第1話 最悪の再会
リーヴァの放った矢が枯れた木立を抜けて地面に突き刺さった。その横を野ウサギが勢い良く逃げて行く。
「お嬢が外すとは珍しいですなぁ」
「嫌なことがあったせいよ」
同行していた髪の白い年配の猟師の言葉に、リーヴァが忌々し気に答えた。険しい山岳地帯を領地に持つリーフェンシュタール伯爵家の令嬢、リーヴァは、山岳の民と同じように毛皮を纏い弓を持ち、彼らに交じって猟をしていた。彼女は黒髪に青い目のきりっとした顔で、貴族の令嬢としては行き遅れと言われるような齢になっていたが、本人は一切気にする素振りはない。
「嫌なこと、ですかい?」
「そうよ!」
吠えるように言うリーヴァの剣幕に、猟師がたじろぐ。怖がらせるつもりはなかったが、リーヴァは今気が立っていた。獲物を狙うにも集中出来ないでいる。
「あの、忌々しい男!」
リーヴァの怒りは昨日この領地に現れた客人にあった。客自体が来ることは分かっていたが。リーヴァの父、現リーフェンシュタール伯ケルンは若い時分騎士団に籍を置いていたことがあり、その縁でとある傷ついた騎士の湯治を頼まれていた。つい先日、隣国との諍いが終結したばかりだったが、その戦いの最中に傷ついたらしい。その話をリーヴァが聞いたのは、一ヶ月ほど前だが、詳しい身元は尋ねなかった。
だってお父様の客人だし、まさかあいつが来るなんて思いもしなかったし……!
リーヴァにとっての因縁の相手、ヴィルフレッド・フォン・ライン。ライン伯爵家の次男坊。6年前彼女に癒えぬ傷を付けた男。彼でなかったらリーヴァとて不機嫌になることもなく、労わる気持ちも素直に持てただろう。
あの卑劣漢がこの領地内に居ると思うだけで、落ち着かないったら。でも平静になるのよ。あいつとの件は家族にだって言ってないんだし。それを家族に知られるのは嫌だ。何事もないように振舞わないと。
昨日もヴィルフレッドの顔を見たとき、リーヴァは叫び出しそうになった。6年前と違い、中性的だった相貌は厳しい鍛錬の結果か、面差しに精悍さが現れていたし、細身だった体格もずいぶん立派になっていた。それでも、リーヴァは一目見て彼だと分かった。そして、彼が父に挨拶しているのを必死に平静を装いながら見ていたことを思い出す。
何の為にわざわざここへ来たのか知らないけど、あの頃のことは忘れるのよ。動揺してるのを知られたら、あいつの思う壺だわ、あの頃と同じように。
もやもやする気持ちを払うようにリーヴァは頭を振って、気持ちを切り替える。
「悪かったわね。獲物を探しましょう」
同行する猟師に微笑み掛け、再び山の斜面を歩き出す。秋が深まり木から葉が落ち森の中でも視界がある程度開けている上に、枯れ葉が地面積もっているので、獲物に気が付かれないよう身を屈め、なるべく音を立てないよう慎重に斜面を移動する。
「居たわ。キツネよ」
遠い視界の先に枯れ葉の中で小動物を探す狐を見つける。狙いを定めるように目を細めリーヴァは弓を構える。その時だった。ガサガサと無遠慮に枯れ葉を踏む音が聞こえて来た。静かな森の中に響くその音は狐を驚かせるのには十分で、何処かへと身を隠すように逃げてしまった。一方、リーヴァと猟師は音の出所を探るように視線を巡らせる。野生動物で無いのは確かだ。動物達はこんな風に無防備に音を立てて移動はしない。
「……密猟者ですかね」
猟師が警戒を滲ませつつリーヴァに声を掛ける。
「だとしたら素人でしょうね……」
些細な音でも獲物は逃げてしまう。それを知らないなら、密猟者としても質が悪い。枯れ葉を踏みしめる音が徐々に近づいて来る。その音に向けてリーヴァが弓を構える。この地で狩りを行えるのは領民のみだ。この足音の主が密猟者ならば、領主の娘として対処せねばならない。
