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配達竜が運ぶもの(3)

 雷が鳴ったのかと思うような低い轟音と、全身が揺さぶられるような衝撃に、リオラは浅い眠りから起こされた。

「ひゃっ……!」っと、思わず声をあげてしまい、慌てて口を手で塞ぐ。

 その強い衝撃と音の後は、一定間隔で軽い振動を感じた。〈配達竜〉が歩いているのだろう。

(ってことは、さっきのは着地した時の──まさか、もうツッカの町に到着したっていうの? そんなに長い間眠ってはいなかったと思うけど──)

 寝起きではっきりしない頭で考えながら、懐中時計を取り出そうとしかけて、やめる。

(殆ど真っ暗なのに、見えるわけないや)

 しばらくの間、竜は歩き続けた。

 静かだった。鳥の声と虫の声。そして時折強くなる風の声。

 いや、もう一つ別の音が耳に入ってくる──最初は微かだったが、水のせせらぐ音が聞こえてきた。それは徐々に大きくなる。竜は、川の側にでも向かってるのだろうか。そして、竜が立ち止まる。

「悪くない。ここで休むとするか」

 呟く声が、リオラにも聞こえた。

(休む……? ってことは、まだ町に着いたわけじゃなさそうね)

 リオラは状況を確認する。

 そして、また振動が起きた。リオラはどうにか声を出さずに、何が起きるか解らないという恐怖に耐えた。

 ドサッ──

(うわっ! 地面に降ろされた……? 革袋ごと地面に置いたのか)

 そして、今度は竜の歩くが音が聞こえても振動が起きなかった。やはり竜の身体から離れている。革袋ごと地面に置かれたのだろう。

 〈配達竜〉の歩く音はすぐにとまり、今度は水が跳ねるパシャパシャというような音が聞こえた。

(水浴び? いや、水飲んでるのかな。そういえば──喉乾いたし、お腹空いたなあ)

 一旦そう思うと、それを頭から消すことはできそうになかった。

 何か飲みたい。何か食べたい。箱に入る前に軽く朝食を食べてから、何も口に入れていない。

 木箱には、彼女が持ってきた少量の食べ物と、水筒に入った紅茶もある。しかし、木箱の中でそれらの荷物を手にとって飲み食いするのは、暗さもあるし、空間の狭さもあるせいで、難しそうだった。無理をしてなんとかするにしても、食べたり飲んだりすると、音を立ててしまうだろう。

 竜が水を飲み終えて戻ってくる足音。それが止まるのと同時だった。

 グゥゥォー……

 緊張感の無い、リオラの腹の音が鳴った。妙に大きく聞こえる。箱の中で反響したせいかもしれないが、外の竜にも聞こえたかもしれない。

(やばっ。最悪っ! 気づかれるっ!)

 焦りと羞恥で、リオラは暗闇の中、冷や汗を流しながら頬を染める。

「………………」

 少しの間、竜は沈黙していたが──

「……もう出てきたらどうだ。身体に悪いぞ、そんな場所に長く入っていると」

 リオラはビクリと身体を震わせ、硬直した。鼓動の音が早くなったのが自分でもわかる。

「ば、ばれちゃった?」

 恐る恐る、小さめの声で木箱の中から。

 竜が嘆息するのが聞こえた気がする。

「最初から知っていたのだがな」

「あー、やっぱりそうだったんだ」

「いつ声をかけようかと思案していたのだが──腹が減っているのだろう? 我はこれから食べるモノを狩ってくる。そこから出てきたら、分けてやってもいい」

 竜の低い声は、木箱の中までよく響いてくる。淡々とした話し方で、感情は察知できなかった。しかし自分に対して怒っている様子でもなく、敵意なども感じられなかったので、リオラは安堵した。

 長い間、ばれないようにと声を押し殺していたのだが、その必要が無くなり、緊張から免れることができた。

「えーと、それじゃ、お言葉に甘えて早速────あれ?」

 リオラは、木箱の上の部分にあたるフタを強く押し上げようとした。しかしフタは動かない。頑なに閉じたままだった。全く開く様子がない。

「ちょっ……! 開いて! 開けー! うおぉーっ!」

 ドンドンと木箱のフタを手で叩く音が、虚しく響く。何度も繰り返したが、どうやら内側からは開けられないようだった。

 なんともきまりの悪い事態になってしまった。

「はぁはぁ……まじで開かないし。そういえば、外側に留め金があったっけ──」

 木箱の暗闇の中で無様に暴れて、息を切らすリオラ。この木箱を選んできたのはソフィニアだったが、どうやら開ける時の事まで考えが及んでいなかったらしい。それはリオラも同様だったのだが。

 試しに箱に入ってみた時は、留め金を締めなかった。〈配達竜〉に渡す時にはソフィニアが締めていたのか、或いは、何度も揺れたりしたからその拍子に閉まったのか。今となっては、リオラに知る術は無い。

「……開かないのか?」

 訊いてくる〈配達竜〉。呆れたような声色に聞こえる。

「あ、あはは……。たぶん、外側の留め金を外さないと、開かないかも」

 ごまかし笑いが漏れるリオラ。

「……自分では出られないわけか」

「そ、そういうことになるかも。あはははは──」

「……阿呆だな」

 〈配達竜〉が断言する。

「っ!」

 淡々と竜に断言されて、精神にかなりの打撃を受けるリオラ。

 竜は嘲るようでもなく、馬鹿にするようでもなく、笑うこともなく、ただ今の彼女に相応しい言葉を冷静に選択し、口にしただけのようだった。それが分かるのが、余計にきつい。

