2-4 [追憶と決意]
AM.10:27 電車内
(……失敗したなぁ……これじゃ、まるで不審者だよ……)
時節振動する電車の中、顔をジャンバーのフードで隠しながら華奈は心の中で呟いた。
今の華奈の姿は、青いジーンズに白い半袖シャツ、さらにシャツを隠すかのように黒いジャンバーを着ている。その上サングラスとマスクをつけ、長い髪をサイドポニーテールに纏めている。さらに顔をフードで隠しているのだから、不審者と見られても不思議ではない。現に、周りの人間にチラ見されている。
(でも、見つかるのは嫌だしね……)
華奈は今、昨日の朝までいた新宿のマンションに向かっている。まだキースたちと同居を決めたわけじゃないが、マスコミや警察が昨日の事件を嗅ぎ回っている以上、最低でも住処を変えなければならないため、私物と貴重品を取りに向かっている。この姿をしているのは、警察等の目を欺くためである。今着ている服は、事務所にあったキースたちのお古を勝手に借りてきたものだ。
『次は、信濃町。信濃町です。降り口は1行目、右側ドアです。お降りのお客様は、乗車券をご確認ください……Next station is――』
次の駅を知らせるアナウンスが、混雑が薄れてきた電車内に行き渡る。それを聞いていないかのように、華奈は外を見る。いつもと変わらぬ、無数のビルが形成する都市、大通りをアリの大群の行進のように歩く人々。本当に、いつ見ても変わりようのない光景がそこにはあった。
「……こんなことになるなんて……」
昨日まで、今見ている光景の一部に華奈はいた。特にこうといったことがない毎日を送り続けた、あの世界に。
でも、今は違う。両親がいなくなったことに加え、それらが実の両親ではないことを知ってしまった。身を寄せる場所がない状況に、いきなり投げ出されたのだ。もう、日常に戻ることは叶わないだろう。
「……なんで、私なんだろう……」
考えることは止めたはずだが、そう思わずにはいられなかった。よりにもよって、何故自分なのか。自分の運命を、深からずとも呪った。
『信濃駅。信濃駅です。お忘れ物がないよう、お降りください……』
アナウンスの声とともに、目の前の景色はプラットホームによって遮られた……
PM.12:25 信濃町 マンション 69号室
「とりあえず、私服はこれだけでいいかな」
水色のスーツケースに、下着、私服等を詰め込み、グッ、と力を込めてケースを押し込み、ロックを掛ける。
「は~……あとはどうしようかな」
息をつき、部屋を見回す。部屋にある家具のほとんどはこのマンションが所有するものであるため、持っていくものはそんなに多くはない。女子高校生の部屋にしては、ポスターなどが貼られていない、悪く言えば地味な部屋だった。華奈自身、あまり世間の流行に詳しくはないため、私物の家具はないに等しかった。
「……あ!通帳を忘れてた!」
思い出したかのように、華奈はベッドの近くにある白いキャビネットに駆け寄り、小さな引き出しを引いた。
「あ……」
中には、黄緑色の表紙の通帳と、青いミニファイルがあった。通帳、ではなく、重みのあるファイルを手に取り、それを見る。
「……これも忘れてた」
そう呟き、ファイルを開く。
中のクリアフィルターには、多くの写真が収まっていた。どの写真にも、様々な年代の華奈が写っていた。
「母さん……」
そして、過去に亡くした母――霧原 日和も、華奈と一緒に写っていた。絹糸の様に滑らかな栗色のセミロング、黒真珠のように煌く瞳。豊かな表情がそれらをさらに際立たせている。
まだ幼くて小さな華奈を抱き、太陽の木漏れ日のように優しい笑顔でいる写真。
遊園地で一緒に、メリーゴーランドに乗っている写真。
誕生日に、ケーキの蝋燭を一緒に消している写真。
中学校の入学式のときに一緒に撮った写真。
