第八話。シュークリームパーティー、そして。
……魔王様がシュークリームを持って入ってきたのは、そこから少し経ってからだった。
「聖女よ、待たせたな! 今……余の手料理を振舞おうぞ!」──いつものクセで今、快楽の底に溺れさせてやると言いそうになったぞ! これか、我の悪い癖と言うのは!
魔王様はにっこりと笑いながら、食堂にあるテーブルの上にシュークリームが一杯乗った皿を置き始めた。
(魔王様、えらいっ! ちゃんとあたしのアドバイスを守ってくれてる!)
これが、母親の気持ちというものだろうか。魔王様の成長に感動をして泣きそうになった。
「魔王が……これを……?」──これが、シュークリーム……名前は聞いたことがありますが……見たのは初めてです……
「ククク、驚いたか。なぜ我が人間界の食べ物を作れるのかを……それは、長い話になる……あれは……そう、今から……」──あの頃は、そう……まだ我が……
「あっ、魔王様、その話はいいです。ほら、エリス食べよ?」
「は、はい……」──とは言ってもどう食べたらいいのかしら? わ、柔らかい!
エリスは、ふわふわの生地のシュークリームを手に持ち、じーっと見つめている。
「かぶりついて食べたらいいよ。それか、生地をちぎってクリームに付けて食べるかだね」
「わ、わかりました!」──かぶりつくのははしたないかしら。
「魔王様いただきます! んー! 美味しい!」(やっぱり、このサクサクの生地は最高!)
「そうだろう! ククク、聖女も食べてみるがいい!」
──マナはかぶりついて食べてますね……あっちの方が美味しそう。
エリスは、シュークリームにかぶりついた。中からクリームが飛び出て、エリスの頬っぺたにくっつく。それでも、エリスは目を輝かせた。
「うっ、まぶしっ!」
それまで体から薄っすらでていた聖気が一気に食堂に広がった。眩しいくらいだ。
──なにこれぇ……あまぁい……
そこから、夢中になって一口、二口と口の中に入れていく。クリームで口の周りが汚れるのも気にせず。あたしは食べかけのシュークリームを皿に置き、布を用意する。
「エリス、口の周りが汚れてるよ」
「あっ」──私ったら、なんとはしたない……私が自我を無くすなんて、これは悪魔の食べ物……
「ククク、聖女よ。良い食べっぷりだ! それでこそ、スイーツを作ったかいがあるというものよ! フフフ、フハハハハハ!」──よかった、どうやら口に合ったようだな。
魔王様の優しい心の声が聞こえてくる。エリスは、魔王の姿を見て、呆けた顔をしていた。
──マナの言った通りだわ。魔王って思ったより優しいのかも? 邪悪な笑いだけど。
(それについてはエリスに同意!)
もっと爽やかな笑い方をすれば、誤解されないと思うのだけど、魔王様の笑い方、通称魔王笑いはもうクセで直せないのだそうだ。
「どうした、もっと食べるがよい、今日は聖女……そなたの歓迎会なのだからな!」
(そうだったの⁉)
あたしが驚いた。そんなことは心で言ってなかった……って、魔王……目をぱちぱちしてる。とっさに理由を付けたな、これ。
「そ、そうだったのですね……私の歓迎会……」──魔王に歓迎されるってなんかちょっと嫌だけど……
「そうだ!」──ククク、こう言っておけば喜ぶであろう。
(今決めたくせに、よくもそんな堂々と)
「それなら、これを食べきらなきゃダメですね……」──かなりの量があるけど、これならいけそうです……
(いえ、食べきる必要は……)
「そうだ!」──食いっぷりがいい女は好きだぞ!
(あんたも、そうだ! じゃないよ! 美味しそうに食べてるエリスが見たいだけでしょうが! まぁ、二人とも楽しそうでよかったけど……)
シュークリームにかぶりつき、ほっぺたに白いクリームを付けて微笑むエリスを見ていると、心が温かくなる気がした。
──ああ、本当に美味しい。これを一緒にハルト様と食べたかったなぁ……さすがに、勇者を魔王に会わせるわけにはいかないし……
「勇者⁉」
(あ、まずい。言葉にしちゃった)
「マナ、どうしたのです?」──いきなり、ハルト様のことを叫んでどうしたのかしら?
「マナよ、その名前を出すな。あの者の名前を聞くと虫唾が走る!」──どうしたのだ、マナ。なにがあった。
「あ、いえ、その……すみません……」
「魔王、その言い方はないでしょう? ……それとも、勇者が怖いのですか?」──ハルト様が来てくれれば、きっと魔王を……ああ、ハルト様……
エリスの心の声は、恋する乙女のように聞こえた。ああ、やっぱり……
(エリスは勇者のことが好きなんだ……)
それは、魔王様が失恋をしたことを意味する。しかも、勇者を相手に。
「ククク、我があの男を怖がるだと? 聖女よ、おかしなことを言うものだな」──今のあやつでは万に一つも勝ち目はあるまい。
「勇者に勝つために私をさらったのではないですか?」──きっと、そうに違いない。そうでなくてはおかしい。魔王が、こんなに優しいなんておかしい!
「違う! 我はお前を助けるために!」──だから、無理をして我は……
「助ける? 貴方は一体何を言ってるのですか?」──まさか、私の状態を知っているの? もしそうなら、ここには……
「二人ともやめてください! エリス、とりあえずシュークリームを食べましょう! 美味しいですよこれ!」
「大丈夫です、沢山いただきましたから。ご馳走様です」──ありがとう、マナ……ごめんなさい。
(エリス……なんでごめんなさいなの? あなたは何を抱えているの?)
ここでは、あたしだけが蚊帳の外だ。二人が知らない人のように感じられ、少しだけ寂しくなった。
「そう……ですか……」
「マナ、我は少し出かけて来る。後は頼む」──少し、いらぬことを言い過ぎた。頭を冷やさねばな。
「はい……」
二人は食堂から出ていく。扉の閉まる音が食堂に響き渡った。
後にはあたし一人と、山盛りになったシュークリームが残されていた。あたしは、その一つを手に取り口にほおばる。
……あれだけ美味しかったはずのシュークリームの味がぼやけてしまったような感じがした。