表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

刻印の目覚め

 霊峰トリスでの慰霊祭任務から三日後。

 王都フィルマリア・冒険者ギルド本部。午前九時、もや混じりの春雨が玄関ポーチを濡らす。


 受付カウンターで俺――レオルは霊峰の報告書を提出した。

 同席したリナは腕に抱えた布包み──霊護符《月鏡晶》の保管箱──をそっと乗せる。


「魔力波動は安定しています。怨念成分も検出せず」

 魔術監査官が宝石ペンで検査値を記入し、領収印を押した。


報酬:4,400リオン

功績点:+14pt(累計 45pt/昇級ボーダー60pt)


 書類の数字を見て、胸ポケットの深層紫晶が「コッ」と短く鳴る。

 60ptが三級正式認定の最低ライン。あと15pt。

 しかし頭の片隅では、霊峰で聞いた英霊ヒュオルの「闇を斬れ」の声がこだまする。


 ――闇を斬れる武器を作らなければならない。


 ギルドを辞して東区へ。鋳造所と倉庫が連なる大路の突き当たり、

 すすで黒く曇った看板に刻まれた 《緋槌道場/鍛冶工房》 の字。


 引き戸を開けると熱波と鉄の匂い。

 炉の炎がオレンジから白へ高温域の閃光を放ち、火花が縦横に飛ぶ。

 鬼師範キダンの巨体が炉に向かい、鉄板を万力で挟んでいる。


「帰ったか、小僧。霊峰で魂の眼を開いたそうだな」

 背中越しの声は雷鳴のように低い。


「はい。……その眼で見た“闇”を砕く武器を、今日こそ鍛えます」


 俺は道場で授かった 緋鎚式グリップ を差し出した。

 キダンは黙って受け取り、顎で鋳造ピットを指す。


こうべを鋳込む準備はできている。が、材料は自分で決めろ。武器は魂と同じだ。己が抱えたモノが、そのまま狂気か強さになる」



 魂視をオンにすると、素材はそれぞれ違う色と温度で輝く。

 そこへ背後から重い足音。

 薄いタバコ葉の匂いをまとった男が立つ。

 レザージャケットに梟の刺繍――黒翼連盟のブローカーだ。


「珍しいね。赤晶鉄屑なんかでハンマーを作る若いモンは。だが、もっといい物がある」


 男が箱を開けると、漆黒の金属粉が揺れ、硫黄と血の甘い芳香が立ち昇る。

 黒燐鋼粉こくりんこうふん

 脳裏で警報が鳴る。魂視では真紅の電雷が弾け、危険度は最上級。


「こいつは、魔力を喰って肥大化する。お前さんのハンマーと相性抜群だ」


 キダンが遠くから怒声を飛ばした。


「連盟の闇粉を持ち込むな! 失せろ!」


 ブローカーは肩をすくめ、名刺がわりに黒翼の羽根を一枚落として去った。



 天秤が揺れる。赤晶鉄屑なら制御しやすいが威力は並。

 黒燐鋼粉は危険だが、魔喰刻印との親和性が異常に高い。

 俺は拳を握り、黒燐鋼粉の壜を掴んだ。


「キダン師範。これで行きます」


 師範の眉が険しく吊り上がった。


「黒金機関と同質だ。暴走すれば死人が出る」


「だからこそ、今ここで制御を覚える。俺の中にある刻印も同じ“喰う”性質です。逃げては闇に飲まれる」


 沈黙。炉の唸りだけが響く。

 やがてキダンは歯を鳴らし、笑った。


「ならば教えることは一つ。恐れを保ったまま殴れ。怖れを忘れた鉄は、ただの鈍器だ」




 キダンがふいごを踏み、炎が白から青へ変わる。黒燐粉を掻き混ぜるとかすかな女の悲鳴のような音がした。

 炉口から黒煙。吹き出す魔力に魂視が白飛びする。

 その瞬間――胸の魔喰刻印が灼熱を帯び、皮膚の下で脈動。



 焼けるような痛み。視界が二重に裂け、左胸の刻印が紫黒の光条を放つ。

 炉の炎が吸い寄せられ、金属風が渦を巻き床の木屑や煤まで舞い上がる。


「レオル! 離れろッ!」


