090話 黒い男
港町には潮の香りが漂う。
海のすぐ傍ということもあり、独特の雰囲気がサーカスの如き喧騒を生み出す。
大きな船が幾つも接岸されるのを眺める少年がいた。
“黒髪”に鳶色の瞳。年は九歳。高そうな服を着て、傍には御付きの者らしき男が侍る。
「若様、そろそろ約束の時間ですが、行きませんか?」
「ごほんっ!!」
「失礼、坊ちゃま。お約束の時間でございます」
「うむ。では参ろう」
「ぷぷぷっ似合わな……痛っ」
黒髪の少年が、御付きの男の足を皮靴の上から踏みつける。
吹き出し笑いを堪えていた男は、それで痛そうに涙目になった。
彼らが向かった先は、とある建物。神王国南部でも屈指の大商会で、リハジック子爵の御用商人としても知られるノッテンガイヤー商会のシュタイム支部。
港を若干見下ろす位置にあり、大商会の割に人の出入りが少なめ。石造りの三階建てで、入り口にも鉄の門がある。
荷物を積み下ろしするのだろうが、広めの屋内には荷物がまばらに置いてあった。
少年と御付きの二人が訪れたとき、建物から一人の男性が顔を見せる。少々小太りな、中年の男。
人好きのする笑みを浮かべ、慇懃に頭を下げながら二人に挨拶した。
「ようこそノッテンガイヤー商会へ。旦那様方との出会いに感謝を。私、当商会で仲買を担当しておりますローランディと申します」
「初めまして。ライス=ヤキオニギーリと言います。どうぞライスとお呼びください」
「ライス様、お名前確かに頂戴いたしました。して、本日はどのようなご用件でございましょう」
「私の父が、この度新しく商会支部を建てることになり、ご挨拶に伺った次第です」
「それはそれは。当商会としましても、新たにお取引の出来ますお相手が増えますことは喜ばしいことでございます。こんなところで立ち話も外聞が悪うございますので、どうぞこちらに」
ローランディなる人物に案内され、通されたのは応接室。
入った瞬間、少年と御付きは驚く。流石は大商会と言われるだけのことはあると。
入ってまず目につくのが立派な絨毯。赤を基本にしつつ、複雑な幾何学模様が青、黄、黒、白等の原色で織り込まれている。高そうな絨毯で、御付きの人間などは足を載せていいものかどうか思わず戸惑ってしまった。
更には、高級そうなソファ。絨毯とデザインを統一してあるのか、きめの細かな絹のような布地で覆われていて、お尻をのっけるのが失礼に感じてしまいそうなほど。
向かい合うように置かれたソファとソファの間には、これまた高そうなテーブルがある。一枚造りの木のテーブルであろうが、年輪のような木目を見る限り、相当な良木を使った手の込んだ逸品。
促されてソファに座った二人は、ローランディと入れ違いになるようにして入ってきた女性からお茶を出される。薫り高いお茶で、匂いから察するにレーテシュ産のように思われた。
「いや、お待たせして申し訳ない」
出されたお茶を、遠慮の欠片もなく楽しんでいた少年の元に、明るい声で男が入ってきた。
「お茶は飲まれてますか? 飲まれてる? 結構結構。何でしたらお茶うけに果物でも用意しましょうか? 季節外れの白ブドウが手に入ったのですよ。要らない? それは残念」
早口で矢継ぎ早にしゃべりだした男こそ、支部の代表者。
アゴが割れているのが特徴の四角張った顔をした人物で、首の周りもかなり太い。よほど日頃から口の周りの筋肉を使っているのだろう。と少年は思う。
男は、かなり機敏な動きで、さっさと向かい合うソファに腰かけた。
「いやいや、珍しい客が来ていると言うものだから、楽しみに思い出向いてみれば、なるほどなるほど、確かに珍しい。聖別前の客が来るのは珍しくないが、初対面でこれほど堂々とした客というのもなかなか居らんもんです。相当に経験を積まれておるようですな。ん? いけませんな顔色がそこまで読みやすくては。これでも商会の支部を任されておる身ですから、多少は人を見る目には自信がありましてな」
「あの……」
「分かる、分かりますとも。ご自身も自信がお有りなのでしょう。言わずとも分かります。しかし、顔色を咄嗟に隠せるほどではないとなれば、経験不足も否めない。落胆なさることはございませんよ。そのお年でこうして私の前に座っているというだけでも、十分大したものです。商談というものは、こうして面と向かった瞬間には始まっているものですからな」
「え~自己紹介をしても?」
ベラベラと良くしゃべる男に戸惑いながら、少年は問いかける。
