第4話 失った空
【前回までのあらすじ】
大陸国との戦争に敗北した日本の首都、東京。
その地下に築かれた地下都市「東京回廊」で暮らす明石直人は、日々地上の瓦礫を漁ってそれらを売却することでどうにか暮らしていた。
そんなある日、彼は瓦礫の中から、かつて戦時中に自らの命を救ってくれた天使を見つけだす。
瀕死の彼女を救うため、親友の秋夜に助けを求める直人。
しかしそこで直人は、彼女が大戦中に日本軍が開発した戦闘用アンドロイドMDD18、コードネームは「AYA」であると知らされる。
そして、心臓にあたるリアクターが大きく破損しており、その影響で彼女の寿命はそう長くなく、2か月もしないうちに死ぬということも知るが、それでも直人は「綾」と新たに名付けた彼女に寄りそう覚悟を決めるのだった…
家に帰った俺は、疲れていたのでそのまま床に就いた。いや、正確には疲れていたのではなく、二日酔いの上に、お腹いっぱいになるほど重い話をたくさん聞かされたからだったのかもしれないが。
彼女はむしろ目覚めたてで、疲れてなどいなかっただろうし、そもそもアンドロイドが睡眠をとるのか興味はあったが、そんなことを確認する余裕などなく、横になった途端、俺は猛烈な眠気の襲撃をうけ、あっという間に夢の国へといざなわれてしまった。
「んん……」
珍しく悪夢を見ずに、それでも決して深くはない眠りから目覚める。
霞む目をこすりながらあたりを見渡すと、綾は俺が寝た時にいた場所と、まったく同じ場所に同じ体勢で座っていた。
「もしかして、ずっとそうしてたのか?」
「はい」
直樹の頭で尋ねる。
「寝てない?」
「寝ました」
昨日よりさらにおとなしくなって、借りてきた猫のように口数が少ない綾。
寝た、とは言っても、おそらく俺が寝てから寝て、俺が起きる前に起きたのだろう。なんと信用のないことやら。
挙句の果てに、俺と彼女の間に簡易的とはいえ、仕切りまで作られてる始末だ。
「あのな、一応言っておくが、俺は寝ているお前を襲ったりしねぇよ?」
「証拠はあるんですか?」
「……ないけどさ」
確かに、そう言われてしまったらそこまでだが……。
「気にしないでください。私が好きでやってることですから」
「……そうか」
とはいえ、一緒に一つ屋根の下に暮らしているのにそれはどうかと思うが……。
そう言いかけたが、よく考えたらこれだって俺のワガママなのだから、と考え直す。
彼女にそんな大きな口を叩けるほど、マトモな人間でもないんだよな、俺は。
「今何時くらいだ?」
カレンダーによると、今日は九月二十一日らしい。それはわかるのだが、回廊には時計という概念がほとんどなく、しかも時間を知らせる鐘は朝一回しか鳴らないので、こうしてさながら昼夜逆転のような生活をしてしまうと、いざマトモに時間に従おうとしても、簡単には戻らなくなってしまう。
元の時間軸に乗り直すには、時計を確認するのが一番なのだが……。
確か一番近い時計は……ああ、第二十二層の広場に時計台があった気がする。この階より地下なんて滅多に行かないが、流石にこの辺で体内時計を正しておかないと、この先いろいろと面倒なことになりそうだし、仕方がない。見に行くか……。
と、そこまで考えたところで、綾がさっと左腕の袖をまくって俺に突き出してくる。
なんと便利なことだろう。突き出された彼女の腕には、電子時計が小さく埋め込まれていた。
「えっと……午前二時四十五分。なんだよ、まだ昼夜逆転中かよ」
まあ、冷静に考えれば昨日寝たのも昼前だったし、こんなものか。
「ありがとな、綾」
お礼を言うと、綾は軽くうなずいて再び元の体勢に戻ってしまう。
「今日はどうすっかねぇ……」
まさか、綾を連れて鉄くず集めに出発というわけにもいくまい。かといって、行かないとそろそろ所持金がピンチだ。
しかし、彼女をここに置いていくわけにもいかない。はてさて、どうしたもんか……。
と、「ぐー」という可愛らしい音が俺の思考を遮る。
「……ん?」
まさか、俺のお腹からそんなキュートな音が出たのか? 絵面としては全く可愛さのかけらもない光景だぞ……?
