最終話 望み
「ちょっと、どうしたの?」
体を揺すられ、ヴィルフレッドははっと目を開ける。彼のぼやけた視界が徐々に焦点を合わせていくと、そこには不安げなリーヴァの顔があった。
「……リーヴァ……?」
思わずヴィルフレッドは聞いてしまった。一瞬今自分が何処で何をしているのか、分からなくなったからだ。
「随分魘されてたみたいだけど……」
いつの間にか眠ってしまったらしい。ヴィルフレッドは横になった体を起こす。
「うるさくしてしまいましたか。すみません」
「別にそれは良いけど……本当に大丈夫?」
悪夢に魘されるにしても尋常ではない様子だったので、リーヴァは心配しているようだ。額に浮かんだ汗を拭くようにリーヴァは布を渡そうと手を伸ばす。ヴィルフレッドは思わずその腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
「ちょ、ちょっとっ……」
いきなり抱きすくめられてリーヴァは戸惑い離れようともがくが、ヴィルフレッドの体はびくりともしない。
「すみません……」
謝りながらもヴィルフレッドはリーヴァを抱き締める腕の力を弱めない。赤面するリーヴァの目に震えるヴィルフレッドの肩と傷だらけの腕が映る。戦場で作った傷だろう。
「ヴィルフレッド……」
まるで温もりを求めるような抱き締め方に、リーヴァは彼が負った傷が体だけではないのだと理解したが、なんと声を掛けて良いのか分からない。しばらくそのままにしていたが、ヴィルフレッドがふと腕を緩めた。
「すみません、リーヴァ……」
心なしか気恥ずかしくなったようにヴィルフレッドの頬がほんのり色付く。乙女なら誰でも夢中になる、そんな顔だ。
「……何だって騎士なんかになったの?」
リーヴァはそもそもの疑問を彼にぶつけた。リーヴァが知っている彼は弓も剣も別に得意ではなかったはずだ。勿論、あの時本人が嘘を吐いていなければ、だが。
「元々、父が無理矢理入れたんですよ。騎士団とのコネが欲しかったのでしょう。ただ、嫌だったので貴女と出会った頃はほとんどサボっていました」
貴族の次男坊、三男坊を騎士団に入れる家はままある。ただ、名目上は所属しているだけで真面目に務めない者も珍しくはない。かつてはヴィルフレッドもそんな中の一人だった。
「そう……」
「……あの舞踏会の日、実は貴女の家の前に行ったんです。貴女が捨てていったアクセサリーを返そうと思って。でも、どうしても敷地に入ることが出来なかった。その勇気がなかったんです……私は貴女と自分の犯した罪から逃げたんです」
ヴィルフレッドの言葉にリーヴァが睫毛を伏せる。あの時のことはあまり思い出したくない、と態度で示す。
「だから、せめてもっとまともな人間になろうと思ったんです。だから、騎士団の訓練に真面目に取り組むようになった。私が立派な騎士になったら貴女も許してくれるだろうと……ま、私がどれだけ立派になったところで、貴女が私を許すかどうかは何の関係もありませんが」
その当時の気持ちを思い出し、ヴィルフレッドは失笑する。再会した際のリーヴァの怒りを目の当たりにしたとき、己の見通しの甘さを改めて実感した。別にリーヴァは自分が英雄だの何だのと祭り上げられたからと言って、尊敬はしないのだ。その頑なさを懐かしい、とも思った。
「そうね」
「信じてくれ、なんて身勝手な言葉ですが……あの日、悪い仲間達とは手を切るつもりでした。下らない遊びはもう止める、と。全て清算して、貴方と踊るつもりでした。そうは問屋が卸しませんでしたが……本当に凄く綺麗でしたよ、リーヴァ」
「そんなこと今更言われてもね……」
どう答えたら分からない、とリーヴァは眉根を下げる。
「そうですね。それでまぁ、それからは真面目に騎士の務めを果たして……行きついた先は戦場だった、というわけです。それは騎士なのだからしょうがないことですが」
「酷い目にあったみたいね……」
どれだけ美辞麗句で着飾っても、戦争など凄惨な殺し合いだ。ヴィルフレッドはそれをわざわざリーヴァに説明するのは気が引けた。
「何度か死に掛けましたよ……それで、貴女のことを思った」
「私のことを? なぜ?」
「何故だが貴女に会えずに死ぬのは嫌だと思った。何年も前のことなのにずっと心に引っ掛かっていたんでしょうね。どうしても貴女に会って許してもらいたかった……貴女の笑顔が見たかったんだ」
ヴィルフレッドが真っ直ぐにリーヴァを見た。炎に爛々と瞳が輝く。
「だから、戦争が終わった時、どうしても貴女に会いに行きたくなった。貴女が結婚していないのは知っていましたからね」
