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~10P

――過去1

「お兄、お姉が、お姉が」

 霜月華奈しもつきかなが涙ながらによこした電話を受けて、師走冬臣しわすふゆおみは今この瞬間まで事故を起こしていないことが僥倖としか言いようのないスピードで、車を走らせていた。

「何故だ。何故……」

 異常気象がもたらす雪の降る街道はとても静かだった。冬臣は車内の暖房を利かせるのも忘れ、掠れた声を白い息と共に放出している。自身が《プロデューサー》として担当している《アイドル》霜月雪奈しもつきゆきなのイメージカラーである白が彼の口から生まれては消えていく。

 血だまりの上に倒れる雪奈の姿が冬臣の脳裏に、否応なしに浮かぶ。ハンドルを指で規則的に叩きながら、車通りの少ないその道にもそびえる信号機を恨みがましく睨み付け、かろうじて守っていた交通ルールもとうとう視界から外した。

 そして、目的地の病院まで目と鼻の先まで辿り着いた次の瞬間、けたたましいクラクションの音と共に冬臣の乗る車は半壊した。


――現在1

 柔らかな陽光を避けて、冬臣は堅いベンチの背もたれに深く体重を預けていた。

 舞い散る桜を、美しいものだと行き交う人々が見上げて行く。そんな中で、冬臣の姿は桜の下に埋まるといわれるそれの影が浮かんでいるようだった。顔色は悪く、希望も活力もないようだ。ただ生きることしか出来ていない脆弱者がそこにいる。陸に打ち上げられた魚の方がよほど澄んだ目をしているだろう。春の日差しも、暖かな風も、冬臣の心にまでは届かない。

「うーそ、つき! うーそ、つき!」

 鬼の首を取ったように幼い少年達が囃し立てている。対象となっている同年代の少女が、その瞳に涙を浮かべている。悔しさに唇を噛みしめているが、もういつ泣き叫んでもおかしくない。

 冬臣の濁った瞳にわずかな光が灯った。その虹彩は少女が首に巻いたチョーカーに似た《ドレス》を捉えている。彼の目にはそれが《簡易ドレス》であることが容易に判断出来た。

「うそじゃない、もん」

 俯いた少女がワンピースの裾を掴む。腹の辺りに描かれているキャラクターにまで皺が寄り、それがまるで彼女に先んじて泣いているようにも見えた。

 何が嘘で、何が嘘ではないのだろう。そう冬臣は耳を傾けた。

「じゃあ見せてみろよお前の超能力ー」

 少年の口振りから、出来っこないという悪意が込められているのは間違いない。

「う~、う~」

 冬臣には全て合点がいった。彼女が《簡易ドレス》を手に入れたこと。それの具合が悪いこと。そして少年たちがそれではなく、彼女に問題があると誤解していることを。少女は豊かなまつ毛を濡らしつつ力み続けるが、不足物のある《簡易ドレス》が機能することはなかった。

「ほら見ろ、うそつきー」

「…………何してるの?」

 年齢は高校生くらいだ。一人の少女の登場で、空気が変わった。少年たちの意地の悪い声は、ぴたりと止み、静寂が生まれる。春らしい装いをした少女の美しさが、普遍的である事実を少年たちは幼いながらも感じ取った。そんな雰囲気だ。

 艶やかな黒髪はしっかりと光沢を放ち、天使の輪を形成し、枝分かれのない真っ直ぐなそれは癖付くことなく重力に従っている。切れ長の瞳はともすれば冷たさを表すが、どちらかといえば凛とした印象を見る者に与える。

「女の子、泣かしちゃダメだよ」

 桜色の唇から紡がれる声は、胸にすっと染み入る。少年たちは気まずそうにお互いを見合わし、素直に謝罪すると思われたその時、一人だけ強がりか何かからか、口を開く。

「でも、そいつが嘘ついたのが悪いんだ」

「嘘じゃないもん!」

 間髪入れずに幼い少女が叫ぶ。少女が困ったように幼い少女の頭を撫でると、少年は続ける。

「そいつが《ドレス》買って貰ったって言うから。《アイドル》になるって言うから」

「そっか、《アイドル》になるんだね」

 少女は幼い少女の目線にまでしゃがみ込み、柔らかな笑みを見せた。どこか彫刻染みた少女に、魂が宿る。そんな笑みだ。

「《ドレス》の調子悪いみたいだね、お姉ちゃんの貸してあげる――」

 小さな声で続けられた言葉は、冬臣の耳には届かなかった。ただ、予想は出来た。それは、冬臣からすれば最大の悪手で、彼は何ら関係のない少女たちのために、不思議と行動を起こす。