「そんな、はっきり断言しないで欲しいというか、なんというか」

「いやしかし、他に言葉が思いつかなくてな」

 あまりに馬鹿げた展開に、竜も唖然としていたのかもしれなかった。

「くうぅ……」

 屈辱だが、どうしようもない。自分とソフィニアの二人ともが間抜けだったという、逃れようのない事実がここにあるのだ。屈辱的な言葉を受けたことで怒ろうにも、自分の立場の方が不利すぎる。もっとも、竜を相手に怒りをぶつける事などできそうになかったが。

「まあ開けてやろう」

 悔しくて歯がみしていたリオラに構うことなく、竜が木箱を手で持ち上げるのが解った。そしてまた地面に降ろす。荷物が入った革袋から、木箱を取り出して地面に置いたのだろう。揺れは少ないから、扱いは丁寧と言える。

 そしてすぐカチリ──と留め金が外れる音。巨大な手を使っている割に器用だなと思うリオラだった。

「留め金は外したぞ」

「あ、どうも……ありがとう」

 言いながら、リオラはついにフタを押し開いて、窮屈な闇の中から外へと顔を出した。

「わっ!」

 眼前からさほど離れていない斜め上方に、〈配達竜〉の顔があった。光沢がある褐色の鱗に覆われた、巨大な竜の頭。左に長い角、右に短い角が、斜め後ろに突き出ている。

 〈配達竜〉は、その黄金の双眸で、木箱から出てきたリオラをしげしげと見ている。町の公園で遠くから見つめた時の竜の頭とは、迫力が違った。今はすぐ目の前にいるのだ。

 巨大な竜の身体がリオラの正面に鎮座していたため、彼女の視界の殆どは、竜の褐色の身体で占められている。

「あー、びっくりした……。いきなりそんなに近くに〈配達竜〉さんの顔があるんだもん。食べられるのかと思った」

 驚いて木箱の中に尻餅をついた体勢でリオラ。彼女は再び木箱の中から立ち上がると、まず大きく伸びをして、手や足を振ったりした。ずっと同じ姿勢で何時間も箱の中にいたため、身体がこわばっている。

 木箱から出てきたリオラは、白いブラウスにデニムのズボンという服装をしていた。

 さっきは突然で驚くことしかできなかったが、改めてよく見ると、やはり竜の身体は綺麗に思えてきた。日が沈みかけていて、夕焼け空の赤紫に竜の鱗が映えていたからかもしれない。

 あたりを少し見回してみると、竜や自分がいる場所は、石が転がっていて丈の低い草がまばらに生えている川縁だった。左手には幅の広い川が緩やかに流れているのが見え、右手には、木がまばらに生えた広大で平坦な草原が続いて見える。

「一応、初めましてと言っておくべきか」

 と、リオラの言葉には反応をしめさず、〈配達竜〉は口を開く。

「まず名前を訊いておきたい。呼ぶ時に困るからな。それと、男か女かも一応訊いておきたいが」

「ああ、あたしはリオラ=フォーリーブ。リオラって呼んでくれたらいいよ。男か女かって──見て解らないの?」

 首を少し傾げて、憮然とした表情で竜を見返すリオラ。男っぽい性格と言われる事もある。男友達と遊んでいたら性別を間違えられた事もあった。特に不快だとは思わなかったが、間違われて嬉しいものでもない。

「リオラ、か。おまえが使った一人称表現から推測すると女だと思うのだが。己の事を『あたし』と言うのは、人間の女だけだったはずだ」

「そ、そうだけど」

 まだ釈然としない様子のリオラに、竜はさらに問う。

「犬や猫、或いは我のような竜族を見ただけで、男か女かを見分けることができるか?」

「それは……わからないな。そっか。それと同じで、〈配達竜〉さんには、人間の性別を見分けるのが難しいんだ?」

「そういうことだ。一応言っておくが、我は雄。男だ。名は──名乗らなくとも知っているかもしれんな」

「ええっと……町長さんが『イムナ殿』って言ってたから、イムナ?」

「そう呼んでくれて構わん──が、正確な名はイムナストージャ=ブラオーンと言う」

「へぇー……竜族にも家名ってあったんだ」

「ブラオーンは、人間で言うところの家名ではない。竜族における族名だ。主に褐色の鱗を持つ種族の竜は、これを名乗る。他に例を挙げると、リオラの髪の色と同じ赤の鱗を持つ竜ならば、ロゥートという族名になる」

「なるほどー。鱗の色で違うんだね」

 リオラは納得して頷きながら、自分がまだ木箱の中に立っている事に気づき、箱から出て石が転がる地面を踏んだ。

 喋っていて、目の前の巨竜への恐怖は完全に無くなっていた。話はしっかり通じるし──さすがに人間を相手にするのと同じようにはいかないが──、冷静で落ち着いた性格なのだろうとリオラでもわかる。

「さて……我も腹が減っている。事情など他に訊きたいこともあるが、先に食事を狩って来たい。異論はあるか、リオラ?」

「ないない! 大賛成。でもイムナが──あ、呼び捨てで呼んでも?」

「構わん」

「イムナが狩りに行っている間、あたしは独りで、ここで待つってことだよね?」

「おまえを連れて狩りはできないだろう──怖いのか、独りで待つのが」

「いや、その……狩りしているところを見たいな、とか思ったりして」

 強がって、とっさに言い訳をするリオラ。

 周りに人家のない自然の中──ここは人間が支配する領域ではない。まもなく夜のとばりが落ちる時間だ。独りで待つのは、正直言って怖かった。

 リオラはまだ十二歳の少女なのだから、ことさら恥じる事では無いのだが、人前では弱いところを見せるのを嫌う性格のため、素直に怖いなどとは言いたくない。

「狩りをする時に、狩り場の側に居る方が危険だ。それに安心していい。竜の臭いがする場所に自ら近寄るような、愚かな獣はいない」

 返すイムナは、リオラが野生の猛獣などに襲われる事について心配しているのだと思っていた。それも確かにあったのだが、単にこんな場所、しかも暗闇の中で独りになるのが怖いという理由のほうが強かった。