「勿論構いませんが、自己紹介を頂く前に私の方も自己紹介をしておきますと、当商会支部を預かるブーティー=ヤッチモンクといいます。商売上はヤッチで通ってます。こう見えてまだ四十三歳と若く、人によっては三十代に見えるそうでして、若さの秘訣は起きてから必ず毎日一杯の水を飲むこと。いや、貴方はまだ十分に若いのでこれは不要なことでしたかな。失敬失敬」
「え~ライス=ヤキオニギーリです。ライスとお呼びください」
独りで勝手に話を広げる男には、気にせず話を進めるほうが良い。
「ライス、ライスさんね。良い名前ですなあ。特に響きが良い。覚えやすい名前ですから、商売上でも有利な名。覚えやすいというのは大事ですよ? 私なんて名前を良く間違えられる。この間なんて犬の名前と間違えられた。長すぎる名前というのもいけませんな。うちの従業員にミドルネームが二つ付いた奴がいますが、長すぎてとても一度では覚えられない。仕方なくみんな愛称で呼ぶもんだから、本名が別にあるのを知らないってものまで出てくる始末。あっはっは。ここ笑うところですよ?」
「はあ」
「それで、ライスさんはどういったご用件で当商会に来られたのでしょう。ご心配は無用ですよ。当商会は信頼と信用をモットーに手広い商売をやっておりますから、どんな商品でもすぐにお届け致しますよ。それとも買い取りをご所望で? 親切丁寧がモットーですから、誠心誠意高価買取でお取引させていただきますとも」
何でモットーが二つあるのだ、という疑問はさておき。
この時点で非常に疲れるやり取りではあったが、ようやくの本題。
「実は、私の父。デココがモルテールン準男爵領のザースデンに店を構えて商会を設立しました。ついてはこの町、シュタイムにも拠点となる支店を置こうと計画し、下見がてらご挨拶に伺ったのです」
「なるほどなるほど。それは大変素晴らしい。ちょっと待ってくださいよ。デココ……はて、どこかで……ああ、あのデココさん。背がちょっと高めで優しそうな顔した。はいはい、覚えてますとも。確か以前に、当商会でもお取引したことがあるはずですよ。何だったかは記録を見なければ思い出せませんが、五~六年前の話ですよ。ちょっと待っててくださいよ」
そう言って、ヤッチは資料を取りに席を立つ。
すぐにも一巻きの巻物を持って戻ってくる。ここらへんの情報管理の手腕は、腐っても大商会と言われるだけのことはあった。
「ありましたありました。デココ=ナータさん。五年と二か月前に、当商会から塩を二十壺ほどお買い上げいただいていますな。代わりに麦を引き取っています。なるほど、この麦もモルテールン産。その時からの縁で商会を建てられるわけですか。結構なお話です。私もこうして一つの支部を任されてますが、組織の運営というのは大変苦労するものです。それを一つの商会を立ち上げようというのです。凄いもの……おや、しかし家名が違いますな」
「恥ずかしながら、父が行商をしておりましたので、母の家で育てられました。十二になって聖別を終え、母の家から出ることになり父の元を訪ねたのです」
「なるほど、色々ご苦労があったのでしょうな。分かりますとも。男というものは、あちらこちらに愛をばらまくものです。お母様もお父様を愛されたのでしょうが、行商人というのは旅を住みかとするもの。逢うこともままならず、涙で枕を濡らしたことでしょう」
饒舌な男は、勝手にストーリーを語りだした。
行商の途中で出会った女と行きずりの関係を結び、女は身ごもる。子供が出来ているとも知らずに男は旅立ち、残された女は子供を産む。どこの馬の骨とも知らない男の子供だ。女の実家では肩身の狭い、つらい思いをした。十二になり、まだ幼いにも関わらず無理やり成人させられて家を追い出され、行く当ても無かった。ほんのかすかな伝手とばかりに、風のうわさで聞いた父を訪ねる。
ところが、意外なことに男は子供を歓迎し、自分の子供として厚遇した。
即興でそれだけの想像が出来るだけに、劇作家に転向してもやっていけるかもしれない。
黙っておしゃべりを聞いていた少年も、特に否定をせずに頷く。
「御立派。少々幼くお見受けしますが、きっとご実家でも食事を与えられない日々があったのでしょう。ええ、分かりますとも。その分の苦労は、こうして私と相対しても揺るがない心を養った。無駄ではありません。ええ、卑下することもなく誇ればよいのです」
「はぁ……それで、良ければノッテンガイヤー商会とも友好的な関係を築きたいと考えております。お話しした通り当ナータ商会は新興であり、まだこの町に販路を持っておりません。その点で、お互いに手を結んだ協力が適うのではないかと考えております」
