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短編:一万五千文字以下の作品

実在

掲載日:2026/01/07

 春は、出会いの季節という。

 春は、別れの季節だという。

 私にとっては――。




「い~い? 今日も気をつけて会社に行くのよ!」


 ふよふよした頬。

 ぷっくりとした唇。

 短くてちいさな人差し指。


 誰が見ても、見下ろす彼女は小柄な子どもで。誰が見ても『かわいい』と彼女をほめるだろう。


「わかってるわ。ありがとう、『みよちゃん』?」

 出かけた言葉をグッと飲み込んだ私とは対照的に、手を振る彼女は満足げだ。


「ああ、お母さん。これからお仕事ですものね。いってらっしゃい」

「ありがとうございます」

 彼女のとなりにしゃがみ、私に声をかけてくれた先生にもつい、笑顔が引きつってしまう。


 これではいけない。


「先生、今日も一日よろしくお願いします」

 深々とお辞儀をして直ったころ、彼女は微笑ましく私を見ていた。だから、私は目を背け保育園を後にする。




 何人の子たちが、彼女と同じなんだろう。保育園の喧騒が遠のいていき、そんなことがふと過る。


 数年前、突然常識は覆された。


『エルフは実在した!』

 そんな、ニュースの見出しとともに。


 ぼんやりしていても、会社への道のりは身にしみているらしい。気づけばいつの間にか電車を降り社員証を出して会社の中にいて、着替えて朝礼に参加している。


 今日から始まる催し物や新商品、昨日の伝達などが嵐のように耳に入ってくれば、仕事へと頭が切り替わっていく。




 風に当たらず、太陽も見ず、それでも定期的に館内に流れる音楽に時間の経過を知って。見ず知らずのお客様の笑顔や声に励まされ、後輩をフォローし、慌ただしく一日が終わっていく。


「お先に失礼します」

「お疲れ様~!」


 同僚や後輩は、私が姪っ子を預かっていると思っている。

 最後にあいさつを交わした上司しか、私の本当の事情を知らない。


 私は正真正銘の独身だ。子どももいなければ、兄弟もいない。両親は一昨年亡くなった。

 これから迎えに行く彼女が、私にとっては最後の家族。だから、私は今日も彼女を迎えに行く。




「あら、お疲れ様です!」

 すっかり静かになった保育園。先生は私を見るなりパッと笑みを咲かせて、彼女を呼んだ。

「みよちゃん、今日もいい子でしたよ!」

「ありがとうございます」

「いえいえ、逆にこちらが助けてもらってると思うくらいですよ。みよちゃん、本当に面倒見がよくって……」

「お母さ~ん! はやく帰ろう!」


 タックル……と思うほどの衝撃。子どもは加減ができないというけれど、彼女の場合、少し意味が違う気がする。


「そ、そうだね。帰ろっか」

 飛びついてきた彼女を少し離して手を握ると、かわいらしい笑顔を浮かべる。ああ、子どもの笑顔で疲れが吹き飛ぶというのは本当だなぁ。


「先生、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

 礼儀正しい彼女に従い、私も頭を下げる。


「また明日ね、みよちゃん。お母さん」

「また明日ね~!」


 元気な彼女の声。私はペコリと会釈をして、彼女の手を引く。




 こんな毎日が、続くと思っていた。


 限りがあると、期日まで知っていたのに。




「明日から、保育園に行きたくないなぁ……」


 彼女がこんなことを言ったのは、半年ほど経ったとき。ちょうど国民的アニメが終わったあとで、私は特定の曜日の夜に生じる不安感かと彼女に言った。

 けれど、そんなからかいにのる彼女ではない。それを、半年ほど前の私なら、わかっていたはずだった。


 視覚的情報というのは恐ろしい。

 頭では理解していた事柄でも、日々繰り返されていけば『常識』とすり替わってしまう。


「楽しみにしてたんじゃなかったの?」

 私は反省して、彼女のとなりに座る。六歳になった彼女の瞳は、私よりもはるかに大人だ。


「うん……そう、楽しみだったし、これまでとっても楽しかった……」


 じんわりと浮かぶ涙は、六歳のそれではない。


 彼女が『六歳の誕生日』を迎えたのは、先日だった。初めて見るでもないショートケーキに目を輝かせ、ちいさな口いっぱいに頬張り、幸せにとろけるような表情を浮かべ――『本当に、夢みたいな時間だ』としんみり泣いた。


「もう満足したんだよ」

 それは、彼女が今の姿になる前を思い出させるには充分な言葉だった。だから、私は久しぶりに彼女を正式な呼び方で呼んでいた。


「まだ、半年くらいあるじゃない……おばあちゃん」


 数年前、突然ニュースに特集されたエルフは魔法使いで、人知を超える提案をした。

【希望する八十歳を越える者を、就学前の年齢の体に戻し余生を過ごしてもらう】

 条件は年齢以外には本人の希望であることのみ。


 魔法のデメリットはふたつ。


 ひとつめは以前の姿には戻れないこと。もうひとつは、余命宣告をされていない限りは、余命がきっかり一年になること。


 余命宣告を受けていた場合でも、健康な状態になるが絶命となる日は変わらず、数日前からは体調不良になるらしい。


 ただし、歩けない人でも、余命宣告を受けて辛い延命措置を受けている人でも、健康に自由に過ごせると、一時は過熱報道がされた。


 けれど一年が経ち、希望した健康だった人たちもきっかりと一年で亡くなり、SNSでは賛否が飛び交い、ニュースは『その後』を追わなくなった。


 元々が高齢者というのは、公表してもしなくてもいいとされた。必要と義務づけされたのは、保険証と役所の手続きのときだけ。それ以外のときのために、公表したくない人には姿と同等の仮の身分証の交付までされることとなった。


