそのイベントだが、参加権を掴みとることすら容易ではなく、《推薦枠》で参加するとなれば妬みなどの敵意を一身に浴びることにもなる。失策を犯そうものなら嬉々としてそれを槍玉に挙げる者も少なくない。

「あなたにレッスン場で助けられて、事務所の窮地を救ってもらって、仕事まで取って来てもらって、ありがとうばかりがたまる、それなのにあなたに何も返せずに終わるのだけは嫌だよ」

「何も恩に感じなくていい。全て、気まぐれだ。たまたま気が向いた時に目の前にいたのがお前だっただけだ」

「そう、なのかな? あたしじゃない誰かがその時あなたの前にいたらあなたはその人をあたしと同じように助けた?」

 冬臣は返事をしない。答えは、否だからだ。凜の中に、雪奈を一瞬でも見なければどんな些細なことにも手助けはしなかったはずだ。せずに済んだはずだった。

「あたしは、あなたが殺した《アイドル》に似ている?」

 冬臣は、言葉に詰まった。自分以外の口から雪奈を殺したと聞いたからなのか、それとも凛に雪奈を重ねたかと尋ねられたからなのか、それはわからない。

「社長が昔言ってた。失敗したら失敗したことで次に成功すればいいって。あたしに当てはめたらチャリティイベント、失敗しても次成功したらいいってことなんだと思う。でもさ、今回しかないんだよ。今回だってあなたがいなければチャンスすらなかった。あなたはどうかな? あなたがしたいことは、なに? チャンスは、ある?」

 凜の瞳の色が変わる。弱々しい物から底知れぬ光を帯びた物へと変わる。

「何もない」

「嘘だよ」

「実現不可能なことなんだ」

「それは、何?」

 赤鳥の、話したくないことでも聞かれた方が良いこともあるとの言葉が、思い出される。

「それで罪を薄れさせ、忘れて生きろとでも言うつもりか? くそ」

 凜は、正しくそれが問いかけに対する答えでないことを理解し、黙って続きを待つ。

「雪奈を《アイドルマスター》にしたかった」

 冬臣はわずか十六歳の凛の問いかけに、絞り出すように夢を語った。

「わかった。あたしさ、命を賭けて《アイドル》をするって言ったと思う。でもそれはね、事務所がやっていけるだけのお金を手に入れるレベルでいいと思ってたんだ。だけどさ、《アイドルマスター》、なるよ。そして雪奈さんのファンだって言い続ける。それじゃ、ダメかな?」

 かつて《アイドルマスター》がスランプに陥ったライバルをライバルと言い続け、復活したライバルと国内最大級のイベント《フェスタ》で雌雄を決したことがあった。そして、復帰した《アイドル》は今なおその名前を業界に残している。《アイドルマスター・高音》、そして正式には《アイドルマスター》ではないにも関わらずそう呼ばれる《如月千歳》その二人の伝説だ。

 それに近いことをすると、凜は言う。名前を覚えていられる限りその人物は生きている、《アイドルマスター》がそうだと言えばその人物は《アイドルマスター》と遜色のない存在となる、そう凜は伝えたいのだろう。

「戯言……だ。だが、何もしないで《スノウ》の名が消えるよりかは遥かに、マシか。俺はそんな事にも気づかなかったのか」

 五大大会の三大会を制した《アイドル》が、そう簡単に忘れ去られてしまっていいのだろうか。という思考と、それを拒絶する言葉が浮かぶのは同時だった。このまま自分の惹かれている《アイドル》がつまらない場外戦に敗れ、日の目を見ることなく消えてしまってもいいのか。その光景が浮かび、答える。否だ。

