【コミカライズ済】傍若無人王子をヨシヨシしてたら、どこに出しても恥ずかしくないヤンデレになりました。
4/22 ちょっと改稿しました。
公爵令嬢ルカルーシュは困り果てている。
「おい、聞いているのか!! 見た目が地味な女は耳まで悪いのか!! こんな奴と婚約なんて冗談じゃない……!」
それは、初めて顔合わせした婚約者――この国の第一王子で、次期王太子であるカイン・アルスロッドが茶会の席に着いた途端に暴言を吐いたからではない。
マロンクリームみたいな髪色に、萌黄色の瞳という、確かに派手とは言えない自分の色合いを揶揄されたからでもなかった。
「僕にはもっと相応しい相手がいるはずだ!」
この時、ルカルーシュは八歳。カインは五歳である。
普通の貴族令嬢ならば、泣いて逃げ出すか気絶しそうなほどの罵倒であったが、残念ながら彼女を困らせる要因にはなり得なかった。
なぜならば――
(あらあらあら! ご機嫌ななめなのねえ。可愛い……!!!!)
転生者であり、中身が四十代のルカルーシュからすれば、王子の癇癪など小動物が威嚇しているのと同義だったからである。
しかも、相手は金髪碧眼の王子様。その顔立ちは、匠の神がかった技巧を凝らした作品のように整っている――
(可愛い、可愛い、可愛い!!)
プンスコ怒りを露わにしている王子を前に、ルカルーシュは興奮を隠し切れないでいた。
――ああ、婚約者の王子様が可愛すぎて困る!!!!
転生前は一児の母である。夫に先立たれ、愛するひとり息子を育てきった彼女からすれば、カインがいくら喚こうが叫ぼうが、微笑ましい光景だとしか思えない。
もう成人した息子を思い出し、「こんな時期もあったわねえ」と、のほほんとしてしまうくらいなのである。しかも、状況が状況だ。まだ幼い少年が、いきなり将来の嫁だと顔も知らない相手に引きあわされた時に感じるだろう理不尽さ。そんな事情すら簡単に想像できてしまうものだから、どんな罵声を浴びせられようとも怒る気にもなれない。「政略結婚だものねえ。王子様って悠々自適なイメージだったけど、実際はすごく大変なのね」と日本にいた頃との認識との齟齬に、しみじみと想いを馳せてしまうルカルーシュだ。
「……ぐっ」
すると、一方的に罵声を浴びせていたカインが怯んだ。
あまりにルカルーシュが無反応なので、無視されたとでも思ったらしい。
見ると、碧色の瞳にうるうると涙を湛え、ぷっくりとした頬を紅く染めていた。
いまにも泣きそうだ――
そう思った瞬間、ルカルーシュの体が無意識に動いた。
「大丈夫? ほら、落ち着いてくださいませ」
素早く席を立ち、カインの涙をハンカチで拭う。乱れてしまった前髪を指先でサッと調え、まだ小さな背中を優しく撫でてやった。
「なっ、なにをっ……!?」
驚きで目を丸くする彼の顔を覗き込み、「まあまあ」と笑顔を向けた。
「心が落ち着かない時は、とりあえず深呼吸ですわよ。殿下」
「やめろっ……! 触るなッ……!!」
唐突な接触に驚いたのか、カインがルカルーシュの腕を振り払った。
「あっ……」
瞬間、カインの手がティーカップに触れた。磁器のカップが地面に落ちて割れる。
「……ッ!!」
さあっとカインの顔から血の気が引いていく。
彼はキョロキョロと周囲を見回し始めた。何人かの侍従や護衛に目を留めると、眉間に皺を寄せて俯いてしまった。
(あら、まあ)
驚いたルカルーシュは、気づかれぬようにカインが視線を向けた人々の様子を確認した。
茶会の席の近くに控える侍従や護衛たちはひどく冷めた表情をしている。主人を心配する素振りすら見せない。メイドが割れたカップを片付けるのを淡々と見守っているだけだ。これが次期王太子に仕える人間の態度だろうか?