もしやと思い、綾の方を見ると、彼女は顔から湯気が出そうなくらいに頬を紅潮させてしてしまっていた。
あー、なるほど。
アンドロイドでもお腹はすくんだなという気持ちと、ようやく彼女が不愛想な顔を崩してくれたなぁ、と妙に嬉しい気持ちが混ざってごちゃごちゃになる。
「……なんですか」
キッとこちらを睨む綾に、
「お腹すいたの?」と尋ねる。
「……ご想像にお任せします」
どうやら、完全に拗ねてしまったようだ。
はて、どうしたら彼女の機嫌が戻るだろうかと首をかしげてみるが、どう考えても餌付け以外のアイデアが浮かばない。……いや、言い方がよろしくない。何かしら食べ物をプレゼントする以外のアイデアが浮かばない、と言うべきか?
綾の機嫌を直すため、みたいなことを言ってはみたが、完全に忘れていたが、俺だって一昨日の昼間に酒のつまみを食べて以来、水しか口にしていないので、流石に空腹を感じ始めている。
そろそろ闇市に行かなくてはならない頃合いだろう。
「地上、行くか?」
防空任務中に墜とされた彼女としては、もしかしたら地上には行きたくないかもしれないと、少し過剰に気をまわしてそう尋ねてみる。
けれどそんなのは杞憂だったみたいで、綾は目を輝かせて「行きます!」と即答してきた。
落ち込んだり無表情になったり赤面したり拗ねたり喜んだり、まったく、情緒不安定か、お前は。
「ま、こんな世の中じゃ情緒不安定にもなる、か」
ふう、とため息を一つついて、出かける用意をする。
リスキーといえばリスキーだが、俺は彼女を助けると決めたのだ。なら、行動しないのはナンセンスだ。
とはいえ、現実問題として、綾を連れて行くとなれば通常ルートではだめだろう。
また旧神田口行きの有料エレベーターに乗らなくてはならない。そんなお金あったかな、と不安になるが、財布にはまだギリギリ一回乗れるだけのお金が入っていた。……つまり、地上で何らかの成果を出さないと帰って来られないってことか。
かなりシビアな懐事情に頭を痛めつつも、もう三日も着ている服を脱ぐ。
なにせ、そろそろ着替えないと様々な健康被害が出てしまう。
「綾、お前も着替えとけ。流石に夏場にその長袖は目立つ」
「でも、着替えなんてないです」
軽い気持ちで言ってみたものの、確かにそうかと納得してしまう。
「とはいえ、なあ……? あ、そうだ。ちょっと待ってろ」
ふと、この間拾ったものを思い出し、クローゼットから取り出して彼女に渡す。
「ほれ、これでいいだろ?」
一体誰が着ていたのかわからないその黒いマントは、ところどころ破けてはいるものの、一応衣服としての役目も、彼女の正体を隠すという役目も十分に果たしている。
それに、上下の服一式もなんとか着られる状態だ。
これなら、せいぜいちょっと可愛い女の子くらいにしか見えないだろう。
「そうだ。どうせならフライトユニットも持ってくか? まだ早朝だし、PCFの憲兵もいないだろうから、飛んだりできるんじゃないか?」
「え、いいんですか?」
ピクリと綾のまつ毛がはねたのを、俺は見逃さなかった。
「まあ、リスキーではあるけど、綾もこんな狭い鳥かごの中はいやだろ? それに、俺の鉄くず回収にも一役買ってくれそうだし」
言うなれば、彼女は翼を折られた鳥だ。再び空に戻ることは、憧れであると同時に恐怖でもあるはずだ。
だからこそ、俺は残り二か月の中で彼女には空を再び舞ってほしい。
俺を助けてくれた、あの時のように。
「なるほど。飛ぶことに対する恐怖は少しありますが……でも、君がそう言うなら、やってみます!」
「おう」
一応は彼女と打ち解けられた達成感と共に、俺と綾は家を後にしてシャフトを渡り、反対側のエレベーターへと向かう。
そこから、この間とは逆の順序で有料エレベーターを使って、PCFに見つからないように地上へと出向く。
「そら、着いたぞ」
「これが、東京……」
俺に促されるまま、旧神田口から外に出た綾は、目の前に広がる光景を見て絶句する。
