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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

[短編版・改稿版]霊力ゼロの陰陽師

作者: 仁科異邦
掲載日:2026/02/26

短編用に再編集しました。

不整合やおかしな点がありましたらすいません。


連載版の1-4話を短編用に再編集しました。

 かつてこの国は、妖怪に支配されかけた。


 人を喰らい、都を焼き、夜を奪ったのは、無数の怪異。

 その頂点に立った存在がいた。

 ――妖怪の王。


 人は抗えなかった。式神も術も通じない。

 国は崩れ、祈りすら届かなかった。

 だが、五つの陰陽師の家が立ち上がる。


 炎下、水瀬、土雲、風木、そして西園寺の五家。

 彼らは命を賭して王へ挑んだ。


 戦いは三日三晩続いた。

 山を裂き、河を枯らし、空を赤く染めた。

 そして最後に王を封じたのは、西園寺家当主だった。


 しかしその代償は、あまりにも重いものだった。

 王の血は呪いとなり、西園寺の血筋に絡みつく。

 力は枯れ、霊力は閉ざされてしまった。

 そして英雄の家は、呪われた家となった。


 やがて時は流れ、妖怪は姿を潜めた。

 だが消えたわけではない。

 人の影に潜み、静かに息をひそめている。


 そして西園寺の呪いもまた、終わってはいなかった。

 封じられたはずの何かが、今も血の奥で軋んでいる。

 現代では、ひとりの少年の中で。


 名を――西園寺玄弥という。


――


 俺は、霊術学院で唯一の無能だ。

 妖怪と戦う陰陽師を育てるこの場所で、俺だけが霊力を持たない。


 何も感じないし、術を使っても何も起きない。

 それでも退学にならない理由は一つ。


 西園寺家の祖先が、かつて“妖怪の王”を封じた陰陽師だからだ。

 ――ただし、その力は俺には残っていない。


「次、西園寺玄弥」

 教官の声が飛んだ瞬間、周りがざわつく。

 笑いをこらえてるやつもいる。あからさまに視線を逸らすやつもいる。


 理由は分かってる。

 ――どうせ何も起きないから、見るだけ時間の無駄ってことだ。

(俺だって、そう思ってる)


 それでも、列から出た。

 靴が地面を踏む感触だけが、やけにはっきり伝わってくる。


「課題は基礎霊術だ。自分の霊力で術を出し、あの的に当てろ」


 何回聞いたんだろ、この台詞。

 数えるのをやめた頃には、もう三桁いってた気がする。

 深呼吸して、目を閉じる。

 体の中に霊力を感じようとする。

 ……何もない感じない。


 気配も、流れも、光も。

 本来なら感じられるはずのものが、俺には一切なかった。


 それでも手を前に出す。

 霊札を持ち、決まった動きをなぞる。

 意味がないと分かっていても、やめるわけにはいかない。


「術式、展開――」

「…………」


 案の定、何も起きない。

 数秒後、どこかから小さな笑い声が聞こえた。


「やっぱりな」

「今日もか」

「霊力ないのに、よく諦めないよな」


 分かってる‥もう気にしない様にしていたが、

 胸の奥がじわっと熱くなるのだけは、まだ消えない。

 それが一番、情けなかった。


「……終了。次」

 教官は俺を見もしないで、もう次の名前を呼んでいた。


 訓練場では、次々と霊術が使われる。

 炎が出て、水が形になり、風が刃のように走る。

――俺だけが、外から見てる。

(何年、この景色を見てきたんだろ)


