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配達竜が運ぶもの(4)

 リオラが翼の下から出て行く気配に、イムナは目を覚ました。己の尻尾の上から長い首と頭を持ち上げ、開いていた片翼も折りたたむ。

 うなり声を出しながら伸びをしたリオラは、イムナに向き直った。朝日の眩しさに、その双眸は細められている。

「起こしちゃった?」

 寝起きは良いらしく、はっきりした声で聞いてくる。

「いや」とだけ、イムナは答えた。嘘だった。

「そっか。……昨日は、恥ずかしいところを見られちゃったな」

「涙を流すのは恥ずべき事なのか、人間においては」

「え? そうだと思うけど──そうじゃないのかな。改めて考えると、よくわかんない」

 問いに意表を突かれたリオラは、しどろもどろになって言う。

「どちらにしても、涙とは生理的作用で分泌されるものだ。無理に我慢するよりも、出てくるならば流してしまった方がよい。感情と関係が無い場合でも、目に遺物が入ったら涙が出て、目を守ろうとするだろう」

「せいりてきさよう……? よくわかんないけど。泣いてたら、弱い奴だとか、頼りない奴だとか思われちゃうからさ、あたしは泣いたりしないって決めてた。昨日は、なんか止められなかったんだけど……」

「気分は楽になったのだろう」

「んー、確かにそうかも」

「……」

 イムナはしばし黙考して、再び口を開く。

「つまりそういう事だ。無理して堪えるようなものではない。泣く者は弱いのか。泣かない者は強いのか。そんなに単純なものではあるまい。リオラは、他の者からの評価を気にしすぎているのではないか? 自制というのは時に必要な事だが、自制が自縛となって己を苛むのなら、それは間違っているのではないか」

「……」

 今度はリオラが沈黙した。イムナの言葉の意味を吟味しているのかもしれない。立ったまま、その視線はどこも見ていないようだった。物思いにふける時の目だ。

 少女がずっとそうしているから、イムナは川に行って水を飲み、顔を水につけて洗った。

 イムナがリオラの側まで戻ってくると、彼女は振り向いてきた。

「イムナって────よね」

 呟くような小さな声でリオラは言った。

「我が、なんだ? よく聞こえなかったが」

「あ──なんでもない! でも、ありがと。イムナのおかげで気分が良くなった気がする。あたし、色々あって気が張りすぎてたのかもなあー」

 リオラは朗らかな笑顔を浮かべていた。

「そうか」

 それだけ返事を返して、空を仰ぐ。今朝のそれはどこまでも蒼い。昨日よりも雲が少ない快晴。良い飛行日和だ。

「今から飛べば、日が暮れる前にはツッカに到着するだろうな」

「二日で着くのかー。飛んで行くと早いなあ。馬車で行くと、五、六日はかかるって聞いたよ?」

 言いながら、リオラは自分が入っていたというか閉じこめられていた木箱の中をあさって、水筒と何かを取り出し、その何かを食べはじめた。

 板状の食べ物らしく、銀色の紙ほはがして、中身である褐色の部分を割って口に入れている。イムナは見たことが無い食べ物だった。

「その食べ物はなんだ? 甘い匂いがするが──」

 聞きながら、リオラの手に握られたそれを覗き込むように顔を近づけ、黄金の瞳も、ひときわ輝かせた。

 イムナは、人間の少年のように好奇心旺盛な竜だ。それゆえに人間の事にも興味を持っているのだが、性格と口調のせいで、その本性に気が付く人間は少ない。

「これ? 普通のチョコレートだけど。食べたこと無いの?」

「無い。そういえば──ラウの町を出る時に、町長が言っていたな。我の鱗の色がチョコレートのようだとか。あの時は、チョコレートとやらの詳細を聞きそびれた」

「あー。言われてみると、イムナと似た色だね」

 リオラは、面白そうにチョコレートとイムナの褐色の鱗とを見比べていた。

「どんな味がするのだ? 食感はどんな感じだ? 原材料はなんだ?」

「味は、甘くて、ちょっと苦みもある感じかな? 口の中で噛んだり舐めたりしてると溶けてくるよ。材料は、カカオとか砂糖とかミルクだったと思うけど……」

 リオラの説明を聞きながらもイムナは、興味津々といった様子で顔を近づけていき、もうリオラに吐息がかかりそうなくらいだった。

「ちょっ、ちょっと! そんなに近づかなくても!」

 リオラは急接近する竜の鼻先を、空いていた左手で押し止めた。そこで大人しく止まったイムナは、物欲しそうにチョコレートを見つめていた。食べてみたいという意志が強く瞳から放たれている。