 もしも冬臣がヒーローで、凜がヒロインの物語ならば《魔法使い》として「魔法をかけてやる」と言えただろう。しかし、そうではない。

「《アイドルマスター》になれると思っているのか?」

《アイドルマスター》になる方法は二つ。五大大会を制覇する。もしくは《アイドライジング》の本場、日本で二年連続トップアイドルを受賞することだ。

「あなたが協力してくれるのであれば」

 買いかぶり過ぎだ。冬臣の性格上、そう発せられるはずだった声はしかし――

「任せろ」――となった。


――現在10


 玉のような汗が浮かんでは滑らかな肌を流れる。身体に溜まった熱を吐き出すように喘ぐが、一向に体温は下がらないのか、凜は顔を赤くしていた。

 運動着はその重量を増し、凜の専用ドレスである《凜音》は輝きを曇らせていく。

「休憩だ」

「まだ……まだ出来るよ」

 そう言う凜の体力は限界近く、冬臣は額面通りに受け取るわけにはいかなかった。休め。そう繰り返したが、凜は首を横に振る。

「本番まで、一週間しかないんだよ?」

 冬臣はチャリティイベントの前に、凜の初仕事を用意した。地方ローカル局の生番組だ。そこで歌うステージを用意されている。《クラシックアイドル》に交じって歌う予定の彼女は、明らかに気負い過ぎていた。

「わかっている」

「あなたの作ってくれた《凜音》にも、雪奈さんの曲にも、恥をかかせたくないの」

「その心意気は買う。だが、悪いな。俺はもう二度と担当アイドルを失いたくない」

 ずるい言葉だった。しかし冬臣の本心でもある。雪奈の事故の原因は未だ不明だ、もしかすると彼女の体調不良だったかもしれない。それほどのオーバーワークを強いてきたことも事実なのだ。

「ごめん、休むよ」

 凜が座り込むと、冬臣はその頭にタオルを掛け、スポーツドリンクを差し出した。

 冬臣の探し出した新たなレッスン場は外観に見て取れるような派手さはなかったが、十二分に施設の整った物だった。冷風を用いず室温を人の身に最も適した温度にする空調、《IL》の使用を可能とする《ステージ》としての機能、様々な角度から《アイドル》の《パフォーマンス》を検証することが可能となる映像システム。

 それらに加え、《A級トレーナー》の資格も有する冬臣がマンツーマンで指導した成果か、凜の実力は既に並の《アイドル》に劣る物ではなくなっている。

「現状で、《B級》並だ」

「あはは、嬉しいな。売れアイドル並ってことだよね」

「ああ。よくやっている」

「ありがと」

 疲労以外の原因でさらに凜の頬が染まるが、冬臣に気づいた様子はない。

「思い出すね、初めてレッスン見て貰った時のこと」

「あの時か、あまり思い出したくないな」

「そう? あたしは――ああでも一つだけ気に入らなかったな」

 朴念仁の冬臣は真意を汲めなかった。郷田のセクハラの件かと思った程だ。

「雪奈さんって、どんな人だったの? あたしと似ているんでしょ?」

「そうだな、凜が事務所を思うのと同じように、雪奈は妹の華奈のことを思っていた。そういうところは似ているな。ただ《アイドル》としてはあまり似ていない」

「そうなの?」

「雪奈の《IL》は《特異》型で、その能力は凄まじかった。《ステージ》の影響範囲でさえあれば例え砂漠であろうと雪を積もらせることだってやって見せる。例え話だがな」

 冬臣は自然と、誇るような顔を見せた。

「あたしとはレベルが違うね……」

 凛がその冬臣を見て、わずかに表情を曇らす。冬臣は特にそれに気づいた様子もなく言う。

「確かに《IL》を用いた《パフォーマンス》は雪奈に軍配が上がるかもしれない。だが、歌唱力は凜の方が圧倒的に高い。もし気にしているのなら心配するな。少なくとも俺は凜を見てもう一度スタッフに戻りたいと思ったんだ」

「なんか、あなたって、結構褒めて伸ばすっていうか、意外、だよね」

 冬臣はタオルで表情を隠す凜を見下ろし、一つだけ確信したことがある。褒めたところで驕らない人種というのは確かに存在し、凜も、そして雪奈もそのタイプであり、であっただろうと。

