第3章 [Secret investigation] 3―1[合流]
第3次世界大戦終結後、世界から警察や自警団など、各国の治安維持機関がなくなり、代わりに『治安維持軍』というものが、世界の監視、抑止力となった。
『S・E』の繁栄によって、世界はより平和となる可能性を見出すとともに、兵器転用などによって、新たな戦争の火種になる可能性も出てきた。そのため、以前よりも強力な治安維持機関を必要とした。その理由から生まれたのが、『治安維持軍』だ。
警察などに比べて変わった点と言えば、隊員1人に対する武装が顕著である。USPなどの拳銃、警棒などが普及していた警官に対し、治安維持軍の隊員1人の装備は、AK―47、M4などのアサルトライフル、手榴弾など、戦争時の兵士1人分の装備が支給されている。過去の治安維持関係の機関を全て解体し、軍に吸収して組織化したのが治安維持軍であるため、規則や体系などは、基本的に軍に基づいている。装備もその対象だ。
軍事力や人員が増強されたことにより、各国の治安維持はより強固で、顕著なものになった。だが、同時に上層部が持つ権力も大きくなり、支配的な態度を見せる者も少なくはない。唯一変わらなかったのは、少数の上層部による、強行的な支配であった。
5月14日 PM.8:00 東京都 池袋 池袋セレモニーホール
「キースだ。そっちはどうだ?」
『異状無しだ。目標も追跡中……似合っているぞ、その姿』
携帯電話を耳から少し離し、キースは自分の服装を見た。今のキースは、黒のスラックスのズボン、白Yシャツ、その上に黒の袖無しベスト姿であり、肩腕には銀のプレートを抱えている。給仕――ボーイだ。フランス料理が綺麗に盛られた皿を載せた白い丸テーブルと、このパーティーに参加している、清楚、あるいは、派手な服装をした人々が乱立するホールの中、キースはその中にボーイとして紛れていた。
後ろを振り返る。人ごみを避けるかのように、ホールの隅の柱に寄りかかって携帯電話を耳に当て、キースを見ながらにやけている修羅がいた。修羅もまた、キースと同じボーイ姿をしている。
「まるでチンピラウェイターだな。刈上げて出直してこい」
「手厳しい店長だ。このぐらい許せよ……来たぜ。パーティーは終わりだ」
と、携帯電話を耳から離し、ホールの奥にある一段高いステージを見る。横の階段から、1人のブラウン色のスーツ姿の男が上がり、スタンドにつけられたマイクの前で止まる。右の頬に深い切り傷の痕が走っており、髪型は黒髪で、短い髪を立ち上げてスポーティーに仕上げている。黒いサングラスを掛けているため、どんな目つきをしているのかは分からない。
「――本日は、『西条会』の20周年記念パーティーにおこしいただき、誠にありがとうございます」
エコーが効いた低い声が響く。
キースはズボンのポケットから1枚の写真を取り出し、それに写っている男の顔と見比べる。
「……間違いない。中川 満広だ」
『配置につく』
携帯電話を切り、閉会の言葉を長々と述べている満広を見る。
中川 満広は、関東地方の頭に相当する極道集団、『西条会』の副会長である。
戦後の極道の組合の間の権力争いは熾烈を極めていた。大戦によって、日本各地の組合のパワーバランスは崩壊し、一部では財産が破綻し、活動が停止してしまう組合もあった。
『西条会』は、その権力争いを勝ち抜いた組合の1つである。戦前は関東内で2位に当たる存在だったが、戦後、1位だった『吉野会』が組織内での派閥争いによる混乱により、『西条会』にその座を譲ることになったのだ。
だが、『西条会』が1位になった理由はそれだけではない。急激に力を増していった『西条会』に疑問を持った『吉野会』会長は、『西条会』に調査を入れた。その結果、彼らが『治安維持軍』の一部の上層部から支援を受けていた事が判明した。『西条会』は、極道の宿敵とも言える者を、買収したのだ。その首謀者が、『西条会』副会長、中川 満広なのだ。
『吉野会』会長は、再び関東の頭の座を奪うべく、『治安維持軍』上層部の不祥事を告発するために、キースたちにその関係者である満広の身柄確保を要求したのだ。証拠となる者を確保すれば、上層部と『西条会』の不祥事を公然に示し、双方の立場を陥れる事ができる。それに乗じ、『吉野会』は関東一の座を奪還するというわけだ。
『ではこれにて、パーティーは閉会させていただきます。本日はありがとうございました』
閉会の言葉を言い終え、ステージを降りていく。それとともに、客たちはざわめきながらホールを出ていく。
「……先に帰るみたいだ」