 西園寺玄弥。

 霊力ゼロ。

 陰陽師の元名門に生まれた、ただの無能。

 この世界では、それだけで致命的だった。


 西園寺家は代々霊力が弱い。

 それでも家族には、最低限の力はある。

 ――俺以外は。

 理由は分からない。


 分かっているのは一つだけ。

 俺の先祖はかつて強い妖怪を封印した陰陽師だった事だけだ。


 訓練が終わり、生徒たちはそれぞれ散っていく。

 誰も俺に声をかけない。

 それが、いつものことだった。

「才能ないのに、よくやめないよな」

「家柄だけで残ってるんだろ」


 背中に向けられる言葉を、黙って聞き流す。

 怒る元気も、悲しむ余裕も、もうなかった。



 放課後。

 教室にはまだ数人残っていた。

 その中心にいるのは、クラスのまとめ役。

 成績も霊力も安定していて、教官からの評価も高い。


 俺とは、正反対の存在。

「なあ、西園寺」


 呼ばれて、嫌な予感がした。

「さっきの実習だけどさ。お前がいると、邪魔なんだよね」


 笑いが起こる、でも俺は黙ったままだ。

 何か言えば、もっとひどくなる。

 それくらいは分かっていた。


「聞こえてない?」

 次の瞬間、体が重くなる。

 見えない力が肩にのしかかり、息が苦しい。


「……っ」


「これが霊力だよ。同じ陰陽師でも、差があるだろ?」

 床の術が光り、足が動かなくなる。

 膝が崩れそうになる。


「ぐ、やめ――」

 声が出ない。


「大丈夫だって。怪我しない程度だから」

 それが、一番ひどかった。

 怪我させないから、これは暴力じゃない。

 そういうことにしているのだ。


 抵抗できない、逃げられない、助けも来ない。

「‥お前は、ここにいるべきじゃない」


 さらに力が強くなり、視界がにじんだ、その時――

「悪い悪い、冗談だよ。ちょっとからかっただけ」

 そう言って、彼は肩をすくめた。


 俺は床に手をつき、息を整える。

 指先が、少し震えていた。

 ――これが普通なんだ、ここでは。


 霊力を持つ者が、持たない者を押さえつける。

 誰も疑問に思わない。

 当たり前だから。


――


 気づけば俺は、学院の裏手にある森へ足を向けていた。

 立ち入り禁止区域。

 本来なら近づく理由なんてない。


「……何やってんだろ」


 自分で自分に呆れる。


 でも足は止まらなかった。

 胸の奥が、ゆっくりと引っ張る。

 森に入ると、空気が変わった。

 冷たいわけじゃなく、ただ重い。


 音が少ない。

 風も、虫の声も、どこか遠い。

 ――ここだ。


 倒木の影に、それはいた。

 巨大な狐。


 いや、巨大って言葉じゃ足りない。

 人より大きいとかそういう次元じゃない。

 金色の毛並みは血で濡れ、

 九本の尾が地面に垂れている。


 荒い呼吸。

 それでも、ただそこにいるだけで圧がある。

 黄金の瞳が、ゆっくりと俺を捉えた。


『……人間か』

 声は耳じゃなく、頭の奥に響いた。

 全身の毛穴が開く。


『近づけば裂く』

 脅しというより、ただの事実。

 喉が乾く。

 でも、目は逸らさなかった。

 逸らしたら、なんか終わる気がした。


「でもさ、あんた」

 言ってから、やめとけばよかったと思う。


「……もう限界だろ」

 森が、静まった。

 九尾の瞳が細くなる。


『霊力も持たぬ身で、よくも我を見下ろす』


「見下ろしてない」

 むしろ逆だ。

「ただ……そう見えるだけだ」


 血、呼吸。

 力を誇示しない態度。

 本当に余裕があるなら、

 俺なんか一瞬で消えてる。


『……奇妙な奴だ』

 九尾は小さく息を吐いた。

 そして、じっと俺を見る。


『それに貴様の内は空白だな』

 ぐさっときた。


「知ってる」


『だが完全な空ではない』


 胸の奥が、また軋む。

『これは、力が封じられているな』


「……は?」

『霊泉に枷がある。貴様は無能ではない』


 頭が追いつかない‥無能じゃない?