「それ、何の関係があるの?」
急に自分の結婚に言及されて、リーヴァの言葉に険が籠る。
「久しぶりに会った貴女は以前と同じく美しく、いえもっと綺麗で……」
「ちょっと。ふざけてるの?」
「ふざけてないですよ。その真っ直ぐさ、不器用な優しさが変わっていなくて嬉しかった。少々の口の悪ささえも……本当にごめん。貴女を騙したこと……」
「もう良いわよ」
どちらも若かったのだ。ヴィルフレッドは傲慢だったし、リーヴァは世間知らずだった。ただそれだけだったのだ。
リーヴァの中で何かがストンと腑に落ちた。過去のことをあれこれ思い悩んで彼を責めてもしょうがない。彼とて自分のしたことを悔い悩んでいたのだから。
「……あの時、ちゃんと勇気を出して謝りに行けていたら、こんなに拗れなかったのでしょうか……」
「どうかしら。あの時、私も物凄く怒っていたから、射殺してたかもね」
ふとヴィルフレッドが呟く言葉にリーヴァが冗談めかして笑った。
「それは怖いですね」
ヴィルフレッドも気が抜けたように微笑む。
「さぁ、もう寝なさいよ。怪我もしてるんだし。体に障るわよ」
「貴女を抱き締めて寝たら、よく眠れると思うんです」
一瞬、山小屋に冷たい風が吹く。
「……今すぐ外に放り出されたいようね。大体、あんた、もうすぐ結婚するんでしょうが」
「……は?」
「は、じゃないわよ。王都に居る弟から聞いたわ。療養が終わったら婚約者と結婚して爵位を継ぐんでしょ」
リーヴァのあらぬ勘違いにヴィルフレッドは首を振った。
「それは違います。いえ、爵位を継ぐのはそうなんですが。結婚については父が勝手に色々画策しているだけです……どれだけ家にコネと金をもたらしてくれるか、を吟味してね。正直、それが嫌で、自分の領地で療養する気になれなかったんですよ。それも、ここに来た理由の一つですね。領地に居れば、嫌でも見合いをさせられるでしょうから。」
「何でそんなに結婚が嫌なの?」
爵位を継ぐなら跡継ぎをもうけるのは義務に等しい。ヴィルフレッドだってそれは分かっているはずだ。
「……私が結婚したいと思っているのは、一人だけだからです」
静かにヴィルフレッドが言う。リーヴァはその言葉にズキンと胸が痛んだ。
彼には思いの人がいるんだ、と思うと苦しい。そんなことを思う資格はない筈なのに。やはり彼は近い内ここを出て行くだろう。
「率直に言います。リーヴァ」
ヴィルフレッドが急に居住まいを正し、開けた毛布を掛け直す。そして、決意を固めたように咳ばらいをする。急に雰囲気の変わったヴィルフレッドにリーヴァは困惑の表情になった
「急になに?」
「フロイライン・リーヴァ・グリゼルダ・フォン・リーフェンシュタール。私と結婚して下さい」
「……へっ?」
唐突なプロポーズの言葉にリーヴァは理解が追いつかない。言葉の意味は分かるが、それが自分に向けられたものだということが信じられない。
「変な冗談はやめてよ。結婚したい人が居るって言ったじゃない」
「ですから、それが貴女なんですよ。リーヴァ」
「どうして……っ」
「戦場で死と隣合わせの日々の中で、貴女に会う、ということが私の希望でした。そして再会した後も、貴女は昔と変わらず辛辣で、でも優しくて……領民とこの地を何より愛している。その愛を、私とライン家の領民にもほんの少しでも良いから分けて欲しい。貴女をこの地から引き離すのは心苦しいですが」
「そ、そんなこと急に言われてもっ……」
余りにも急転直下な展開にリーヴァは二の句が継げない。青い目が落ち着きなく、まるで逃げ場を求めるように動く。
「勿論すぐに返答を、とは言いませんよ。私、冬の間もここに居る予定なので」
「そんなに長く居るつもりなのっ!? そんなに長く留守にして大丈夫なわけ?」
「ええ。どうせ元々そんなに家に寄りつかなかった人間ですし。父が何とかするでしょう。ですから、この冬の間に、ここの皆さんに男と認めてもらえるよう猟の腕も磨いてみせますよ」
ヴィルフレッドは本気か冗談か分からないような口調で調子よく片目をつむってみせる。
「っ、もう知らない!」
どう答えて良いのか分からず、真っ赤になったリーヴァは子供っぽい言葉を発して、毛布を頭から被って床に突っ伏した。そんなリーヴァを見つめて、ヴィルフレッドは穏やかに微笑む。
「おやすみなさい。リーヴァ」
そして、雪が融けて初夏を迎える頃。リーヴァは風に揺れる麦の穂の、黄金に輝く海を見た。
お付き合い頂きありがとうございました。
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