「そ、そっか。……わかった。待っとく。でも出来るだけ早く戻って来て欲しかったりするかも……」

 リオラは、恐怖に耐える決意をした。怖いからイムナに付いていきたいとか、離れないで欲しい、などと駄々をこねては、いかにも子供っぽくて情けない。弱そうな自分の姿を晒したくはない。

「ふむ。では行ってくる」

 そんなリオラの胸中など構うこと無く、そっけなく言うイムナ。右方向──太陽がそちらに半分近く沈んでいるから、こっちが西だろう──に数歩歩いてリオラから離れると、褐色の巨竜は、翼を大きく開いて飛び立った。赤紫の空の中に。

 そのまま西の草原へと飛んでいき、姿が小さくなる。

 赤紫の空。普段なら美しいと思うに違いないその空も、この場所で独りで待たなければいけないリオラにとっては、不気味な色に見えた。広大な自然の中に独り取り残されると、人間が、自分が、とても無力なものに思えてくる。

(っていうか、実際に無力だよね……。ああもうっ、なんであたしは怖がってるの? 怖がっても何も解決しないし、無意味なことなのに。無意味だ! 不要だ! 怖くなる必要はないんだ!)

 暴れ出しそうな恐怖感をなんとか押さえつけながらリオラは、乾いた喉を潤すために、木箱から大きめの水筒を取り出し、冷たい紅茶を口に含んでゆっくりと嚥下する。紅茶の美味しさに、精神に立った恐怖の波も、少し穏やかになる。

 大丈夫だ。何も自分に危害を加えるものなど存在しない。怖がる必要などない。そう自分に言い聞かせる。何度も。何度も。

「愚かな野獣とかが出ませんように──」

 呟くリオラ。今はイムナの言葉を信じて、ただ待つしかない。


 数十分が過ぎただろうか。もう日は沈んでおり、紫紺の空には左半身を隠した上弦の月と、散らばった星々が輝いている。

 リオラが西の平原の上空を眺めていると、星を隠す黒い影が見えてきた。それは徐々に大きくなってくる。

(イムナが戻ってきた!)

 思っていたよりも早かった。暗闇の中ただ独りで待つ恐怖から解放されると思うと、安堵から息が漏れる。

 やがてリオラから少し離れた場所にイムナは降り立った。どさりと地面に落とした2つの塊は、狩りでしとめた獲物だろう。暗いが、星や月の明かりがあるため、なんとかイムナの姿や獲物の輪郭は見える。

 イムナは着地したその場で、なにやら手を動かして作業を始める。少し歩み寄ると、リオラにも何をしているのか解った。

 暗くてよくは見えないが、捕らえた獲物の肉を引き裂いているのだ。漂ってきた、むせ返るような血の臭いに、リオラは顔をしかめた。肉を引き裂く時に生じる湿った音も、聞いていて気持ちの良いものではない。

「待たせたな。少し待っているといい。食べやすいようにする」

 イムナは淡々と言う。だがその声には、狩りの興奮が残っているような気配もあった。リオラは思わず後ずさりそうになる。

 闇の中で、獲物の肉を引き裂き、はらわたを引きずり出す巨大な竜。

 その光景は、否応にも竜という存在の力を見せつけるものだった。生態系の頂点に立つこの竜という生き物は普通、何者にも狩られることがない。絶対なる狩猟者でもあるのだ。

「お、おかえり、イムナ。何を狩ってきたの? あたしも食べれる動物だといいんだけど……」

 怖じ気付きそうな心にむち打ち、自分を奮い立たせてイムナに声をかけるが、その声は少し震えていてぎこちなかった。

 イムナは一度手を止めて答えた。

「オオイノシシが一頭と、バッファローが一頭。どちらも、人間も食べている動物だったと思うが。む──どうかしたのか?」

 リオラの方に闇の中でも輝く黄金の双眸が向けられる。動きをとめたイムナの手の鋭い爪から、獲物の血と肉片のようなものがドロリとしたたり落ちる。

「うぁ……いや、ちょっと。こういうの見るの、初めてだから……」

 イムナの方が見えないように、身体ごと別の方向を向きながら言い淀むリオラ。胃から何かがこみ上げてきそうだった。

「ああ──すまん。刺激が強かったか。少し離れておくといい。準備ができたら呼ぶ」

 イムナは思い出したように言って、片方の翼を広げる。リオラから獲物の解体作業を隠すように、或いは、リオラの方に血の臭いが流れないように、リオラと自分の手元の間を大きな翼で遮ったのだ。

  実際その翼の効果があったのか、イムナの気遣いの言葉と行動そのもので気分が楽になったのか、リオラは平静を取り戻しつつあった。彼女は一歩だけ竜から離れる。

「ありがと、見なければ大丈夫そう。オオイノシシとバッファッローなら、確かにあたしたちも食べる動物の肉だけど……生では食べたくないよ。イムナは生で食べるの?」

「我は生でも焼いても食える。リオラに合わせて、これは全て焼き肉にするが」

 肉を切り分ける作業を続けながらイムナ。

「そかそか、焼き肉なら安心。でも火はどうするんだろ……?」

「これくらいでいいか。肉を焼くから、もう少し離れていたほうがいい。火傷する危険がある」

 リオラの問いには答えず、イムナ。

「あ──わかったっ」

 リオラは頷くと、五歩後ろに下がる。

 思い出した。

 竜は人間のように、火をつけるのに何か道具を使う必要などなかったのだ。彼らは『能力』として備えているはずなのだから。

 イムナが広げていた片翼を閉じる。彼の前には小さく切り分けられた肉片が、石の上に綺麗に並べられていた。はらわたや太い骨などは、リオラから離れた側にまとめて置いてあるようだった。