(……そういえば、次期王太子は癇癪持ちだと聞いたことがあるわね)
時に手を付けられないほど暴れ、周囲の人間を困らせているとか。そんな王子を、国の重鎮達や陛下が憂えているとか、第二王子の方が王太子に相応しいと主張する人間がいるとかいないとか。王位継承権における、長子優遇の法を改正する動きがあるとか。どれほど信憑性があるのかは知らないが、たかが八歳の令嬢に聞こえてくるくらいだ。その声は本人の耳に届くくらいに大きくなっているのではないか。侍従や護衛たちも、その噂を鵜呑みにして、目の前の王子を軽んじているのではないか――
将来、仕えるべき主人として扱われていない少年は、柔らかい心を傷つけられ続けているのではないか。
(むしろ、これまでの傍若無人な振る舞いだって……)
周囲に認めてもらえないから、極端な態度を示す。見てほしい、構ってほしいから暴れる。愛情不足の子どもにありがちな行動だと、前世の記憶を持つルカルーシュは知っていた。
(まったく)
「……カイン殿下」
「あ、ああっ……」
ビクリと身を竦めたカインに、ルカルーシュは優しく微笑みかけた。
「急に触れてしまってすみませんでした。お怪我はございませんか?」
「え……」
「びっくりしましたでしょう。わたくし、失敗してしまいましたね」
クスクス笑って自分の非を認める。所在なさげに揺れるカインの碧眼を見つめながら、ルカルーシュはなんでもないことのように言った。
「殿下もカップを落としてしまいましたし。これでおあいこでよろしいですか?」
「えっ……?」
「失敗した者同士、ということで。ね?」
ポカンとしているカインに、
「時には失敗することもありますわよね」
と、優しく微笑んでやった。
だから恥じることはない。必要以上に悔やむこともない。
前世の息子に、ルカルーシュが何度もあげた言葉である。男の子という生き物は、たとえ幼くとも守りたいプライドがあるものだ。徒に傷つけてはいけない。かつての育児経験からくる発言だった。
だが、そんな言葉はカインにとっては逆効果だったらしい。
「……なんで責めないんだ」
「え?」
「お前だって、次期王太子の癖に、癇癪持ちで恥ずかしいと呆れているのだろう!! 茶会で大人しく座ってもいられない。どうしようもない、こ、子どもだって……」
カインはブルブルと体を震わせると、吐き捨てるように言った。
「どうせお前も、僕には王太子は向いていないと思っているに決まってる。ぼ、僕なんかが婚約者で、がっかりしているのだろうな。……弟の方がいいと、そう思うなら正直に言え」
悲壮な表情を浮かべ、仕舞いには黙り込んでしまったカインに、ルカルーシュは呆気に取られている。
(やっぱり、本人の耳にまで噂は届いていたんだわ)
なんて残酷なことだろう。本来なら最も守られるべき年頃の少年が、ひどく卑屈になっている様に胸が掻きむしられるようだった。
同時に次期王太子として育てられるという意味に思い至ると、ルカルーシュの胸が重くなる。
(可哀想な子。いままで誰にも失敗を許してもらえなかったのね)
そう思ってしまうと、そわそわと落ち着かない気持ちになる。
追い詰められている少年の心を軽くしてあげたい。そんな想いに駆られたルカルーシュは、八歳とは思えない毅然とした態度で言った。
「癇癪持ちのなにが悪いのですか。子どもが失敗をしてなにがいけないのです?」
ポカンとしているカインに、ルカルーシュは淡々と語り始めた。
「次期王太子というお立場は理解しております。でも、だからといって子どもらしさがなくていい訳がございません。もし、殿下の失敗を誹るものがいるとすれば、その人間は、人の成長過程についてまるで無知なだけです」
「は……?」
「癇癪についてもそうです。母親であれば、誰しも理解しているとは思いますが……。二歳を過ぎた頃から、だいたいの幼子は初めての反抗期を迎えるのです」
いわゆるイヤイヤ期というものだ。
「それは人間の情緒を育てるのに必要なものです。個人差はあれど、五歳頃には落ち着きます」
「でっ、でも! 弟は僕と違って穏やかな子だと」
「個人差があると言ったでしょう。最初の反抗期が訪れない子だっています。たまたまです。たまたま。個人の能力や素養にはまったく関係ありません」
ルカルーシュの前世の息子なんてひどいものだった。親が病みそうになるくらい、手の付けられない暴れん坊だったのだ。本当に苦労した。当時の息子は人間とは思えないくらいだった。あれは猿。もしくは人間になり損ねた猿人類。いや、やっぱり猿だ。なんで進化にしくじったんだと何度途方に暮れたか。幼稚園や小学校に何度呼び出されたかわからない。知らない番号から電話がかかってきた時の第一声は「うちの息子がすみません」が固定だったくらいである。そんな息子も、小学校高学年にもなるとすっかり落ち着き、最終的に立派な社会人となった。あの頃の苦労は、いまやいい思い出だ。
(それに比べたら、カイン殿下の癇癪なんて……!)