彼女が最後に東京を見たのは、墜とされた際の防空任務の時だったはずだ。
聞いた話だと、四月時点では東京の地上部にはまだ多少ビルが残っていたらしい。大都市東京の姿を、一応は残していたらしい。
しかし、そこから数え五か月。東京回廊攻防戦を経て、もはやそんな面影など一切残さず、かつての大都市は瓦礫の山と化してしまった。自分の守ろうとしていたものが、こんな有様になったのを目の当たりにすれば、それは確かに言葉を失うだろう。
「本当に、戦争は終わったんですね……」
うっすらと茜色に染まる東の空を見上げて、綾はつぶやく。
「綾が知ってる空とは、違うのか?」
「ええ。こんなきれいなものじゃなかったですから。私が知っている空は、爆煙で醜く黒ずんだ、死をまき散らすものでしたから。……この景色も平和だから見れるもの、なんですよね」
「……そうだな」
思えば、生まれた瞬間から戦いが全てだった彼女にとって、戦争のない世の中は初めて目にするものなんだろう。
「なんだか、懐かしい感じです」
「懐かしい、か」
「懐かしくて、綺麗で、澄んでいる。これが、平和なんですね」
だからかもしれない。こんなクソッタレな世界でも綺麗だと、そう感じることのできる彼女の感性が、ちょっとだけ羨ましく感じた。
「とりあえず、だ。今の時間でしかできないことを優先しよう」
羨ましさに身を焦がしながら、せっかく来たのだから、と、若干強引に話を逸らす。
「ええと、飛ぶってことですか?」
まずは、このPCFがいない時間を有効活用するべきだろう。鉄くず回収はその後でいい。
「そそ。ほれ、フライトユニット」
秋夜から渡された袋を、両手で持ち上げて綾に手渡す。この袋、何気に一回も開けていないので、フライトユニットなるものがどんな代物なのか、想像もつかないのだが……。
なので、はて鬼が出るか蛇が出るかと期待に胸を膨らませながら、彼女が袋からブツを取り出すところをじぃっと見つめる。
「よっ、と」
アンドロイドだからだろう。俺が両手で持っても重かったフライトユニットを、軽々と片手で取り出して、手際よく装着していく綾。最後にフライトユニットを使ったのは五か月前とはいえ、その間ずっと眠っていたのだから、体感的には昨日のことの様なものなのだろう。綾の手際がそれを物語っている。
「ふむ」
肝心のフライトユニットだが、てっきり翼がついているものだと思っていたのだが、ただのバックパックのような感じで、特に翼らしき部位は見当たらない。
はて、どういうことだろう?
首をかしげたところで、はたと助けてもらった時の事を思い出し、一人納得する。
確か、彼女の背中には瑠璃色に輝く翼が煌めいていた。
「なあ、綾」
「はい?」
考えてもわからないので、すっかり準備完了といった様子の綾に直接聞いてみる。
「そのフライトユニットってさ、翼ないよな?」
「ないですね」
見ればわかるだろみたいな、冷たい視線を送られる。
違うんだ、そういうことじゃない。だからそんな白い目で見るんじゃない。
……にしても、今の元気ハツラツな綾が、さっきまでうずくまって無口だった彼女と同一人物だとはとても思えない。きっと、こちらが素の性格なんだろう。
無理に自分を作ろうと、守ろうとしていたのだろう。
蔑むような視線を浴びながら、うんうんと一人で納得する。
「ないのに、どうやって飛ぶんだ?」
「ああ、そういうことですか。てっきり頭がおかしくなったのかと」
「失礼な」
ぶすくれた俺の表情を見てくすっと笑うと、
「見ててください。フライトユニット、起動!」と、高らかに言い放つ綾。
彼女のその言葉に、背中のフライトユニットがわずかに光って反応したその刹那、ユニットの両端から粒子があふれ出して光の翼を形成する。
「すげぇ……」
綾の背中から発現した彼女の翼は、朝日に照らされて淡く神々しく、煌めいていた。
……ん? 粒子?