 イムナは大きく息を吸いながら肉に顎を近づけると、少しだけ口を開いた。

 ボゥ──っと小さな音を立てて、竜は橙色の炎を吹く。音の大きさと同様に小さく細い炎を肉片に吹き付ける。首を動かして、炎の位置をずらしていき、満遍なく肉を焼いていく。一度全ての肉に炎をあてると、丁寧に肉片を裏返していって、裏にも炎をあてて焼いていく。

 炎が闇の中で揺らめくのは見ていて飽きなかったが、リオラは少し拍子抜けしていた。竜の吹く炎というと、もっと豪快に巨大な火炎を放射するものだと、勝手に思い込んでいたからだ。

(まあ、そんな炎を吹いたら、肉が焦げたり吹き飛んだりして食べれなくなっちゃうよね──)

 考えて納得するリオラ。

(なんだか、焼き肉屋さんで肉焼いてるのを見てるような感じ……。竜が肉を焼く焼き肉屋って、あったら面白そうかも)

 思考は、どうでもいい方向に逸れていった。


 肉を焼き終えたイムナに呼ばれて、食事となった。こんがりと焼けた肉片の大きさは二種類あり、大きい方はリオラが両手で持つのも難しそうなくらいで、小さい方──リオラ用の肉──は、それでもリオラの両手に乗るくらいの大きさだった。

 リオラは、野蛮だなあと思いつつも肉を手で掴み取り、かぶりつくように食べた。調味料による味付けは無いが、相当腹が空いていたため、味は最高に思えた。焼き加減も悪くない。どちらかというと、バッファローの肉が美味しかった。

 イムナは次々と肉片を口に入れて、リオラより早く食べ終える。先に食事を終えたイムナは、川で血や油がついた手を洗った。リオラも彼に習って、肉を掴んで汚れた手を川で洗った。

「ごちそうさまー」

 満腹になって気分も良くなったリオラは、イムナの巨大な革袋に背をもたれていた。手には、紅茶の入った大きい水筒を持っている。

 傍らでは、イムナもその巨体をうずくまるように沈めて、寛いでいた。

「焼き加減は悪くなかったか」

「ちょっと生焼けっぽいのもあったけど、よかったよ。炎の使い方、器用なもんだね。こんなに上手に肉を焼くとか」

「焦げた肉は好きではないからな」

  言って、竜は口元を歪めた。それを見たリオラは、彼が微笑したのだと気づく。

「そろそろ訊かせて貰いたいな。リオラが〈配達竜〉の荷物に忍び込んで、密行しようとした事情を」

  落ち着いたら話を訊きたいと、先ほどイムナが言っていたのを思い出すリオラ。イムナは促すように、黄金の瞳でリオラを見つめてくる。

「あー。そうだった。でも話せば長くなるんだよねー。どこから話したらいいかなー──」

 こうなった理由を話すことは、身の上を話す事にほぼ等しい。だがリオラは、イムナに話す事に抵抗を感じなかった。

 今までは、自分の身の上を他人に話したいと思わなかったし、しなかった。同情を誘って、憐れみや励ましの言葉を聞かされるのが、煩わしいと思っていたから。自分は悲劇の少女などにはなりたくない。そんな存在だと思われたくない。

  しかしイムナは、人間ではなく竜である。話しても、煩わしい反応を見せないだろうとも思った。いや、今はこの竜に話しておきたいとさえ思う。何故かは自分でもわからない。

「寝るまでやる事も無し。時間に制約はないからな」

  竜が言う。その通りだ。話す時間はたっぷりあった。イムナの言葉は暗に、「時間はあるのだからじっくりと話して欲しい」と主張しているようだった。

  リオラはなんとなく懐中時計を取り出して、手で弄び始めた。銀色の、大切な懐中時計。

「そだね。じゃあ最初から話すよ。もう一年と少し前になるんだけど──」



 一年と少し前。

 リオラの母は病気で息を引き取った。娘が大人になるのを待つこともなく。

 長いと言えば長い闘病生活の後のことであり、娘のリオラが覚悟する時間は、それなりにあった。医者も、母自らも、長くないと言っていた。だがそんな事に意味などないのだ。

 少女は最期まで母の回復を願っていたのだから。

 母を心配させないようにと、懸命に家事や雑事をこなして、独りで生活をこなしていた。

 独りでも大丈夫。

 それは母への示威目的だけでなく、自分にも言い聞かせるようにしていた言葉。

 十一歳の少女らしくない気丈な振る舞いは、そうやって身に付いていったのだった。

 母が息を引き取った日、リオラは誰の視線も無い自室に篭もって、泣きじゃくった。しかしその後、葬儀などの人前では全く涙を見せず、毅然として振る舞った。

 そんなリオラの幼なじみの親友に、二歳年上のソフィニア=サンディットという少女がいた。そのソフィニアの好意により、母を亡くして独りになったリオラは、ソフィニアの家──サンディット家で引き取られることになった。

 リオラはサンディット家で歓迎された。ソフィニアの妹のように扱ってもらえて、本当の家族になったようだった。新しい家での生活は、何も悪いことなどなかった。

 だがそんなリオラの幸せな生活も、唐突に終わりを告げることになる──


 リオラがソフィニアの家にやってきて一年と少しが過ぎた頃のある日(配達竜と共に町を去る時から一ヶ月ほど前である)。

 その日はリオラの十二回目の誕生日であり、夜には夕食会も兼ねた誕生会を開く予定があった。リオラの友達にも数人声をかけてある。

 真夏の日差しが、雲一つ無い青い空から容赦なく地上に降り注いでいた。時は昼下がり。

 リオラとソフィニアの二人は、町を出て南西の場所にいた。

 この季節には花が咲き誇る、美しい丘。そこには花を咲かせる植物たちが多様に、数多く共生しているのだ。

「ソフィニアー! もういいんじゃないかなー!」

 リオラが、花の高さに合わせた中腰のまま声をあげる。

「そうね!」

 返してきた声の主も、リオラと同じように中腰の姿勢で、少し離れた場所にいる。

 二人とも、一面に咲く花の海にいた。各々が手に提げた花籠──藤を編んで作られた籠──には、色とりどりの花が盛り上がるほど入っている。むやみに詰め込みすぎで、下のほうの花がつぶれてしまっているかもしれない。

