天使アイテツの本音(1)
かなり小声でほとんど独り言のような一言だったが、アイテツの耳には確かに聴こえていた。
久男は夢を見つけることは蕀の道であること。
夢を見つけてそれを必死に追っても蕀の道であること。
夢が叶ったとしてもそこは蕀だらけかもしれないこと。
そして最後に自問自答を繰り返し考えに考えたあげく、混乱した久男の脳内は夢とは何かという根本的な疑問を浮かび上がらせた。
それをそのまま、アイテツにぶつけた形だ。
アイテツ「た、たしかに…… 夢について深く考えたこともなかったような……」
アイテツは久男の内に眠る氷のような熱量を怒涛の勢いで浴びせられ、若干怯んでいた。
アイテツは人を導くという任を天界より受け、まだ日が浅い。
今回の説明の多くは天界の書店で売っている"先導者マニュアル~迷える子羊を成功に導くためには~(税込500円)"という新米天使用の教本に書いてあるとおりのことを言っただけだった。
久男の予想のほど、出任せを言っているわけではなかったが、おおむねアイテツの想像と机上で学んだ知識が大半であった。
経験の浅いアイテツが夢の本質について考えたことなどないことは至極当然のことだ。
アイテツ「夢か……夢ね……うん、あれだ。そうあれ! ………なんだっけ? はてな?」
自分が成功者になれるよう導いてやる! と大見得を切っておきながら、その実アイテツにとっても未知の経験だった。
実は先見の明など微塵もなかったアイテツではあるが、それでも彼女にも崇高なる天使として譲れない部分はある。
アイテツは自身の尊厳を守るため、静かに呆けている久男に向かって宣言をする。
アイテツ「うん、すまん、わからん! 正直そこまで考えてなかった……今すぐに答えられる答えを持ち合わせていない。きみの言ったとおり、私が信用できないやつであることはもっともだ。しかし、安心してほしい!! 必ずやその答えを見つけてくる!! オールおっけーだ! がはは!」
久男やそわかが思っている以上にポンコツ天使であるアイテツに有言を達成する実力があるのか疑わしいが、本人は自身満々だった。
久男「本当にそんな簡単に答えが見つかるんですかね。何て言うか失礼かもしれないけど、あんたは正直頼りなく見える。信頼に値するような重みが言葉にない」
久男はそんなアイテツに向かって辛辣にもいい放つ。
アイテツが頼りない存在であるということを、久男は薄々感じており、能力以上の虚勢をはっていることはばれてしまっていた。
久男「まあでも、もともと夢がないのも一生懸命になれないのも成功できないのも全て俺自身がダメなやつだからこうなっている訳であって、アイテツさんが悪いわけではないですから……」
久男「だから、アイテツさんがそんなに必死になることなんてないですよ。あんたの言うことはたしかに穴だらけのお話だった。けど、間違いではない。全ての原因は自分にある。そのことは何よりも俺自身がわかるんです」
久男「だから、もういいですよ。あんたは俺みたいな夢も希望もない出来損ないを相手するよりも、最初から夢があってそれに向かってひた向きに頑張っているのに報われないような努力の人を応援した方がいい。その方が報われる人は多いし、アイテツさんのためにもなる」
久男は"自分を導くことは諦めた方がいい"という主旨の言葉をアイテツにぶつけた。
その声は相変わらずぶっきらぼうだったが、その顔はどこか物悲しげだった。
アイテツ「そ、それは……」
久男の言葉はどこか楽観的だったアイテツの心に、晴天に突如到来した霹靂のような勢いで真摯という名の重りを吊り下げた。
久男からアイテツに向けられた言葉は残酷だった。天使として、人生のリーダーとしていらないと言われた。
それ以上に非は自分にあるのだからもういいですよ。と諦めの言葉を言われたことが何よりも痛かった。
自分以外の人を優先してくださいと悲しげな表情で言われたのが何よりも辛かった。
