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毒霧の下水道試練

 ──王都フィルマリア、冒険者ギルド本部・地下5階。

 ひんやりとした石壁に灯る青白い魔導灯の下、俺は掲示板へ貼り出された新着依頼をじっと見つめていた。



 《王都旧下水道 第七層 有毒瘴気源の除去および行方不明技師救助》

 危険度はB。だが赤インクで追記された「瘴気濃度上昇中」の一行が不気味に滲んでいる。

 貼り紙を剥がそうと手を伸ばした瞬間、後ろから長身の影が被さった。


「お先に失礼、おチビさん」


 からかうような声。振り返ると栗色の巻き毛を揺らした青年──アルデン──が笑っていた。弓と矢筒を背負い、革鎧にはまだ土塵が残る。


「悪いな、これは俺が――」


 と言いかけた俺の腕を、別の手がそっと掴んだ。

 白手袋に包まれた指。顔を上げると淡金の前髪が揺れる。王立剣技学院の制服を着たマーカスだ。


「レオル、一緒に行こう。斥候がアルデン、前衛に君と僕。後衛を監査役のロゼッタさん。いい布陣だろう?」


 マーカスは壁際のテーブルを親指で指した。そこには鉄扇を胸の前でたたむ黒衣の女性──ギルド認可魔導師のロゼッタ──が座り、翡翠色の魔晶板を素早く操作している。

 彼女はこちらに目線だけを寄越し、事務的に告げた。


「あなたたちで決定。抗毒晶石は一人一本。制限時間は十二時間よ」


 ロゼッタが指を鳴らすと、卓上の魔法陣から薄緑色の小瓶が四本せり上がった。瓶の底には欠片状の青白い石。《抗毒晶石》──服の内側にぶら下げておくと霧毒の侵入をある程度阻んでくれる代物だ。

 俺は瓶を受け取り、胸の革紐に通すと深呼吸した。


「行こう。母さんの薬代も、俺自身の腕試しも、ここを乗り越えなきゃ手に入らない」


 自然と拳が握り締められた。背中の緋鎚ハンマーがずしりと重い。けれどこの重さは弱さではなく──力の予兆だ。


 王都中央区の噴水広場裏。鉄格子門の錠をロゼッタの魔法鍵で外し、石段を下る。

 人が造った穴倉とは思えぬほど巨大な吹き抜け空間が広がった。頭上へ伸びるレンガのアーチは苔をまとい、ぽたぽたと落ちる滴が臭気を煽る。ランタンを掲げると、黒緑色の霧がゆっくりうねった。


「やっぱり臭ぇ……」

 アルデンが鼻をつまむ。

 ロゼッタは涼しい顔で腕を一振りし、杖先に青い輪を描いた。


「局所逆風〈カースブレイク・ダウンブラスト〉」


 微風が渦を巻き、足元の霧が左右へ割れた。

 しかし霧の向こう──石壁に刻まれた封蝋痕が目に入って俺は足を止める。


 《水神ディエナの瞳》。封印破壊を示す割れ線。

 誰かが意図的にここを開けた……。胸の奥が警鐘を鳴らした。


 しばらく歩いた頃、靴底がぬるりと沈んだ。足首まで浸かる下水。水面の脂膜が虹色に輝いた瞬間──水が盛り上がり、粘液の塊が跳びかかった。


 下水スライム・フィルス


 外殻は鉄粉と脂で硬質化し、腐敗臭が鼻腔を灼く。


「来るぞッ!」


 俺は鉱石感知の〈色匂〉で弱点を探る。スライムの胴に、沈んだ赤晶石の核が脈打っていた。

 ロゼッタが杖を地面につき、風の衝撃波で霧と水を押し流す。アルデンが矢を番え──


「治療矢、行くぜ!」


 矢尻に封じた薬液が粘膜に突き刺さり、ジュッと音を立てて膿膜を溶かす。

 俺は粉末薬包をハンマーの打面に擦り付け、火打ち石で着火。


 爆裂鉱撃術(Ⅰ)!


