第7話 ヴィルフレッドの事情
リーフェンシュタールの山中には幾つか山小屋が建てられている。山小屋といっても暖炉と毛布があるだけの簡素なもので、急に雨に降られたとか日が落ちて夜間に行動出来なくなった場合などに利用する。ただ、あくまで一時的に避難する為のもので快適な場所とは言い難い。だが、少なくとも風雨に晒されたり野生動物に襲われる心配はない。
ヴィルフレッドの足の様子を気にしつつ雪と泥の道を踏みしめながら進むと、小さなログハウス風の建物が見えて来た。
「あれが小屋よ。野生動物が荒らすといけないから、食べ物は置いてないし、本当に暖を取って寝るくらいしか出来ないけど」
扉を開け中に入る。リーヴァの言う通り、中には暖炉と薪、簡単な調理道具と木製の食器が少々。あとは毛布が何枚かと何かの動物の毛皮が敷いてあるだけだった。リーヴァは手早く暖炉に薪を並べ、火を熾す。
「濡れた服と靴を脱いで。そこの毛布を被っておきなさい」
「へ?」
「なに間抜け面してるのよ?」
「ここで……二人っきりで過ごすんですよね?」
それは貴族として、いや男女の関係として気まずいことなのではないか、とヴィルフレッドは思った。
自分の理性も保てるかどうか不安だ。万が一何かあったら勿論、責任は取る腹積もりではあるが。
「ちょっ……変なこと考えないでよっ! 私だって嫌だけど、しょうがないじゃないっ。あんた怪我してるんだから。濡れた服着てると寒くなるから言ってるのよ。本当に何かするつもりなら刺すわよ」
リーヴァは獲物を捌く用の短剣を見せて威嚇した。人が親切に言ってるのに不埒な男だ、と憤る。残念ながら、ロマンチックな展開は期待出来ないようだ。
「私は水を確保してくるから。その間に着替えてよね」
「分かりました」
ふんっと鼻を鳴らし、リーヴァは桶を持って出て行った。リーヴァの揺れる豊かな黒髪を見送って、ヴィルフレッドは人知れず笑みを零す。男装に無造作に黒髪を一つに纏めた、その変わらぬ彼女の姿が嬉しい。
リーフェンシュタールで過ごしてよく分かった。リーヴァはとても愛されて育ったことが。素朴で温かい領民達、仲の良い家族に見守られながら。
ヴィルフレッドにはどちらにも縁遠いものだった。思わず自嘲的なため息が漏れる。
感情を偽る必要もないし、そんなことを他人からされる謂れも彼女にはなかった。彼女が放つちょっとした皮肉なんてヴィルフレッドにはそよ風みたいなものだった。悪辣な貴族の言葉なんてもっと陰湿だ。
都会の貴族の優しい言葉の裏に隠された悪意など、素直で率直なリーヴァには想像も付かなかったに違いない。騙すことに慣れた、自分の嘘などひとたまりも無かっただろう。
ヴィルフレッドの両親は貴族にありがちな政略結婚だった。それでも愛を育む夫婦もあるだろうが、生憎ヴィルフレッドの両親は違った。義務的に二人の息子をもうけた後は、そりが合わなかったのか互いに無関心だった。そして生まれた子どもを顧みることもほどんどなかった。教育は、子守と家庭教師に任せっぱなしで、父は自分の権威をどうにか高めることに、母はライン家の財産で贅沢することにそれぞれ熱中していた。
そんな日々の中で、ある時ヴィルフレッドは自分がほんの少しはにかむだけで相手が自分に好意を抱き、何でも言うことを聞いてくれるということに気が付く。特に異性には効果抜群だった。やがてヴィルフレッドはそれを悪用することを覚え、大人を舐め腐った少年へと成長した。
自分に無関心な家族に反発するように堕落し、同じように貴族社会で燻っている悪童達とつるむのも無理からぬことであった。ある時、そんな悪童仲間からリーフェンシュタール家の娘を篭絡して欲しいと頼まれたのだ。
男勝りで、恐れ知らずの無礼者。生意気な田舎女。そんな女が雌の顔になった瞬間、お前に無様に振られる姿が見たい。
最低の頼み事だったが、その時のヴィルフレッドは面白そうだと引き受けた。
そして、リーヴァと出会ったときも初めは他の女と違いはないだろう、と内心では舐めた態度だった。口では貞淑そうな言葉を吐きながら自分を秘密の恋人にしようとする夫人や、物欲しそうに自分を見つめてくる令嬢達と。幾ら男のような成りをしていようとも、所詮中身はその辺の女と同じだと。
けれど、リーヴァはヴィルフレッドに何も求めなかった。愛も体も言葉も。口は少々悪いが、表裏も無く楽しければ笑い、嫌なことがあれば怒る。自分の前で飾ることの無いリーヴァの態度がヴィルフレッドには新鮮だった。まるで、“普通”の友達のような。会うたびに彼女の飾らない笑顔に惹かれていった。自分の暗く湿った心を爽やかな風が吹く飛ばしていくような、そんな感覚だった。そんな彼女に焦がれた。
けれど、そうなれば彼女を謀っている事実が自分に重く圧し掛かった。何とか全て隠し通してリーヴァと一緒にいたい。汚れた自分を知られずに過去を清算したい。そう願ったが、結局は全て壊れてしまった。神は自分の行いを許しはしなかった、ということだろう。初めて好きになった女性からは蛇蝎の如く嫌われる結果になってしまった。リーヴァしか欲しくなかったのに。
自嘲めいたため息は吐き、暖炉の傍でヴィルフレッドは汚れたチュニックと靴を脱ぐ。さすがにリーヴァが居るのにズボンまで脱ぐのは気が引けた。
左足首を見れば少し赤く腫れている。足を軽く動かしてみると、多少の違和感はあるがこのくらいなら問題ない。手持ちのハンカチを裂いて簡易の包帯代わりに足首に巻いた。そして体に毛布を巻き付ける。
パチパチと暖炉にくべられた薪が音を立てて爆ぜる。炎の暖かさと他に物音のしない小屋内でヴィルフレッドは次第に眠くなってきて、瞼を開けていられなくなった。
リーヴァはどこまで行ったのだろう? あの少年は無事だと良いが。彼を見つけたとき、心臓を凍った手で掴まれたようだった。青白い顔でぐったりしている少年を見た瞬間、戦場で斃れた兵士達を思い出した。死体を見るのは戦場だけで充分だ……。
暗い暗い、夜の戦場でヴィルフレッドは必死に剣を振っていた。血しぶきがあちこちで飛び、大地を赤く染める。敵味方関係なく死体が連なり、死肉を漁る鳥達が上空で不気味な声を上げていた。
どうして自分達がこんな悲惨な戦いに身を投じなければならないのか。ヴィルフレッドは分からなくなる。敵は倒しても倒しても、血みどろの姿で湧いて出てくる。
やめろ、やめろ、やめろ!
逃げ場を探してヴィルフレッドは暗闇の中を無我夢中で駆ける。するとどこか遠くで、彼の名を呼ぶ声が聞こえて来た。その声は徐々に大きくなる。
「……フレッド、ヴィルフレッド!」
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