むしろいっそのこと、この詐欺師!二度と来んじゃねーと強い言葉で拒絶された方がましだったかもしれない。
あろうことかアイテツは救うべき対象に助けるべき存在に身を案じられ、情けをかけられたのだ。
アイテツ「………」
普段は楽観的なアイテツもこの時ばかりはおしだまった。
久男「アイテツさん、あんたは天使なんでしょ? こんなところでボケッと突っ立って油売ってていいのか? 俺みたいな希望のない、成功からほど遠い仕事しか能のないタイピングロボットの相手をしている場合じゃないはずだ。あなたにはもっと他にやることがある。俺よりも幸せに相応しい人たちを早く助けに行ってあげてください」
久男は最後のひとおしとばかりにアイテツに自分のもとを離れ、他の人を助けるように促す。
これはほとんど久男の本心だった。
彼は基本的な部分がお人好しだ。
そもそも自己犠牲的な精神がなければ、夜遅くまでサービスで残業なんて出来ないだろう。
サービスで残業している人たちは根のいい人たちなのだ。
アイテツ「本当はその方がいいのかもしれないな……」
アイテツは大勢の人の人生や心、精神を救うため、今ここにたっている。
たしかに久男はアイテツにとって、昨日たまたま見つけただけの迷える子羊の一人に過ぎない。世の中で困っている人や悲しんでいる人は他にもたくさんいる。
別に久男でなくともよい。
救うべき対象が他の人でも一向にかまわない。
むしろその方が久男の言うとおり、幸せになれる人は多いだろう。
久男のような最初から夢も希望も持っていない人よりも、夢を追いかける情熱を持っている人の方が何倍も成功に近い場所にいる。
本来であれば、久男の言うとおりにするべきだ。
しかし、アイテツはそうはしたくなかった。
アイテツ「けどそれは出来ない……いや、したくない……」
短く否定の言葉を久男に返す。
それが強烈に自分中心主義的な言葉だということはアイテツも自覚していたが、どうにも曲げたくない信念があった。
希望が少ないから助けない、成功に遠いから救わない。それでは何のためにアイテツは天界からやって来たのか。
より多くの人を成功に導くという考え方は素晴らしいことだ。
だが、目の前の人一人救えないようならそもそもたくさんの人を成功に導くなど不可能だ。
見捨てるということは天使がもっともしてはいけない行為だ。
そしてアイテツは、
”自分はどうしようもない弱者だと叫んでいた”
”夢で必死に訴えかけていた”
”でもそれをうつつでは誰にも言わず心の中にしまい込んでいた”
そんな久男のような人を助けたいと思ったから。
だからここにいるのだ!
故にアイテツは久男に言う。
アイテツ「全部きみの言うとおりだったと思う。わたしが経験不足、知識不足であるばかりに本当に考えなければならないことを見落としてしまっている。だが、きみに興味を持ち、きみを導いて成功者になってほしいと思ったことは事実だ。久男の夢を盗み見たとき、そう思ったから」
久男「(盗み見たっていったぞ……)」
アイテツ「あの夢は必死な訴えだったよ。きみの心の底から出た声だった。なのに君は現実世界、日常世界では心の奥底に眠る感情を表にださない。いや、気づかない内に封じ込めてしまっているんだ。 そのことがとても悲しく思えた。だから、きみを救いたいと思ったんだ」
久男「ゆ、夢の話はもういいんじゃないでしょうか……あれはなんていうか俺の失態みたいなもので。ほじくり返さないでいただけるとありがたいです……」
アイテツは少し真面目な目付きで久男に向かって言葉を発した。
今までの発言の大半はアイテツが未熟者ゆえの茶番じみたものだったとはいえ、この発言についてもまた本心だった。
久男は自分にとっては恥である夢の話がアイテツの口から出たため、たじろぐ。
アイテツ「だから、一週間だけ時間をくれないか? その間に出きるだけ夢について、久男が言った疑問についての答えを探すから。もし、その答えが納得の行かないものだったのならわたしはきみの前から消えよう」