 じゃあ何だ。


『封じられているだけだ』

 あまりにもあっさり言う。


 俺が何年悩んだと思ってる。

「……それ、どうにかなるのか」


 情けない声だった。

『我を助ければ、一時的に緩められる』

 心臓が跳ねた。


「助けるって」


『仮契約だ。我の妖力を流す』


「それは大丈夫なのか‥危険は?」


『ある』

 即答。


『器が耐えられねば壊れる』

 嘘はなさそうだった。

 断れば、今まで通り。


 でも‥。

 何もできないでずっと皆を見ているだけ。

 胸の奥が、強く軋む。


 あの訓練場で感じたやつだ。

 何もないはずの場所で、確かに何かが動いた。


 それが本物なら。

「……やるよ」


『即答か』

 九尾が少しだけ目を細める。


『愚かだな』


「慣れてる」

 それでも、止まれない。


「何もできないまま終わるのは、もう嫌なんだ」


 沈黙。

 やがて九尾は、静かに名を告げた。


『我は葛葉』

 その瞬間、空気が震える。


『契約を結ぶ』

 光が胸へ流れ込む。


「――っ!」

 痛み。

 内側に張り付いていた何かが、軋む。

 壊れない。

 でも、確実にひびが入る。

 そして‥堰き止めていた何かが決壊した。


 空気が、違う。

 木の鼓動が分かる。

 森の奥にある微かな気配が見える。


 世界が、急に輪郭を持つ。

「……これが」


 ずっと俺だけ持ってなかったもの。

『まだ解いたのは表層の部分だけだ』


 葛葉の声が、少し近い。

『無理をすれば反動が来る』


「それでもいい」

 拳を握る。掌に、確かな重み。


 胸の奥で、力が脈打っている。

 もう空っぽじゃない。


 その瞬間。

 森の奥から、別の気配が動いた気がした。

 ――封じられていた何かが、目を覚ます。

『……始まったか』

 葛葉が、低く呟いた。


 ‥玄弥はまだ知らない。

 この出会いが長い因縁を動かしたことを。


――


 玄弥の前で、淡い光が人の形を結んだ。

 水面に小石を落としたように、静かに輝く。

 光は徐々に収束していった。


 目の前に九尾の葛葉が現れる。

 だがその姿は玄弥の想像とは大きく違っていた。


 背丈は玄弥の胸ほど。

 年端もいかぬ少女の姿。

 白銀の長い髪が、夜の灯りを受けて柔らかく輝いている。

 腰まで流れる髪は絹のように滑らかで、風が吹けば静かに揺れた。


 頭上には白い狐耳、瞳は深い金色。

 衣装は白を基調とした巫女装束。


 背後で揺れる尾は、今は一本だけだった。

「……妙な顔をしおるな」


 幼い姿に似合わぬ、落ち着いた声音。

 さっきまで森の空気ごと支配していた存在とどう見ても同一に思えない。


「無理もなかろう。これが、今のわしの姿じゃ」


「……思ってたより、だいぶ小さいな」


「よ、余計なお世話じゃ」

 即答だった。

 葛葉はため息をつき、小さな手を見つめた。


「お前とのパスは繋がった。じゃが、まだ細い。流せる霊力も受け取れる霊力も、この程度が限界じゃ」


「本来はもっと立派なんじゃぞ、今は……見ての通りじゃがな」

 卑屈さはない。

 ただ事実を述べているだけだ。

 それがなぜかかえって、胸に刺さる。


「……身長、何センチだ?」


「五月蝿い、斬るぞ」



 玄弥の家。

「ただいま――」


 玄弥は家の玄関を開けるまで、葛葉を連れている事をすっかり忘れていた。


「おかえりなさ……」

 母の声が途中で止まる。


 空気が固まった。

 玄弥が振り返ると、そこには自分の後ろに立つ、小柄な少女。

 ちゃっかりついてきていた。


「……えっと‥どなた様?」


「え?」

 そこでようやく、玄弥は気づく。


「――あ」

 完全に忘れていた、そのまま連れてきてしまっていた。

 葛葉は一瞬きょとんとしたが、すぐに姿勢を正した。


「これは失礼したのう、九尾の葛葉と申す。しばらく世話になる」


「……え、あそうなの、う、うん?」

 母は完全に理解を放棄した顔だった。


「玄弥」


「……うん」


「妖怪、連れてきたの?」


「……うん」


 沈黙。

「……とりあえず、中入りなさい」



 食卓。

 葛葉は椅子に座らされている。

 本人は特に困っていない様子だが、足がぶらぶらしていた。


「あなたお腹、空いてるでしょ?」


「いやわらわは構わぬ。今は顕在化しておるだけで、食を必要とは――」


 ――ぐぅ。

 はっきりした音。

 葛葉がぴたりと止まる。

 玄弥と母の視線が、葛葉に集まった。