 キダンが鉄鉗を投げ、俺を弾き飛ばした。

 だが体が勝手に前へ――刻印が炉の魔力を求め、手足を操る。

 意識の底で英霊ヒュオルの忠告が響く。


魂は色に欺かれる


 今、炎は凶暴な紫。だが俺の恐れはその色を認識している。

 恐れを忘れるな。

 俺は両膝を床に突き、拳で自分の胸を叩いた。


「喰うなら……俺の魔力だけ喰え! 外へ漏らすなぁぁ!」


 刻印が急激に収縮し、黒炎が胸に吸い戻される。

 炉の轟音が止み、金属粉が熱塊へ凝縮。

 ハンマー頭が鈍い漆黒で固まり、赤い稲妻紋が走った。


 気づくと、工房の梁が数本焼切れ、屋根に風穴。

 キダンは床に片膝、肩口から血を流していた。さきほど俺を守った鉄鉗の跳弾で裂傷を負ったらしい。


「師範ッ!」

 リナが駆け込み、緊急治癒を施す。俺は膝で滲む煤を払った。


「すみません……俺が制御できずに……」


 キダンは唇を歪ませ、巨大な手で俺の襟を掴んだ。


「謝る暇があったら刻印を制御しろ。闇の力は殺すのではない、飼い慣らすのだ。さもなくば己が奴隷になる」


 右拳で俺の額を軽く小突き、彼は背を向けた。


「……工房の修繕費は次の仕事で稼げ」

 それが許しの言葉だった。


 赤みを帯びた漆黒の頭部。

 側面に刻まれた紋様は深層紫晶と月鏡晶粉が結晶化したもの。

 ハンマー名を自ら刻むのが慣わしだ。俺はタガネで二文字刻んだ。


喰鋼バスタメタ


 柄に手を掛けると、魔喰刻印が満足げに鼓動を落ち着かせた。

 魂視にはハンマーが暗赤の心臓として脈打っている。



 深夜。工房修繕のため皆が寝静まる頃、窓外にかすかな影。

 魂視に黒紫の霧――黒翼連盟の密偵。

 扉が静かに開き、音もなく潜む短刃の男。


 喰鋼を握り直し、息を潜める。

 鉄床裏の影が伸び、男が跳躍。銀刃が月光を反射した。

 急制動→反転。

 重さ9キロのヘッドが空気を裂き、短刃を握る腕ごと壁に叩きつけた。


「ギルドの小僧にしちゃあ、やるな……」


 男は吐血しつつ笑う。胸元には副長ジザールの封蝋。

 「粉の代金を払ってもらうぜ……刻印の餌代もな……」

 呻きながら煙玉を割り、紫煙とともに溶けるように消えた。


 闇組織が狙うのは刻印と新たな武器。

 俺は窓枠の羽根を拾い、拳で折った。



 明け方、リナは包帯だらけのキダンを寝かせ、俺の前に立つ。

 月鏡晶が嵌まった髪飾りが淡い光。


「あなたは闇に一歩踏み込んだ。でも私は、あなたが帰る場所を守る」


 震える声。

 俺は喰鋼の柄尻を床に突き、深く頷いた。


「闇を飼い慣らし、必ず戻る。次の戦いまでに、この力の〈恐れ〉を共に掴む」


 リナは両手で俺の手首を包み、短く祈りのことばを唱えた。

 その光が刻印へ流れ込み、熱は静かに沈殿する。



 夜が明け、工房の屋根の風穴に朝陽が差し込む。

 鉄粉が光を帯びて舞う光景は、戦場の灰にも似ていた。


 【昇級大会予選】の掲示板告知期日まで、残り二週間。

 功績点を稼ぐには、より高難度の依頼に挑む必要がある。

 そして闇組織も、俺の刻印と喰鋼を嗅ぎつけた。


「次は、“初任務・北辺遺跡の盗掘団狩り”か。丁度いい試し斬りだ」


 ハンマーを肩に担ぎ、灰を踏みしめて歩き出す。

 後ろでリナがほっと息を吐き、キダンが大声で罵声を飛ばした。


「帰って来いよ、小僧! 修繕費、まだ足りねぇからな!」


 俺は手を振り、心の中で恐れを握り締める。

 恐れを忘れず、しかし恐れに屈さず──闇を叩く鉄槌は、いま漆黒の光を孕んで重く鳴った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