「何者だ!」
リーヴァが鋭い声を発すると同時に彼女の顔に驚愕が広がる。現れた人物は敵意がないことを示すように両手を上げた。
「おっと、お邪魔してしまったでしょうか?」
柔らかな声が森に響く。大らかな微笑みを浮かべる男は、さらりとした金髪を一つに結び、明るい緑の瞳が実に魅力的な美丈夫、ヴィルフレッドその人だった。白いチュニックにこげ茶色のズボンというラフな格好だが、鍛えられた肉体によく似合っている。
なによ、その薄ら笑い。
心の中で憎々し気に呟き、眉間に皺を寄せてリーヴァは弓を引き絞る。
「あれ、お客人の……」
二人の間のことは露知らず、老猟師が呑気にヴィルフレッドに声を掛けた。領民の間でも外からやってきたヴィルフレッドのことは噂になっていた。密猟者でないことが分かって、安心したようだ。だが、リーヴァは未だ構えを崩さない。
「何をしにここへ?」
自然、リーヴァの声が険しくなる。返答次第ではそのまま矢を放つつもりのように見える。
「狩りがどんなものか興味がありまして。伯爵家のご令嬢自らされていると聞いて、探しに来たんです」
「なるほど。どうせ、女のする猟なんてお遊びだと思って、冷やかしに来たってことね」
「そういうつもりでは……」
「案内も付けずに山を歩くなんて不用心な真似を」
ヴィルフレッドの言葉を遮り、リーヴァが言葉を続ける。
「迷って死なれたら家が迷惑なんだから、彼と一緒に山を下りなさい」
リーヴァは弓の弦から手を離すと、険しい表情のまま足早に斜面を下って行く。
「お、お嬢……」
残された猟師がオロオロとリーヴァとヴィルフレッドを交互に見る。
「すいやせん。いつもはあんなに機嫌が悪いことはねぇのですが……何か虫の居所が悪いみたいで……」
恐縮する猟師にヴィルフレッドは気にしていないと首を振った。
「いえ。こちらこそお邪魔してしまったようで……謝りに行ってきますよ」
ヴィルフレッドは何処か切なさを感じさせるような顔で、リーヴァが去って行った方を見つめ、彼女の後を追うべく歩き出した。
そもそもの事の始まりは、リーヴァが16歳のとき。その年、リーヴァは社交界デビューのため、王都に家族と共に滞在していた。
リーヴァは普通の貴族令嬢と違い、故郷では男装し緑深い山で狩りをして過ごしている。勿論、女性の仕事とされているような刺繍も習ってはいたが、リーヴァは山で猟をする方が好きだった。だが、誰かと結婚したらそんな生活は出来なくなる、というのは幾ら貴族らしくないリーヴァでも分かっている。
自分は貴族で、猟師じゃない。いつかは貴族女性に求められる務めを果たさねばならない。いつかどこかの誰かに嫁ぐなら、自分で好きな人を選びたい、いや、好きじゃなくとも少なくとも尊敬出来る人が良い、とぼんやり考えていた。そんな素敵な男性に出会えたら、と女の色乏しいリーヴァでも少し心が躍る。
だが、リーヴァ本人にその気はなくとも悪い意味で目立っていた。深窓の令嬢達とは違い、お淑やかな言動や行動は出来なかったし、上流階級にありがちな遠回しな物言いを理解するのも苦手であった。
例えば、気軽なお茶会だから普段着でいらして、と誘われれば、そうなのか、と普段している男装で現れて周囲の度肝を抜いた。さる貴族の邸宅では、狩りが得意なんだろ、と遊び半分に弓を渡されて庭に放たれたキツネを撃つように言われ、一発で仕留めてみせた。そのうえで、たまたま空を飛んでいた野鳥を射貫く。そこでリーヴァを揶揄って遊ぼうと思っていた貴族達の不興を買った。リーヴァとしては弓の腕前を披露して欲しいと言われたので、そうしただけだったのだが。
そんなこんなで、王都での生活はリーヴァにとって非常に居心地の悪いものであった。この頃になると社交界シーズンが早く終わって、故郷に帰りたいと思うようになっていた。