 首にかけた手ぬぐいで、顔を流れ落ちる汗を拭うリオラ。盛夏の熱気で、既に全身が汗で濡れていた。半袖のシャツとデニムの長ズボンは、汗に濡れて色が変わっている。

 ソフィニアの元に歩み寄るリオラ。ソフィニアも同じような薄着で、汗で服が濡れていた。ただ一つリオラと違うのは、麦わら帽子を被っていることだった。リオラから見ても、その帽子はソフィニアに良く似合っていた。

「これだけあれば、部屋中に飾れそうだねー」

「ええ。多すぎるくらいかも」

 満足したように頷き合う二人の少女。彼女たちは、ただのピクニックではなく、誕生会で飾り付ける花を摘みに来ていたのだった。その目的は充分に果たしていた。

 最後にリオラは、近くにあった花びらの大きな白い花を一本摘み取り、籠に入れる。そして立ち上がった。

「んじゃ、もどろっか!」

「そうしましょ」

 ソフィニアも立ち上がると、二人は町のほうへと丘を下り始めた。

 花が咲く丘の帰り道。左手には、背の高い木々が群生しており、ちょっとした林になっていた。林は、道の左側にずっと続いている。

「ほんと、あんなに面白い形のケーキ、初めて見たよ。そういえばソフィニアが料理とかするの、見たことなかったな」

「もう言わないでよっ。味は大丈夫のはずなんだから」

「やっぱ、あたしが作ったほうが良かったんじゃないかなー」

「リオラの誕生会なのにリオラが作るのは、おかしいでしょ」

「そだけど。恥ずかしくないの? あたしが呼んだ友達にも見られるんだよ、あの怪しい形のケーキを!」

「うっ……でも、今更作り直したり買ったりするわけにもいかないわよ。飾り付けしたり夕食の手伝いもしないといけないし、そんな時間はないもの」

「ま、ソフィニアがいいなら──あたしは楽しければいいし。ソフィニアのケーキをからかうっていう、いい話のネタになるからねー」

「もう、なんとでも言えばいいわよ」

「あ、開き直った」

 歩きながら、今晩の誕生会の話で盛り上がる二人。

 そんな彼女たちの会話の邪魔をするかのように、一際強い風が横から吹きつけてきた。

「あ──」

 ソフィニアが声をあげる。そして咄嗟に頭上に手を伸ばすが、手は頭の上で空を切った。

 彼女が被っていた麦わら帽子が、風に飛ばされていた。

 帽子は道の左側の、風にざわめく林に入っていく。運の悪いことに、すぐに木にぶつかって落ちてはくれなかった。何度か木の幹や枝をかすめながら、奥の方まで飛んでいってしまう。

 やがて帽子は木にぶつかって落ちた。林の奥の方、外からなんとか見えるといったところだった。風は止んでいた。

「飛ばされちゃったかー」

「どうしよう──この林って、確か毒蛇が出るから入るなって母様が言っていたような」

 不安げに言うソフィニア。

「大丈夫だよ。ちょっと行って、帽子とってくるだけだし。待ってて。あたしがとってくるから」

 リオラは麦わら帽子が落ちた林の奥を見て言うと、花籠をその場に置いて、駆け足で林へと踏み込んでいった。

「あ、リオラ! 待ってよ、わたしも行くから!」

 ソフィニアもリオラの後を追いかけて、林の中に入っていく。

 林の中は、昼間でも薄暗かった。暑い日差しが届かないのは、ありがたい事だったが。

 リオラは何事も無く、大木の根本に落ちていた麦わら帽子を取り上げる。すぐにソフィニアも追いついてきた。

「怖いなら、林の外で待ってたらいいのに」

 呆れたように呟きながら、早足で追いかけてきたソフィニアに帽子を手渡す。彼女はすぐにそれを頭に被った。

「さ、帰ろう。この林に入っちゃった事は、二人だけの秘密ってことで」

 リオラは、ソフィニアを押すようにして引き返す。

「そうね。ばれたら怒られるに決まってるもの──あっ、リオラ。あれ見て!」

「ん?」

 促されて、ソフィニアが指差している右側の林を見遣る。

 そこには、一本の小さい花が咲いていた。淡い黄色の、やや細長い花びら優雅に広げた花。この辺りではあまり見られない珍しい花で、『黄金のアイリス』と言われているものだった。

「小さい花だね。あれがどうかしたの?」

「リオラ、知らないの? あれはたぶん『黄金のアイリス』よ。珍しい花。せっかくだから、摘んでいきましょうよ。きっと母様も驚くわ」

「へえー。そうなんだ」

 花の知識がそれほど無いリオラは、嬉々として花と取りに行くソフィニアが戻るのを、その場で待つ。

 ソフィニアが花の前まで行ってかがみ込もうとした時だった。リオラは、ソフィニアの側の茂みが一瞬動くのを見たような気がした。そして次の瞬間。

「っ、いたっ……!」

 ソフィニアが声にならないような苦痛の声を上げて、よろめく。

「ソフィニア!?」

リオラがソフィニアに駆け寄ると、彼女の右足のすねの辺り、長ズボンに何かが引っ掛かっているのが見えた。

「あっ……」

 ソフィニアもそれを凝視して硬直した。リオラもまた立ち止まる。

 細長いひも状のもの。それは小さい蛇だった。黒い全身に、ケチャップでもぶちまけたかのように不規則な深紅の模様が入っている。

 リオラはその蛇を見るのは初めてだったが、知識として知っていた。それは、この付近にする蛇の中でもっとも危険な蛇。毒蛇だ。

 混乱する。

 なにをすべきかわからなくなった。

(怖い! 毒蛇! 怖い怖い怖い怖い怖い。かまれてる? ソフィニアが? 毒蛇に? 怖い怖い怖い怖い怖い──なんとかしないと! なにをしたらいい!? 毒蛇。まだかみついてる。まだそこにいる。かみついてる? ソフィニアに──)