どれもこれも、華奈が日和と一緒に過ごしてきた証拠となる写真ばかりであった。母である日和は、仕事を口実にして子育てに協力しなかった半蔵の手を借りずとも、一生懸命に華奈を育てた。どんな時でも、日和は華奈を支え、また、まるで姉のように接してくれたものだ。
日和との日々は毎日が充実していて、戦時下においても、生きていることを無意識に感じられた。だが、その日々は突然にして幕を閉じた。
3年前――第3次世界大戦が終結した直後に、日和は病に倒れ、間もなくこの世を去った。原因は不明。医者が言うには、死因すら掴めない突然死だったらしい。その後も原因究明は続けられたが、結局は死因不明に留まった。
(……でも、母さんの子供では……ないんだよね……)
半蔵から告げられた言葉。血の繋がりのない親子。自分が孤児であったこと。
本当かどうかはわからないが、薄々華奈は確信していた。
自分の生まれたばかりの写真が、ファイルにないのだ。出産直後の、自分が。
そして、このファイルに写っている写真は、華奈が5歳の時から撮られたものである。ということは、出産直後5年間の間、何かがあったということになる。このことを疑い始めたのは、母を亡くした後であった。今日まで疑問に思っていたそれが、自分の出生に繋がっている可能性があるのだ。
「……でも、私には何もできない……手がかりもこれだけじゃ……」
そう、何もできない。たったこれだけの手がかりでは、実の両親の所在どころか、この問題が本当なのかどうかでさえも判断できない。
早くも『詰み』となってしまった。
「……母さん……」
日和と華奈が写った写真に、1粒の涙が落ちた。もう1つ、また1つ……涙は止まることなく流れ続け、耐えきれない思いを抑えるようにファイルを閉じ、胸に抱える。未だに涙は止まらない。
嘘であってほしい。
それが華奈の本音だった。あんなにも大切にしてくれて、育ててくれて、そして何よりも、自分を愛してくれた日和が、自分の母ではないと思いたくなかった。あの日々が、嘘であってほしくない。日和以外の誰を、実の母親というのだろうか?
いる筈がない。そんな人が、日和の代わりになれる人なんて、いる筈がない。
「……もう、行かなきゃ……」
涙を拭い、ファイルと通帳をショルダーバックに入れ、その他の私物を回収、あるいは処分し、部屋には家具以外何もない状態にした。テーブルの上に、大家さん宛への手紙を置き、華奈はその部屋を後にした――
PM.4:30 信濃町駅前
『……この電話番号は、現在使われておりません……』
「はぁ~、やっぱ出ないかぁ」
本日10回目の携帯からの音声を聞きながら、千秋楽 李那は長い黒髪のツインテールを弄りながらため息をついた。
昨日のことはニュースで見ていた。霧原半蔵の殺害、そして、その娘の華奈の失踪。これの事件が周りの人間に伝わるまで、そんなに長くはなかった――特に、帝学園内は。事件は瞬く間に学園内に知れ渡り、学園からの説明もあった。学園からによると、今日の午前9時に華奈から連絡があり、しばらくの間欠席をすると担任に伝えていた。期間は不明。だが、事故で父を失ったショックは、華奈にとって大きな重荷であるに違いない。
(母さんも亡くなってるし……あの子はもう、一人ぼっちじゃないか……)
華奈は過去に母親も亡くしており、親しい親戚もいないので、彼女がいられる場所はない。
学園まで休んで、一体どうする気なのか?
心配になった李那は今、華奈が住んでいるマンションがある信濃町に来ている。いくらなんでも、家にいないということはないだろう。相変わらず、彼女の携帯にかけても出てこないのが気掛かりだが。
「……ん?」
マンションに向かっている最中、李那の視界に気になるものが入った。
李那の視線の先には、大手の物件センターがあった。その中の窓際で1人、物件を探している少女がいた。青いジーンズに白い半袖シャツ、その上に黒いジャンバーを着ている。サングラスとマスクをつけていて、髪型は栗色のサイドポニーテール。
(あのスーツケース……何処かで見たような……?)