そんなときに出会ったのが、ヴィルフレッドだ。すっかり孤立し面白くもない茶会の片隅でリーヴァが不貞腐れていたところを彼が話し掛けて来たのだ。17歳のヴィルフレッドは、流れるようなさらさらの金髪に中性的な顔立ちも麗しい見目の良い青年だったが、リーヴァの少ない経験でも、この手の男はどうせ自分を揶揄いに来た性格の悪いやつだと思った。
「貴女がリーフェンシュタール家のお嬢様ですか?」
「それが何か?」
ヴィルフレッドに爽やかな笑みを浮かべて話し掛けられたリーヴァは、彼につっけんどんな態度を取った。どうせ、愛想が良いのは最初だけそのうち馬脚を露すだろう、と警戒心を滲ませる。
「実は貴女に相談があるんです……」
周囲を気にする素振りでヴィルフレッドが声を落とす。
「相談?」
リーヴァが怪訝そうに首を傾げる。社交界の爪弾き者に一体何を相談するというのか。
「そうなんです。貴女は弓の名手と伺いました。それで……」
「それで?」
「ぜひ、僕に弓の指南をして頂きたいんです!」
「……は?」
思わず聞き返してしまった。青天の霹靂とはこのことだ。
「ですから、弓を教えて欲しいのです」
ヴィルフレッドは澄んだエメラルドグリーンの瞳で真剣にリーヴァを見つめてくる。その思わぬ真剣さにリーヴァは戸惑う。
「なんで私? そんなの、他の人に頼めば良いじゃない。王都なら指南してくれる人なんていっぱいいるでしょう?」
「先日、貴女も弓の腕を試されるようなことがあったとか」
「あったけど……それが何か?」
「僕も同じように試されることになっているというか……若い貴族達が集まって武術の腕試しをする催しが近々ありまして。気は進まないのですが、有力貴族の子息も出るからと、家の者から出ろと言われておりまして、出ないわけにはいかないのです」
リーヴァは彼を上から下まで眺める。確かに背は高いが細身のすらりとした体躯で一見すると武芸一般を嗜んでいるようにはみえない。
「それで?」
「率直言えば、弓など扱ったこともないのです。口さがない連中はそれを見て笑いたいのだと思います。それに誰かに頼むような伝手もありませんし……もしかして貴女なら、と」
半端者を苛める底意地の悪い連中に嘲笑われる不快さはリーヴァにも理解出来る。それに、リーヴァには友達も居ない。誰かに話す可能性もない。彼にとってはうってつけの人物なのだろう。彼の必死さを見てリーヴァは、しょうがないとため息を吐く。
模範的な貴族のように見えるが、気弱そうだ。彼もまたそういう連中に嫌な思いをさせられているのかもしれない。最初の抱いた印象をリーヴァは改める。
「ま、退屈なお茶会に出るよりは楽しそうだし。私でよければ……て、ところであなた誰?」
「名乗りもせず失礼しました。僕は、ヴィルフレッド・フォン・ラインと申します。フロイライン・リーフェンシュタール」
「リーヴァで良いわ。堅っ苦しいのは嫌いだし」
「分かりました。僕のこともヴィルフレッドで構いません。これからよろしくお願いします」
ヴィルフレッドは緑の瞳を細め優雅に微笑み、リーヴァに向かって手を差し出す。リーヴァは握手を求められたと思って彼の手に自分の手を重ねた。すると彼は自然な仕草で、リーヴァの手を握りその手の甲にキスを落した。
「ぎゃっ! 何するのっ」
驚いてリーヴァが手を引く。突然のことで顔が赤くなった。
「二度とやらないで!」
リーヴァは恥ずかしさに叫ぶ。普通の貴族令嬢なら優雅に受け流せるのかもしれないが、生憎と彼女にはその術がなかった。
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