 リオラは不意に、我に返った。そして自分の恐怖も、身の安全もどうでもよくなった。

「うあああああああーー!!」

 リオラは絶叫を上げながら、ソフィニアに駆け寄る。手を伸ばす。毒蛇の頭から首元の部分を、力の限り握りしめる。同時に、引っ張った。

 毒蛇の牙が──長ズボンを貫通して刺さっていた牙が、抜ける。

 毒蛇は胴体をくねらせて激しくもがくが、リオラはそんな事にかまわない。

「あああああー!!」

 自分を奮い立たせるためか、喉が嗄れて息が苦しくなるほど絶叫しながら。毒蛇を思いっきり投げた。林の奥の方に投げた。

「はぁ……はぁ……」

 息が切れた。一瞬、自分が今何をやったのかさえわからなくなる。

「い、いやあぁぁぁーー!」

 今度はソフィニア悲鳴を上げた。今になって、毒蛇に噛まれたことに気づいたように。花籠が彼女の手から落ち、中の花が無惨に散らばった。

「ソフィニア!」

 倒れそうになるソフィニアを支えて、リオラはすべき事を、その順序を、頭で整理していく。意図的にそうしなければパニックに飲み込まれて、わけがわからなくなりそうだった。

「わ、わたし、毒蛇にかまれ──」

 ソフィニアの身体がガクガクと震える。引きつった表情は、ひどく青ざめている。

 リオラはソフィニアの右足の元に跪くと、長ズボンを上にまくる。

 落ち着け。落ち着くのだ。応急処置の方法は、大体解っている。まずは──

「まず、毒を少しでも吸い出す!」

 ソフィニアに言ったのか、自分の頭に応急処置を行う事を命じるように言ったのか。リオラは蛇の牙が刺さった傷跡を見つける。すねの辺りに、二つの点状の小さい出血。その二つの場所に口をつけると吸って、それを唾と一緒に吐き捨てる。それを五回、繰り返す。

「それから毒をとめる!」

 次に、自分の首にかけていた長いてぬぐいを、ソフィニアの膝のあたりに巻き付けて、きつめに縛る。

 そして立ち上がると、ソフィニアに肩を貸すようにして腕を取る。

「とりあえず、林の外に出よう!」

「ああ……嫌……イヤ……死にたくない……」

 ソフィニアは顔を蒼白にして──絶望の仮面というものがあるならば、それを付けたような顔をしていた。迫る死の恐怖という精神への過度のストレスで、正常な思考能力も一時的に麻痺してしまっていた。

「ソフィニア! 施療院に行けば大丈夫だから! 歩ける!? 頑張って!」

 リオラも泣きだしそうになっていたが、ソフィニアを励ますように叫ぶ。正気に戻そうと、乱暴に肩を揺さぶる。

 ソフィニアの生死が、今は彼女一人にかかっているのだ。

「わたし……死にたく……あ……わ、わかったわ。なんとか、歩ける」

 ソフィニアは瞳に力を取り戻して、リオラに頷く。既にソフィニアの右足は腫れてきていた。激痛も走っていた。

 リオラはソフィニアを励ましながら、ソフィニアは右足の激痛と恐怖に耐えながら、二人は無我夢中に、町へと足を進めた──


     ◆   ◆   ◆


「──それから後は、あまり記憶に残ってないんだけど。気が付いたら、施療院に着いていた感じだった。施療院の人に経緯を話したら、すぐにソフィニアは奥に運ばれた。あたしも付いていこうとしたんだけど、止められて、待合室でソフィニアを待つことになった」

 リオラは一度話を止めて、水筒から紅茶を一口飲んだ。紅茶が、話し続けて乾いた喉を潤す。

 竜──イムナは、静かに話を聞いていた。リオラは自分の手元に視線を移す。手元では、銀色の懐中時計を弄んでいる。懐中時計には、翼を広げた小鳥が浮き彫りにされている。

 彼女は続けた。

「それからすぐ──いや、1時間以上は経ってたけれど、ソフィニアの家族も施療院にやってきた。あたしは、何があったのか訊かれて、全てを正直に話した。そしたら、ソフィニアの母親が、あたしをなじるような事を叫びながら、あたしの顔を平手打ちした。それが本気も本気でさ、痛すぎて、当分痺れたような感覚が消えなかったよ。たぶん、顔に赤い手形が付いてただろうね。それから、ソフィニアの兄ちゃんも激怒して殴りかかってきたけど、それはソフィニアの父親がとめてくれた。母親は、その後は威勢を失って、放心したような状態でソフィニアの名前を呼び続けてた。あたしは「ごめんなさい」って謝る事しかできなかった。何回謝ったのかは覚えてないけど、何度も繰り返して言ってた。確かに、あたしのせいだと思った──今も思ってる。最初にあたしが林に入らなければ、ソフィニアも付いてこなかった。帽子を諦めたらよかったんだよね。林が危険なのは、二人とも知ってたんだから──」

