鉱山の少年
ルモンタ鉱山――王国最南端、山肌をえぐる巨大な露天掘り跡が連なる寒村。夜明け前、曇天の下に立ちこめる霧は鉄の匂いを孕み、うっすらと血のように赤い。
俺――レオルは十六歳。まだ正式な探索者でもなく、鉱夫見習いの身だ。
がらんどうの木造宿舎を出ると、吐く息が白かった。冬はとうに過ぎたはずなのに、早朝の坑道は凍てつく。
「今日も“錆色の息”か。天気も気持ちもどんよりだな」
冗談めかして言ったつもりだったが、隣で鉄槌を担ぐ親方ガロンは笑わない。錆まみれの顎鬚を撫で、咳払いひとつ。
「朝から縁起でもねえこと言うな。……覚悟は出来てるか?」
「ええ。母さんの薬代、稼がなきゃいけませんから」
俺の答えはいつも同じだった。
朝礼の鐘が響くころ、二百名ほどの鉱夫が坑口に列を成した。灯りは松明と魔石ランタン。管理所の掲示板には「北東二号坑、深度&危険度S」――真っ赤な札付き。
旧王朝時代に掘られた“魔鉱層”へ入り込むルートらしい。魔力を多く含む“赤晶石”が採れるが、壁は脆く瓦礫は有毒。命と引き換えの高賃金区画だ。
「新人は俺に付け。無理と思ったら即退け。一人死んでも穴は埋まるが、死んでからじゃ遅い」
ガロン親方が宣言し、俺たちは列の後尾に入った。
坑道は狭く、天井の支柱が腐りかけ、赤晶石がぼんやり輝いている。石屑に触れると指先がぴりぴり痺れる。
「……あの石の“匂い”が強い」
胸の奥がざわめいた。鼻孔に直接届くわけでもないのに、確かに感じる甘い金属臭。これがのちに“鉱石感知”と呼ばれる固有感覚の芽だと、このときの俺は知らない。
奥へ進むほど、匂いは警鐘のように強まった。
(ヤバい。壁が――鳴いてる?)
石壁が、小さく“ミシミシ”と音を立てた。次の瞬間――。
ドン! ゴゴゴゴ……!
轟音。頭上で岩盤が割れ天井が崩れ落ちた。
「伏せろォッ!!」
俺は反射で身体を跳ね退けた。土煙に包まれ、視界は赤黒い靄で真っ暗。
呻き声。瓦礫の下敷きになった仲間の腕が見えた。
(助けなきゃ──!)
目も眩む粉塵の中で、俺は――“吸い寄せられるように”一枚の岩盤の隙間へ手を伸ばした。そこには赤晶石の塊が埋まり、緑がかった光脈が走っている。
「これを──叩き割れば!」
直感でそう確信した。赤晶石は魔力を含み圧力変化で微細な爆砕を起こす性質がある。親方から聞いた断片的な知識が脳裏を走る。
俺はピックを振りぬく。
パァン! 赤い閃光とともに、岩塊は粉々に散った。
その瞬間、落盤を支えていた歪な岩柱の重心が変わり、“逆の方向”へ崩れた。瓦礫が転がり道を塞いだが、俺と仲間を押し潰すはずだった質量が逸れたのだ。
「……た、助かった……」
「レオル、てめえ、今の……」
親方は目を剥いていた。俺の手の甲が淡く発光している。
それは“赤晶石の魔力に共鳴し、最も脆い点を嗅ぎ取る”生得の探知能力。その発現を境に、俺は鉱石の匂いを色と温度で感じられるようになった。
救助班が駆けつけ、大落盤は奇跡的に死者ゼロ。ただし負傷者は多数、坑道は無期限封鎖。
だが経営者は「労災補償は極小」と通達。作業員の不満は爆発寸前だった。
夜、医務室。親方ガロンは酒臭い息で俺を叱り飛ばした。
「お前みたいな若造が無茶しやがって……だが、助かったよ。あの“嗅覚”、鍛えりゃ一人前どころか大物だ」
親方は胸ポケットから小袋を出した。中身は輝紫の鉱石の欠片。
「“深層紫晶”。事故前、俺が見つけたが持ち出す前に落盤よ。お前が命張ってくれた礼だ。売れば母ちゃんの薬代くらいにはなる」
「親方……」
その重みを掌に感じた瞬間、俺は決めた。
(この力で家族を守る。鉱山じゃなく、外の世界で稼ぐんだ)
翌朝、辞表を提出。王都へ向かう馬車の荷台で、薄紫に輝く鉱石は微かに震えていた。
王都行き街道の途中、夜営に寄った旅籠で奇妙な客を見た。
黒い外套、梟の紋章。“黒翼連盟”を俺はまだ知らない。
男たちは酒場の片隅で、ルモンタ鉱山の“赤晶石高騰”と“新しい鉱脈の匂いを感じる少年”の噂を囁いていた。
俺は無意識にテーブルの下で拳を握りしめた。
(誰だか知らないが、あの鉱山を食い物にしている……?)
強い熱が胸を灼く。髄から湧き上がる怒りは、鉱石を掘るだけの生活では収まりきらない。
夜明けが近づく。空は鉛色から藤色へ。
馬車の窓越しに、遠く王都フィルマリアの城壁が霞んで見えた。塔の上には探照石が瞬き、地平線には無数の冒険者ギルド旗。
俺は紫晶の欠片を胸ポケットに収める。
「待ってろよ、母さん……。俺、絶対に稼いで帰るから」
それは自分自身への誓いでもあった。
月桂樹の香りが運ばれ、風が頬を撫でた。新たな物語の幕開けの匂い――鉱石の匂いより、ずっと甘かった。
馬車が石畳に乗り入れ、城門がゆっくりと開く。
人混み、行商、吟遊詩人のリュート、教会の鐘――貧しい鉱山町にはなかった色彩が眼前に広がる。
「――ここが、俺の跳躍台だ」
拳を握った瞬間、胸ポケットの紫晶が微かに発光した。
新しい力、新しい仲間、そして隠された闇。
後に“アリオストップ遺跡叙事詩”と呼ばれる長い旅の、ごく小さな火花が今灯る。
能力取得まとめ(本話時点)
鉱石感知〔ランクD〕
鉱物の種類・純度・魔力量を“匂いと色”で感知。
精度は半径数メートル。集中すれば壁越しも可能。
緊急判断“弱点看破”〔派生スキル〕
崩落箇所など、構造上の“最も脆い一点”を直感的に見抜く。