「そろそろ再開するね」

「ああ、そうだな。始めから通しでやるぞ」

 首肯し、凜が踊り、歌う。その姿は冬臣の下でわずか一月レッスンしただけの《アイドル》の姿ではなかった。


 凜の初仕事当日。

 冬臣は事務所の駐車場からローカル局まで車を走らせている。

「落ち着かないよ」

「練習通りやって問題ない。それだけで恥をかくどころか注目を受けられるだろう」

「そんな言い方で緊張が取れると思ってるあなたも問題だけど違うよ、落ち着かないのはこっち、この車」

「車? 車が何だ」

 ラジオも掛かっていなければテレビも点けていない。無音だ。

 不愉快な振動もなければエンジン音も届かない車内にどんな不満があるのだろうか。冬臣は進行方向を見つめたまま片側の眉を上げた。

「この車、高いんじゃないの?」

「《神在月》が売る自動車の中ではそれなりにする方だ」

「……それ、かなり高いよね? ねえ、そんな車から《D級アイドル》出てきたらどう思われるかとか気にしてくれた?」

 冬臣は信号待ちで止まっていた車のアクセルを踏んだ。

「ぜんっぜん考えてくれなかったでしょ。このやたらと乗り心地のいい車落ち着かない、現場に着いたら絶対出てきたあたしを見て皆がっかりするんだ」

「いいじゃないか」

 バックミラー越しに凜からの非難の眼差しを受けた冬臣が言う。

「労せず人の目を奪える。その後お前の《パフォーマンス》を焼きつけてやれ」

 凜は、俯き、顔を覆った。


 凜の初仕事が始まる。

 司会者といくつかの言葉のやりとりをした後、共演者が歌う。《クラシックアイドル》の中ではかなりの高位にいる少女グループが、今時の女子然とした歌に踊りを踊っていた。観客席は《アイドル》を観る客とそうたいした違いはなく、歓声を上げ、合いの手を打っている。

 凜の傍に冬臣は居てやれない。グループの《パフォーマンス》が終わればすぐに先ほどの彼女たちと同じように、凜は司会者とやりとりをすることになる。凜は今、その司会者の隣で静々と足を揃えていた。

 一際大きな声援と共に、グループの面々が舞台袖へと消えていく。

「それでは本日最後のゲスト、睦月凜さんです。初めましてだよね、新人さん?」

「よ、よろしくお願いします。はい、そうです。新人です」

 ガチガチだった。普段はしない薄いメイクまでした彼女は、その容姿だけでも好印象を与えられるだろうに、その顔を下げてしまっている。

「珍しいね、《D級》でテレビの仕事なんて」

 司会者に悪気はないだろう。しかし、その情報を与えたテレビ局スタッフには悪意があったかもしれない。

 彼らは先刻の《アイドル》グループをトリにしたかったはずだ。今時珍しい《クラシックアイドル》に多額の出資をしている放送局の番組としては大物ゲストとして大々的に起用したかっただろう。それに冬臣は水を差した。

「はい、あの、《プロデューサー》が」

 そんなことは言わなくていい。身振りでそう伝えようとするが、凜はこちらを見ていなかった。それどころかどこも見ていないようにしている。

「おー、すごいね。何々、《A級プロデューサー》とか? すごいね、国内に5人しかいないんでしょ?」

「いえ、その《S級プロデューサー》らしい、です」

 その場が凍りついた。生放送としては致命的だ。

 いち早く持ち直したのは司会者だった。額に滲み出す汗をハンカチで拭いながら引きつった笑みを浮かべ、大きく喉を動かす。

「ああ、そお。うん、えーと、あ、そろそろ《ステージ》の準備出来た? まだ? 早くしないとお」

 司会者と冬臣の目が合うと、司会者はガマのように脂汗を浮かべた。

「り、凜ちゃん、今日の歌を紹介してもらっても、いいかなあ」

「はい、《スノーフレーク》です。花の名前で、花言葉は無垢の心です」

「素敵な花言葉だね、それでは《ステージ》の準備が出来たみたい、よろしく、凜ちゃん」

 力強く返事をした凜の視線が、一瞬冬臣と交じる。冬臣が頷いてやると、彼女もそれを返す。

《ステージ》に立った凜の足は振るえている。表情は硬く、音を聞きもらさないようインカムを強く抑えていた。

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