「綾、その翼って……」
「リアクターで生成している粒子を放出して形成しているものですが?」
「おいっ!」
それって要は、自分の余命を削って翼を生み出してるってことじゃないか!
反射的に止めようと口を開くが、それと同時に綾が言葉を発する。
「いいんですよ」
「なにが、なにがいいんだよ、綾……」
「君が言ったんじゃないですか。『狭い鳥かごの中はいやだろ』って」
「いや、でもそれは」
「私は、飛ぶために生まれてきたんです。だから飛ばせてください。……それに、飛ぶのにそこまで粒子は消費しませんよ。せいぜい、寿命が一時間短くなるくらいですから」
「……そうか」
これ以上は、彼女を止める方が酷というものだろう。仕方がない。綾のやりたいようにやらせるしかない。
しぶしぶながら心にそう決めて、静かにうなずく。
「じゃ、ちょっと飛んできます」
「……おう」
てっきり、ジェット機の様な轟音をたてて飛び立つものだとばかり思っていたが、その逆で、ほとんど音もなく、まるでハチドリのような滑らかな離陸を見せつけてくれる綾。しかも、垂直離陸で。
「やっぱり気持ちいいですねー」
五メートルくらいの位置でホバリングしながら、ご満悦なご様子の綾。
そんな彼女を、内心では今すぐにでも降りてきてほしいと思いながらも、笑顔で見つめ返す。
「ちょっとそこらへん、ぐるっとしてきてもいいですか?」
「俺がなんと言おうと、どうせ行くんだろ?」
「まあ、そうですね」
「じゃあ自由にしろよ」
内心複雑ながら、それでも貼り付けたような笑顔を浮かべて綾を送り出す。
「ひゃっほーい!」
そのまま気持ちよさそうに翼をはためかせて、ビルの瓦礫の山の間を優雅に飛んで行く。
「ったく、調子狂うな……」
自由自在に暁の空を舞う彼女は、とても凛々しくて美しい。
彼女の舞いを眺めていると、心が落ち着いていく。秋夜の言う通り、死んでいた心が息を吹き返したかのようだ。
ふと、心の隅に違和感を覚える。この感情は、一体……?
「おーい、綾! あんまり遠くへ行くなよ? お前東京の地上部初めてだろー。迷うぞー」
もやもやして晴れない気持ちを誤魔化すように、はるか上空の綾に叫ぶ。
「私はそんなんじゃ迷いませんよーだ」
グルングルン回りながら叫び返す綾。
「いや、お前の方向感覚を疑っているわけじゃなくてだな、こんだけカオスな街なんだ。俺のことを見失うかもしれないって言ってるんだよ」
「あー、そーゆーことですかー?」
さっきから、とてもまともに話を聞いているかのようには見えないのだが、大丈夫だろうか?