「……今のは」


「聞こえてたぞ」


「っ……う、器の問題じゃ! 霊力が足りぬと、こう……腹が鳴る仕様らしい!」


「仕様って言うな」

 母は何も言わず、茶碗を差し出した。


「遠慮しなくていいから、ね?」


「……む。では、少しだけ」


 一口目を食べる。

 「……ほう、これは‥」


 二口、三口。止まらない。

 玄弥は黙って見ていた。

 お代わりを求めるまで一分もかからなかった。


「……玄弥の母上」


「葛葉ちゃん、どうしたの?」


「とても美味しいのう」


「そう、それは良かったわ」


「ごちそうさまじゃ」

 清々しい顔だった。


 母は「かわいいわね」と呟き、玄弥は「九尾だぞ」と返した。

 「分かってるわよ」と言われた。

 分かった上でかわいいと言っていた。


 ――こうして、九尾は家に居着いた。


 夜。

 葛葉はソファに座り、テレビを見ていた。

 正確には、テレビに顔を近づけすぎていた。

「玄弥」


「葛葉、テレビ近い近い、離れろ」


「‥あれは何じゃ?」


「テレビだ。目が悪くなるから離れろ」


「わしは妖怪じゃ、目は悪くならぬ」


「じゃあ画面が傷む」


「……ほう、機械にも傷みがあるのか」

 素直に離れた。感心しながら。


「幻術か?」


「違う」


「魔道具か?」


「違う」


「では――」


「電気だ。説明すると長い。とりあえず、面白いから見てろ」


「……むぅ」

 葛葉は少し考えてから、ソファに深く座り直した。


「……人の世は、賑やかになったのう」

 その声は、少しだけ柔らかかった。

 夜になっても、葛葉はそこにいた。


「……で?」

 母が腕を組む。お茶を一口飲んでから、目が据わった。


「そろそろ説明してもらおうかしら」

 逃げ場はなかった。



 夜。

 玄弥の部屋に、二組の布団。

「ここが玄弥の巣か」


「巣って言うな」


「わしの縄張りにしてやろう」

「するなっ!」


 葛葉は布団に倒れ込み、数秒後には眠っていた。

「すぅ……」


「……いや、寝るの早っ!」

 玄弥は電気を消し、布団に入る。

 暗い天井を見つめながら思う。


 今朝までの自分には、想像もできなかった一日だった。

 無能と笑われ、呪いを知り、九尾と契約して‥色々あった。

 さすがに疲れた。

 でも悪くない疲れだった。


「……ほんとに、霊力使えるんだよな俺‥」

 返事はない。

 すでに寝息だけが聞こえる。


 明日から、また面倒な日常が始まる。

 それは変わらない。

 きっともっとややこしくなる。


 けれど、この夜だけは。

 不思議と、悪くないと思った。


――


 朝。

 台所から、味噌汁の匂いが漂ってきた。

「玄弥ー、起きてるー?」


「……起きてる」

 布団から身を起こした瞬間、違和感に気づく。

 ――軽い。隣の布団が、空だ。


「……葛葉?」


 襖を開けると、すでに居間にいた。

 正確には――正座している。

 背筋をぴんと伸ばし、机の前にちょこんと。

 朝日を正面から浴びながら、微動だにしない。

「おはようじゃ、玄弥」


「……何時だと思ってる」


「日の昇る気配で目が覚めたのう。人の家は鳥の声が近い」

 起床時刻、午前五時四十分。

 玄弥は無言で襖を閉め、もう五分だけ布団に戻った。


「……寝る」


「起きてくるんじゃ、玄弥、ほらご飯じゃご飯」

 すっかりご飯の魅力に取り憑かれた葛葉だった。



 朝食が並ぶ。焼き魚、白米、漬物、味噌汁。

「さ、どうぞ食べて」

「……よいのか?」


「もちろん」

 葛葉は一瞬、玄弥を見る。


「毒見は不要かのう?」

「要らないから安心して食べなよ」


「ふむ」

 箸を手に取る。

 ぎこちないが、扱いは知っているらしい。

 まずは味噌汁の椀を両手で持ち、香りを確かめる。


「……」

 一口。


「――おお」

 素で声が漏れた。


「どうした?」

 葛葉は箸で具をすくい上げる。

 薄茶色の――油揚げ。


「この柔らかきものは、何じゃ?」

「お揚げ」


「……おあげ」

 もう一口。

 今度は、ゆっくり噛みしめる。


「……油で揚げておるのに、出しゃばらぬ。出汁を吸い、それでいて己を失っておらぬ……」

 母がくすっと笑う。


「そんな大層な食べ物じゃないわよ」


「いや、これは――」

 葛葉は真剣だった。

 真剣すぎた。


「信仰されるのも、わかる気がするのう」

「それ、狐の話じゃないのか」


「わしの話じゃ」

 玄弥はため息をつき、ご飯を口に運んだ。

