初めての鍛錬
王都フィルマリアは広かった。石畳の大通りは二重三重に巡り、中央区に近づくほど塔と尖塔が空を突き刺す。
だが俺――レオルが向かったのは城壁の外側、家畜市場と廃工場が並ぶ寂れた郊外。そこに――緋槌道場はあった。
朝霧の中、赤煉瓦の門柱に鉄鎚の紋章。その門をくぐると、木造平屋が三棟、土間を挟んでコの字に並んでいる。轟々と黒煙を吐く高い煙突――鍛冶炉だ。
「ほぉ、見学者か?」
門番代わりの初老の鍛冶師が片眉を上げた。
「見学じゃなく入門希望です。ハンマーを――いや、自分を鍛えたいんです」
「ほう……物好きだな。あそこの柱を叩け」
言われるがまま樫の木柱へ拳を撃ち込む。
ゴン!――乾いた音とともに拳が痺れたが、木目が僅かに抉れた。
老人は目を細め「鬼師範が気に入るかもな」と奥を指した。
作業棟の戸を開けた途端、灼熱の息が襲った。室内中央には千度級の炉。
鉄床の前に仁王立ちする巨躯――キダン師範。上半身裸の銀灰色の肌(焼けた鉄粉で染まっている)に、幾筋もの火傷痕。
「新弟子か?」
声が雷鳴のように低い。肩幅は牛車二台分、棍棒ほどのトンカチを片手で回している。
「はい、レオルと言います。ハンマー武術と鍛冶の両方を――」
「理由は?」
「……稼ぎたい。強くなって、大金を得たい」
「くだらん動機だが真っ直ぐだ。……まず“鎚礼”をしろ」
キダンは炉の奥から真っ赤に焼けた鉄塊を取り出し、水桶にジュウウッ!――水柱と蒸気。
「鎚礼とは“鉄に礼を尽くし、鉄に叩かれる”儀式だ」
キダンが鉄塊を半分に叩き割り、拳大の塊を俺に渡す。まだじんわり熱い。
「三十回、頭に叩きつけろ」
「は、はい!?」
「鉄は弱い者を選ばぬ。叩き、叩かれろ」
鉄塊の重量は五キロ。俺は覚悟を決め、頭上から自分の頭に打ちつけた。
ガン! 視界が白んだ。二発目で鼻血。五発で両膝が折れた。
だが十発を超える頃、頭蓋がじわじわ痺れ、痛みが薄らいでいく。
(痛みの閾値を殴り抜けた? いや――)
肉体が“壊れながら瞬時に硬化する”感覚。骨が軋み、筋繊維が微細に裂け、即座に再構築。
鍛冶士の腕力強化――原初段階が身体に刻まれていく。
「二十七、二十八、二十九――っ!」
最後の一撃で鉄塊は真っ二つに砕け散った。
キダンは無言で頷き、破片を拾い上げ、炉に放り込んだ。
「合格だ。今日から“粗鍛え”だ」
鬼師範は容赦なかった。
丸太ハンマーの素振りでは手の皮が剥がれ血が滴り、砂場走りではふくらはぎが裂けた。
しかし筋肉痛がピークを越えるたび、身体能力が階段状に伸びた。
**「鍛冶士の腕力強化」**は、単なる筋肉増大ではなく、
> 「打撃に最適化した瞬間密度圧縮」
という特殊スキルに進化。計測では平常時でも拳圧が以前の1.2倍、ハンマー打撃は1.5倍に上がった。
十五日目の組手。俺の対戦相手は研修剣士マーカス。
彫像のような端正な顔、腰には木剣。開始前に軽く会釈。
「君が噂の新入り、レオルか。僕は剣士志望だけど、体幹鍛錬のためここに来ている。よろしく」
礼儀正しい。だが実力は剣士候補で頭ひとつ抜けていた。
木鎚を振る俺に対し、マーカスは剣の間合いを無視する踏み込みで胴を打つ。
(速い!)
