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秋高く、虎が吼えれば馬も肥ゆ

「もしも太陽が、西から昇ったら」(西の国・壱)の番外編です。1話読み切り。

双子虎を産んだ環姫のおかしな授乳風景。王太子、初登場。

【もとはHPのキリリク小説】

「え? 今日昼から会議?」


 西の都。白虎の館。


 とても夫婦には見えない二人が仲むつまじく昼食を取っていた。


 季節は冬にさしかかろうとしていたが、すばらしい快晴で暖かな陽射しが部屋の中までも優しく照らしていた。


「……気のせいかな? なんだか嬉しそうなんだけど」


 主である夫に探るように覗き込まれて、近年稀に見る大出産をやり遂げた環姫わきは慌ててかぶりを振る。


「まっ、まさかっ」


 その声が裏返っているのを本人は気づいていないのだろうか。


 なおも疑わしげな視線が投げかけられるのを、わざとらしいくらいの話題転換で乗り切った……つもりらしい、本人は。


「じゃあ行ってくるけど……くれぐれも大人しくね」


「わかってるって! 子育てで疲れてるしなー。寝ちゃおうかなー」


「うん。それがいいね。ゆっくり休んでて」


「……うん」


揚羽あげは


「なっ、なに?」


「楽?」


「え?」


「僕は揚羽のためにやってるの。しいては子どもたちのため。わかってるよね?」


「う、うん。わかってるわかってる。助かってるよ。すげー楽だ。いいのかなーこんなに楽しちゃって。……嬉しいなー……」


「……」


 なおもなにか言いたげだった主も、数人の官吏が姿を見せると城に向かうため席を立った。


「いってらっしゃい。がんばってな」


 手を振りながら、その背中が完全に視界から消えたとき、貼りつけた笑顔のまま固まって、そうしてゆっくり周囲を見渡す。


「…………」


 もう、いいかな。


 大丈夫、だよな?


 ちょっと下唇を舐め、遠ざかる馬車の蹄の音を確かめると……、


「よしっ」


 ものすごい勢いで方向転換し、一方向を目指して走り出した。





「ま、ま、……待ってくれ!」


 向かった先は、とある部屋。そこに女ばかり十数人が控えている。不二白ふじしろが集めた、乳母、養育係、お世話係などである。


 揚羽は実質ほとんど子の世話をさせてもらえなかった。一緒に眠ることもできない。


 だが、今や絶好の機会とばかりに一目散に駆けつけたのである。


 先触れもあいさつもなく、突然に戸を開ける。


「ごっ、ごはん、ごはんもう終わった?」


 肩で息をしながら転がり込んできた環姫の存在にも皆すっかり慣れてしまったようで、目を丸くするくらいで特に驚いたりはしない。


「まだですわ」


「ま、間に合った……」


 今はちょうど昼寝前の授乳時間なのである。


 揚羽の胸はさすがに女のように膨れはしなかったが、僅かながら乳が出た。せっかく母となったからには、子に乳などあげてみたいものだ。しかし、不二白は最初にその光景を目にしたとたん激昂してやめさせてしまった。


 やはりふつうの体とは違うのか、子の唾液が触れたときしか出ないしくみになっているようで、余った母乳を捨てるという虚しい行為からは逃れられているけれども、いずれ切ないことには変わりない。


 二匹は眠っていたらしいが、母親の匂いを嗅ぎとったようで鼻をひくひく動かしながら目を開けた。


「しろがね、ホオジロ」


 揚羽はなんと自らと同じ両性を産んでいた。さすがに片割れは通常の雄だったが、前代未聞の吉事と言えよう。まず双子が珍しいのに加えて、両性までなすとは。


 これで大頼おおよりの爺さんにも認めてもらえるかな、と胸を弾ませたものの、最近では老人は畏怖の眼差しさえ送りつけてくるまでになっている。


「おいで」


 優しく手を伸ばすと、双子は太い四肢を動かして母親の胸によじ登ってくる。


「じゃ、じゃあちょっと連れ出すから」


 その重みを腕に感じて、うっとりと子に瞳を向けた。


 いくら揚羽でもこの場で胸を晒して、あの痴態を見せる度胸はなかった。


 会議というのがいつまで続くかわからないが、急ぐに越したことはない。少々強めに子を抱いて、逃げるように寝室へと向かった。





 揚羽は不二白に対して横暴だ!と内心怒っていたが、他者から見れば禁じるのもやむを得ないかもしれない、と国主に同情を寄せることだろう。


 まず、吸わせることが難しいのでほぼ舐めさせることになるのだが。


 揚羽自身、死ぬほどくすぐったくてたまらないはずなのに、母の愛は強し、しばしば主に隠れてその行為を繰り返している。


 ざらざらした獣の舌の刺激に耐えるべく、口に布を噛ませて布団を被って必死に息を押し殺す。頬は真っ赤になって、全身痙攣まで起こる始末だ。


 暗い寝具の中で、猛獣が一心不乱に胸を舐め取っているのだから、いわゆる母と子のほのぼのとした雰囲気は存在しない。


 環姫は気がついていないが、瞼に滲む涙と言い、爪先を敷き布に絡みつかせる光景と言い、淫靡な空気が充満した部屋はひどく卑猥だった。


「くっ……くう……」


 ぴちゃぴちゃという液体の音と、耐え忍ぶような喘ぎ声。


 これではいったいなにをしているのか、さっぱりわからない。


 とりあえず、母と子の微笑ましい姿はそこには皆無で、ただただ異様な時間が続く。


 揚羽も頭の端のほうでは、こんなのはおかしいと思わないでもなかった。しかし、他の女から乳を飲んでいるときは目も虚ろで、半分眠りながら吸っている双子が、自分相手ではこの形相。よっぽど飢えているのだと、己ではないとだめなのだと思い込んでしまうのだ。