「……欲しいの?」

「できれば」

「いいけど。イムナには小さすぎるかもね、これ」

 リオラは新しくチョコレートを取り出すと、その銀紙を全てはがしていった。イムナの大きい指では難しいだろうと思ったのだろう。実際、そのチョコレートの銀紙をはがすのは、手先が器用なイムナでもできそうになかった。

「はい、どうぞ」

 リオラは、差し出された大きい竜の掌にチョコレートを一つ、そのまま置いた。

「ありがとう」

 イムナは礼を言うと、鋭い歯牙が立ち並ぶ顎を開き、彼にとって小さすぎる板状のチョコレートをその中に放り込んだ。口の中に、今までに食べたことの無い甘みが広がる。甘いのだが、微かに苦みも感じた。舌の上で転がしていると、すぐに溶けてくる。

「どう? 美味しい? これ、疲れた時とかにもいいんだよね。食べ過ぎると気分が悪くなるけど」

 リオラは微笑みながら、イムナに感想を促す。

「不思議な食感だな。口の中ですぐに溶け出した。妙に甘いが……なかなか」

「美味しいでしょ。チョコレートを食べた竜って、イムナが初めてなんじゃないの」

 リオラは微笑した。

「そうかもしれん。人間しか作っていない食べ物だろう。ところでリオラ」

「ん、何?」

「できたら、もう一つ……」

 ねだるように言うイムナ。それが可笑しかったのか、リオラは吹き出した。

「そんなに気に入ったの? あと二個しかないけど、いいよ。もう一個なら」

 リオラはまたチョコレートを取り出して、銀紙をはがし始めるのだった。


     ◆   ◆   ◆


 季節は晩夏。午後三時くらいだった。

 ツッカの町は、花や森を包有する丘に寄り添う形で存在するラウの町とは、全く違っていた。人工的に創られた川の支流に沿うように存在し、町全体は細長い形になっている。町の中にも縦横無尽に水路が走り、そこには小舟が行き交う。『水路の町』と言われる事があるのも最もだった。

 そんな町の南西の空から、大きな黒い染みが飛んでくる。その黒い染み──〈配達竜〉イムナは、何度か町の上空を旋回すると、町の南の端、街道と町の境目のあたりに着地した。