「《ドレス》は貸し借りをする物じゃない」

 はっきりと、その場に不審者が現れた空気が漂い始める。無理もないだろう、日中どこへ向かうでもなくスーツ姿で公園に現れる男など、それが自身でさえなければ冬臣もそう思うに違いない。

 だからか、彼は自分の身分を表すように《アイドル》には通じるだろうツールを懐から取り出し、それを少女へと掲げた。冬臣の誤算はそれが通じなかった事だ。

「どちらさま?」

 少女は幼い少年少女を庇うように冬臣との間に立つ。不審者と思しき男を前にした彼女は、その美貌も手伝い、並の変質者であれば踵を返すほどの威圧感を放った。

 変質者であれば一目散に退散しただろう。しかし冬臣は変質者ではなかった。そして、やや感情が鈍化していたのが幸いした。怯む様子もなく、加えて運の良いことに、久しぶりに開いた口も吃ることなく言葉を形取れたのだ。

「失業中の《チューナー》だ」

 超能力を持った《アイドル》がその能力である《IL》を用いて《パフォーマンス》を行う《アイドライジング》の人気が隆盛している昨今、彼女たちを表舞台へと送る《プロデューサー》と言えば高所得職業の代名詞か、詐欺師の代名詞だ。だからか、冬臣は本業を口にすることはしなかった。

「で? その《チューナー》崩れが何の用?」

 子供たちが怯えているでしょう? そう、力の込められた瞳が物語っている。しかし、冬臣にはその力に屈するわけにはいかない理由があった。

「その《ドレス》、一緒に指輪が二つ入っていただろう。それはどうした」

「ちょっと」

 自分の頭上を飛び越える振る舞いをされ、少女は非難するが、幼い少女は答えた。

「お母さんが危ないから預かるって」

「そうか、いい親御さんだ」

《簡易ドレス》とはいえ数十センチは飛ぶ、というより浮かぶ事が出来る。操作を誤れば怪我もないことはない。危険度で言えば自転車レベルではあるが、幼い少女が一人で繰るには不安を覚えるのも無理はないだろう。

「《ドレス》を貸してみろ」

 幼い少女が首から《簡易ドレス》を外し、冬臣に恐る恐る手渡す。少女は幼い少女自らが差し出したからか、それについて言及することはなかった。

 冬臣が預かった《簡易ドレス》の、幼い少女に触れていた面を観察する。金糸状の物で画かれた《回路》がそれぞれ意味を為す形で編み込まれていた。冬臣はその一つ一つの主旨を解すると、それに手を加える。

 通じなかった名刺代わりのツールを開くと、裁縫キットのような物があらわになる。太さや長短の異なる多くの針状の物、《回路》を形成している物と同質の糸に近い物質。それらを駆使し、冬臣が《回路》を編む。

 もしもこの場に《ドレス》を調整する者の代名詞、《チューナー》が居れば目を見張っただろう。それほどの速さと正確さで冬臣は《回路》を作り上げた。

「一分だ。《IL》を流し込んでから一分経ったら自壊するように組んである」

 冬臣は一つの嘘と共に幼い少女に《簡易ドレス》を返却した。

「じかい?」

「一分経ったら電池切れだ」

「わかった!」

 目を輝かせた幼い少女が大慌てで首に《簡易ドレス》を巻く。そして、彼女は数十センチ浮かんだ。浮かぶ少女の足元には、《簡易ドレス》のあるパーツが作り出した《疑似IL》の残滓である光の粒が放出されていた。その美しさに、少年たちが歓声を上げる。

「歌ってみろ」

 冬臣の言葉に幼い少女が小さく頷く。開かれたその口から、拙い歌と《簡易ドレス》の作り出した音符が大気に舞う。その光景を前に、最早彼女を揶揄していた少年たちの姿はなかった。ランニングをしていた老人が、顔を少年たちへやった。犬の散歩をしていた老婆が、足を止め、頬に皺を刻む。

 レッスンなどしたことがないのだろう、冬臣からすればその歌は未熟もいいところだった。しかしそれでも道行く人たちの心を惹きつけることが出来る。これが《アイドル》と《クラシックアイドル》の違いだろう。《アイドル》は《クラシックアイドル》同様歌・踊り、それに加えて超能力である《IL》と、よりエンターテイメント性を持たせた《パフォーマンス》を行うことが出来るのだ。

