095話 新春2
「お嬢さんを、私に下さい!!」
「断る!!」
モルテールン領ザースデン。
村の一番目立つ場所にあるモルテールン家のお屋敷で、貴族同士が対面していた。
片方は、そろそろ四十に手が掛かる偉丈夫。モルテールン領初代領主カセロール。
対するは、年もまだ一桁という少年。ボンビーノ子爵家当主ウランタ。
文字通り親子ほどに年の違う、ある意味で対照的な二人の会話は、穏便に、というものでは無かった。
社交辞令もそこそこに、ジョゼフィーネを嫁に欲しいと申し入れたウランタに対し、一寸の迷いもなく、カセロールが却下したのだ。
「何故です!! 私は真剣に!!」
「理由は幾つもある。娘を嫁に出すに当たって、当家と御家では格が違い、分不相応である点。これは、御家の格が高すぎるのだ。ただでさえ恨みを買いやすい当家としては、ここで不用意に婚姻政策で恨みや妬みを増やす真似は避けたい。或いは、年齢。貴君はまだ幼く、うちのバカ息子と同い年。これから数年は世継ぎも期待できない中で、焦る理由が分からない。他にも、娘の事情がある。まだまだ勉強不足であり、嫁入り修行中の身である。他所に出す以上、恥ずかしくないだけの教養が必要だが、その点で未熟な娘を嫁にはやれん。当家の恥になる」
「妬みなどは私が引き受けますし、年齢というなら同い年のペイストリー殿は既に婚約済み。教育などは当家に来てからでも出来るではないですか」
「……当家は今、発展の途上にある。今焦って縁組をするよりは、領地を育て上げた後、落ち着いて探す方が良い縁組を見つけられる可能性は高い。適齢期もまだ数年は猶予があろうし、当家にも当家なりに頼れる縁がある。ここで御家と決めてしまうより、将来により多くの選択肢を残したい」
「それを言うならば、当家も今後大きくなります。して見せます。それなら対等でしょう!!」
「そうだな。それを貴君の力のみで成し遂げたのなら、私もここまで反対はしない。意味はお分かりいただけるかな?」
「っっ!!」
カセロールの意見を翻訳するのならば、ウランタの力量を低く見積もっているということだ。
これには、ウランタも反論しようがない。
確かに、ボンビーノ子爵家のみを見るならば、これ以上ないほどに隆盛の途上にある。それこそ、モルテールン家と同じぐらい。
対等な婚姻相手として、家同士を見るとするならば条件は良い。良すぎるぐらいだ。ただし、それは全てウランタの実力が伴っていることが大前提だ。
カセロールは知っている。自分の息子が如何に規格外であるかを。
そして理解している。フバーレク家、カドレチェク家、レーテシュ家、ボンビーノ家、ハースキヴィ家、エトセトラエトセトラ。今活気づいている家々というものが、ものの見事にモルテールン家に関わっていることを。もっと言えば、ペイストリーに関わっていることを。
貴族家当主として、より将来性のある相手に娘を嫁がせたい。これは当然の発想だ。
そして、カセロールの見る将来性とは、今の豊かさでもなければ、爵位の高さでもない。そんなものがいとも容易くひっくり返される様を、何度となく見てきたからだ。
カセロールの見る将来性とは、人。
たった一人の優秀な人間が、最底辺で貧苦にあえぐ弱小領地を押し上げつつあるのを、誰よりも知っている。だからこそ、能力ある人物こそが将来性だと確信していた。
息子ほどとは言わずとも、出来ればそれに近しい人間に娘を嫁がせたい。
ウランタと軍馬を揃えたわけでもないカセロールにしてみれば、今のボンビーノ家の繁栄と発展は、全てペイスがおぜん立てした様にも見える。
だからこそ、実力が未知数なウランタには、ジョゼはやれぬと首を横に振ったのだ。
「ならば、どうすれば良いのですか」
「ともかく、時間だ。貴君の申し出は理解したし、検討もしよう。しかし、今の段階では無理だ。一家を預かる身として、軽々に判断できるものではない」
「分かりました……ならばせめて、私を認めてもらえるだけの時間の確約が頂きたい。三年。いえ、一年で結構なので、ジョゼフィーネ嬢を誰とも婚約させずに頂きたい」
「……断る。政治状況がいつ変わるか知れぬ中で、不用意に確約は出来ない。だが、今の段階でジョゼの婚約はどことも決めていないし、決めるにしても時間が掛かる事情はお話しした通りだ。それ以上のことは、私からは言えない」
事実上の未婚約継続を示唆する言葉に、ウランタは引き下がるしかなかった。
うなだれるウランタに、カセロールも、そして子爵家の補佐役ケラウスも苦笑するしかない。
見かねてケラウスが促す形で、会談の本題に入る。ウランタにとっては余談の方なのだが。