同席していた会長よりも先に、部下を2人連れた満広が客に乗じて帰って行くのを見たキースは、人目につかないよう柱に隠れ、ベストの裏からUSPを取り出し、ロックを外す。携帯電話を取り出し、修羅に繋げる。
「満広が帰る。準備は?」
『万端だ。行くぜ』
柱から出て、ホールのエントランスに向かって歩き始める。キースとは逆の隅にある柱から修羅が歩き出し、キースと合流する。
「車に乗ったら取り押さえる。修羅は周囲を警戒」
「あいよ……トイレに行くぜ?あいつ」
満広は外に出ず、エントランスのトイレに入っていった。部下も一緒に入っていく。
「連れションか?」
「そんな餓鬼が極道にいるのか?」
「じゃあなんで部下まで連れていくんだよ?」
「護衛だろ。そのための部下だしな」
そんな雑談をしているうちに、トイレから満広たちが出てきた。トイレに行ったにしては、早いような気がした。目こそ見えないが、満広はキョロキョロと周りを見回しながら、外の黒のベンツに向かっていった。それを後ろから見ていたキースたちは、満広たちを追い、各々のベストの裏の銃に手を掛ける。
満広が部下に守られながら後部座席に乗り、ドアを閉めた。歩みを速め、キースたちは車に接近する。
「……?なんだお前ら――」
キースたちに気づいた部下の2人は、車に近づくキースたちを止めようとしたが、行動は遅かった。部下の言葉が終らぬうちに、キースは部下の顔面を拳でぶん殴った。よろめいた部下は顔をキースに向けたが、今度は腹を蹴られ、倒れる。もう一方の部下は、キースに気を取られている内に、修羅が後頭部に手刀を当て、倒れていた。2人はベストから各々の得物を取り出し、ドアを開ける。
「支払い忘れだ、満広。『吉野会』会長がお待ちだ」
2人は銃を満広に突き付け、顔を睨んだ。
「わ……わかった……」
伏せていた顔を上げ、両手を上げる。サングラスは外してあり、いかにもヤクザの風格を見せる目つきをしている。
「……?」
だが、1つだけ不足している点があった。
右の頬の傷が、無い。
「……クソっ!!」
銃を下ろし、悪態をつきながら男の顔面を右ストレートで殴る。微かな呻き声とともに、気絶する。
「おいキース!何を……」
「……偽物だ。頬の傷がない」
キースは車から離れ、辺りを見回した。が、満広らしき人物はいなかった。
「何処に消えた……」
池袋セレモニーホール 非常通路
「餌に喰いついたようだな……」
携帯に送られてきた部下のメールを見て、黒スーツ姿の中川 満広は、にやり、と口を歪めた。
彼はトイレに行った後、先にいた部下と自分の服装を交換し、変装した部下を車に行かせた。そして案の上、放った餌にまんまと喰いついた訳だ。満広を狙う、VIPHが。
『治安維持軍』との関係も長くなり、そろそろ周りの組合が嗅ぎまわると警戒していたが――嗅ぎつけるだけでなく、VIPHまで送り込んできた。今日のパーティーは絶好の機会となりうる可能性があったため、万全の策をとっていたが、こうも簡単にかかってくれるとは思わなかった。
彼らを送り込んだのは、満広を拘束し、『治安維持軍』の不祥事ごと裁判にかけるつもりだったに違いない。
「そろそろ『吉野会』を潰す頃合いか……」
送り込んだのは、去年関東一の座から降りた『吉野会』に違いない。彼らは今混乱している。関東一の座を手にするなら、チャンスを逃すはずがない。
非常通路の奥にあるドアを開けると、ホールの裏の関係者用駐車場があった。そこに1台の黒いベンツが止まっていて、傍に部下が1人で満広を待っていた。
「……やはり紛れ込んでいたよ。出せ」
2人はいそいそと車に乗り、駐車場を出ようとしたが――
「……誰だ?」
駐車場の出口に、1人の男が立っていた。青ジーンズに、半そでの無地の黒シャツ、その上に赤い袖無しのジャケットを着ており、燃える火を思わせる紅色の髪を黒バンダナで上にまとめている。右手には大筒――グレネードランチャーを持っており、左手を腰に当て、こちらを見ている。
「おい!邪魔だ、どけ!」
「まぁそう言うなって。ちぃと話したいことがあるだけだからよ」
部下が窓を開けて男に怒鳴ったが、男はそれをものともせず、こちらを見据える。
「中川 満広。お前さんを『吉野会』会長の所に連れて行かなきゃならないんだが……大人しく来てくれない?」
余裕を表わしているかのように顔に笑みを浮かべ、満広に問いかける。おそらく、彼もVIPHなのだろう。
だが、満広は応じる気も無く、部下に顎を動かし、男を指す。部下はそれを察し
アクセルを深く踏み込み、車を動かした――男に向けて。
男はそれを見ても動じず、迫りくる車に向けて、グレネードランチャーの銃口を向けた。
(俺を殺すことなんてできるはずがないだろう!)