 そして冬臣の手を煩わせることなく、一分間限定の《アイドル》は地上に降り立った。

「おじさん、ありがとう」

 幼い少女の満面の笑みに、冬臣は久方ぶりに表情筋を極々わずかだが動かし、彼女に応じた。それからその場に高校生くらいの少女だけを残し、幼い者たちは諍いなど忘れたように仲睦まじくその場を後にする。

「ごめん」

 幼い少年たちを見送る視線のまま、少女が言った。

「逆の立場なら俺もそうする」

 気にするな。そう口にしつつ、冬臣は脳内で否定する。自分なら、無関係な事柄に首を突っ込んだりしないだろう。結果としては横やりを入れたが、それも今目の前に立つ少女が先にお節介をしたり諍いの元が《ドレス》であったりしなければなかったはずだと。

「あのさ、失礼ついでに重ねて何だけど、直せる?」

 そう歯切れの悪い言葉と共に、少女は《ドレス》を差し出した。機械を内包している硬質のチョーカーという見た目に、簡易式ではない事を冬臣は一目で悟り、困惑顔を浮かべる。

「《チューナー》はどうした?」

「うちの事務所、いないんだ」

 外注、という意味合いでないことは彼女の表情からいくら何でも察しがつく。しかし冬臣は内心不可解に思う。子供好きなのだろう目の前の少女が、先刻の少年たちに害を与えるとは想像出来なかったのだ。

「そんな《ドレス》をあの子に貸そうとしたのか?」

「ち、違うよ。ちゃんとあたしの《ドレス》貸すつもりだったよ! 汎用型だし」

「そうか。ただどのみち《アイドル》用に《チューニング》された《ドレス》を素人に貸すという発想がありえん。事故の元だ」

「そうなの? ごめん、知らなかった。助かったよ」

 顔面蒼白とは言い過ぎだが、本気で知らなかったことは通じる彼女の顔色に、冬臣はそれ以上責める言葉を探さなかった。その代りに、彼にとっては余計なひと言を口が勝手に利いた。

「気を付けた方がいい。後悔することになるかもしれない」

 後悔は晴れない。冬臣は今なお悔やみ続けていることから、そう断言出来る。少女が首肯し、冬臣は改めて手渡された《ドレス》を観察した。複雑な幾何学模様と化した《回路》は信じられない程の精緻さで画かれ、肉眼ではどんなシステムを構築しているのか冬臣の《ドレス》に関する豊かな知識を持ってしても分からない。ただ、その馬鹿げている程の超絶技巧の塊に、彼は一つ思い当たる名があった。

「まさか《エアリアルレイド》か?」

 その名を口にした途端、少女は冬臣の手を取った。手専門のタレントでも通じるほどの滑らかで、しなやかな少女の手から体温が伝わり、冬臣はそっとその手を外す。

「見ただけでわかるの? 凄いよ!」

 理解者に出会えた孤高の者というのはこんな表情をするのかも知れない。そんな笑顔だった。 しかし冬臣の表情は暗い。たかが《ドレス》の名を当てただけだと本人は卑下している。そんな彼をよそに、少女は喜色満面で、二人の温度差が痛々しい。

「修理出来る!?」

 出来るよね? 少女の顔にはそう張り付いていた。そして、それを確信までしている節まである。見た目からはわからないが、藁にも縋る思いをその声から冬臣は受け取る。

「《ドレスメーカー》で細部を調べるのが先だ」

「ど、《ドレスメーカー》か、うちの事務所あるかなあ」

 軽く握った手で顎を覆うと人差し指で唇に触れ、少女が呟く。内容としては《アイドル》を有する芸能事務所としては劣悪な環境ではないかと思わせた。だが、関係ない。冬臣はそう結論付けた。