 そうして、国はエルフの提案に乗る者に一千万円を支給すると決めた。何年払い続けるかわからない年金と医療費よりも安いと踏んだのかもしれない。誤算だったのは、お金じゃないと激怒したSNSが再加熱したことか。


「そうだね」

 しんみりと、おばあちゃんが言った。


 私の母は、そんなSNSを眺めながら『私は八十歳になったら、迷わずエルフにお願いしたいわ』なんて言った人だった。

 母が病気で亡くなり、おばあちゃんは心境が変化したのだろう。九十歳になってエルフのところへ行ってくると置き手紙をして、立春に五歳の姿で戻って来た。


 それから私たちは親子に擬態して引っ越し、生活を始めたわけだ。


「年相応の姿をしていたときは、もう充分生きたと思っていた。思い残すことはないと思っていたんだ」

「じゃあ、どうして?」

「娘のしたかったことを、してみるのもいいかなと思ったんだよ」


 やさしい笑みを六歳のおばあちゃんは私に向ける。


「久しぶりに真っ黒な髪の毛になって、肌もプルップルで。目もくっきり見えて、たくさん走っても楽しくって。スマホだゲームだ、漫画だのもまぁ~何でもかんでも楽しくて楽しくて仕方なかったよ」


 ニコニコして話すおばあちゃんは、おばあちゃんらしくもあり、おばあちゃんらしくもない。


「神様のご褒美だって娘に感謝していたんだけどね……。保育園にいるみんなと過ごしていて、『このまま生きていたい』って、思っちゃったんだよ」

 目元にじんわりと浮かぶそれは、私の目元にも伝染してきた。


「だから、このまま保育園にずっと行かなければさ。私はみんなの中で生きていけるんじゃないかって……」

「じゃあ! 冬休みまで! それまではまだまだたくさん思い出みんなと作ったらいいじゃん!」


 クリクリの真っ黒な目が、もっと大きくなって私をじっと見る。


「冬休みの間に、私の仕事の都合で引っ越すことになったって……ことに……してさ……」

 ポンポンとちいさな手が私をなでた。


「さっちゃんは、本当にやさしい子だね」




 一ヶ月半ほど、私たちは同じ生活を繰り返した。


 ただ、おばあちゃんのかわいらしい瞳は、あどけなさがずい分減った気がする。


「短い間でしたが、ありがとうございました」

「ありがとうございました~!」


『みよちゃん』は子どもらしく元気にあいさつをし、子どもらしからぬ聞き分けの良さを振る舞って保育園を出るつもりだ。


 申し訳ないが、私もそれに乗っからせてもらおうと思った、そのとき。


「みよちゃん!」

「引っ越してもまた来てね!」

「また遊ぼうよ!」


 あれよあれよと子どもたちが押し寄せ、次から次へと泣き叫ぶ。わ~きゃ~声が混じり、先生たちが個別にたくさんの名前を呼んで、抱き締め、

「またね」

 と私たちに手を振る。


 立ち尽くす――という表現が、これほどピッタリなシーンを、私は初めて見た。入り交じる感情の渦に、おばあちゃんはちいさい体を動かせずにいたのかもしれない。


「行こう。明日、引っ越しはやいから」

 キュッキュッと手を引っ張ると、『みよちゃん』は私をぼんやりと見上げて、コクンとうなずいた。


「またね」

 私は平然と嘘を置いて『みよちゃん』と保育園を後にする。


 引っ張る手が重い。


 だから、私は大人でいることを務めた。




 一週間か十日が経ち、私は有休を取った。

 私たちは本当に引っ越すことにしたのだ。


 引っ越す先は決まっている。元々、おばあちゃんが住んでいた家だ。借家にしていたけれど、都合良く借主が引っ越していた。




 馴染みの家に戻って来て、おばあちゃんは仮の身分証を返却した。あいさつまわりをして、『かわいらしい』とたくさん言われたと喜んでいた。


 その夜、昔使っていた湯飲みでふうっとお茶を飲むおばあちゃんの姿があった。もしかしたら、もう偽らなくていいと肩の荷が降りたのかもしれない。




 クスクスと笑い過ごした日々は、本当に本当にあっという間だった。


「まさか、新年をこの家で迎えられるなんてね」

 しみじみと言いつつ、届いた年賀状を大事そうに抱き締めていた。


「今年は豆を年の数だけ食べてみせるわ」

 あっはっはと無邪気に笑って、盛り盛り口いっぱいに頬張っていた。


 わかっていたはずなのに。知っていたのに。どうして。

 夢なんじゃないかと、ちいさくちいさくなった姿をじっと見る。




 あれ、私は、何日会社を休んだんだっけ。

 会社の規定では『祖母』は三日の忌引きだけど、上司が私の気持ちを汲んで一週間は休んでいいと――。


「立春なんて、来なければよかったのに」

 慌ただしくて、賑やかで、おだやかな一年だった。




 春は、出会いの季節という。

 春は、別れの季節だという。


 私にとっては――。


 今はまだ、明るくは言えないけれど。また巡り会える季節だと願いたい。




「またね」

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