 しばらく静かに食が進む。

 茶碗が空になり、葛葉が遠慮がちに椀を差し出した。


「……もう一杯、もらってもよいかのう」


「いいわよ」


「感謝する」

 椀を受け取り、また一口。ゆっくり、大切そうに。


「……朝というものは、悪くないのう」

 母は味噌汁をよそいながら、ふと言った。


「ね、玄弥。この子……しばらく一緒にいるのよね?」


「……多分な」


「そう」

 それ以上、聞かなかった。

 葛葉の椀が静かに置かれる音だけが、響いた。


「人の世……油揚げがある限り、滅びぬな」


「基準そこかよ」



 朝食が終わり、玄弥は鞄を手に取った。

「……じゃ、俺そろそろ学校へ――」


「待つのじゃ」

 葛葉が、ぴしっと手を挙げる。


「何だ」


「その"がっこう"とやら、どれほど危険なのか、まだ聞いておらぬ」


「普通の学校だよ」


「妖怪に襲われたと聞いたが?」


「……それは、まあ」


「霊力が不安定な今、お前を一人にはできぬ」


 葛葉はじっと玄弥を見る。


「わしを、置いていくつもりかのう?」

 その言い方に、玄弥が一瞬詰まる。なんか、上手いこと言われた気がする。


「葛葉ちゃん、今日おうちにいない?」

 母が割って入った。


「私が面倒見るわよ」


「食事は?」

「出るわよ」


「間食も?」

「あるわよ」


「……」


 葛葉の心が、明らかに揺れた。

 一瞬だけ、視線が泳いだ。

「いや、家に妖怪置いてくのは無理だろ」


「妖怪ではない」

「はいはい」


 母は腕を組んで、少し考えた。

「でも‥外に出た方がいいかもね。玄弥が居なくて留守番も心配だし」


「テレビ壊されそうだし」


「わしはそのような粗暴な真似はせぬ!」

 昨夜、リモコンを分解しかけたのは誰だったかな。


「それにのう」

 葛葉の声が、少しだけ真剣になる。


「玄弥の霊力、まだ不安定じゃ。そばにおらねば、対処が遅れる」


「……正論だな」

 母が決断した。


「じゃあ、一緒に行っちゃいなさい」


「‥え?」


「この子を置いていく方が危ない気がするわ」

 葛葉は満足げに頷いた。


「賢明じゃ」

「お前、もう決定事項みたいな顔してるな」


「帽子、被らせなさい。今どき、多少容姿が変でも大丈夫よ」

「世の中、寛容なのう」


 玄弥は深く息を吐く。

 逃げ場が、完全になかった。

「……行くぞ、葛葉」


「うむ」


 玄関にて。

「それ、靴だから履いて」


「靴‥足枷か?」


「違うから‥とりあえず文句言わず靴を履け」

 母が二人を見送りながら、小さく言った。



 登校時間。

 正門前は、生徒で溢れていた。

「なあ、西園寺の横の子……」


「妹?」

「転校生?」

 視線が集まる。


「……目立つ」

「当然じゃ。この姿、愛らしさが溢れておる」


「自覚あるのかよ、流石に目立つから困るんだが‥」

「仕方ないのう‥」

 葛葉が小さく指を鳴らす。空気が、わずかに歪む。だが誰も異変と認識しない。


「……あれ?」

「気のせい?」


 視線が、自然と逸れていく。

 葛葉はそこにいる。だが"重要ではない存在"として、意識の外へ滑り落ちていく。


「認識阻害じゃ。見えておるが、意識に残らぬ」

「便利すぎだろ」

「目立ちすぎると騒ぎになるでな」

 教師ですら、素通りした。


「……いつまで持つ」

「わしの妖力が続く限り」


「切れたら?」

 葛葉は、にやりと笑う。

「全力で目立つじゃろう」


「いや、やめろ‥」


 朝のHRまで、あと三分。

 誰の記憶にも残らないまま、二人は校内へ足を踏み入れた。


 だが‥。

 何かが、始まろうとしていた。


 実技棟・第三訓練場。

 床は霊力を通す白い石板で覆われ、天井には結界式が張り巡らされている。


「次、西園寺玄弥。相手は――三組、日下部」

 教官の声に、場がざわついた。


「また玄弥かよ」

「勝ち確じゃん」

 玄弥は何も言わず前へ出る。

 日下部は余裕の笑みを浮かべ、肩を鳴らした。


「悪く思うなよ、課題だからさ」

 開始の合図。


 日下部は即座に霊力を展開する。

 腕に巻き付く霊符が淡く光り、身体能力を底上げする術式だ。

 一方、玄弥の周囲には何も起きない。

「……来い」


 踏み込む。

 動き自体は教本通りで、無駄はない。

 だが。


 日下部は半歩ずらすだけで、拳を容易くいなした。

「遅い」


 肘打ちが腹に突き刺さり、息が詰まる。

「ぐっ……」


 背後に回られ、脚を払われた。