ちょっと不安になるけが、まあ、彼女なら何とかなるような気もするし、大丈夫だろうと思い直す。
「俺は確かに言ったからなー?」
さて、彼女が遊覧飛行を楽しんでいる間に、俺は鉄くず集めを始めなくては。
なにしろ生活も懸っているが、それ以前に、今日は帰れるかどうかが懸っているからな。
「今日はどこにしようかな……って、うわあああああ」
ポケットから地図を出して今日の狩場を決めようとした瞬間、突然背後から羽交い絞めにされる。何が起こったか、なんて思う間もなく、地面から足が離れて遠ざかっていく。
「おわああああああ?!」
まったく、こんなテンプレの悲鳴しか上げられない自分が情けない。
なにしろ、何が起きたかすら理解できずに、ただただ心の芯から体中が凍り付いていくかのような気持ちになりながらの空の旅だ。
さっきまで自分がいた場所の特定ができなくなったあたりから、真っ白だった頭は一周回ってクリアになって、冷静に後ろに振り返る。
「やっぱりお前か!」
俺を羽交い絞めにして天空まで飛ばしたのは、やはりというか当然と言うべきか、綾だった。
普通に考えて彼女以外にないだろうとは思うが、なにせそんなことを考える余裕なんてなかったのだから、今の今まで気がつかなかったのも、仕方がないというものだろう。
「何すんだお前!」
「君がどっか行こうとしてたから、もしかして飛びたいのなって思いまして」
あっけらかんと答える綾。
「飛びたくないわ! いや、どっちにしても飛ばすんなら、なんか一言俺に言ってからにしろよ……」
「直人、飛ばしますよー」
「遅ぇよ」
ふふふ、と無邪気に笑う綾を見て、ため息をつく。
まあ、仕方ないか。これも綾なりの気遣いというやつなのだろう。
「でもさ、綾」
「ん?」
ニコニコしっぱなしの彼女に、思わず
「さすがにこの体勢は何とかならなかったのか?」と尋ねる。
後ろから羽交い絞めにされたまま上昇したために、今の俺は雲の上で磔にされているような、おかしな絵面になってしまっている。
「とりあえず……そうだな、この腕を離してくれないか」
「分かりました。ほい」
「ありがとう……って、おいいいいいいい!!」
いや、うん。言葉足らずだった俺が悪かったね。正確には「腕を離して、別の体勢に変えてくれないか」だったね。
でもさ、綾さん。例え俺の言葉が不正確だったからって、この状況で完全に腕だけ離す人があるかい。
彼女が一切迷わず行ったその動作によって、俺と綾との接触点はゼロとなり、当然飛ぶ術など持たない俺は、万有引力の法則に従って雲の上から地上に向かっての、強制ノーパラシュートスカイダイビングを敢行する羽目になる。
まるで心臓だけ別空間に飛ばされるような気持ち悪さを感じ、視界がぐるぐると回りながらすごい勢いで落下してしていく。恐怖のあまり、もはや声なんか出ない。
なんだ、なんなんだこの状況は? 新手のいじめか?
鶴の仕返しか? いや、笠地蔵の逆襲か?
我ながら何を言っているかわからなくなり始めたその時、ようやく急降下してきた綾にキャッチされて、さまよい続けていた心臓が所定の位置に戻るのを感じる。
「ありがとう、綾」
……いや、待てよ。勢いでそんなことを言ったが、元はといえばこいつのせいなのに、なぜ俺は謝ってるんだ?
しかも、確かにさっき言った通りに体勢は変わっているけど、今度はお姫様抱っこだし。
なんなんだと綾をにらむと、意図が伝わっていないのか、いたずらっぽい笑顔を返される。
「ははは、君は本当にお馬鹿さんですね。冗談ですよ」
「いや、死にかけたから」
冗談って……冗談で雲の上から自由落下させる奴があるか。
「でも、なんかお前のその笑顔見ると怒る気なくすんだよな……」
「えへへ、ありがとうございます」
「褒めてねぇよ」
そんな風に軽口をたたいていると、ふと綾が
「あ、直人、見てください」と、器用にも俺を片手で支えながら地上の方を指さす綾。
うながされるままに地上に目をやると、そこには破壊されつくした都市が、茜色の朝日に照らされて輝いていた。
「綺麗じゃないですか?」
無邪気にそう聞かれ、俺はその言葉に黙ってうなずいた。
いつも戦争の象徴としか、破壊の跡としか見ていなかった街を、初めて綺麗だと思った。
「お前、まさかこれを見せるために……?」
「ええ。防空任務の時に何回か見たこの光景が忘れられなくて。昔は、もっとビルとかに光が反射して、キラキラしていて、今よりずっと綺麗だったんですけどね……」
光り輝く地上ではなく、どこか遠くを見据える様子の彼女に、俺は何と答えたものかわからず、結局静かに頷くことしかできなかった。
俺たちは無言のまま、しばらく目の前の光景を見つめていた。
*
PCFに見つからないように地上に降りた後、いつものごとく鉄くずを回収して、昼ごろになってようやく闇市の屋台でご飯を買う余裕が生まれる。
「ほら、食え」
闇市で買った昼食の入った袋を手渡すと、
「なんですか、これ」と、目を見開く綾。
「なにって……昼飯」
「いや、それは見ればわかるんですけど……」