微々たるものである。むしろすごく可愛い。
この程度のことで腹を立てたり、蔑ろにしたり、王太子として不適格を突きつける意味が分からない。
(どうせ政治的な思惑とかあるんでしょうけど!)
それにしたって腹が立つ。ルカルーシュは唖然としているカインに、はっきりと断言した。
「いま抱えているイライラやムシャクシャは、そのうち収まりますわ。少しの我慢です。失敗だってそうです。なにも恥じる必要はございません。人は失敗の積み重ねから、いろいろなことを学んで行くのですから」
「……ッ!」
カインの瞳が大きく揺れる。
どうやら、今度の言葉は彼の心に響いたらしい。
(ああ、また。涙がこぼれそうだわ)
わずかに寄った眉間。下がりきった眉尻。林檎のように色づいたまろい頬。宝石みたいな瞳がみるみる濡れていく。
いまにも泣き出しそうな顔に、ルカルーシュはひどく落ち着かない気持ちになった。
慰めたい。抱き締めたい。
ああ、もうこれは完全に母性を擽られてしまった。
(可愛い子が泣きそうなのを放って置けないわ)
そろそろと手を伸ばす。今度は拒絶されないのを確認してから、座ったままのカインの頭を抱き締めた。
(婚約者として不適切な行いって怒られるかもね……)
そんな予感がしつつも止められない。
艶やかな金髪に手を沿わせ、かつて我が子に囁いたように言った。
「大丈夫。あなたはいい子よ。わたくしはわかってる……」
ピクリとカインが身を硬くする。しばらく抱き締めているうちに、じょじょに力が抜けていったのがわかった。
遠慮がちにカインの手が伸びてくる。そろそろとルカルーシュの腰に回された腕は、どこまでも遠慮がちだった。
もしかすると、誰かに抱き締めてもらう経験があまりなかったのかもしれない――。つきり、とルカルーシュの胸が更に痛んだ。
「ル、ルカ、ルーシュ……」
カインの体が微かに震えている。泣いているのかもしれない。
(男の子だもの。泣き顔は見ない方がいいわよね)
そう思ったルカルーシュは、カインが落ち着くまでしばらくそうしていた。
――もしかして、この世界って乙女ゲームじゃないかしら。
ルカルーシュが衝撃の真実に気がついたのは、それから十年後。魔法学園の入学式のことである。
「わあ! 王子様ですかぁ! 私も学園の新入生なんですぅ。仲良くしてくださいねぇ~」
ピンクブロンドの少女が、やけに馴れ馴れしい様子でカインに話しかけてきたのだ。
少女の見かけに覚えがあり過ぎたルカルーシュは、この世界が前世に戯れにプレイしたゲームであると、ようやく気がついた。
ちなみにカインも攻略対象だ。
捻くれた王太子。優秀な第二王子に劣等感を抱き、誰も味方がいない孤独な王子……。
(あれ。だいぶおかしいわね?)