「俺はそろそろ失礼する」

「待って。明日、暇? うちの事務所に一回来てみてくれない?」

 暇と言えば暇だった。明日どころかこれから先ずっと。緩やかに減り続ける預金残高がゼロになった時、冬臣がどういう行動に出るのかは彼自身も知らない。

「メリットがない。そもそも興味がない」

「う、メリットか。お金、はうちの事務所貧乏だし、労働、そう、労働で払うよ」

 女給の真似事でもするつもりだろうか? 一瞬だけ冬臣はそう思考したが、生憎彼にその類の趣味は無く、それがメリットとは感じ得なかった。

「不要だ」

 冷たく言い放ち、冬臣はその場を後にした。少女は黙ってその背を見送った。


――過去2

「よう、マホウツカイ。シンデレラの調子はどうだい?」

 肌の黒い陽気な男は、親しげに冬臣に話しかける。冬臣もそれに対して悪印象を持っていないようで、少しだけ頬を上げ、白い歯を覗かせた。

「いい。あいつは最高の《アイドル》だ」

「それ本人に言ってやれよ? お前他の《トレーナー》たちの間でクソ評判わりいぜ?」

 怒鳴りつける、オーバーワークすれすれまで反復練習を繰り返させる。冬臣にも諸々思い当たる節はあったが、それでも伸び続ける《スノウ》こと霜月雪奈を見ていると、つい熱くなってしまう。

「下手に褒めて伸び悩んだら、どうしたらいいかわからん」

「その気持ちもわからなくはねーけどな。レディに対して厳しすぎるのも良くないぜ?」

「気を付ける」

「おう、それがいい。たまには褒めてやれ。あと、お前もたまには休めよ」

「シンデレラを乗せた馬車が職務放棄してどうする」

 冬臣はここのところろくに休暇を取っていなかった。雪奈が頑張っているところで自分だけのうのうと休んでいる気分にもなれなかったし、今が彼女の売り時だと確信し、足が棒になるまで《プロデュース》を続けた。《ドレス》の《チューニング》も、彼女のレッスンや《パフォーマンス構成》も、全て冬臣一人でこなした。

 本来分業して行われるはずのそれを一人で、そしてなおかつそれぞれで一流の成果を出した結果《魔法使い》と呼ばれるようになり、その名に恥じぬよう冬臣も努力し続けていた。

 自分では馬車、馬、車輪などと称している。業界内でわざわざ自国の言葉である《魔法使い》という呼称をされるその名誉が誇らしくないはずがない。しかしそれ以上に雪奈の存在があった。《アイドル》の最高峰である《アイドルマスター》に至るだけの力が彼女にはあると冬臣は信じている。そしてそれは自分の助力などなくても辿り着けるものだとも思っていた。

 雪奈が《アイドルマスター》に至るまでの物語の主人公は冬臣ではなく、雪奈なのだと知っている。だから自分は大層な役になど付かなくていい。そう思っていたのだ。

「お兄、お腹空いた」

 走り寄って来た華奈が冬臣の腰の辺りに抱き着く。緩やかなウェーブの掛かった髪は肩甲骨の辺りまで伸び、それが綿菓子のように柔らかなことを冬臣は知っている。

「やあ、リトルシンデレラ。チョコバー食べるか?」

「食事前にそんな油分だらけの重々しいものを食わせるな」

「へいへい、子煩悩なこって」

 冬臣の背中に隠れるように華奈は移動し、そこから陽気な男を覗くと、顔をはにかませた。


――現在2

 最早冬臣の定位置となっていたベンチは、珍しく野良猫に占拠されていた。仕方なしに公園をさ迷うが、今日に限ってどのベンチにも先客がいる。ようやく見つけ出した空のベンチに腰を下ろすと、そこからは一つの大型モニタが目につく。

「お、《高音》だ。復帰しねえかなあ」

 モニタを仰ぎ見ながら、通りがかりの大学生らしきグループの一人が漏らす。そして少しずつ曲が聞こえ始めた。もう引退してから五年になるというのにシーズンになると必ず掛かる《高音》の桜をイメージした曲だ。

「私は《如月千歳》派かなあ」

「おいおい、お前ら引退した《アイドル》しか挙げないとか歳取ったな」

「ばっか、ちゃんと《season》とかも好きだって」

 冬臣は目を閉じ、俯くと、頬を噛んだ。しばらくそうして、止めた。心に生じた波は静まり、ため息を吐く。あとはいつもの通りだ。目を閉じ、耳を塞ぎ、全ての感覚を鈍化させる。

「今、暇?」

 閉じていた瞳を開くと、つい先日振りの顔があった。端麗な容姿は今日も揺るぎがなく、自身の手入れに手抜きをしない真面目さを垣間見せている。

「そう見えるか?」

 見えるだろうことを冬臣は確信しているが、それでもそう問うた。暇だと答える訳にも暇ではないとも言えず、彼は答えを他者に求める。

「結構、腹立つ感じ」

 分からなくもない感想、むしろ真理だろう。落ち込んでいる人間など見ていて楽しいものではない。冬臣が意外だったのは、それを少女が見抜いたことだった。十代中頃とは言え、それが女性らしさなのかもしれない。