ああ、そういうことか。こんな闇市で買ったものを食べて、果たして大丈夫なのかということが言いたいのだろう。
「大丈夫だぞ。少なくとも、地下商人の売ってるものよりはマトモだ」
「そうですか……」
半信半疑といった表情の綾。が、無理もないことだ。
物資が決定的に不足しているこの東京において、闇市で流通している庶民食といえば、この得体のしれない肉が挟まったサンドウィッチくらいのものだ。
決しておいしくもないし、かといって不味くもないこのサンドウィッチに、果たしていかほどの栄養があるのかは疑わしいが、俺は三日ぶり、綾に至っては五か月ぶりの食事ということもあって、いざ袋を開けると、お互いに味など気にすることなくただ一心にむさぼりつく。
「いやぁ、戦時中に食べていた配給食に比べたら美味しいですねー」
前言撤回。綾は結構味わいながら食べていた。
「でも、ありがとうございます」
「ん? なにが?」
半分ほど食べたところで、ふとペコリと頭を下げられる。
「これ、買ってくれてありがとうございます」
「ああ、そういうこと。いいよ。鉄くず回収、手伝ってくれただろ? 言い方は変だけど、報酬みたいなもんだよ」
そう。結局俺は、鉄くず回収を彼女に手伝ってもらったのだ。
最初、彼女が飛んで空からの視点によって色々なものが見つけられるのでは、と思っていた俺だったが、実際は彼女の腕力に助けられることになった。
だから、どっちの方が働いたか、と言われれば、俺の方が働いていないような気がする。
「しかし、綾もご飯食べるんだな」
そんな罪悪感を悟られまいと、自然な感じで聞いてみる。
何気に聞きそびれていたし、彼女のお腹が鳴った時も、その表情にのみ注目していたせいでスルーしてしまったが、アンドロイドがご飯を食べるということに疑問は感じていた。
「当たり前じゃないですかー。君は本当にお馬鹿さんですねー」
ご飯を食べれてご満悦なんだろう。満面の笑みのまま、ばくばくとサンドウィッチをほおばる綾。そんなことはどうでもいいじゃないかとばかりの表情だ。
……まあ、確かに「お前はどうしてご飯を食べるんだ?」と聞かれたところで、そんなのはお腹がすくから、以外に俺は答えを持ち合わせていない。
「ま、こんだけあれば当分大丈夫だろう」
一足先に食べ終わったので、鉄くずを売って手に入れたお金を数えて時間をつぶす。綾のおかげで、いつもはスルーしているような大きなものまで回収できたので、普段の一週間分ほどのお金が、なんと午前中のみで貯まってしまった。
これで、しばらく地上に来なくても大丈夫だろう。
あとは、背後からグサリとやられないようにさえ気を付ければ、金銭面は万事解決だ。
「ごちそうさまでした!」
きっちりと手を合わせて、ご満悦な綾を見て、無性にほっとする。
「食べ終わったか? じゃあ、帰ろうか」
「はい!」
お金を盗られないようにしっかりと握りしめ、立ち上がって歩きはじめる。
お金が貯まったのなら、わざわざPCFに見つかるリスクのある地上に滞在する意味もない。とっととずらかるとしよう。
「どうだった、久々の空は」
そういえば、抱えられて飛んだことが強烈過ぎて忘れていたが、綾にこれを聞こうと思っていたんだった。
歩きながらそう尋ねてみる。
「気持ちよかったですよ、ええ。フライトユニットを作ってくれた秋夜さんには、感謝しないとですね」
「そうだな」
そんな風に、互いに今日の感想を話しながらゆっくりと旧神田口に向かう。
しかし、そんな最中、俺は大きなミスを犯してしまった。
この時はそうは思わなかったものの、後から考えればそれは大きなミスだったのだ。
「ん? なんですか、これ」
近道だと思って入った裏道。そこは、PCF本部の裏手に位置している道で、道沿いにはたくさんのPCFの憲兵が立っていた。
それを見た俺は、すぐに彼女の手を引っ張ってその道を出て別の道へと急いだ。
もしかしたら、奴らに綾の顔を見られたかもしれない、追いかけてくるかもしれないと思い、俺は速足でその場を立ち去る。
結論から言えば、PCFの兵士は俺たちに気づいてすらいなかったようで、追いかけてくる人など誰もいなかった。それはいい。
だが、綾の様子がおかしくなったのはその時からだった。
「綾、大丈夫か……?」
笑顔を浮かべても真剣な顔になっても恥ずかしがっても、顔のどこかにはぎこちなさが残り、何かを気にするように突然黙ったり、考え事をしたりすることが多くなっていった。
「……え? あ、はい。大丈夫ですよ」
笑みを浮かべてそう答える彼女の声にも、どこか嘘の気配が漂っている。
何かがおかしい。
そんな想いを抱えながらも、綾自身が大丈夫だと言っていることに対して、俺が何か言うわけにもいかず、なんだかぎこちないまま三日が過ぎた。
そして、そんな状況のまま迎えた九月二十四日。その夜のことだった。
*
俺は、またあの夢を見ている。
どこからか、彼女の声が聞こえる。
あたりは暗く、目の前には真っ暗に開ける空間。
『直人、行こう?』
そう言って、彼女は俺の手を引いてくる。
ああ、行こう。でも、どこへ?