「……では、ジョゼフィーネ嬢のことはとりあえず……うぅ、とりあえず脇に置いて、聖国についてお話しましょう」
「ほう?」
「当家は知っての通り港町が中心にあり、諸外国からの物資人員の流入があります。その中の聖国人から、レーテシュ伯の妊娠問題を解決できる可能性を掴みました」
「朗報ですな。して、それをまたどうして私に教えるのです?」
この世界、正確な情報は金貨以上の価値がある。
真実、聖国でレーテシュ伯の三つ子問題を解決する目途があるとするのなら、朗報だ。レーテシュ伯自身のところに持って行けば、利権の一つ二つは確保できる。
にもかかわらず、自分たちのところに持ってきたことに、カセロールは疑問を投げかけた。
「恐らく、レーテシュ伯も同様の情報を掴んでいると思われるからです。今から動くとすれば、どうしても後手になる。第一、あそこの家の行動は、必死さが違うでしょう。出し抜けるとしたら、モルテールン卿、貴方をおいて他にない」
「……なるほど」
情報の出どころが、交易で訪れた他国人。
だとするならば、レーテシュ家が同じ情報を同じように掴んでいる可能性は高い。或いは、ボンビーノ家よりも先んじて情報を得ているかもしれない。
もしもそれを出し抜いて利益を確保しようとしたならば、時間と距離を大幅に節約できる【転移】の魔法使いと組むのが一番、という理屈は筋が通っている。
「当家のメリットは?」
「時間の節約です。我々は、聖国の情報については更に詳しく分かっています。手を組んでいただけるのであれば、この点について情報を御家に公開する用意があります」
「……良いでしょう。組みましょう。詳しい手順は?」
「ケラウスに任せてあります。大よその手順で言うなら、モルテールン卿に当領の港までお越しいただき、出国並びに聖国グリモワース枢機領への入国手続きを行います。手続きが済み次第、移動することになるでしょう。船も用意しますが、移動手段はモルテールン卿の裁量に任せるつもりです。モルテールン卿の魔法がどのような制約をお持ちか分かりませんので」
「ふむ」
決断の速いカセロールは、聖国行きについてボンビーノ家と手を組むことを即決した。
物事の最大情報量を十とした場合。一とゼロは大きく意味が違い、一から九までであればどこも大して変わりがない。そして、十はまるきり別物である。
聖国にあてがあると聞いた今、ゼロが一になった。今後、独力でも聖国や各地の港町を探り、レーテシュ伯の助けになる情報を得ることも可能といえば可能。つまり、この時点でも不義理を覚悟すれば、モルテールン家単独で行動できる。
しかしカセロールは、ボンビーノ家が隠している部分で、時間短縮が大幅に可能ではないかと考えたのだ。
何を隠しているかは分からないが、この点、戦人としての勘が働いたともいえる。
事実、聖国に治療行為に特化した魔法使いが居る、と聞いているのと居ないのとでは、モルテールン家のペイスの使い方が違ってくるのだから、正解を選んだといって間違いない。
ただ、移動手段の自由選択にかこつけて、カセロールの魔法について探りを入れてきたらしい点に注意をせねばならない。腐っても子爵家の外交だ。金になるであろうカセロールの魔法についての情報を、あわよくばという狙い。
モルテールン家の魔法使いには秘密も多いため、出来れば客人の居ないところで相談がしたいと、カセロールは考えた。
「少し、準備をしたい。一鐘分時間を頂ければ、準備をしておきます」
「準備でしたら、我々も手伝いますが?」
「いえ、お気遣いは無用。そうだ、折角ですから、お待ちいただく間にお茶でもどうでしょう。ジョゼも同席させます」
「え? 喜んで!!」
ウランタの脊髄反射に、補佐役はこめかみを押さえた。
カセロールに魔法の話題を振ったとたんに、露骨に話題を逸らしたのだ。何か秘密が隠されているのは明らかで、ここは多少ごねてでも情報を得ておくのがスジ。
にこにこ顔でモルテールン家の侍女に案内される主人の後ろを歩きながら、ケラウスは溜息を隠した。
シイツとカセロールが客人に内緒の密談をする間、屋敷の中庭では優雅なお茶会の準備が整う。
参加者は、ウランタ、ジョゼ、ペイス、リコの四人。次世代を担うであろう若者たちの集いである。
使うのは神王国の南方産の茶葉。それも、モルテールン家の伝手を使って手に入れたレーテシュ産の極上品。何かと恩を売っている見返りの利権として手に入れた、お茶の購入権あってこそであり、ほどよい熟成を経たリラックスできる香りが庭に漂う。
