決断の時
出会いがあれば、別れもある。
本当は、一生一緒に居たかったけれど、もうどうしようもないのかも知れない。
だから俺は、決めたんだ。
俺は、君とお別れをしなければならない。
今まで本当にありがとう。
あっという間に過ぎた気がするけれど、振り返れば長い付き合いだった。
君の事が大好きだ。愛している。本当は、離れたくなんてない。
思い返せば、いつも君は一緒だった。
俺が君に出会った、六年前の春。
君のつぶらな瞳は、間違いなく俺の心に矢を突き立てた。
毎日通る大通りに面したショーケース。
まるでそれが世界の境目のように俺たちを区切っていた。
そんな、異世界の住人同士が見つめ合ったあの一瞬は、二人を残して、時間だけが止まったかのように長く感じた。
その日から俺たちは、毎日同じ場所で出会い、俺が通り過ぎるまでの僅かな間、互いの視線を交し合った。
そしてあの日、俺は奇跡的に、君に触れた。
感動で泣きそうだった。
思わず君を、抱き締めた。
周りなんて全く見えていなかった。
俺はただ、君だけを見ていたんだ。
君は、当時チビだった俺よりも小さくて。
君の手は暖かく、柔らかかった。
君の瞳は、いつも真っ直ぐ、俺を見ていた。
あの日から俺は、君の虜となった。ずっと放さない。ご飯を食べる時も、寝る時も。
いつも必ず、君と一緒に過ごすようになった。
君はいつも、俺の傍に居てくれた。
俺が友達と喧嘩をして、傷だらけで泣きながら帰ると、君は静かに俺を見つめて、癒してくれた。そんな君を、俺はぎゅっと抱き締めた。
道に迷った時も、君はちゃんと、俺の傍に居てくれた。とても心強かった。
些細な事で怒って、君に八つ当たりして、傷付けてしまった時もあった。本当に申し訳なく思っている。
君と出会って、六年が経った。
俺は今年、中学生になる。
流石に、小学校高学年にもなると、君の存在を友達に話す訳にいかず、君は今、俺の部屋の箪笥の上に、静かに飾られている。
乱雑に扱ってしまった時の解れや打ち傷。
経年劣化による変色や変形。
クマのぬいぐるみと言わなければ、君は今や薄汚いモップと化してしまっている。
俺は、君をまだ気に入っているんだ。
小学生時代の大半を共に過ごした、掛け替えのない存在だ。
俺は君の事が大好きだ。
それは今でも変わらない。
けれど、俺は決めたんだ。
明日、初めて友達が家に遊びに来る。
見られる訳には、いかなかった。
最近のいじめは、些細な所から始まると言う。
新しい友達を招く。これを無下にする訳にはいかない。
中一男子の部屋に、クマのぬいぐるみがあるなど、あってはならない。
部屋の掃除はほぼ済んだ。
あとは、君だけなんだ。
俺はそっと、君を抱えた。
目の前で見る君は、昔に比べてとても小さくなった気がした。
君のくすんだ黒い瞳が、俺を見つめる。
その瞬間、俺の頭の中で記憶が弾けるように蘇った。
初めて出会った日。ゲームセンターのショーケース。
景品だった君は、真っ直ぐ僕を見ていた。
親にねだって、獲って貰った。
嬉しくて、俺は君を抱き締めた。
あの日から、毎日一緒に過ごしてきた。
やっぱり、君を捨てる事なんて、俺にはできない。
いいじゃないか。
中学生がぬいぐるみを持っていたって。
何を言われても、いいじゃないか。
人のためじゃない。
人にどう思われるかじゃない。
たいせつなのは、自分がどう思うか。
俺が、どうしたいのか。
涙を拭った。
君はまだ、まっすぐ俺を見つめている。
――ありがとう。
そう、言ってくれた気がした。
俺は、君を元の位置に戻した。