 打ち下ろしざま火花が散り、油膜に燃え移る。火柱とともに粘液が裂け、中の核が露出した。

 マーカスが剣を閃かせ、一刀で結石核を叩き割る。どろりと溶け落ちたスライムが下水に沈んだ。


 息を整える間もなく、俺は割れた核を拾い上げた。鉄粉まじり、純度の低い赤晶石。だが発熱量は十分──これが後々、俺の爆裂術を拡張する触媒になるとは、このとき知らなかった。


 スライムの死骸を掻き分けると、底から薬莢が転がり出た。十二芒星と涙滴を刻んだ銀色の殻。


「見覚えがある……」アルデンが顔をしかめる。「王立施療院で使う遺体保存薬弾だ。これで死体を固めて腐敗を遅らせる。誰かが遺体を持ち込んでる証拠だ」


 嫌な想像が脳裏を過る。

 腐臭と薬剤と霧毒。誰かが地下で死体を集め、何かを作っている──。



 通路の先、地下二層を貫く大水路をまたぐ鉄橋に差しかかった。腐食で穴のあいた床板がギシギシと鳴く。

 アルデンが矢でロープを対岸の柱に射ち込み、簡易のジップラインを作る。


「滑車は無いが、腕を使えば渡れる。霧が濃くなる前に急げ!」


 俺たちは順にロープを滑った。が、俺の着地と同時に橋の残骸が崩れ、通路側の柱が折れた。

 ロープがたるみ、最後に渡ろうとしたマーカスが宙吊りになる。


「大丈夫か!」

「平気だ! ……っと!」


 突然壁が崩れ、瓦礫が滑り台のように襲う。

 俺は本能で地を蹴り、直線的に走ったあと──急制動。踵を軸に九十度ドリフトし、慣性を殺す。

 滑る床で重心を斜め後ろへ倒し、身体をスライドさせながら瓦礫の進路を外れる。

 そのまま跳び、マーカスの腕を掴み引き上げた。


「新技か?」

 マーカスが汗を拭う。

「今思いついた。名前は……ラッシュストップでいい」

 脛が痺れていたが、骨が熱を帯びる感覚とともにスキルが身体に馴染んでいった。



 橋を渡り切ると、黄緑の煙が壁の亀裂から噴き出している区画に出た。瘴気の中心は、天井高く広がるドーム状の処理庫。

 ロゼッタが風魔法で霧を押し返すが、濃度が異常だ。


「濃度計が振り切れたわ! 私の逆風じゃ飽和量を超える!」


 アルデンとマーカスが膝をつき、咳き込み始める。抗毒晶石の加護があっても限界だ。

 俺は全身を包む皮膚の表面で、何かが弾ける音を聞いた。薄い光膜が展開し、毒の刺激が遠のく。耐毒・耐瘴気スキンが本格起動したのだ。


 同時に視界が変わった。

 世界が淡い蒼紫と深緑の靄をまとい、人の形をした光点が幾つも浮かぶ。

 ──魂視〈ソウルサイト〉。

 瘴気に溺れる仲間の魂は鈍い橙色だが、ドーム天井の一点から伸びる黒紫の糸が彼らに絡みついていた。


 不気味な声が空気を震わせる。


『怨嗟核ヲ安置……侵入者ハ浄化……』


 腐蝕した鋼のような響き。

 天井の水抜き穴に、歪な人影──いや、魔力の投影体──が揺れている。堕光の使徒ノア。

 彼は離れた場所から魔術でここを操っているのだ。



 濁った水面を突き破って現れたのは、三体の巨大な人型。

 鎧を着た王都衛兵の死体を縫い合わせ、節くれ立つ青黒い糸で綴り、右腕には回転ノコ刃、左腕には下水の吸引ポンプ。

 胸板一面に血で描かれた制御符がびっしり貼られ、魂視には黒紫火が煮え立って見えた。


「行くぞ!」