「良い香りですね。これほど美味しいお茶は、滅多にいただけません。流石はモルテールン家のお茶会です」
「お褒めいただき光栄ですわ、ボンビーノ卿」
「ジョゼフィーネ嬢、私のことは前のようにウランタとお呼びください。言葉遣いも、慣れたもので構いません」
「あらそう? じゃあそうさせてもらうわ。ありがとうウランタ。正直、肩が凝る会話って苦手なのよ」
「その代わり、私も……ジョ、ジョゼと呼びます」
「構わないわ。……顔赤いけど大丈夫? 熱でもあるの?」
「いえ、これは大丈夫。えっと、そう、交渉で緊張したからです」
「ふ~ん、まあ父様も甘くはないからね。でも、ウランタは子爵なんでしょ? しっかりしなきゃダメよ?」
「勿論。もっと頼れる男になります……1年以内に」
微妙にかみ合わない会話は、ウランタが緊張しているせいだ。
子爵家当主にならんがため、英才教育を受けてきた。貴族同士の交渉ならば、小さい時から教えてもらったことも多いし、その点では慣れもある。
だが、惚れた女性を目の前にしてのお茶会など、今まで経験したことも無ければ、教えてもらったことも無い。だからこその緊張。まさに初陣の様子そのもの。
「一年以内? 何かあるの?」
「え? いえ、こちらの話です……えっと、あ、このお茶うけのお菓子、美味しいですね」
「むふふ~そうでしょう。ペイスが作ったお菓子でね。シュトレンって言うの。最近の私のお気に入りなのよ。口に合ったなら嬉しいわ」
「ジョゼのお気に入り? なら是非作り方を教えてください。私からもジョゼにプレゼントします」
ジョゼとウランタの会話を、リコリスと一緒に少し離れて聞いていた少年が、お菓子についての話題を聞き逃すはずも無い。揉み手でいつの間にか傍にいる。
「毎度ありがとうございます。ですがウランタ殿、シュトレンは来年あたりから売り出す予定になっているものなので、作り方は今のところ極秘事項です。手に入れるだけならば、屋敷を出て大通りをまっすぐ行ったところにあるナータ商店に聞いてみてください。確か、在庫がまだあるはずです」
「一商店の在庫まで把握されているのですか?!」
「シュトレンについては特別なのです。何せ、卸元が今のところ僕だけなので」
「ペイストリー殿は、政務や武芸だけでなくお菓子作りもされるのですか。多芸ですね」
「どちらかといえば、お菓子作りの方が本業です」
和気あいあいといった雰囲気で、お茶会は滞りなく終わる。
その頃になれば、シイツとの話し合いを終えたカセロールも顔を出した。
今度はこっそりとペイスを呼び、相談をする。
「ペイス、これからしばらく聖国に行くため留守にする。お前は残って私の代わりをしてくれ」
「僕が行かなくてもいいのですか?」
「何があるか分からんから、身軽に逃げられる方が良いと判断した。人数が少ない方が身軽だし、最悪子爵家の人間は見捨てるかもしれんのだ。恨みは私が全て背負う方が良い」
「しかし……」
「どれだけ長居するか不明なら、領主代理も必要だ。私と二人して不在なら、ジョゼが代理になるが……これはまだ秘密だが、子爵本人がジョゼにご執心だ。不測の事態が幾らでも思いつくだけに、お前を残す方が安心できる。なに、一度聖国に行けば、魔法で行き来が出来るようになるんだ。そうなれば、お前の出番も出てくる」
「姉様にご執心。なるほど」
ペイスはちらりと姉の方を見る。
未だに、顔を赤らめながら必死に会話するウランタが傍にいるのを見れば、父親の心配も理解できた。
「分かりました。何時ご出立ですか?」
「このまますぐにでも。ウランタ殿とケラウス殿を送るついでに、子爵領で食料等を準備して向かう」
「では、お見送りを」
「うむ」
結局、モルテールン領を離れるのは、子爵家の人間と、カセロール。そして、カセロールの護衛を兼任する筆頭外務官ダグラッド。
家を出てから、少し離れたところにあった子爵家の馬車まで見送り、ペイスは屋敷に戻る。
すると、良く知る少年が一人で座り込んでいた。
両膝をついて、右手を左胸に当てながら深く首を垂れる、最上位の敬意を示す姿勢で。
「……アル、こんなところで一体何を?」
最敬礼で居たのはアーラッチ。
従士の子であり、将来ペイスの部下になる為に研鑽の日々を過ごす十四歳。
そんな彼が、真剣な顔でペイスに言う。
「ペイス様、俺……いえ、私と決闘してください」
「はい?」
「そして私が勝ったら……ジョゼフィーネ様と結婚させてください!!」
赤上月の冬。
モルテールン領もまた、春の芽吹きを予感する日であった。
アーラッチが何故こんなことを言い出したか。
分からない人は58話(or新刊)を参照のこと。