 再び、リオラは口を休めた。

「……確かに、危険だと解っていながら入ったのは愚行だな」

 イムナは軽く頷きながら言う。リオラは寂しい微笑を浮かべて頷く。下手に気を遣われるよりも、そのほうが良かった。

「うん、悪いのはあたし。だから、あたしが『家族』にしてもらえなくなったのは、当然のことなのよね」

「しかし、ソフィニアもだ。花など無視して、すぐに林から出ていればよかったのだからな。自業自得なところも──」

「ソフィニアは悪くないよ!」

 竜の低く響く、威厳ある声を遮って、リオラは甲高い声で叫んだ。

 沈黙で、間が開いた。

「あ──いや、その。いきなり叫んで、ごめん。イムナの言うとおり……かもしれないけれど……」

 つい反論してしまい、竜の機嫌を損ねてしまったのではないか。そう思って、リオラは萎縮した。しかし、竜は全く表情を変えず、気を悪くした様子もない。

「気にするな。続きを」

 リオラは胸をなで下ろした。

「うん──さっきの続きだけど、平手打ちの後は、ソフィニアの家族から暴力を受けることはなかった。ただ、ソフィニアの家族全員から、何度も何度も『おまえのせいで』『おまえを引き取らなければこんなことは』みたいな事で責められまくった。そんな中に、施療士の人が待合室に入ってきて、ソフィニアはなんとか解毒が間に合ったって事を教えてくれた。数日で腫れや痛みも引くって。あたしも、ソフィニアの家族もそれを聞いて、ひとまず安心した。あと施療士の人は、あたしの応急処置があったから助かった、みたいな事を言った。もし応急処置が無かったら、ソフィニアは助からなかったか、右足切断になってたかも、って。その後は、感謝こそされなかったけど、ソフィニアの家族から責める言葉を受ける事はなくなった。当然だけど、その日のあたしの誕生会は無しになった。もうどうでもよかったけどね」

 そこでリオラが口を休めると、イムナが口を開いた。

「応急処置をした機転は大したものだな。それが友達の命を救ったのだから」

 やや感心したような竜の声は意外だった。リオラは苦笑を浮かべた。

「ありがと。その事を褒めてくれたのは、施療士の人とソフィニアくらいだったよ。──んで、ソフィニアは4日後に無事退院した。家に戻って落ち着いたら、ソフィニアはあたしに『ごめんなさい』って謝りだした。謝るのはこっちだと思ってたのにさ。ソフィニアは全て自分のせいだと思いこんでた。理由は、さっきイムナがソフィニアの責任について言ったのと同じ感じなのかな。それから彼女は『遅くなったけど誕生日おめでとう』って、あたしにプレゼントをくれて。それがこの懐中時計なんだけど──って、こんな話は、あまり関係なかったね」

 イムナが聞きたいのは、家を出て秘密裏に彼に同行した理由だ。いつのまにか自分とソフィニアの間の話にずれていた。リオラは、また紅茶を一口飲んで喉を潤して、続けた。

「それからあたしは、怒りとか憎しみの矛先をあたしに向けた家族に、捨てられると思った。でも違った。その時はよく解らなかったけど、あたしを家から追い出すわけにはいかないらしくて、あたしはそのままソフィニアの家で生活を続けた。『家族』でなく『居候』として、になったけどね。結局、サンディット家で本当の娘は、ソフィニア一人だったってことかな。あたしは、可哀想なソフィニアの親友って事で引き取られただけで。やっぱり違うよね。今はもう、ソフィニアの家族があたしを憎しみながらも追い出せなかった理由も解ってる」

「ソフィニアが悲しむから、か」

 イムナが予想して呟いたが、それは不正解だった。

「ううん、そうじゃない。ソフィニアの父親が町の役所で働いていて──まあ、偉い人な感じだったんだ。で、世間体が重要らしくてさ、引き取ってから一年そこらの子供を家から追い出したら悪い評判が立つから、できないらしかった。これは、あたしが自分から町の孤児院に入れて欲しいって頼んでみた時に解ったんだけど。まあ、そんなこんなで毒蛇事件の後、家の中であたしの味方なのはソフィニアだけになった。ここまで話したら、大体わかるよね?」

 問いかけるように言葉を止めると、リオラはまた紅茶を一口。

「辛くなったわけか。悪役にされながら、共に暮らす事が」

「それもあるんだけどね。ソフィニアの家に居ると、あたしも、あたしに対する家族の態度とかがきつかったし。ソフィニアは家族に、あたしだけが悪いんじゃないと説得しようとしたり、あたしに気を遣ったりして大変そうだったし。ソフィニアの家族も、あたしを憎んでいるせいで雰囲気が悪い感じで──あたしにとっても、ソフィニアにとっても、ソフィニアの家族にとっても、あたしが居なくなるのが一番だと思った。でも同じ町の中だと、あたしが勝手にサンディット家を出て生活しても、ばれて連れ戻されるに決まってる。そういうわけで、ばれないような場所、ばれても連れ戻されにくい遠い場所、つまり他の町に行けば、って思ったんだよね。まあ、こんなところかな……」

  リオラは再びイムナの顔を見た。彼の黄金の双眸は、ただ静かに彼女を見ている。話しの最初から最後まで、ずっとそうだったのだろうか。

  全てを話し終えると、心の裡に抱えていた何かを吐き出したようで、リオラは不思議な開放感と高揚感を感じていた。

「事情は分かった。人間ならではの、厄介な事だな。だが──親友と別れるのもまた、つらかったのではないのか」

 イムナは、訝しむように言う。リオラは再びうつむいた。

「……まあね。でも、一番良い方法だったんだ。サンディット家は元通りになると思うし、あたしも、イムナに別の町に連れて行ってもらえたら、自分の幸せを探せそうだから。みんなの為に必要な事だったんだ。いいんだよ、これで」

 リオラの声のトーンが落ちていった。

 親友。ソフィニア。学校の友達。自分が生まれ育ったラウの町──

 考えたら、ずっとこらえていたものが溢れそうになる。いつの間にか内と外の間に築かれていた堤防が、決壊してしまうそうになる。

(悲しいことじゃないんだ。あたしはこれから、母さんとの約束通り、自分で、自分にとっての幸せを掴み取る。新しい町で、新しい友達だって作ればいい)