 実際は黒ではなく、褐色の鱗を全身に纏った竜だった。彼の首元には、大きな革袋が下げられており、そこには配達を頼まれた荷物と──

「とうちゃーく!」

 片手を挙げて元気に声をあげるリオラが入っていた。

 イムナが姿勢を低くすると、リオラは地面に付いた革袋から飛び降りた。初めて空から大地を見下ろした景色を楽しめた事もあり、興奮が収まっていない様子だ。

「この町も今回で九回目になるな。ラウの町と同じだ」

 目の前にある街門から、町の中を覗くようにしてイムナ。

「我がリオラを連れていることを、町の人間にどう説明するか──」

「拾ったから孤児院に入れといて、とでも言えばいいんじゃないの?」

「安直過ぎる気もするが、まあそんなところか。そうだ、リオラ」

 と、イムナは自分の右手の爪で左手の甲の鱗を一つはぎ取り、リオラに差し出した。

「チョコレートの礼だ。町に入ると、我もおまえも忙しくなるかもしれないからな。今のうちに渡しておく」

 リオラは鱗を受け取った。大きさはちょうど彼女の掌を覆い隠すくらい。光沢のある褐色の、竜の鱗。

「あ、ありがとう。でも鱗って、はぎ取って痛くないの?」

「部位によるが、今の場所のは痛くない」

「へぇ、そうなんだ」

「食うに困ったらそれを売るといい。確か、前に立ち寄ったどこぞの町では、竜の鱗一枚で金貨五十枚くらいになると言っていたか」

「き、金貨五十枚!?」

 半年くらいは良い宿を借りて生活ができそうな金額である。

「町によって違うかもしれんがな」

 イムナは淡々と言うが、リオラはしばらく呆然としていた。そして、イムナが街門に向かって歩き出したので、リオラも後に付いていく。竜の鱗は、ズボンのポケットに入れる。

 街門の傍らには守衛の詰め所が置かれていた。そこから守衛が一人出てきて、リオラたちの方に向かってくる。

「……でも売れないよ」

 歩きながら、リオラが呟く。イムナは彼女を振り返った。

「?」

「あたしには売れないよ。大切に持っとくから」

「そ、そうか。まあ好きにするといいが……」

 答えたイムナは少し照れくさそうだった。


 暫くして、二人は案内されて町に入った。

 リオラは、自分の幸福を掴み取るために、新しい世界に飛び込んでいった。

 変わり者の配達竜に運ばれて──


(完)





 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 「おまけ」として、人物設定などを少し載せておきます。

 少し本編のネタバレを含みますので、ご注意ください。


【イムナストージャ=ブラオーン】

 チョコレート色(暗褐色)の鱗をまとった巨大な竜族の雄。131歳。

 金色の眼をしており、左右の角の長さが非対称。右の角が短い。

 ブラオーンは、竜族の中でも褐色の身体の種族につく族名。

 竜族の寿命は人間の約4倍とされる。人間年齢にすると彼は30歳すぎたくらい。

 竜族は強靱な四肢と尾と翼を持ち、頭部に一対二本の角を持つ。

 この世界で竜族は個体数が少なく、生態系の頂点に位置する。

 人間と敵対する者もいれば、友好的なものもいる。

 イムナストージャは後者であり、世界中の人間の街を巡って観光をするついでに、

 町の人間の手紙などを別の町に運ぶこともしている。

 それゆえ、「配達竜」という愛称で呼ばれることが多い。

 名前で呼ばれる場合も「長いのでイムナでいい」と本人から言うことが多い。

 性格は冷静かつ淡泊だが、実は好奇心旺盛であり、冗談も通じる。

 嫌いな物は『停滞』。常に時の流れ、及び、それによる変化を感じたいと思っている。

 本人は気づいていないが、孤高であるのが自然体の竜でありながら、

 無意識的に他者との交流を求めている節がある。


【リオラ=フォーリーブ】

 父ラーダン=フォーリーブ、母パオラ=フォーリーブの一人娘。12歳の少女。

 明るく快活な性格。見栄を張りがちで、人前では滅多に弱音をはかず、

 弱みも見せないようにふるまう。

 赤みがかった茶色の髪を短く適当に切りそろえたような髪型。

 少し大人びた精悍な顔つき。

 父は交易商人の仕事でいくつかの町と巡回して仕事をしていたが、

 商隊キャラバンが盗賊に襲われて、その時に死亡。リオラが5歳の時。

 母はリオラが11歳の時、病に倒れて死亡。

 母が死んだときに一人になり、母の親戚のサンディット家で養われることになった。

 サンディット家では、サンディット夫妻の娘、2歳年上のソフィニアとすぐに打ち解け、

 母を失ったショックからなんとか立ち直っていくリオラだったが、

 11歳のある日、「毒蛇事件」がおきてしまう。

 その日はリオラの誕生日会をする予定で、一緒に飾り付け用の花をつんでいる時に、

 ソフィニアが毒蛇にかまれてしまったのだ。ソフィニアはなんとか回復したが、

 その後はサンディット夫妻から冷たく扱われるようになる。

 ソフィニアともあまり遊ばせてもらえなくなった。

 そしてソフィニアの家族から精神的な苦痛を与えられる日々が始まる。

 その性格から、屈することが無いかのように明るくふるまっているが……

 家族をすべてうしない、新しい家族の一員になれる希望もなくなった。

 「あなたにとっての幸せを自分で見つけて、自分の手でつかみ取りなさい。

  待っていても、誰も幸せになんてしてくれないからね」

 息を引き取る前に母が強く言った言葉を、リオラは幼い頭でよく反芻した。


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