3.調査
アパートに帰ると、美鈴はBluetoothスピーカーでローリング・ストーンズを流した。
「家に帰ったら、音楽を流しといて」と綺道に言われたのだ。
綺道は最近のJポップのアーティストを誰も知らず、“ちょっと前”のロックなら判るということだった。
指示に戸惑って「何で?」と聞き返すと、
「一応、アナログの盗聴、盗撮器の電波がないか外から確認してみる」という返事だった。
Spotifyが“悪魔を憐れむ歌”を流し始めたころ、綺道が現れた。
最初は渋々、母親に言われて伯父に会った。
だが今や、美鈴にとってこの男は、奇抜で興味の尽きない存在となった。
信じられないことに、彼はSNSを使わない。
“人間関係の構築に、電気仕掛けを持ち込むヤツは信用できない”
というのが理由だ。
綺道は、移動にバイクを使う。
理由は、“安全だから”。
“ヘルメットで顔を隠せる。ナンバープレートの付け替えが簡単で、Nシステムを回避して尾行を切れる”
などと美鈴の想像を超えたことを言う。
年齢は六十歳を超えた。その歳月が猛禽的な顔立ちにも刻まれている。
だが、鍛え抜かれた体幹。全身から滲み出るのは、ぶれない自信、あるいは信念。
そして、異常な記憶力と頭の回転の速さ、発想の豊かさに驚かされた。
「やあ、待たせたね」
綺道は、美鈴のアパートに上がり込むと、
「まずはコンセントを全部見ていく」と告げた。
不審なアナログ電波は外で確認できなかった。
「本当は、スペクトラムアナライザがあるといいんだが…」などと言いながら、綺道はキビキビと動いた。
コンセント、タップ類、電化製品を一つ一つ点検していく。
エアコン、洗濯機、テレビ、電子レンジ、ノートパソコン、プリンター、スマホの充電器、加湿器、掃除ロボット、電気スタンド、フットマッサージャー…
さらに置物の類を念入りに見ていった。ぬいぐるみや、クッションも…
「親以外で、誰かにプレゼントされたものは?」と綺道は尋ねた。
ぬいぐるみは女友達にもらったものだった。置き時計は高校卒業の記念品。
原状回復できる限界まで分解して調べた。綺道は「ふーっ」と息を吐いた。
「隠しカメラは見当たらない。本当だ。カメラってのは、ちっこいピンホールであれ、何かしら目玉が必要なんだ」
綺道は指で輪っかを作り、右目に当てた。
「それから角度も重要だ。こいつが難しい」
綺道の瞳がキラリと光り、美鈴は身ぶるいした。気づいたのだ。
伯父はストーカー退治のプロではない。監視する側のプロだったということに…
「えと…盗聴器は?」
「そいつは、断言できない。デジタル盗聴器は簡単に見つからない。今度、友達の興信所で“スペアナ”を借りて来るよ」
「そう…。じゃあ外から?」
「調べてみるよ。まずは撮影だ」
監視場所を探すには、見られる側から見返すのが手っ取り早い。
綺道は一眼レフを窓の外に構えて、視界に入る周囲の住居を写真に収めていった。
「何が分かるの?」
「ベランダの物置、ブラインドの隙間、エアコンの排気口、一つ一つ拡大して望遠レンズが隠れてないか調べる」
口に出して言わなかったが、住民基本台帳で住人を特定し、犯歴照会もするつもりだった。
卒業アルバムや住所録、部活の連絡リストといった紙の資料を預かると、綺道は引き上げた。
美鈴は伯父を見送ると、気が抜けたようにソファに座り込んだ。
少しがっかりした気分だった。
鮮やかな推理、種明かしを期待していた。