 床に叩きつけられ、視界が揺れる。


「終わりだ」

 霊符の光が強まり、床に術式が広がる。

 四肢が縫い止められ、動かない。


 笛の音。

「勝者、日下部。……西園寺、また課題未達だな」


 突き刺さる視線。

「やっぱ霊力出ねえな」

「霊術科なのに霊術使えないのー?可哀想」

「他の学校行けばよかったんじゃね?」


 玄弥は黙って立ち上がる。

 口の中に、鉄の味が広がっていた。


 次の組み手も、結果は同じだった。

 術で強化された一撃に吹き飛ばされ、壁へ叩きつけられる。

 結界がなければ、どうなっていたか分からない。


「……これ以上やっても無意味だ。西園寺は見学に回れ」

 教官の言葉が、何よりも痛かった。

 殴られた腹より、ずっと。



 昼休み。保健室のベッドに横になり、玄弥は天井を見つめていた。

「またボロボロだね」

 保健委員の女子が、慣れた手つきで包帯を巻く。


「……」


 窓の外では、クラスメイトたちが楽しそうに談笑している。

 霊装、術式、模擬戦の武勇伝。玄弥には、そのどれも関係なかった。

 拳を、静かに握る。


 名家の末裔。

 ただ殴られて終わるだけ。

 それが、日常だった。



 校舎裏。

「……くそ」


 拳を壁に打ちつける。

 鈍い音だけが返る。

「玄弥‥なぜ、使わぬのじゃ」


 振り返ると、柱の影に葛葉がいた。

 認識阻害のせいか、誰の目にも映らない。


「……使えないだけだ」


「本当に、そうかの」

 葛葉は目を細める。


「おぬしの身体には、確かに霊力が流れておる。しかも、かなりの量じゃ」


「……嘘だ」


「嘘ではない」

 即答だった。


「前までは確かに使えなかった。だがそれは才能の問題ではない。"呪い"が、霊力の経路を塞いでおっただけじゃ」

 胸の奥が、冷える。


「九尾との契約で、その塞ぎは壊れた。完全ではないが、使える状態にはなっておる」


 玄弥は息を呑む。

「だが、おぬし自身が――"使えない"と思い続けてきた」


 思い返せば試す前から、諦めていた。

 術式を展開しようとする前に、どうせ無理だと決めていた‥ずっと。


「……本当に、使えるのか」


「使えるとも」

 葛葉は小さく、しかしはっきりと頷いた。


 その言葉は重かった。同時に――初めて、前を向ける気がした。


 拳の力が、少しだけ抜ける。壁の冷たさが、ようやく掌に伝わってきた。


――


 放課後。

 部活の掛け声も消えた訓練場の端、夕焼けが地面を赤く染めていた。

 玄弥は、ひとりだった。


「……やるぞ」

 これまでは、失敗を前提に手を伸ばしてきた。

 どうせ何も起きない、と。


 ――だが今日は、違う。


 葛葉の言葉が、まだ胸に残っている。

『使える』


 その気持ちだけで、玄弥の中の何かが変わっていた。

 静かに息を吸って吐く。

 術式も、型も要らない。

 ただ、内側を探る‥信じて。


 瞬間、胸の奥で何かが脈打った。

「……っ」


 ――出ろ。

 次の瞬間。

 掌の上に、淡い霊光が灯った。


「……」

 呼吸を忘れた。


 小さく揺れる光、消えない光。

 幻じゃない。

 もう一度、意識を向ける。

 光は、少しだけ強くなる。


「……つ、使えてる」

 声が、震えた。


「ちゃんと……俺、使えるんだ」

 じわりと、込み上げてくるものがあった。

 今まで何度も、何も起きない掌を見つめてきた。

 嘲笑。失望。諦め。


 それらが一気に、胸に押し寄せた。

 玄弥は、膝をついた。

 掌の光が、消える。


「……くそ」

 奥歯を噛んでも、止まらなかった。

 拳が、地面を叩く。

 痛みより、悔しさの方が勝った。


「なんで……今まで……っ」

 見下されてきた視線。才能がないと言われた言葉。何も言い返せなかった自分。


 全部が、頭を巡る。

「……やっと出せた‥」

 視界が滲む。涙が、ぽろぽろと落ちた。


 弱さからじゃない。

 可能性を知った涙だった。



 玄弥は、濡れた顔を乱暴に拭う。

 それでも。立ち上がる。


 夕焼けの中、もう一度掌を開く。

 今度は、迷わなかった。

 淡い霊光が、確かに灯る。

「……みっともないな」


 呟いた瞬間、小さな足音が近づいた。

「みっともなくなどない」

 葛葉の声だった。

 気づけば、すぐ隣に立っている。

 白い髪が夕焼けに照らされ、淡く光っていた。


「長い間、できぬと言われ続けた。それでも折れずに、ここまで来た」

 葛葉は、静かに玄弥の頭へ手を置く。