足元にはスーツケースが置いてあり、全体がスカイブルーで、表面の隅っこには、見た目がどう見ても悪者にしか見えない黒色のウサギキャラ『ラビル』のニヤニヤしている顔のシールが貼られている。
『ラビル』は華奈がすごく気に入っていたキャラだったが、世間ではあまり流行はせず、学園の仲間内でも、華奈ぐらいしか知っている人はいなかった。そしてこの前、華奈と買い物に行ったときに、華奈がかなり悩んで買ったものは、スカイブルーのスーツケースだった。
スーツケース、『ラビル』、栗色の髪――
半端な確信を胸に、李那は物件センターに入り、少女に近づいた。
「……華奈?」
「!?」
声をかけると、少女はびっくりしてこちらに向いた。そして李那をじっと見つめる。
「李那?」
声を潜めて、李那に問いかける。思った通りだ。
「やっぱり華奈じゃンン!?」
大きめな声を出そうとしたが、罰が悪いかのように華奈は李那の口を手で塞いだ。そして周りを見回し、小さな声で囁いた。
「……ここじゃまずいわ。人目のないところに移ろう。説明はそれからする」
サングラスで目が見えないが、真面目な話なのはわかる。李那は何も言わず、ただ頷いた。
喫茶店内
「そんな!本当の両親でないなんて!」
昨日のことを全て話し、向かい合わせに座った李那からの第一声だった。
物件センターを出て向かったのは、裏通りにある人気のない喫茶店だった。華奈はここに数回来たことがあったので、特に躊躇いもなく入ることはできた。少し暗い店で、客は華奈たちしかいない。
「本当かはわからないわ。でも、私が生まれた時の情報が何もないのよ。写真も無くて、生まれた病院も不明。母子手帳すらもなかったの」
「そんな・・・日和さんが何処かに隠してるんじゃ?」
「だったら家にある筈。母さんの遺品は全て持ち帰ったの。でも、それらしい物はなかったわ……」
そう言って華奈はコーヒーを啜り、俯いてしまう。李那も、言葉も見つからないのか、無言で華奈を見つめる。
「……これからどうするの?」
「住んでいたマンションは空けたわ。住居を変えて、しばらくは学園を休む。野次馬がうろついてることだし」
「両親のことは?」
「……正直、手が出ないわ。手がかりもなくて、どうすればいいかわからないわ……」
マンションで手に入れた手がかりだけでは、事実の真偽にしか繋がらない。実の両親に関与する情報を手に入れる術も分からない現状では、どうすることもできない。
「……諦めるわ」
結論を、静かに告げる。それしかない。
しばらく休んで、また学園に行けばいい。そうすれば、またいつもの日常に――
「逃げる気?」
と、李那がいきなり立ち上がり、華奈の顔を両手で掴んで李那に向かせる。
「本当の両親に、会いたくないの?華奈を産んでくれた、両親に……」
「手がかりがないのよ……仕方ないわ」
「仕方ない!?そんなこと言えるほど調べた!?」
突然声を荒げ、李那はさらに迫る。華奈は驚きを隠せずにいた。彼女とケンカしたことは何回かあったが、ここまで本気になる李那を見たことがなかったのだ。
「あんたがそこから抜け出したいのはわかるよ……でも、逃げちゃ駄目だよ。ましてや、両親のことなら、逃げるなんて論外。家族を捨てるなんて、出来る筈がないもの。私の知っている華奈は、そんなことはしない」
落ち着いている、だが、感情の高ぶりを感じられる口調。
華奈は李那を見つめる。李那も華奈を見つめる。互いに逃げないように、見つめ続ける。
いつもそうだ。李那は弱気になる人を見ると、逃げないように催促し、立ち向かわせる癖がある。華奈も、その癖に助けられた1人である。
(そうだ。逃げちゃいけない……)
日常に戻りたい?
じゃあ、その日常は何処にある?
逃げた先に、日常はあるのか?
(ある筈がない……日常なんて)
いつか思った言葉。だが、その時とは違う意味を持っている。その言葉には、立ち向かう意思がある。現実に、立ち向かう意思が。
「……いつもそうだね、李那」
「え?」
「いつも、あなたに助けてもらってばかり……」
顔にある李那の両手を取り、優しく両手握る。
「私が馬鹿だったわ……両親を探すわ」
李那はそれを聞き、安堵の笑顔を見せる。
「華奈……!」
「手がかりはないけど……諦めなければ何かある筈」
華奈は席を立ち、テーブルに乗り出している李那を座らせる。そして、華奈も笑顔を見せる。
「あたしも、出来る限り協力するから」
「うん」
「でも、1つお願い」
「何?」
「学園には、早めに来てほしいな。友達がいないと、学校も楽しくないし、何よりも寂しいし」
「ふふ……考えとくよ」
笑顔で李那にウィンクしながら、華奈は席に戻る。
(頼りになるボディガードさんに、保護を願わないとね)
そう思いながら、残りのコーヒーを飲み干す。
「……あっ、華奈!あるよ!」
紅茶を口に運ぼうとした李那は、いきなり声を出した。
「え?何が?」
「役に立つか分からないけど……両親を探す手がかりになるかもしれない」
驚愕。華奈の表情には、まさにそれが表れていた。
「何!?何でもいいから、教えて!」
「う、うん、わかった……私のお母さんが、孤児院で働いているのは知っているよね」
華奈はそれを聞かれ、頷く。李那の母が埼玉の孤児院で働いていることは、過去に何度か聞かされた。
それが何に関係しているのか?
「それで、この前過去の名簿表をお母さんが整理していたの。一部を見せてもらったんだけど……あなたかどうかわからないけど、『華奈』っていう名前があったの。漢字も同じよ」
「孤児院に……私の名前が!?」