 リオラはこれから先の事を前向きに考える事で、こらえる事に成功した。弱い自分を見せない事に成功した。しかし彼女は、それにどれほどの意味があるのか考えた事はないのだった。

 弱い自分を見せること──嘆き、哀しみ、涙することは普通、悪いことではない。無理に我慢すべきことではない。しかし彼女には禁忌に思えていた。

 それは、母を心配させないためにと、己に『強く在る少女』たることを要求し続けてきた弊害だったのだろうか。

「リオラをツッカの町まで連れていくのは、問題無い。しかしツッカの町に、生活する当てはあるのか? 行くのは初めてなのだろう?」

 イムナの質問が気を逸らせてくれて、リオラは無意識に安堵しながら答える。

「大丈夫だよ、ソフィニアと調べておいたんだけど、ツッカの町にも孤児院施設があるみたいだから」

「そうか。箱から自分で出れない阿呆さを見せつけられたからな。何も考えていないのではないかと、気になったのだが」

「っ! ……あれは忘れて欲しいかも。お願い」

 先ほどまでとは別の理由から悲痛な面持ちをして、リオラは懇願した。あれは彼女の十二年ほどの人生において、最大の失態だったかもしれない。

「それは難しい。貴重な経験だからな」

「そこをなんとかっ」

「木箱を見るたびに思い出してしまう可能性も否定できん」

「……イムナ、まさかあたしをからかって楽しんでたりしないよね?」

「い、いや。そんなことはない」

 竜が一瞬どもったのを、リオラは聞き逃さなかった。

「そろそろ寝るとするか。リオラも話し続けて疲れたのではないか」

「あ、話を逸らした」

「違う。もう夜も遅いだろう、その時計も──」

 イムナは答えながら、リオラが手に持っている懐中時計を覗き込むように、少し顔を近づけた。

「十一時を指しているな。人間の子供は、これくらいの時間には眠るべきだろう」

「確かにそうだけど──」

 釈然としないリオラ。

(さっきの、絶対あたしをからかってたと思うけど……。まあいっか)

 リオラは確かに疲れていたし、眠るべき時間だとも思ったが、なぜか眠気が無かった。話をした後の開放感と高揚感がまだ残っている。

「なんか、眠くならないんだよねー」

「そうか。なら、我は先に寝させてもらおう」

 イムナはそう言うと、身体を丸めるよう身じろぎして、自分の尻尾に顎を乗せるような姿勢で瞳を閉じた。

「あ、おやすみー」

 リオラは、傍らの竜が寝る体勢になったのを見やった。猫が丸くなるような姿勢が可愛げだと思ったりもしたが、竜の黄金の双眸が閉ざされると、じわりじわりと孤独感が押し寄せてくる。

 革袋に背をもたれたまま、なんとなく夜空を仰ぐ。紫紺の空間に星と月。

 まだ眠れそうにない。

「…………」

 手持ちぶさたになって、懐中時計のふたを開けたり締めたりする。

 まだ眠れそうにない。

「………………」

 眠れそうにない。

「……………………」


 感情の奔流は唐突だった。なんのことはない。奇妙な高揚感は、これの予兆だったのだ。

(母さん、ソフィニア、学校のみんな、あたしの生まれ育った、町──)

 何もかも捨ててきてしまった。捨てて、独りになった。

 喪失。孤独。不安。

 あの時、本当は叫びたかった! 自分が悪いんじゃないんだと!

 本当は文句を言いたかった! 反論もしたかった! ソフィニアの家族に!

 懐中時計を握った両の拳が震える。限界だった。決壊して瞳から溢れるものは、もう止められない。

 嗚咽が漏れるのも止められない。歯止めが利かない暴走が始まる。


 竜族の眠りは浅い。

 イムナは瞳を閉じていたが、実際はまだ眠っていなかった。

 リオラという少女が、傍らにいる。荷物が入った革袋に背を持たれて、その少女は、突然むせび泣き始めた。瞳を閉じていても、嗚咽を聞けばわかる。

(さて、どうしたものか──)

 人間の町を訪れ続けてもう十年を超えるが、人間の子供と接する事はあまりなかった。話したりする相手は、殆どが成人した大人の人間だった。

 何か言葉をかけるべきか。しかし、かける言葉など思いつかない。

 このまま寝てしまってもいい。今までのイムナならそうしたのかもしれない。だが今の彼は、何かをすべきだと決めつけていた。何年も人間の町を回り続け、人間の影響を受けている事は否めないだろう。

 イムナは再び瞳を開け、頭を持ち上げる。そして片方の翼をゆっくりと、少女を包み抱くように広げた。

 自分がまだ幼竜だった頃、親に同じ事をしてもらって安心感を得ていた記憶がよみがえる。

 イムナの翼の動きに気づいたリオラが、無言でイムナの瞳に視線を向けてくる。泣きながら、もの問いたげに首を傾げていた。

 何か言おうとイムナは言葉を探すが、どの言葉も相応しくないように思えた。だから、何も言わなかった。リオラから視線を逸らす。

 そのまま、竜の翼の下でリオラは長く泣き続けた。彼女が泣き疲れて眠るまで、イムナは起きていた。

(我は、何をしたのだろうな……)

 自分がとった行動の理由はよくわからなかったが、理由の無い行動があっても良いだろうと、適当に納得しておく。

 リオラは安らいだ表情で眠っていた。竜であるイムナを、この一日でもう完全に信用したようだった。人間を殺して食らうような竜を知っている者ならば、こうはいかないだろう。

 信用してもらえるのは、喜ばしい事なのだろう。少なくとも、信用されないよりは。

(ずっと溜め込んでいたものを吐き出した、といったところか)

  そんな事を考えながら、少女の寝顔を見つめるイムナ。その竜の表情はどこか、優しい。

  やがて、今度こそイムナも眠りについた。

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