さすがに商売の本題ともなれば、ぺちゃくちゃと口を動かしていた男の顔つきも変わる。目つきも多少厳しくなり、商人らしい雰囲気がする。伊達に支部を預かってはいない。
「勿論構いませんとも。良き取引相手というのは、こちらとしても望ましい。販路とおっしゃるからには、仕入れルートはきっちりと持っておられるのでしょう。何を当商会に卸すことになるのです?」
「雑多なことになるかとは思いますが、とりあえず……砂糖の卸しを考えています」
「ほほう……」
途端に止むおしゃべり。
砂糖とは、神王国に置いては超が付く高級商材。国内での生産がほとんど出来ていない為、外国からの輸入という極めて不安定かつ不定期な仕入れしか存在しない。
安定的な砂糖の供給ルート。これを確保出来るならば、生まれる富は巨万のものとなるだろう。
男とて一端の商人。騙されない為にも情報は常に仕入れてきた。当然、モルテールン家の周りで最近砂糖の加工品が出たことは知っている。
となれば、目の前の少年が言うことも、満更根拠のない嘘とも言い切れない。
しばらくの間瞑目して考え込み、そしておもむろに口を開いた。
「少し、うちでも検討させてください。いや、もちろん前向きにです。何せものが砂糖です。量次第ではうちでも捌ききれないかもしれませんし、扱うにしても準備しておく資金に目途を付けておかねばならない。扱える量と、大まかな仕入れの相場を内々で決めてから、また改めてご相談といきましょう。そうですね、明後日までには内部の話し合いを終えておきましょう」
「お願いします。それでは今日はこれで失礼します」
「わざわざご挨拶に来ていただいたのに、大したお構いも出来ませんでした。いや、これは申し訳ない。何でしたら白ブドウをお土産に如何です? 要らない? 後が怖い? またまたぁ。宿はどちらに? 大通りのあそこですか。誰かに送らせましょうか? 不要? 謙虚ですなあ。ではお気をつけて」
一方的なおしゃべりが戻ってきたところで、少年は御付きの者と共に宿に戻る。
宿といっても、安宿だ。如何にも経費をケチった商人が泊まりそうな宿屋で、馬車置き場も無ければ厩も無く、見張りも立てていない為不用心極まりない宿泊施設。
戻ってきたところで、どっと姿勢を崩す。
「疲れました~まさかあんな人が出てくるとは」
「俺、若様よりも饒舌になる人を初めて見たかも」
箱のような板切れに薄く布を置いただけの安普請なベッドに、少年は仰向けに寝転ぶ。
「さて、撒き餌はこれで十分でしょう」
「ホントに食いついてきますかね?」
「本当に偽のノド飴を作っているのなら、原料の仕入れには苦労しているはず。何せ、レーテシュ伯と親密な関係を利用して、モルテールン家が砂糖を買い占めるような真似をしていますから。横荷や抜け荷でこっそり仕入れるにしても、限界があるのは明らか」
「それなら、俺たちが企んでるってのもバレませんかね。あからさますぎる気がするんですけど」
「だから、撒き餌と言ってるじゃないですか。相手がどの程度の情報を持っていて、どういうものを欲しているのか。探り……待て。灯りを消して!!」
少年と御付きの二人は、灯りを消した中で護身用の装備を持ち、扉の左右に張り付いた。
「いきなりですか。仕入れルートの秘密を欲張ったのか。仕入れる金が用意できなかったのか。何にせよ、焦ってますね」
「俺たちを襲うなんて、向こうの情報網は質が悪い」
「没落しているとの噂は事実、ですかね」
ゆっくりとした緊張感の中。
ギシリ、ギシリと、足音のようなものが近づいてくる。
やがて、扉の前に人の気配が溜まった。
――バンッ!!
大きな音と共に、扉が弾きとんだ。
一気に五~六人の黒づくめがなだれ込んでくる。手に手に物騒な武器を持った集団。逃げ場無し。
そう思われる中、襲撃者のうち二人を、扉の両脇にいた人間がそれぞれ殴りつけて気絶させる。
「クソッ、気付かれていた!!」
押し入った者たちが、止む無く灯りを扉付近に向ける。
そこに浮かび上がるのは二人の人物。
十代と思しき青年の姿。それともう一人は少年の姿。
ずいっと一歩前に出てきた少年。
“青銀の髪”をし、不敵な笑みを浮かべた彼は、押し入ってきた者たちに剣を向けながら大声で叫んだ。
「無礼者!! 私を誰だと心得る。神王国国王より準男爵位を賜りしカセロール=ミル=モルテールンが嫡子、ペイストリー=ミル=モルテールンと知っての狼藉か!!」
「同じくモルテールン家従士、ニコロ=ノーノ推参。若様に狼藉を働く無礼者ども。生きて帰れると思うなよ!! くぅ~っ、一度言ってみたかったこのセリフ」
狼狽した侵入者たちを捕らえるのに、さほどの時間は必要なかった。