 冬臣が自嘲的な笑いを浮かべて返す。鼻でも鳴らされるかと予想していたが、少女はそうしなかった。一瞬だけ眉根を寄せると、胸に手を添え、彼女は言う。

「名乗ってなかったよね。白井芸能プロダクション所属アイドル見習い睦月凜です」

 名乗り返すのに手間取る冬臣を待たず、凜は彼の濁った目を強く見据えた。

「我ながら、自分勝手だと思う。けど言うね。あたしはあなたがどうしてそんな風になっているのか知らないし、質さない。でもあなたの力が欲しい。協力して下さい」

 年相応の、頭を深く下げるだけの不恰好なお辞儀だった。腰から曲げる、きちんと定められた角度で行う、そう言った類のものとは異なる無様さだ。それでも伝わってくる想いはある。

「《チューナー》としての力か?」

「あたしにはあたしだけの《ドレス》が必要なの。汎用型じゃなくて専用型の《ドレス》が」

 冬臣は一つだけ釘を刺すことにした。専用ドレスは童話に出てくるような魔法のドレスとは違う。手を加えずともあつらえたように馴染む物でも、王子の心を惹きつける物でもない。《ドレス》自体には何の力もないのだ。《ドレス》はあくまでも《アイドル》の《IL》を補助するためだけの道具に過ぎない。

「《ドレス》に頼る前に実力をつけた方がいい。お前は《エアリアルレイド》に相応しい《アイドル》である自信があるか?」

《エアリアルレイド》は《ドレス》製作の第一人者が酔狂で製作した《ドレス》だ。歴代で使いこなした《アイドル》はただ一人。加えて諸々の事情から、多くの者には欠陥ドレスとまで言われている。

「わからないよ。あたしには《チューナー》だけじゃない、《トレーナー》も《プロデューサー》もいないんだ。あたしの実力、量りようがないよ」

「諦めろ」

 そう答えるのが正解だった。仮に冬臣が目の前の少女を《アイドル》として認めたとしても素人に毛が生えた程度のもので違いないだろう。そんな低レベルの《アイドル》が《エアリアルレイド》を使えば事故に遭う確率はかなり高くなる。過去がなかったとしても冬臣は承服し兼ねただろうし、冬臣以外の業界関係者でも間違いなく同じ答えを提示するはずだ。

「諦めない」

 少女の瞳は光に満ちていた。冬臣には、その目に覚えがある。唯一にして最高のパートナー、雪奈が宿していた輝きだ。だからこそ彼は汚い手段を取る決意をした。

「《エアリアルレイド》は過去五人の《アイドル》を再起不能にしている。当然彼女らの所属事務所は責任を取り、後に閉鎖へと追いやられた」

 要するに冬臣は、凜が高確率で事故に遭うこと、そうなった時に白井芸能プロダクションへ尋常ならざる被害を与えると示した。愚者であれば自分はそうならないと妄信し、聡い者であれば所属事務所への迷惑や、《エアリアルレイド》に拘るメリットがないことに気づく。

 凜は愚者でも賢者でもなかった。だからこそ、なおさら冬臣の中で雪奈の影がちらつく。

「あたしがやらなきゃ事務所が潰れるんだ。だから、仮に失敗してもデメリットはないよ」

 例え被る害に思い当たったとしても、保身よりも得なければならないものを知っている。勝負をすべき時を肌で感じている。そんな、心根だった。冬臣は凜のそれを感じとった。だからこれから言う語の無意味さを知っている。

「《アイドル》をしていて死ぬこともある」

 それが直接的原因、間接的原因かを冬臣ははっきりとは言葉にしない。

「あたしは、あたしの命が事務所のために燃え尽きるのならそれでも構わない」

 懐かしさからか、枯れ果てたと思っていた涙が浮かび、視界が揺れるのを冬臣は感じた。

「当てはある。だが、期待はするな」

「ありがとう」

 夕日を背に、彼女は柔らかな笑顔を浮かべた。

 冬臣は、凜から《エアリアルレイド》を受け取った。表裏に金糸状の物で画かれた《回路》が日光を反射し、赤く輝く。


――過去3

「君はどの子がいいと思うかね?」

 貧困率の高いこの国においては珍しい、恰幅の良い男が尋ねた。ろくな者がいないという訳にも行かず、冬臣は少しだけ思案する仕草をし、答える。

「そうですね。2番、4番、10番、14番のうちの誰かだと思います」

「やはり4番かね! いやああの豊満なボディ! あれだけで売りになるよ君ぃ!」

 冬臣は愛想笑いを浮かべながらも、心の中では舌打ちする。噂に聞いた名スカウト《星拾い》でなくとも分かるほど、いや《星拾い》ですら見つけられないと思えるほど、今回のオーディションに集まったメンバーは酷かった。誰一人突出する者がいなかったのだ。

