<閑話休題>トップシークレット
トイレの中で考える。
トイレに纏わる話を考える。
僕だって、ずっと人の悩みを聞いているわけではない。
所謂、信者達は、時に傲慢だけれど、時に寛大だ。
こちらから言わなくても、寝る時間を決めてくれる。
その間は、誰も、僕の目の前の扉をノックはしない。
寝る時間・食べる時間・考える時間、エトセトラ...
彼らの寛大で、寛容なスケジューリングは、ある種の「押しつけ」に見えるかもしれない
が、考えても見てほしい。
神様っていうのは、基本24時間勤務なのだ。
門戸さへ開放しておけば、拝みたい放題。願いたい放題。
朝から、犬の散歩ついでに。100回グルグル廻ろうが、夜中に人形に釘を打とうが
基本ウエルカムなのである。
そう考えると、僕は恵まれていると言っていい。
自由時間を与えられ、僕は、その限られた時間を便座から腰を上げ、伸びをしながら
物思いに耽る。
で、最初に戻って、トイレに纏わる話。
みんな、トイレの中の話をしたがらない。
飲み会の席で、そんな話を聞くのは稀だろうし、実際、僕は聞いたことがない。
でも、経験上、結構、ここには物語がある。
ある日、僕は大いなる腹痛に苛まれていた。
年に一度は、こんな試練が皆さんにもあるだろう。
どうにも痛いのだ。
用をたしても、それは治まることを知らない。
むしろ、先ほどまで滞在していた物が、少し下に動いたせいか、新しい物が、そこにスライドし、余計に状態は悪化している。
上を向いても、下に蹲るように頭を下げても、項垂れても、仰け反っても、それは僕を許さない。
けども、誰に助けを頼めるわけではない。もう、下痢止めは、2回飲んだ。
あとは、自分で処理するしかないのだ。
グッと我慢する。グッと食いしばる。力む。力む。
何を考えて作ったのか。えらくゴムが分厚い風船を、これでもかと膨らますかのように。
まだ、いける。まだ、入る。風船は見たことのない大きさまで膨らんで、これさえ、乗り越えればと
僕は、空気を送りこむ。
パーン!!
そういうのは、突然やってくるもので、予想していない時ほど、身近にいるものだ。
僕は、意志に反してトイレの天井を見上げていた。もう風船は、どこにもない。
ハッと我に返り、完全に気絶していた事に、焦りと恥ずかしさに襲われたものだ。
「死にかけた...」
誰も、そんな話はしない。
トイレの中の事は、トップシークレットなのだ。
もし、そんな話をしたならば、僕は、その時を笑い話に変えて、大いに共感ができただろう。
でも、僕も含めて、そんな話を人にするのはリスクが高すぎるのだ...
残念だがしょうがない。
何よりも、この話の悲しいのは、気絶し、無事にこの世に帰還した僕に
腹痛は恩赦を与えていなかったこと。
... コンコン。
いけない、時間だ。