今ここで満広を殺せば、証拠はなくなり、裁判を起こせなくなる。殺すことは依頼の失敗となる。
「……!?」
車が近くなるにつれ、男の顔がハッキリと見えてきた。
目が、笑っていなかった。
口元を歪めてにやついているのに対し、目だけは明らかに笑っていなかった。別の表現を出すなら――人を殺す時の目だ。
長年極道の道を歩んできたからこそわかるが、男の眼は明らかにそれとは違った。殺しに対する執着心すらも滲み出ているような威圧感を感じられ、満広はそれに寒気を感じた。
そして、確信する。
こいつは、俺を本気で殺す気だ。
「くっ……!」
満広はドアを開け、車から飛び出した。
その直後『ポン……』と、何かの発射音が静かに鳴り、それから間もなく爆発音が響いた。地面に倒れながら、満広は車の方を見た。車は全体に火を纏いながら飛びあがり、男の頭上を飛び越え、その向こうの道路に転がりながら着地した。炎に照らされ、男の顔が一層明るくなる。あの目のままだ。
何故だ?何故あの男は俺を殺そうとしている!?
それを考えるのに精一杯で、満広の後頭部に走った衝撃の元すら気付かなかった。混乱した心境の中で、満広は後ろに立つ2人の少年を視界にとらえ、気絶した。
PM.9:47 池袋総合公園
「……なぁ、バディー?そろそろ許してくれないか?」
「拘束目標を重火器でぶっ飛ばすのは、どうかと思うがな……生きていたにしろ」
木に寄りかかり、キースは苛立ちをそのまま表情に表わしながら、近くで煙草を吸っている男を睨む。
「じゃあなんだよ?あのまま轢かれて、ミンチになってりゃ良かったのか?」
口を尖らせ、男は反論する。
「タイヤをパンクさせるとか、そういった発想はないのか、グレン?」
「精密射撃は専門外だ。爆撃ならお任せだが……ん~、仕事の後の煙草は美味い」
紫煙を思い切り吸い込み、男――グレンは満足そうな顔をした。紫煙を少し吐き出す。
「煙草は止めろ。匂いが苦手だ」
渋い顔をしながらキースはグレンに言い放ち、公園の出入り口を見た。車が2台止まっており、修羅が気絶している満広を男たち――『吉野会』の人間に引き渡し、報酬金について話し合っていた。
「会長はお前にも依頼を?」
「満広は隙を見せない男だ。それは会長さんも知っている。お前たちを囮として雇い、満広の目をそちらに向けさせた……あいつがただのヤクザと思っていたのか?あんなトリックに引っ掛かるなんて」
「……今回ばかりは完敗だ。認めるよ」
キースは肩を竦め、グレンに微笑む。グレンも煙草を咥えながら、屈託のない笑顔を見せる。
「……例の件は?」
と、キースは声のトーンを下げ、グレンに問う。
「やれやれ、また仕事か……データを入手した。『LURER』のデータベースから引き出したものだ」
「何かわかったか?」
「……報道されていたデータと全く違う。アメリカの保管庫から奪われた『S・E』の量は、ドラム缶10缶分なんてもんじゃない――50%」
「何?」
最後にグレンが言った数値に、キースは疑問符を浮かべた。
「50%……あそこにあった『S・E』の半分が盗まれていた」
紫煙を吐きながら夜空を見上げ、グレンはため息をついた。一方、キースは目を大きく見開いたまま、硬直していた。
何故そんな大事なことを隠ぺいしたのだろうか?
『S・E』は今や世界に普及している燃料であり、それが無くては電気を生み出すことはできない。それは市民の生活に影響している事であり、もし『S・E』が無くなれば、生活は成り立たなくなる。
「……『RURER』に不穏な動きがあるのは間違いないようだな」
「明日俺はアメリカに帰るが、どうする?」
『RURER』の本部はニューヨークにある。調べるなら、そこしかないだろう。
「……準備する時間をくれ。1人保護している奴がいる」
「お前が人様を保護するたぁな……変な薬でも盛られたか?」
フン、とキースは鼻で笑い、再び修羅の方を見る。話し合いが終わったのか、男たちが車からスーツケースを取り出している。
「ああ、そうそう」
「ん?」
「報奨金の件だが……」
煙草を携帯灰皿に入れてふたを閉じ、グレンは口内に残った紫煙を吐きだした。
「ちゃんと2チーム分、用意してあるぜ」
静かに去っていく車を背に、2つのスーツケースを両手で掲げながら修羅はこちらに笑顔を見せていた。久しぶりの報酬だから、喜んでいるのだろう。
「全く、あんたはほんとに抜かりがない男だ」
呆れながらもキースは口元を緩め、微笑んだ。