 俺は急制動で死体兵の直前まで滑り込み、ハンマーを振り上げた。

 爆裂粉末をまぶし、ノコ刃に火花を散らす。刃が停止し、油が引火。炎が走った勢いのまま、俺は壁際に飛び退く。

 死体兵は燃える腕を振り回し、制御を乱されて仲間へ衝突。

 マーカスが背面から跳び、木剣の柄で制御符の一部を叩き落とす。蒼黒い血とともに制御糸がプツプツと切れた。


「アルデン!」

「おう!」


 アルデンの矢が治療薬液と鉄杭を括った特製。「お守り矢」だ。

 魂視で見た“核”──肩甲骨の中心にあるシンボル──を狙い、一射。

 杭が音を立てて突き刺さり、符が真っ二つに裂ける。黒紫の雷が炸裂し、一体目が崩れ落ちた。


 残る二体。ロゼッタは逆風を一点集中させ、濃霧を巻き込みながら渦を作る。

 俺は渦の中心に滑り込み、ハンマーで床に刻んだ小さな赤晶石粉の陣を叩いた。


 爆裂鉱撃術(Ⅰ)――通気突風起動!


 地面が爆ぜ、天井に穴が穿たれた。瘴気が裂け、外気が猛烈に吸い上げられる。

 霧が薄れ、残る二体の死体兵が咆哮する。その喉奥から覗くのは、王都技師の顔だった。

 歯を食いしばり、俺はハンマーの柄を握り直す。

 マーカスが横合いから切り込み、ロゼッタの風刃が制御符を削り、アルデンの矢が核を砕く。

 三度目の爆裂が鳴ったとき、死体兵は完全に崩壊した。



 瓦礫と死体の残骸の中心に、黒曜石のような球が落ちていた。直径は五センチほど。

 手に取った瞬間──

 ざぁっ……耳の奥で砂嵐のような囁きが渦巻く。


 『……平等……闇……苦痛……光ハ欺キ……』


 冷たい声。魂視の網膜に、球の中心が深紅に脈動する。


「レオル、離しなさい!」

 ロゼッタが叫び、彼女の風で球を俺の手から引き離す。

 鋼の箱を開け、球を叩き込むと、刻印付きの封印紙を何重にも貼った。


「怨嗟核……完全体は直径一メートルと言われてる。これは欠片だけど、十分危険ね。上層部へ送るわ」


 俺はこめかみを押さえた。球を握った左手が痺れている。しかし魔喰刻印が静かに熱を吸い、痛みを薄めていた。



 薬莢、符片、核の欠片を回収し、瘴気が引いた通路を引き返す。

 途中、ドームの奥壁に巨大な貨物リフトを見つけた。錆びついて動かないはずのそれが、最近まで使用された痕跡を残していた。支柱に刻まれた梟の紋章──黒翼連盟の印だ。


「奴らが技師の遺体を運び入れたのか……」


 アルデンが呟いたが、今追跡する余力は無い。

 リフト跡を心に刻み、俺たちはエレベータ井戸を登った。



 夜更け。

 ギルド医務室でアルデンは解毒点滴を受け、マーカスは剣を膝に置き砥石を当てている。

 ロゼッタは書類を何枚も認証刻印で封じ、金庫へ収めた。

 俺は窓辺に立ち、月を仰いだ。耐瘴気スキンの膜がひときわ強く輝き、薄く剥がれては再生している。

 指を開くと、ラッシュストップで酷使した筋肉が熱を帯びるが、痛みはむしろ快感に近い。


「もっと速く、もっと重く、もっと遠くまで──」


 呟く俺の胸ポケットで、深層紫晶が淡く共鳴した。

 闇はまだ浅い。けれど俺のハンマーが届く限り、暗闇の底さえ砕けると信じている。



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