「おぬしは、できないのではない」

 はっきりと、断言した。


「呪いによって、阻まれておっただけじゃ」

 声が、少しだけ落ちる。


「九尾と契約し、道が開いた。それでも今まで使えなかったのは――おぬしが弱いからではない‥それほど強い呪いを、背負わされておったということじゃ」



 玄弥は、ゆっくり顔を上げた。

「……俺は」


「なぁに、他のやつらより遅れておるだけじゃ、玄弥ならすぐに追いつく」


 葛葉が、くすりと笑う。

 その目が、まっすぐ玄弥を見る。


「今日、霊力が灯った。それが"始まり"じゃ」

「焦らずともよい。だが、諦めるな」

「おぬしは、ちゃんと前に進んでおる」


 玄弥は、深く息を吸った。

 胸の奥に、さっきとは違う熱が灯る。

「……ありがとう」


「礼などいらぬ」

 葛葉は、どこか誇らしげに言った。


「おぬしが立ち上がるなら、わしは隣におるだけじゃ」

 その言葉は、夕焼けよりも温かかった。


「ふむ」

 葛葉が腕を組み、玄弥を上から下まで眺める。

「せっかくじゃ。今日は少し、霊力の使い方を教えてやろう」

 玄弥は思わず顔を上げた。


「……いいのか?」


「当然じゃろ」

 口は悪い。だが声はどこか柔らかい。

「宝の持ち腐れほど、見ていて腹立たしいものはないからのう」

「まず、勘違いしておる点がある」


 葛葉が、指で玄弥の胸をつついた。

「霊力は"出すもの"ではない」


「……え?」


「通すものじゃ」

 葛葉はしゃがみ込み、指先で地面に線を描く。

「水が流れる川を思い浮かべてみい」

「力とは、溜め込めば澱む。流せば、形を成す」


 玄弥はゆっくり目を閉じた。

 さっき感じた、あの脈動。

 引きずり出すのではなく、ただ流れを意識する。


「肩に力が入りすぎじゃ」

 葛葉の声が、近い。

「怖がるな。霊力は、おぬしの一部じゃ」


 息を整える。

 すると――。

 胸の奥の"流れ"が、さっきよりも自然に動き始めた。


「……っ」


 掌に、淡い光が灯る。

 先ほどよりも、安定している。

「ほう」

 葛葉が目を細めた。

 (もっと制御に時間がかかると思ったが、これも才能かのう)

 

「今の感覚を忘れるでない。それが"基礎"じゃ」


「これが……」


「そうじゃ、誰も教えなかった当たり前の訓練じゃ」

 葛葉は立ち上がり、背伸びをする。


 「んーっ!制御もできた事だし今日はここまでにしするかのう」


「明日からもやるぞ」

 葛葉は当然のように言った。


「わしがいる間は、逃げられんから覚悟せい」

 玄弥は苦笑しながら頷く。


「……よろしく頼む」


「うむ」

「九尾の葛葉、直々の稽古じゃ。光栄に思うがよいぞ」

 夕焼けの中。

 こうして、玄弥の"本当の修行"が始まった。


――


 放課後。

 人のいない校庭の隅。


「今日も特訓じゃ」

 葛葉は、当然のように言う。


「派手な術は必要ないのじゃ」

「霊力を流し留める‥それだけを繰り返すのじゃ」


 玄弥は頷き、目を閉じた。

 呼吸を整える。内側へ意識を沈める。

 ――流す、留める。


 胸の奥の霊力が細い川のように動いた。

 掌に、淡い光が灯る。

 だが、すぐ揺ぐ、消えかける。

「欲張るでない、ほれもう一度試すのじゃ」


「……」


 光が、消えた。

「……はぁ、はぁ‥何秒できた?」


 葛葉が、静かに言った。

「四秒か、昨日は二秒じゃから進歩しておる」

 

 四秒、たったそれだけ。

 なのに、胸の奥がわずかに軽くなった。


 五秒が七秒へ。

 七秒が十秒へ。

 掌の光は安定し、息切れが減る。

「……前より、疲れにくい」


「無駄に暴れさせなくなったからじゃ」

 葛葉は静かに頷いた。


「霊力は扱い方が肝要じゃ」


 実技の授業。

 組み手だ、いつものように何もせず殴られる‥はずだった。

 だが。

「……?」


 衝撃が、軽い。

 無意識に、霊力が身体を巡っていた。

 玄弥自身が、後から気づく。


 昼休み。

 いつも重かった身体が、今日は少し違う。

「……あれ?」―。


「当然じゃ」

「積み重ねとは、そういうものじゃ」


 派手な奇跡はない、劇的な覚醒もない。

 だが玄弥は確信していた。

 自分は、確実に変わっている。

 ゆっくりと。だが、確実に。



 それは、週末の訓練の終わりだった。

 掌の霊力が、いつもより安定している。

 流れも途切れず、呼吸も乱れていない。

「……今日は、調子いいな」


 その瞬間。

 ――ドクンッ!