その時点で、違和感しかない。なぜなら、いまのカインは癇癪持ちという悪評を拭い去り、いまや弟の第二王子からも憧れられる優秀な王太子だ。
政務もすでに担っていて、その手腕に王太子の資質を疑っていた人間たちも黙らせてしまった。彼の周りには自然と優秀な人材が集まる。決して孤独などではない。
(うん。勘違いか。ゲームの世界に転生とかないない……)
「もうっ! どうして私を無視するのッ!! 私はヒロインなのよ!!」
(あ、やっぱり乙女ゲームだわ)
自分をヒロインと呼ぶ存在がいる以上はそうなのだろうと、ルカルーシュは納得してしまった。しかも、自称ヒロインも転生者である疑いが強い。
これはあれじゃないだろうか。ゲームの世界だと確信を持ったヒロインが、やりたい放題やって学園をしっちゃかめっちゃかにする、Web小説によくあるパターン……。
前世、暇つぶしに嗜んでいた小説の展開が、まさか自分に降りかかるなんて。
(なんか面倒くさいことになってきたなあ)
ルカルーシュがげんなりしていると、ふいに視界に影が差し込んできた。
「ルカルーシュ?」
カインが不安げにルカルーシュの顔色をうかがっている。すっかりたくましくなった腕でルカルーシュの腰を引き寄せると、ひどく落ち着かない様子で瞳を揺らした。
「どうかしたのか。顔色が悪い。具合が悪いなら家に送ろうか?」
「大丈夫ですわ。それに、これから入学式ですから」
「ルカルーシュより優先するものなんて、この世界にないよ」
本気で言っているらしいカインに、ルカルーシュは思わず困り顔になった。
傍若無人さは形を潜め、王太子として相応しい人物にカインはなった。
けれどもある意味――とても歪んでしまったとも言えるのだ。
原因は明らかである。ルカルーシュの行動だ。
あの印象深い初顔合わせ以降、ルカルーシュはひたすらカインに寄り添い続けた。誰かからの愛情に飢えているカインを思いやり、逆境に負けるなと励まし続けたのだ。それは、別に相手が将来の旦那様だからという訳ではなく。可哀想な子を放って置けないという、ただそれだけだったのだが――
(どうも、私に依存しちゃったみたいなのよね)
気がつけば、カインはなによりもルカルーシュを優先するようになっていた。出来うる限りルカルーシュと時間を共にしようとする。ふたりの時間を邪魔する者には容赦がなく、ルカルーシュの友人や親族にすら嫉妬する始末。
貴族は、学園に十五歳から二十歳の間に二年間通う義務があるのだが、ぜったいに一緒に通うのだからとルカルーシュの入学を今年まで断固阻止してきた男である。
まごうことなき束縛だった。ルカルーシュがいないと勉強もしたくないし、僕は死んでしまう。むしろルカルーシュと結婚できないと王にはならないと公言して憚らない様はどう見ても――
(ヤンデレじゃない?)
前世の記憶の中から、適当な言葉を見つけてしまったルカルーシュから、さあっと血の気が引いていった。
同時に当然だろうとも思う。誰ひとりとして味方がいないなか、ルカルーシュだけが彼に寄り添ってくれたのだ。そりゃあ、依存もする。そりゃあ、ルカルーシュを側に置こうともする。そりゃあ、一途に愛を囁きもするだろう。
国王夫妻には、くれぐれも愚息を頼む。ルカルーシュがいないと、まるで使い物にならないから、姉さん女房として思う存分尻に敷いてやってくれと頼まれているくらいである。
重症だ。
やっちまったな、と思わなくもない。
(ヤンデレといえば、監禁……)
物騒な単語まで思い出して、ますますルカルーシュは途方に暮れた――の、だけれども。
「ちょっと。私の声、聞こえているの!? ねえ、カインってば!!」
痺れを切らしたらしいヒロインが、カインに手を伸ばした。
「触るな。お前に名を呼ぶ許しを与えた記憶はないが」
冷え切った声で拒絶を示した彼は、控えていた護衛に指示を出した。
「羽虫がうるさい。片付けろ」
「「「はっ!!」」」
「は、羽虫!? きゃあああああああああっ!! なにするのよ、私はヒロインなのよっ!!」
ヒロインの声がじょじょに遠くなっていく。
(わあ……)
女性に対してあんまりな言い草にちょっと引きつつも、そっとカインを見上げたルカルーシュは。
「……うるさかったね。ルカルーシュ、気分はどう?」
自分だけに優しい色をたたえる碧色の瞳に、胸がとくりと弾むのを感じていた。
(最初は母親みたいな気持ちだったのに)
十年も一途に慕われたら、絆されない訳がない。
(意外と割れ鍋に綴じ蓋って奴だったりして……)
そんな風に思いつつも。
「大丈夫ですわ。お気遣いありがとうございます」
「……! それはよかった! あの、ルカルーシュ。もしさ、入学式の挨拶が上手にできたら……」
「ええ。帰ったらたくさん褒めてあげますわ」
「……本当? 約束だからね!!」
(あああ、大きくなってもやっぱり可愛い……!)
昔から変わらず甘えてくれるカインの存在に、凝りもせず母性を爆発させるルカルーシュなのだった。
不遇なイケメンをただ甘やかしたかっただけ。
前半と後半でカインの口調が違うのは、ルカルーシュの甘やかしの成果(?)です。
ルカルーシュはそれにしても母性強すぎな気もするので、たぶんいろんなところに拗らせ片想いマンを量産してそうだし、嫉妬したカインに監禁未遂を何度も起こされそうな予感。
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