『星に決まってるじゃない。約束したでしょ? 忘れたの?』
ほんと、わすれんぼさんなんだから、と、いたずらっぽく笑う彼女。
ああ、そうだ。約束したんだった。
ボンヤリとしながらそんなことを考えて歩き出す。
『今日も願い事、考えてきた?』
ああ、考えてきたよ。
そういうお前は?
『さすがにそんなに願い事もないわよね。私、もう思いつかなくさ~』
いや、でも毎日願い事をしようって言いだしたのは、お前なんだから。
『でも、やっぱり願い事はしなきゃね』
だからって、テキトーなこと願うなよ?
神様だって暇じゃないんだから。
『だって人間は、星に願うことはできてもさ、ただ願うことしかできないんだからさ』
普段ちゃらんぽらんだと思ったら、急に柄にもなくそんなロマンチックなことを言う。
『余計なお世話ですよーだ』
あっかんベーをして走り出す彼女の後を、慌てて追いかける。
待て、暗い中でそんなに走ると危ないぞ。
『大丈夫です~。そんなポンコツじゃありません~』
ああ、そうかい。ならどうなっても知らないぞ。
そんな風に拗ねたふりをしてみると、案の定彼女は立ち止まってこちらの機嫌をうかがってくる。
『えー、ごめんごめん。冗談だよぅ』
上目づかいの可愛い顔で、そんなことを言われては仕方がない。
冗談だよ、気にすんな。
『もー。直人のそういうところ、好きじゃない』
おっと、ふりがばれてしまったか?
でもまあ、俺はお前のそういうところ、好きだけどな。
『またまた、どうせ冗談でしょー?』
そんなことないって。
俺はお前が思ってる以上に、お前のことが好きなんだよ。
そう言おうとした、まさにその瞬間。
目の前が、爆発した。
おそらく今後、俺の頭からこの時の記憶が消えることはないだろう。
あたりが閃光に包まれ、強烈な爆風と爆音、それに衝撃波が俺の体を襲う。
そしてこの瞬間、俺の全ては崩壊した。
*
「うわあああっ!」
落ちていくような感覚に身を包まれ、反射的に振り払うようにしたことで目が覚め、現実に引き戻される。
「夢、か……」
この夢を見るのも一体何回目だろう?
額に掻いた嫌な汗を拭い、気分転換がてら散歩でもしようと考えて立ち上がる。
そこでふと、綾がうなされていないかと不安になる。
彼女だって、戦争でたくさんのものを失ってきたに違いない。
アンドロイドは夢を見るのか、みたいな話があったが、ご飯を食べたり泣いたりするのだ。夢くらい見るだろう。
なら、悪夢を見てうなされているかもしれないと、そんなことを考えて綾との間の仕切りをどけて、彼女の様子を見ようと試みる。
が、
「綾……?」
そこに、彼女の姿はなかった。
次回更新は3月27日(金)の20時です!
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では、また次回!