 背骨の奥を、冷たいものが這い上がった。


「……っ?」

 次の瞬間、激痛が走る。


「ガハッ‥ハァハァ」

 霊力の流れが、内側から引き裂かれる。

 魂ごと掴まれ、ねじり潰されるような感覚。


「――ぐっ!!」

 膝をつく。息ができない。

 霊力が逆流する、視界が白く飛ぶ。


「……とうとう来たか」

 葛葉の声が低くなる。


「霊力を流しすぎたのじゃ」

 身体の奥で、何かが拒絶していた。


「……なんだ……これ……」


「呪いじゃ」

 葛葉は即答した。


「完全には解呪出来ておらん」

「おぬしが力を取り戻し始めたことで、目を覚ました」


 痛みが、さらに強まる。

「無理に耐えるな! 今は抑えるのじゃ!」

「流れを止めろ!」


 玄弥は必死に呼吸を整えた。

 霊力を、ゆっくりと戻す。

 痛みが、少しずつ引いていく。

「……使いすぎると、こうなるのか」


「呪いは枷じゃ」

 葛葉の表情が、険しい。


「力を阻むため、内側から壊すためのもの」

 玄弥は拳を握った、震えは、止まらない。

 それでも。


「……それでも、進むしかないよな」

 葛葉は、ゆっくり頷いた。


 実技演習。

「次。西園寺玄弥、日下部」

 ざわめき。


 玄弥は、もう俯かなかった。


「よう、西園寺、無理すんなよ」

 日下部が笑う。いつもの笑みだ。


「今日も手加減してやるからさ」

 玄弥は静かに息を吐く。

 内側で、霊力が細く流れ始める。


「体術のみ、霊術は使用禁止、いいね?」

 二人とも頷く。


「よし、始め!」



 日下部が踏み込む。

 正面からの打撃、以前なら避ける事すらできなかった。


 だが、視える。

「……っ?」


 拳が、空を切る、玄弥は足裏に霊力を通し、横へ跳ぶ。

 自分でも驚くほど、速い。


「くそ、ちょろちょろすんな!」

 連撃、今度は逃げない。

 受けの瞬間だけ、腕の霊力を強める。


 ――ガッ!

「……受けた?」


 日下部の目が見開かれる。

 その一瞬の隙、玄弥は足元を狙った。

「ぐっ!?」


 体勢が崩れる。

 ――流す、留める、また流す。


 頭で考えていない。

 身体が、勝手に動いている、そして最後は、足払い。


「――なっ!?」

 日下部の身体が宙を舞い、背中から落ちた。


 静寂の中で、日下部が歯を食いしばる。

「……くそ」

 掠れた声。


 それが怒りに変わるのは、一瞬だった。

「西園寺なんかに……やられてたまるかよ……ッ!!」


 霊力が、爆発的に膨れ上がる。

「まずい! やめろ日下部!」


 先生の声が飛ぶ。間に合わない。

「霊術――霊光散弾ッ!!」


 霊力の塊が、玄弥へ殺到する。



 死ぬ、一瞬そう思った。

 だが。

 ――落ち着け。


 玄弥は目を見開く。

 飛んでくる霊力の塊を一つ一つ捉える。

「霊術――護符陣・瞬陣ッ!」

 光の壁が、四方に展開する。


 轟音、衝撃。

 風圧が、頬を撫でる。

 だが、壁は割れなかった。


 霊力の塊が霧散する。

 煙の向こうで、日下部が目を見開いていた。


「なっ……ありえねぇ」

 その隙を、玄弥は逃さない。

 一歩、二歩。

 霊力を、掌に。

 薄く、鋭く、刃のように。


 ――ドンッ。

 掌底が、綺麗に入った。


「ガハッ……!」

 日下部が腹を押さえ、崩れる。


 静寂。

 誰も声を出せなかった。


 玄弥は自分の手を見た、震えている。

 だが、それは恐怖じゃない。

「……勝った」


「大丈夫か、西園寺!?」

 教官が近寄る。


「大丈夫です、それより日下部の方が‥」


「そ、そうだな、日下部を保健室へ」

 ざわつく演習場。


 こうして玄弥は初めて霊力を使い、力を示した。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

連載版はこちらにあります。

本編五話からが続きとなります。


ぜひご覧ください。

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