それでも、鍛冶士の打撃は重い。一撃でマーカスの木剣を弾き飛ばし、試合は引き分け。
試合後、俺たちは汗だくで笑い合った。
「鍛えた腕力と僕のスピードを合わせたら最強だな」
「ハンマーと剣か。奇妙な組み合わせだけど、いつか実戦で試したいな」
この言葉が後の“連携コンボ”の布石になる。
二十日目、キダンは座学を開いた。壁一面の黒板に「鉄組織図」と巨大な魔法陣。
> 「鉄は魔力を帯びて初めて“真の刃”になる」
キダンは火爪で魔法陣をなぞりながら語った。
「近年、どこかの秘密工房が**“黒金機関”なる禁断合金を作っている。脆いが魔力伝導が異常に高い。お前たちがもし戦場で妙に黒光りする武具を見たら、構造を読め。さもないと爆ぜて吹き飛ぶ」
俺は0章1話で拾った深層紫晶**を思い浮かべた。あの鉱石も普通じゃない波動を放っていた。
講義後、キダンはこっそり俺にだけ囁いた。
「街に蔓延る黒光り武具の噂……裏には“錬金結社ノクターナ”がいる。だが下手に嗅ぎ回るな。奴らは情報を隠すためなら子供でも平気で実験材料にする」
その名は後に何度も聞くことになる。
最終日。二度目の鎚礼は十キロ鉄塊。
キダンの号令で、道場生が円陣を組む。
「倒れたら即刻除名。立ち続け、砕け」
俺は鉄塊を頭に振り下ろす。
ガン! 脳髄が揺れる。
五発目――視界が血の幕に覆われた。
(やるしかない。俺はここで折れない!)
拳を握り締め、骨が悲鳴を上げるたびに筋力が跳ね上がるのを実感した。
十発目で鉄塊に亀裂。二十八発目にはほぼ折れた。
三十発目――鉄塊粉砕! 砂鉄と火花が宙に舞う。
俺の全身は膨張するように熱く、呼吸と同時に力が漲る。
キダンは片膝をつき、巨体を俺に預ける。
「……見事だ。**“鍛冶士の腕力強化・初段”**を授けよう」
歓声が湧く。俺は崩れ落ちそうな膝を叱咤し、一礼した。
(母さん、俺は――一歩前に進めたよ)
翌朝、道場裏の試験場で筋力測定。
木樽(60kg)を片手で持ち上げリフト回数を計測。道場平均は10回。
俺は――18回。
続く打撃試験。鉄杭を一撃でどこまで地面にめり込ませるか。
平均:12cm。
俺:21cm。
キダンは結果を記録し「常時係数1.2~1.3、瞬間最大1.5超」――これが後に“+20%”と呼ばれる数値化となる。
三十日が過ぎ、俺の道場費用を賄った深層紫晶の欠片は残り僅か。
キダンは包みに小型ハンマーの柄を添えて手渡した。
「これは“緋鎚式グリップ”。お前の手癖に合わせ削った。頭は自分で鋳込め」
「ありがとうございます、師範!」
マーカスは剣を肩に笑った。
「僕は王立剣技学院へ戻る。いずれ遠征任務で会おう」
握手。硬い手と手がぶつかり合った。
その夜、道場の蛍灯が揺れた。キダンは火炉の前で煙管をくゆらし、呟く。
「レオル、お前の拳はまだ粗い。だが火花は良い色だ。……黒い風が吹き始めている。折れるなよ」
俺は新しい木箱に緋鎚グリップを入れ、王都ギルドへ向かって歩き出した。
王都中央区。白亜の冒険者ギルド本部。
掲示板には大小の依頼札。俺は“三級ライセンス試験・来月開催”の赤紙を見上げた。
(鍛冶士の腕力強化――試験までにモノにする。ハンマーの頭も鋳造しなきゃ)
胸の内で燃える炎が、ルモンタ鉱山の赤錆より鮮烈に揺らめいた。