 しかもその事に冬臣以外の審査員は気付いていない。彼が優秀なのではない、スカウトとしては十人並みの能力しか有さない彼の目すら騙せる参加者がいなかったのだ。

 資格ばかりで実績のない冬臣を唯一スタッフとして雇い入れてくれた芸能プロダクションに対して彼は感謝の気持ちを持っている。それでも実績を積めないことが確実な仕事に、それを割り振られることが確定した怒りは、それに見合わない。

「帰りは社の車を出そう、ここは君の生まれ育った国とは治安が違うから間違っても一人で出歩かないことだよ。日本人などよいカモ扱いだ」

「はい、ありがとうございます」

 言葉は冬臣の思いに反して自然と出る。彼の本心では感情に任せて駆け出したい所だった。しかしそれで命を落としては元も子もない。冬臣は素直にこの国に不釣り合いな高級車に乗り込んだ。

 しかし運のない時はとことんないものだ。社用車で移動していたのにも関わらず、冬臣は現状で周囲を取り囲まれている。運転手の話ではこの辺りを縄張りにしているギャングらしい。金をいくらか支払えば見逃して貰えるそうだが、不運なことにこの国に来たばかりで財布の中身はその最低限の額に達していない。

 リーダー格の男が捲し立てる言葉を理解できる自分が冬臣は嫌になった。こんなことなら事前に学ぶのではなかったとさえ思う。男が言うには、冬臣の乗る社用車程度の重用具合である社員なら殺しても社長は報復しないとの事で、酷い話だ。運転手もさして悪びれもせず、後部ドアを開く。冬臣の仲間は誰一人いないようだ。

「よう日本人。しこたま持ってんだろ? 出せ」

「財布は丸ごと出すから《ライセンス》だけは返してくれ」

 同郷の言葉で返されたからか、リーダー格の男は一瞬目を丸くしたが、手慣れた様子で差し出された財布を受けとり、中身を確認すると逆上を始めた。額に青筋を浮かべ、舌なめずりをするように声調に粘りが入る。

「舐められたもんだなあ、これっぽっちで俺たちが退散するとでも?」

「《ライセンス》さえ残してくれれば全て剥いでくれて構わない」

「かっこいいじゃねえか。けどよお、手前の服剥いでも売りさばくルートが俺達にはねえんだわ。金が取れねえなら仕方がねえ、俺らの憂さ晴らしに付き合って貰うぜ?」

 リーダー格の男が硬質カード状の《ライセンス》に手を掛け、へし折ろうとした瞬間、冬臣の身体は無意識に動く。慣れていないその動作に、拳が痛んだ。

「ぶっころ――」

「――ねえ、邪魔何だけど」

 リーダー格の男のだみ声に、冷たい声が一つ被せられた。薄汚れた少女達だった。年の頃は十代前半、姉妹なのだろうよく似た二人の内、妹と思われる少女が姉の身体を隠すボロ布の端を掴み、怯えきった顔をしている。他方、姉は酷く冷めた目でリーダー格の男を見据えていた。

「ああ! 邪魔なのは、て、め」

 明らかに少女よりも年上だろうリーダー格の男が怯んでいた。その光景は冬臣にとっては異常だったが、ギャングたちの事情では無理らしからぬようで、誰もが口を噤んでいた。

「三人、死ぬわよ。妹に手を出すなら五人。それだけは絶対」

 冬臣も自然と息を飲んだ。少女の持つ雰囲気は、冬臣の今までの人生で目にしたことのない物だった。酷く喉の乾く、そういった類の物だ。

「行くぞ」

 リーダー格の男が、冬臣の財布を彼目がけ放り投げその場を後にした。残された冬臣は、同じく残された姉妹に無遠慮な視線を向けてしまう。垢の付いた肌に、油で汚れた髪、荒んだ瞳に身体を隠すだけのボロ衣。

「ねえ」

 姉の方が冬臣に声を掛ける。その声は気だるげなようで、含みが込められたようなそれだ。

 酷く蠱惑的な声で彼女は言う。

「《アイドル》ってお金になるんでしょう?」

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