「アゲハ」


 ふと、名前を呼ばれた。


「…………」


 揚羽は一瞬硬直したあと、


「な、なにもしてないっ。寝てて……寝てたんだっ」


 叫び声を上げながら布団をはねのける。紅が差す顔をそのまま相手に曝け出した。


 しかしすぐに言い訳は喉の奥に消えてしまう。


「フキ……」


 前の后の王子が、そこにはいた。


 銀髪、金の瞳。主の面影は残しつつも、通った鼻筋に薄い唇が実年齢よりもかなり老成した印象を与えている。


「お前……声が……」


 秀麗な顔は親譲りだが、まさか声まで似通っているとは思わなかった。


 この王太子は別名鉄面皮と呼ばれているほど表情がなく、病的なほど無口だったのだ。揚羽はここに来て初めて子どもの声を聞いたくらいだった。


「喋れるんだな、声が……不二白にそっくりだ」


「……」


 今度はこくりとうなずき返されるだけ。


 揚羽は寝具の中を確かめると、二匹の虎は腹も膨れて満足したのかすやすやと眠りについていた。それに安心して微笑むと、寝台脇に立つ王太子を見やる。


「え……と、どうした? なにか悩みごとか? 俺にできることだったら……」


 と、手を伸ばしたときだった。


「いい度胸だね」


 ぞっとするような声が響いたのは。





「不二白……」


 呆然と扉を見やると、子に負けず劣らずの無表情さでゆっくりと揚羽の主が近づいてくる。


 揚羽はというと、上半身は裸で、胸は唾液で濡れているし、よく見れば白い毛が絡まるようにべたべたと付いていた。髪はぼさぼさで泣いたあとの目はなんとなく腫れぼったい。


 あんまりと言えばあんまりな状態だった。


「さーて、と」


 西の国主はまず息子に目をやって、


不帰白ふきしろ。ここがどこだかわかって入ってきたんだね?」


「…………」


 静かな了承の意を受け取ると、目を素早く外に流しながら地の底から這い上がるような声でひとこと「出ていけ」と命じた。


 揚羽はなんの手出しもできずにそれをじっと見ているだけ。すると、王太子がちらりと視線を投げてくる。恨みとか悲しみとか、そういうものではなく、なんとなくちょっと困ったような……。


「……」


 それで揚羽はようやくわかった。


 子どもは、不二白の訪れを教えに来てくれたのだ。恐らく帰ってくる姿をどこかで目撃したのだろう。結果的に間に合わず、余計事態はややこしい方向へ進んでいるのだが、揚羽は嬉しかった。今までさっぱり意思疎通ができなくて悲しかった分、その喜びはひとしおだった。


 細い体が廊下に消えるまで見守る。明日、果物でも差し入れて話でもしてみようか。


 郊外で幽閉状態にあった王太子を無理やり呼び戻させたのは他でもない自分だ。未だ馴染めずにいる子を、密かに気にしていたのだ。


 急ににこにこと浮かれ出した環姫に、当然国主さまはおもしろくない。


「なんだか楽しそうだね。僕を裏切るのがそんなに楽しい?」


「……裏切るなんて……。そんな大げさな」


「いい? 不帰白にはあんまり近づかないで。あれは揚羽にとったら家族でもなんでもないんだからね」


「でも、お前の子だ」


「……」


「いい子だよ。俺、あいつ好きだ」


 哀れなり、白虎の王。


 そんなの柄じゃない、と今まで愛の告白などつぶやいたことすらない環姫である。


 まさか自分の息子に先を越されるとは予想もしていなかったろう。


 彼の妻は変わらず魅力的で、そしてこの上なく憎らしい。


「おい、お前、会議は?」


「気が変わった」


「気が変わったって……。だめだよ、行かないと……」


「そうだね」


 でも、大頼が迎えに来るのにまだ時間があるはずだから、とそのまま押し倒される。


 驚いたのは揚羽だ。


「おっ、お前、なに考えてんだ! 子どもの前だぞ!」


 見ると、忌々しい子虎が幸せそうに眠りこけている。


「大丈夫だよ、よく眠ってる。それに見られたってわかりゃしないよ」


 言って、広い寝台の端のほうに、生まれたての双子虎を投げ捨てる。そんなことをされても二匹は起きる気配もなかった。


「ま、待て。お前はなにか間違ってる。待て。待てって!」


 それは、西の環姫にとって忘れられない最悪の思い出となり、のちのち夢にまで出てきてうなされるのだが……。


 幸いなことに子の成長は早く、虎はすぐにも乳離れを迎え、揚羽の心労はひとつ減る。同時により大きな悩みが生まれてくるのだが……、それはまた別のお話。



     了

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